日光例幣使街道⑤(富田宿→栃木宿→合戦場宿→金崎宿→楡木宿)
2009年12月30日
新大平下駅(東武日光線)・・・富田宿本陣跡(富田交差点)・県道11号・・・八坂神社・・・宗光寺・地蔵堂・・・星宮神社・・・樋下稲荷神社・・・永久橋(永野川)・・・川連天満宮・川連城跡・・・県道11号・・・熊野神社・開明橋(巴波川)・・栃木宿・・・一乗院・・・県道3号・・・(東武日光線)・・・合戦場宿・・・六基子育延命地蔵尊・・・升塚・普門地蔵堂・・・旧道・・・延命地蔵堂・・・県道3号・・・(北関東自動車道)・・・猿田彦神社・・・県道3号・・・豊年神社・・・琴平神社・・・金崎宿・・・旧道・・・小倉橋(思川)・・・国道293号・・・磐裂根裂神社・・・追分交差点(壬生道)・・・楡木宿・・・楡木駅(東武日光線)
*参考:「蔵の街」栃木宿と太平山は、『栃木市の坂』(2008年4月2日)
【ルート地図】
写真をクリックすると拡大します。
樹齢300年という。雌雄2本の珍しいものだったが雄の木は枯れたそうだ。
寺といっても正面の堂だけ。手前に馬頭観音などの石仏が並んでいる。
鳥居の前に狛犬でなく庚申塔が左右に並ぶ。
樋下正一位稲荷 《地図》
小社だが三つも鳥居がある。
右に旧道へ入る。《地図》
この先の旧道ははっきりとは残っていない。すぐ左に上部の欠けた石灯籠がある。
「太平山」と刻まれた上部のない石灯籠(常夜灯?)から太平山を望む。ここが遥拝所だったのだろう。
4年ほど前の写真には上部も写っている。最近、倒れたのか壊されたのか。
冬は仮橋で、それ以外は徒歩で渡った。一年中渡れる橋ができたので「永久橋」と命名したのだろう。
正面は採土で削られた山。今でも採掘の音がここまで聞こえてくると、近くの民家のおばさんが言っていた。一山崩してしまうのか。昨日見た岩舟山、秩父の武甲山と同じように。
正月の用意に余念がない。ぶらぶら街道歩きなんかしている時ではない?
城の遺構は残っていない。
この案内標柱で右に曲がる。《地図》
「東へ(約三百メートル)旧沼和田村川間の分去れから左へ巴波(うずま)川大橋を渡り栃木町を経て日光・宇都宮方面へ」とある。 このように例幣使街道は進んでいく。
この後、3本の案内標柱が立っている。
ここが県道31号との合流点の「分去れ」で左に曲がって北に開明橋の方へ進む。《地図》
地蔵は顔の部分をつながれている。
万町交番も蔵造り 《地図》
ここの交差点を左に曲がる。
左の建物も国の有形登録文化財。
昔風情のある通りを進む。《地図》
正面分岐に新しい道標が立つ。《地図》
ここに栃木宿の北木戸があった。
磐根神社へ曲がる角の旧家 《地図》
開拓、開墾、農耕の神
小平浪平の生家 《地図》
日立製作所の創業者
いずれも建物は新しくなっている。
民家の庭先にある。
6地蔵が2列、3列に並ぶものは多いが、このような配置のものは初めて見た。
升塚 《地図》
合戦場の由来となった大永3年(1523)の川原田合戦に戦死者を弔う塚。
普門地蔵堂、薬師堂、六地蔵、十九夜塔の小祠などが並んでいる。
この先を右に行く。《地図》
ここを過ぎて県道に戻る。
右は何の小祠か?
左に365m?だが、薬師像は拝めないらしいのでパス。
「白雲山」とは何か? ここの手前にもあったが。
旅館、遊郭風の旧家
宮崎商店の前で右に旧道に入る。《地図》
ここも冬は仮橋で渡った。
右に屋根が見える。根を裂き磐を裂く開拓、開墾、農耕の神。磐根神社の正式名だろう。
今日はここから遥拝の遥拝ですます。
「右 中仙道 左 江戸道」
右が例幣使街道、左が壬生道(日光西街道) 【ル-ト地図】の25
ここが日光例幣使街道の終点。ここからは壬生道で今市宿まで続き日光街道と合流する。今は地元ではこの先も例幣使街道と呼んでいるようだ。
楡木(にれぎ)宿本陣跡? 《地図》
左隣の「焼きまんじゅう店の主人に聞いてみたが、隣りではなく、「4、5軒先らしいが、よく分からない」という返事だった。
この時間電車は1時間に1本。焼まんじゅう、どら焼ともう一つをほうばりながら40分以上待った。5時近くでさすがに冷えてきた。
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