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2010年2月26日 (金)

日光御成道(岩渕宿→川口宿→鳩ヶ谷宿→大門宿)

2010年2月17日

赤羽駅(JR京浜東北線)・・・宝憧院・・・大満寺・・・岩淵宿・問屋場跡・小山酒造・八雲神社・・・岩淵橋(新河岸川)・・・岩淵水門(赤門)・・・新荒川大橋(岩淵の渡し跡)・・・善光寺・・・川口宿・本一通り・本陣家門・川口神社・錫杖寺・・・国道122号・・・十二月田交差点・・・薬林寺・・・鳩ヶ谷大橋(新芝川)・・・県道105号・・・吹上橋(見沼代用水東縁)・鳩ヶ谷の一里塚跡・鳩ヶ谷宿御成坂・・・氷川神社・宝蔵院・子日宮神社・・・花見地蔵・・・(東京外環自動車道)・・・妙延寺・・・一里塚ポケットパーク・・・(JR武蔵野線)・・・諏訪神社・・・一本木坂・・・東川口駅(JR武蔵野線)

  鳩ヶ谷宿は『鳩ヶ谷市の坂』に記載。この先は『日光御成道(岩槻宿→大門宿)』に続く。

  ルート地図

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Img_9016 宝憧院前の道標(元文5年(1740)の造立) 《地図

「東 川口善光寺道 日光岩付道」・「南 江戸道」・「西 西国冨士道 板橋道」

日光岩付道・江戸道が日光御成道、川口善光寺は昔の面影はない寺になっている。二子玉川からの西回りの鎌倉街道中の道は板橋道を通り、ここで東回りの道筋と合流する。

御成道沿いは繁華な商店街、その先は北本通りで岩淵宿の昔の家並みは残っていない。 

Img_9018 説明板

Img_9021北区内最古の寛永16年(1639)の庚申塔。青面金剛と三猿でなく、阿弥陀如来と二猿で、庚申塔ではないとの見方もある。

Img_9019 説明板

Img_9007 岩淵宿問屋場跡碑 【ルート地図】の①

Img_9008 小山酒造(丸真正宗)

明治11年創業の都内唯一の酒造。

「愛酒報国」、酒飲みは国のためになるらしい。

Img_9000 八雲神社

岩淵宿の鎮守。荒川べりに本陣小田切家があったようだ。

Img_8999 説明板

Img_8978 岩淵水門(赤門) 《地図

ここで荒川は隅田川に分岐する。もとは隅田川が荒川の本流だった。

Img_8987 説明板

Img_8986 荒川と隅田川と新旧岩淵水門

Img_8972 新荒川大橋から上流のJR線方向

橋の少し上流の岩淵の渡し船(川口の渡し)で川口宿へ渡った。

Img_8968 善光寺 《地図

江戸時代には庶民の手軽な善光寺参りで賑わった寺で、宝憧寺前の道標にも記されているが、今は荒川の堤防上の味気ない、殺風景な寺になってしまった。しかも工事中ですぐに引返す。

「江戸名所図会」の『善光寺

Img_8963 関口鐵工のキューポラの煙突が見える。《地図

小百合ちゃんの「キューポラのある街」、懐かしいねえ。

この写真の手前には老人ホーム「たたら荘」があり、鋳物の街だった川口を少し感じさせてくれる。

Img_8961本陣と同じ永瀬家

Img_8945 川口神社

Img_8949 説明板

Img_8948 境内のすずかけ(鈴懸・プラタナス)の木

白くなっているのは、この木の特徴で、病気ではないらしい。

Img_8944倉田米店

Img_8942 旧川口小学校の校門だったそうだ。それ以前は川口宿の旧家の門だったのでは?

Img_8941 川口宿ミニパーク?

「鍋屋の井」の説明碑などがあるが、はげかけて薄くなり見にくい。

Img_8928 鍋屋の井

川口は地下水脈が豊富で、各地にこのような吹き上げ井戸があったという。

Img_8918 川口宿説明板(錫杖寺の門前のもの)

Img_8930 本一通り 《地図

短い通りだが古い家並みが残り、川口宿の面影を偲ばせてくれる。

Img_8939 縄屋商店

乾物屋か?

Img_8932

中西日進堂薬局

Img_8935 浜田接骨医院

明治40年の建築とか。本一通りには「係争中」の看板が多い。のんびりと坂道散歩なんかしていると叱られるか。

Img_8936 本陣永瀬家門

路地を左に入った所で街道には面していない。

Img_8920 錫杖寺(しゃくじょうじ)【ルート地図】の②

本尊は行基の作という地蔵菩薩。関東十一談林、真言宗関東7ケ寺の一つ。関東八十八ヵ所の第76番。

徳川将軍の日光社参の時の休憩所でもあった寺。

Img_8926 錫杖寺の川口七福神の福禄寿・天満宮・梵鐘(寛永18年(1641)に川口宿の名主宇田川氏が施主となり、川口鋳物師長瀬治兵衛が鋳造し奉納したもの)

この他、(延命)地蔵堂・青山地蔵尊・八面塔六地蔵尊(2面に大日如来、6面に地蔵)など見るべきものが多い。

Img_8919 説明板

Img_8913 十二月田(しわすだ)交差点 《地図

昔、師走(しわす)のある日に狐たちが田んぼに現れ、杉の葉を植えて田植えの真似をしたという言い伝えからこの地名になったという。

Img_8908 薬林寺入口の庚申塔(元禄15年(1702)の銘)

顔がすり減ったか、つぶれてしまっているが、しっかり祀られている。

Img_8910 薬林寺

左が「岡の薬師」と呼ばれている薬師堂

古くは寺の西側を通る鎌倉街道が御成道だったともいう。いつの頃か将軍が日光社参りの折り、このあたりで美しい娘を見初めて側室にしたいと言い出した。そこで家臣たちが計って帰路はそこを通らず、現在の御成道(国道122号)に変更したという逸話が残っている。
①今でも古老の中には、現在の御成道を「しんけえどう(新街道)」と呼んでいる人がいる。②『新編武蔵風土記稿』に、昔は芝川の堤の上が日光御成街道であったという意味の記載ある。③現在の御成道部分(国道122号)がほぼ一直線の道路であり、新たに造られたものであると考えられる。『薬林寺HPより』

この寺には「首振り観音」、「姥像」の伝説などある。

Img_8903 鳩ヶ谷市は川口市との合併問題だ。

(2011年10月11日に川口市に編入合併し、消滅した)

Img_8901鳩ヶ谷の一里塚跡あたり

吹上橋を渡った所。

Img_8899 御成坂 【ルート地図】の③

坂上近くにあった本陣家の建物は真光寺に移築され本堂となっている。

Img_8886 鳩ヶ谷宿の家並み

Img_8877_2花見地蔵は今日も花見の季節をじっと待っているのだろう。《地図

Img_8871 ?神

Img_8867 保育園の先生も大変だ。

Img_8866 妙延寺 【ルート地図】の④

Img_8862 由来

Img_8864 着物はいいが女郎仏の由来の「気品があり、美しく、可憐な」女性とは随分と印象が違うようで肩透かし。

Img_8859 一里塚ポケットパーク 【ルート地図】の⑤

何の説明もない。

Img_8848 諏訪神社

この先は貝殻坂上を通り、大門宿へと入って行く。

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2010年2月25日 (木)

日光御成道(本郷追分→岩淵宿)

2010年2月16日

東大前(地下鉄南北線)・・・本郷追分(追分一里塚跡)・・・追分尋常小学校跡・・・正行寺(とうがらし地蔵)・・・浄心寺(子育桜観音)・・・天栄寺(駒込土物店跡)・・・南谷寺(目赤不動)・・・養昌寺(半井桃水の墓)・・・吉祥寺(お七・吉三郎比翼塚)・・・富士神社・・・江岸寺・・・六義園・・・染井橋(JR山手線)・・・十二地蔵・染井霊園・・・妙義坂・妙義神社・・・妙義坂子育地蔵堂・・・霜降橋交差点・・・ことぶき地蔵堂・・・大炊介坂・・・古河庭園・・・蝉坂上・平塚神社・・・西ヶ原一里塚跡・・・七社神社・・・六石坂・・・飛鳥山公園・飛鳥大坂・・・権現坂・・・王子神社・・・子育地蔵尊・地蔵坂(王子大坂)・・・王子稲荷の坂・王子稲荷神社・・・名主の滝公園・・・三平坂・・・鎌倉街道中の道合流地点・パノラマプール十条台・・・芝坂上・・・地福寺(鎌倉街道の地蔵)・・・地蔵坂上・・・十条冨士塚・・・石神井坂上・・・西音寺・・・(馬坂上・環七道路)・・・清水坂・・・真正寺坂下(庚申塔道標)・・・普門院・・(稲付一里塚跡)・・・静勝寺の坂下・・・赤羽駅(JR京浜東北線)

  坂の詳細は『東京23区の坂』(坂道散歩)

  参考:『北区の歴史と文化財』・『北区のさんぽみち

  ルート地図

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Img_9026 本郷追分(追分一里塚跡) 【ルート地図】の①

直進する本郷通りが日光御成道、左に曲がるのが中山道で、日本橋から最初の一里塚があった。分岐の高崎屋は江戸時代から続く酒屋。むろん一里塚は跡形もない。

Img_9028 追分一里塚説明板

Img_9030 岩槻街道(日光御成道)説明板

Img_9031 説明板

今は第六中学校。

Dsc05479 とうがらし地蔵( 正行寺)

ずいぶんといかつい顔をしている地蔵さんだ。咳の病にご利益あり。花粉症はどうだろうか? 「とうがらし閻魔」もあったそうだ。

Img_9034 説明板

Img_9036 浄心寺

江戸三十三観音の第10番の子育桜観音(十一面観音)。 でっかい布袋さんが街道を睨んでいる。

Img_9048 駒込土物店(つちものだな)(江戸青物三大市場)跡(天栄寺前)

土のついた野菜、「土物」が取引された青物市場、「やっっちゃ場」跡。

Img_9046 説明板

Img_9055 目赤不動

江戸五色不動 の一つ。不動堂の扉はいつも開いているようで、精悍な不動さんの顔が見られる。目は赤くはないが。

Img_9053 説明板

Img_9057 養昌寺

樋口一葉の師、思慕の人、半井桃水の墓がある。

Img_9056 説明板

Img_9058吉祥寺

Img_9059 説明板

Img_9062 お七・吉三郎比翼塚

井原西鶴が『好色五人女』の中で、八百屋お七と吉三の出会いの場を吉祥寺としたが、円乗寺という説もある。

新しい塚になっている。

Hiyokutuka_2 2006年2月2日に撮影した比翼塚。

Dsc05495 お七地蔵(円乗寺)《地図

お七の墓」もある。

Dsc05486 ほうろく地蔵(大円寺) 《地図

八百屋お七の罪業を救うため、自ら「ほうろく」(素焼きのふちの浅い土鍋)をかぶり焦熱の苦しみを受けたという地蔵さん。首から上の病いに霊験あらたかという。

Dsc05484 説明板

Img_9066 吉祥寺経蔵

境内には、茗荷稲荷、二宮尊徳、榎本武揚、「妖怪」の異名をとる鳥居耀蔵川上眉山などの墓などがある。

Img_9064 説明板

Img_9072 富士神社

「駒込のお富士山」と呼ばれる富士塚の上にある。もとは前方後円墳だったようだ。

Img_9071 説明板

Img_9074 江岸寺(こうがんじ)

Img_9073 説明板

Img_9089六義園の外周レンガ塀

Img_9087 渡月橋から池

五代将軍、徳川綱吉の側用人として権勢を振るった柳沢吉保の築いた「回遊式築山泉水庭園」。

Img_9091 十二地蔵 (豊島区駒込7-3)《地図

享保15年(1730)の大火による犠牲者の供養のため建てられたものという。十二体の地蔵の由来は定かではないが、地蔵の上部に描かれているのが雲はなく、火や煙のような絵であることからも、大火を描いたのではないかという。

Img_9099 妙義坂子育地蔵堂 《地図

平成18年に再建された地蔵堂

Img_9100 由来

Img_9101 子育地蔵(中央・寛文8年(1668)の建立)

左の手をつなぐ2人の少女石像は昭和8年にこの近くで交通事故で亡くなった11歳の仲良し少女の供養塔。右は如意輪観音か。

Img_9103 亀の湯

昔ながらの堂々とした造りの銭湯。

Img_9106 ことぶき地蔵 《地図

江戸時代の城官寺の境界地蔵といわれる。戦後に江戸六阿弥陀の三番の無量寺から現在地に移され町内の守り仏となる。

Img_9105 延命長寿のことぶき地蔵

Img_9114古河庭園の洋館

J・コンドル最晩年の作で、大正6年5月に竣工。

Img_9119 心字池・雪見灯篭

Img_9121 平塚神社

ここは平安時代に豊島太郎近義が築城し、文明10年(1478)に太田道灌によって落城した平塚城跡との伝承地。本堂裏には平塚の由来になったともいう甲冑塚がある。

東側の蝉坂は「攻坂」から転訛したともいう。

Img_9120 説明板

Img_9123西ヶ原の一里塚跡 【ルート地図】の②

御成道の2番目の一里塚。ここから六石坂飛鳥大坂と下って行く。

Img_9126 説明板

Img_9127 七社神社

7神が祭神

Img_9141王子神社

Img_9139 関神社・毛塚(王子神社境内)

百人一首の「これやこの 行くも帰るも・・・」でおなじみの蝉丸が「かもじ・かつら」の考案者で「髪の神」、琵琶の名手で「音曲諸芸道の神」とは知らなかった。祭神の一人が蝉丸の姉で「逆髪姫命」とは面白い。神様に祀り上げられたとはいえ、姉さんもこんな名をつけられてまた髪が逆立ってしまったかも。

Img_9140 説明板

Img_9147王子子育地蔵

地蔵坂(王子大坂)の坂下近く

Img_9151王子稲荷神社

山門と社殿の間は幼稚園で、鍵が掛っていて通れない。西側の王子稲荷の坂を上ることになる。

落語の『王子の狐』に登場する。社殿の後ろ側には狐穴もある。

Img_9154名主の滝公園 【ルート地図】の③

王子村の名主畑野家が、その屋敷内に造った庭園。

王子七滝(あとは不動・権現・弁天・大工・見晴し・稲荷の滝)の一つだった。

Img_9158 女滝

Img_9163 男滝

独鈷の滝は枯れている。湧玉の滝はどうか?

Img_9167 パノラマプール十条台 《地図

天井がガラス張りの開閉式ドーム式。十条台小学校のプールだが、一般にも開放していて何度か泳いだことがある。

この前で「鎌倉街道中の道」が合流する。

Img_9175地福寺

「茶垣の参道」というが、それらしき垣根はないようだが?

Img_9169 説明板

Img_9173 鎌倉街道の地蔵様(左端)

台座に三猿を施した珍しい「庚申地蔵」で、「王子三地蔵」の一つ。あとの2つは、姥が橋延命地蔵と、もとは地蔵坂の坂上の御成街道沿いに立っていた「地蔵坂の地蔵」(今は東十条駅南口に安置)

Img_9170 地蔵略縁起

Img_9179十条冨士塚(冨士神社) 【ルート地図】の④

ここも下は古墳

Img_9178 説明板

Img_9182 西音寺

将軍の日光社参の休憩所になった寺。

Img_9183 六面憧(宝暦2年(1752))の造立。

阿弥陀三尊と六地蔵が浮彫り

Img_9186 清水坂(坂下方向) 《地図

正面上はJR京浜東北線。

Img_9188 御成道説明板

Img_9190 御成道を歩く人は必ず写真を撮るという定番スポット。(JR埼京線をくぐった先)

Img_9192 旧家の門

Img_9193 真正寺坂の坂下 【ルート地図】の⑤

庚申塔(明和6年(1769)の造立)の右側面に、「これよりいたばし道」と彫られている。坂を上って進めば中山道に出る。北側にあった真正寺は廃寺になっている。稲付の人々は「しんしょう昇る」と縁起をかついで上ったそうだ。古来から重要な道だったのだろう。

錆のような苔?が体を覆い始めている。今も花が供えられ地元の人たちに見守られて(見守ってか)いる。

Img_9197_2普門院の鐘楼門

Img_9196 「餅搗唄」説明板

Img_9199 稲付一里塚跡あたり(赤羽西2-8) 《地図

3番目の一里塚跡で、北区で設置した説明板があるというが見逃した。

Img_9200 静勝寺の坂下

静勝寺あたりは太田道灌の稲付城跡。静勝寺には太田道灌坐像がある。

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2010年2月23日 (火)

日光街道(日本橋→千住宿)

2010年2月14日

東京駅・・・西河岸地蔵寺・・・西河岸橋・裏河岸・・・日本橋・・・小津和紙・・・大伝馬本町通り・・・宝田恵比寿神社・・・旧日光街道碑・・・横山町繊維問屋街・・・江戸通り・・・郡代屋敷跡・浅草橋(神田川)・浅草見附跡・・・(総武線)・・・第六天榊神社(浅草文庫跡碑)・・・鳥越神社・・・天文台跡(蔵前1交差点)・・・鳥越神社・・・浅草御蔵跡・首尾の松碑(蔵前橋)・・・御蔵前通り・楫取神社・聖ヨハネ浅草教会・・・蔵前神社・榧寺(かやでら)・・・諏訪神社・・・駒形どぜう・・・駒形堂・・・(東武伊勢崎線)・・・山谷堀公園・・・待乳山聖天・・・今戸神社・・・熱田神社・吉野通り・・・泪橋・・・小塚原刑場跡・・・コツ通り・・回向院・・・南千住仲通り・豊川稲荷神社・・・円通寺(彰義隊士の墓)・・・素盞雄神社・・・誓願寺・・・千住の河岸(熊野河岸)跡・千住大橋(隅田川)・・・やっちゃ場跡・・・源長寺・・・千住の一里塚跡・高札場跡・問屋場跡・・・不動院(遊女供養塔)・・・森鴎外旧居跡・・・金蔵寺(遊女供養塔)・・・勝専寺(赤門寺)・・・千住2丁目交差点・・・北千住駅

  この先は、『日光街道(千住宿→草加宿)』へ続く。

  【ルート地図

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Img_8841 西河岸地蔵寺 《地図

行基の作と伝う「日限延命地蔵菩薩像」を安置。

三方を高いビルに囲まれて窮屈で、肩身が狭いようだが、しっかりとガードされているとも見えるか。

Img_8842 由来

Img_8839 西河岸橋から日本橋 《地図

やっぱり高速が邪魔だ。

Img_8837 説明板①

Img_8838 説明板②

Img_8825 日本橋

Img_8831 魚河岸発祥地碑

反対側に道路元標(レプリカ)がある。

Img_8832 説明板

Img_8822 日曜で閑散としている大伝馬本町通り

車はすべて駐車している。

Img_8819 ここが今の日光街道

寝袋にくるまって読書をしている人もいる。邪魔をしないように静かに通り抜ける。

Img_8816 小津和紙店

承応2年創業(1653)の紙問屋。

Img_8818 明治時代の店

Img_8813 宝田恵比寿神社

江戸城外の宝田村の鎮守だったが、村人は江戸城築城の際に家康から移転を命ぜられこの地に移り住んだ。

Img_8814 由来

Img_8811 「旧日光街道本通り」石柱 ギンモンドホテルの右端【ルート地図】の①

Img_8807 横山町繊維問屋街

日曜は休みの店がほとんど。

Img_8801 郡代屋敷跡(浅草橋の南側の交番の所)

関東の幕府直轄領の年貢の徴収、治水、領民紛争の処理などを行った関東郡代の役宅跡。

Img_8802 説明板

Img_8799 ビルとコンクリの堤防に挟まれた神田川に浮かぶ屋形船、ゆりかもめ。(浅草橋から)

Img_8798 浅草見附跡 【ルート地図】の②

Img_8795 浅草文庫碑(榊神社内)

明治7年に創設された官立の図書館跡。左は繁昌稲荷社で、第六天榊神社は、「下町八福神 」の健康長寿の神。

Img_8793 説明板

Img_8791 鳥越神社

千貫御輿の鳥越祭り

Img_8786浅草天文台跡 《地図

葛飾北斎の富嶽百景の「鳥越の不二」にこの天文台が描かれている。

Img_8788 説明板

Img_8782 首尾の松跡(蔵前橋西詰の南側)

「首尾」のいわれには3説あるようだ。どれもこじつけの感じがして一長一短、帯に短し・・・・だ。今の松は7代目、もとは少し川下の川岸にあったそうだ。

Img_8785 説明板

Img_8778 浅草御蔵跡(蔵前橋西詰の北側)

Img_8777 説明板

Img_8770 楫取(かじとり)神社 《地図

御蔵造営用の石を運ぶ船が遭難しかかった時に現れ、船を安全に導いた(楫取)という稲荷を祀っている。

Img_8769 由緒

Img_8764 聖ヨハネ教会

明治9年の開設。浅草にもこんなに古い教会があったのだ。平成20年に国の登録有形文化財になったばかり。

Img_8763蔵前神社

五代将軍綱吉が京の石清水八幡宮を勧請。江戸城鬼門除けの守護神、将軍家の祈願所。
落語の『阿武松』・『元犬』・『傾城瀬川』に登場する寺。

Img_8761榧寺(かやでら)

落語『蔵前駕篭

Img_8756 駒形どぜう

享和元年(1801)創業の老舗

Img_8748 駒形堂 《地図

浅草寺の観音像が隅田川から現れて最初に法安された地に建つ堂。

ここも由来は、①白駒・②絵馬・③駒形神と3説ある。

Img_8751本尊の小さな馬頭観音

Img_8752 由緒

Img_8749 説明板

Img_8746若い二人連れを乗せている人力車。今日は日曜でバレンタインデ-、かき入れ時か。

Img_8745待乳山聖天(まっちやましょうてん)

天狗坂の石段は鍵が掛っている。

Img_8744山谷堀公園 《地図

猪牙舟(ちょきぶね)を仕立てての吉原通いのコースだった。

Img_8742 説明板

Img_8738 今戸神社

源頼義と義家が奥州安倍氏征討の折に、戦勝を祈願して京都の石清水八幡宮を勧請。

「下町八福神」の縁結びの神で、この日は若い女性が多かった。

Img_8736由緒

Img_8739 新撰組の沖田総司の終焉の地(千駄ヶ谷との説もある)で、今戸焼の発祥の地でもある。

落語にも『今土焼』がある。

Img_8740 説明板

Img_8730 吉野通り

車が少ない。日曜はいつもこうなのだろうか?

Img_8723 首切地蔵(小塚原刑場) 【ルート地図】の③

品川の鈴ケ森と並ぶ江戸の刑場。刑死者供養のために寛保元年(1741)に建立された。江戸から明治までここでの刑死者は20万以上という。

Img_8721吉展地蔵尊(回向院)

昭和38年(1963)に誘拐され殺された吉展ちゃんを供養する地蔵。円通寺にもある。
前の通るが「コツ通り」で、「コツ」の由来は小塚原(こつかっぱら)のコツカから、小塚原刑場あたり一帯から出た人から、などの説がある。

Img_6040説明板

コツ通りから離れ西側の国道4号(現日光街道)に出る。

Img_8708 円通寺

上野戦争の弾痕が無数に残る黒門。明治40年にこの寺に移築された。

後ろが彰義隊士の墓。

Img_8717 説明板

Img_8714 説明板

Img_8713_2将軍家光鷹見の松、48首塚などもある。

Img_8712 説明板

Img_8700 素盞雄(スサノオ)神社

Img_8701 由緒

Img_8698 誓願寺

Img_8699 庚申塔

Img_3414狸塚(狸獣墓)

Img_8697 説明板

Img_3418千住大橋(隅田川)

千住の河岸(熊野河岸)跡あたりで、新河岸川を下った川越夜船の事実上の終着地だった。

千住の大はし

Img_3417説明板

Img_8684やっちゃ場跡

江戸時代から続いた青物市場跡

Img_8687 説明板

Img_8689やっちゃ場風景

Img_8682 延命子育地蔵(源長寺)

Img_8680 千住一里塚跡 【ルート地図】の④

Img_8679 高札場跡(一里塚の反対側)

Img_8677 不動院

戊辰戦争に従軍した芸州藩の戦死者の供養塔

Img_8675千住宿遊女の無縁塔(万延元年(1860)の建立)

千住宿には55軒の旅籠があり、うち36軒に遊女(飯盛女)を置いていたという。落語『藁人形』で西念をだましたのおくまのような、したたかで、ずる賢い女郎は少なく、薄幸薄命な女たちだったのだろう。

Img_8671 説明板

Img_8673 包丁塚

川魚料理人が建てたもの。

Img_8663 問屋場・貫目改所跡(東京芸術センター前)

Img_8666_2説明板①

Img_8667 説明板②

Img_8654 森鴎外旧居跡 【ルート地図】の⑤

Img_8653 説明板

Img_8656 金蔵(こんぞう)院

右の「無縁塔」は天保8年(1837)の大飢饉の餓死者の供養塔。左は千住宿の遊女の供養塔で台石に遊女の戒名が刻まれている。

Img_8655 説明板

Img_8650勝専寺(赤門寺)

徳川将軍の休憩所にもなっていた寺で、「お閻魔さま」でも親しまれている。

Img_8651 説明板

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2010年2月20日 (土)

東海道(府中宿→丸子宿)

2010年2月9日

静岡駅・・・札の辻跡・・・津島神社・・・鎮火稲荷・・・伏見稲荷神社・・・双街の碑(遊郭跡)・稲荷神社・・・駿府キリシタン聖堂跡・・・安倍川の川会所跡・由比正雪の墓跡碑・・・駿府キリシタン殉教の碑・・・首地蔵・・・安倍川義夫の碑・・・安倍川橋・・・心光禅院・・・少将井神社・・・高林寺・・・子捨橋地蔵・・・手児の呼坂(古東海道)・・・丸子(まりこ)の一里塚跡(46)・・・安倍川駅(東海道線)

 この先は、東海道丸子宿→藤枝宿』に続く。

  ルート地図

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Img_8572 稲荷神社 【ルート地図】の①

このあたりは江戸時代初期から昭和32年まで遊郭があった所。初めは7ケ町あったが江戸吉原に5ケ町を移し二丁町(双街)となった。

弥次さん喜多さんも府中宿から馬で乗りつけ、この遊郭で遊んでいる。

Img_8571 説明板

この左側に「双街の碑」がある。

Img_8570 駿府キリシタン聖堂跡

キリシタン禁制で取り壊され、遊郭の一画となった。

この手前の本通8丁目に府中の一里塚跡(45)の標柱が立っているらしい。しかしそこは旧東海道ではない。

Img_8575交差点向うの弥勒公園(緑地)に、油井正雪の墓跡碑などがある。

Img_8578 周辺案内図(弥勒公園内)

Img_8576 川会所跡説明板(周辺案内図⑪)

川の水量による深さで、渡し賃が7段階にも分かれていた。最低の16文と最高の64文では4倍もの差がある。

Img_8583 油井正雪墓跡碑 【ルート地図】の②

安倍川の河原でさらし首になっていたのを正雪の縁者の女人が密かに盗み去り、菩提樹院(前回に記載)に葬り、首塚を築いている。

Img_8585 駿府キリシタン殉教の碑(周辺案内図⑥)

Img_8586 説明碑

Img_8587 首地蔵尊(周辺案内図④)

Img_8590 首地蔵

首から上の病にご利益があるのか?

Img_8593 安倍川の義夫の碑(周辺案内図⑦)

戦前の教科書にも載ったという美談。落語には『三方一両損』がある。

Img_8592 説明板

Img_8594 安倍川餅の「石部屋(せきべや)」

文化元年(1804)の創業。駿河の三大名物の一つ。あとは追分羊羹と兎餅。

Img_8598 安倍川を渡る。

Img_8597 水量は少ない。向うは国道1号、東海道線

広重の安倍川

Img_8600 少将井神社 《地図

ここは手越の長者の館跡で、「千手の前」の誕生地という。

Img_8601 由緒

Img_8604 説明板

Img_8602 千手の前

源平合戦の悲恋物語のヒロインの一人。

Img_8608 子捨橋地蔵 【ルート地図】の③

①「昔、ある殿様が旅行中に奥方が身ごもった。旅先から帰った殿様は召使いを責めたところ、「奥方を守るため、寝ている間も奥方の腹に手を当てていた」と答えた。そして生まれたのは手だったので疑いは晴れ、手を橋から捨て供養のためにこの地蔵を建てたという」

②「静岡の伝説」の『子捨橋』も似たような話だが、手と児を「手児の呼坂」と結びつけている。まあどちらも留守の間に家来に女房を寝取られても気づかない、「志村けんのバカ殿様」のようでこっけいで、情けなく、いただけない話ではある。

「手児の呼び坂」は万葉集にも詠まれた古い坂で、②のように子捨橋の話と結びつけるのはどうかとも思うが、登場するのが殿様でなく「郡領」だから矛盾はないか。近くで会った地元の老人も「子捨橋」と「手児の呼び坂」とは関係があると話していたが、どうつながるのかは思い出せないようだった。

Img_8612 手児の呼坂(てこのよびざか)へ

Img_8617石段を上って山道へ

Img_8618 ひと上りで呆気なく峠へ着いてしまう。【ルート地図】の④

Img_8620【坂標】

Img_8619 由来

なぜ「手児の呼坂」というのか、肝心の由来が書かれていない。

「手児」は乙女、「丸子」は男の子で、この峠から丸子のうら若い男神が手越の女神の名を呼び続けた悲恋物語が民話として伝わるという。この由来話が万葉風でもあり、ロマンティックでもあり、すっきり納得できると思うが。

富士市にも、民話が残る「手児の呼坂」があるそうだ。

Img_8628 峠を越えて、集落の方へ下って行く。

Img_8630 万葉歌碑

Img_8635丸子の一里塚跡碑 【ルート地図】の⑤

ぽつんと場違いで寂しげに立つ小さな石柱。

Img_8636 大正14年に静岡市の立てたもの。

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2010年2月18日 (木)

東海道(由比宿→興津宿→江尻宿→府中宿)

2010年2月8日

由比駅(東海道線)・・・宗像神社①・・・東海道あかりの博物館・・・小池邸・・・八阪神社・・・鞍佐里神社・・・西倉沢の一里塚跡(40)・・・薩埵(さった)峠・中道・・・瑞泉寺・・・川越遺跡・・浦安橋(興津川)・・・宗像神社②・・・身延山道標・鬚の題目碑・・・興津の一里塚跡(41)・・・興津宿(17)・東本陣跡・脇本陣水口屋跡・西本陣跡・茨原神社・不動の滝・清見関跡・清見寺・・・高山樗牛寓居跡・・・興津坐漁荘・・・波多打川・・・(東海道線)・・・延命地蔵堂・・・庵川橋・・・細井の松原跡・(辻の一里塚跡(42))・・・小芝八幡宮・江尻城址・・・稚児橋(巴川)・・・江尻宿(18)・法岸寺・慈雲寺・木戸跡・追分羊羹屋・追分「志三づ道」道標・・都田吉兵衛供養塔・・・金谷橋(大沢川)・・・(東海道線)・・・久能寺道標・有東坂・・・上原延命子安地蔵堂・・・上原十七宮跡・千手寺・・・草薙の一里塚跡(43)・・・草薙神社大鳥居・・・(東名高速)・・・旧東海道記念碑・・・北村地下道・(東海道線)・・・兎餅跡地・・・(静鉄清水線)・・・菩提樹院(由井正雪の首塚)・・・長沼の一里塚跡(44)・・・護国神社・・・・・・伝馬町・華陽院(家康の祖母の墓)・府中宿(19)・上伝馬本陣跡・脇本陣跡・西郷隆盛・山岡鉄舟会見地の碑・城代橋・駿府城址(駿府公園)・二之丸橋・七間町・札の辻跡・・・静岡駅

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_8171 宗像神社①から駿河湾、伊豆半島 《地図

7時を過ぎたばかりでけっこう寒い。

Img_8174 寺尾の家並み

由比宿より昔の街道風情のある家並みが残っている。

Img_8183 小池邸

もとは名主の館、今は休憩所になっている。まだ早過ぎて開いていない。

Img_8184 あかり博物館

Img_8185 説明板

Img_8188 東倉沢の家並み

間の道も緩やかな起伏とくねりを繰り返し古道の風情がある。

Img_8196 八阪神社へ絶壁石段を上って見る。

社殿からの眺めはそれほどでもなかったが、身体が暖まった。

Img_8212 鞍佐里神社 《地図

日本武尊(ヤマトタケル)が東征の折に、賊の焼打ちの野火にあった時の伝承に由来する神社。

Img_8210 由緒

Img_8213野火を払う日本武尊が彫られた社殿の蟇股(かえるまた)

Img_8217 所々には木の橋が架けられていて、往時の街道情緒を出している。

Img_8219 西倉沢の一里塚跡(40) 【ルート地図】の①

Img_8220 説明板

Img_8226 上り下りを繰り返して薩埵(さった)峠へ

由比側からの上りは緩やかだ。

Img_8230 昔の街道は崖下の海岸沿いの「親知らず子知らず」を通っていた。

Img_8221_2 説明板①

万葉集に歌われ、足利尊氏と直義の合戦場で、広重の浮世絵にも描かれた「親知らず子知らず」の難所。

Img_8254薩埵(さった)峠から駿河湾と富士 【ルート地図】の②

広重の浮世絵

薩埵山(峠)の由来は下の海岸から地蔵薩埵の像が漁夫の網に掛ったことからという。この地蔵は上道の地蔵堂に安置されているそうだ。

「薩埵」とは、密教で「衆生」という意で、大日如来の悟りを衆生に伝えるために使わされた地蔵ということか。普通の地蔵菩薩像とは違っているのか? 「菩薩」は「菩提薩埵」の略だそうだ。なんだかよく分からん。峠に上ったより疲れるなあ。

Img_8242説明板②

武田と今川もここで戦った。

Img_8270 海の方へ下る

Img_8271途中で右へ暗い切通しを抜ける。

Img_8263 説明板③

上道、中道、下道について記載されている。

Img_8264 山部赤人の「田子の浦・・・・」の歌はこのあたりの海岸からの情景としている。と書かれている。今の「田子の浦」は吉原駅(富士市)の南方の浜をいうのだが。

蜀山人の狂歌にも「山の神 さった峠の風景は 三下り半に かきもつくさじ」と歌われた。

Img_8277 下って右に曲がる。

Img_8278 案内図

海岸に近い下道の方が距離はないが、今は中道を行くのが普通のルートのようだ。江戸の後期には上道が本道だったが今は廃道か。海岸に近い「親知らず子知らず」の難所を避けるために、朝鮮人使節が来朝の明暦元年(1655)に中道が、上道も天和2年(1682)の朝鮮人使節来朝の時に開かれた。

Img_8286 旅人はこのあたりで人足の肩車、連台で興津川を越えていた。

Img_8284 説明板

Img_8287 今は浦安橋を渡る。

なんと歩道が分離していない。昔の川越しの方がましか。

Img_8288 宗像神社②

神社の森は沖の舟から灯台代わりにされ、「女体の森」と呼ばれていた。興津宮を勧請したことから「興津」の地名の由来ともなった。

Img_8289 説明板

Img_8297 身延山道標と「鬚(ひげ)の題目碑」 《地図

駿河と甲斐を結ぶ重要な交易路で、駿河侵攻を目論む武田信玄の軍用路として整備された。江戸時代になり、日蓮宗の総本山身延山への参詣道として使われるようになった。

Img_8299 興津の一里塚跡(41) 《地図

右の石柱

Img_8304興津宿公園

Img_8305 説明板

Img_8306_2 説明板

Img_8312 宿場の家並み

北側に伝場所・東本陣市川家・脇本陣・西本陣手塚家

南側に脇本陣水口家・脇本陣身延家などが並ぶ。

Img_8315東本陣跡

Img_8316

商家(洋品店)

Img_8320 脇本陣水口屋

今は鈴与研修センター

Img_8322 西本陣跡

石柱の立つ空き地

Img_8325 踏切を渡って茨原神社(正面奥の鳥居)、不動の滝へ

Img_8327 不動の滝 《地図

水はわずかに垂れているというところか。普段もこんな状態らしい。この上に波切不動がある。

Img_8364清見寺の中央の参道前

白鳳年間(672~85)に設置され、永禄年間(1558~69)に廃された清見関跡碑

代官領と清見寺領の傍示杭石(右下)

Img_8360 清見寺

家康手植えの臥竜梅だが咲いていない。

Img_8342 由緒

Img_8359 説明板

Img_8341 高山樗牛の「清見寺鐘声」文碑

Img_8340 碑文

Img_8350 五百羅漢

Img_8368 総門

「東海名区」の扁額は朝鮮人の錦谷居士の筆。

Img_8366 大正天皇がここの海岸で海水浴をした記念碑か。

Img_8370 高山樗牛寓居跡

清見寺の鐘の音を聞いた、三清館?跡。

Img_8374 坐漁(ざぎょ)荘 《地図

西園寺公望の別荘。月曜は休館。

昭和の初期には多くの政治化がここを訪れ、「西園寺詣」と呼ばれた。

Img_8375 説明板

Img_8378 延命地蔵堂

地蔵さんは見えず。

Img_8384 延命地蔵

「袖師ふるさとの路」の⑩ 説明があればいいのに。

Img_8387 馬頭観音

Img_8391 松原観音堂(奥)・津島神社(右の小祠)

「袖師ふるさとの路」の⑥

Img_8395 右へ進む

辻町交差点に細井の松原碑。このあたりが「辻の一里塚跡(42)」で民家の庭に説明板があるらしいが見逃した。

Img_8399 細井の松原碑と街道で倒れた「無縁さんの碑」 【ルート地図】の③

戦時中に松根油の原料として松原は伐採された。この時に大量の人骨が埋葬されているのが発見されたという。戦闘機を松の油で飛ばそうとしたようでは、アメリカに勝てるはずはない。他の松並木も大量に伐採され消滅してしまっている。

Img_8398 説明板

Img_8403 秋葉道

Img_8402 説明板

Img_8414 小芝八幡宮 《地図

江尻城の鎮守で江尻宿の産土神。

Img_8408 由緒

Img_8411江尻城跡(八幡宮一帯)

武田信玄が徳川家康に対抗するために築いた城。

Img_8420 稚児橋 《地図

橋の渡り初めの時に河童のような童子が現れたという。

橋の袂に河童の腰掛石があるようだ。

Img_8419 由来

Img_8423 法岸寺

浄瑠璃「朝顔日記」のモデルとなった女性の墓がある。

Img_8422 説明板

Img_8424 江尻宿の家並み

宿場の面影は薄い。

Img_8426 慈雲寺

Img_8427 由来

Img_8434 木戸跡

Img_8438 追分道標・追分羊羹 《地図

「是より志三づ道」

Img_8440 都田吉兵衛の墓

浪曲でおなじみの森の石松、都鳥、清水次郎長の話。

Img_8441 説明板

やけにセンチな文だ。たかがヤクザの出入りなのに。

Img_8445 追分と金谷橋の説明板 《地図

清水港への「志三づ道」との追分

Img_8463 久能寺道標と有東坂 《地図

「久能寺観音道」の道標が立つ。久能寺は明治時代に廃寺となり、現在は鉄舟寺になっている。

Img_8458 説明板

Img_8457 道標

安永7年(1778)の建立

Img_8460 有東(うとう)坂

東海道から南東方向に上る久能寺観音道。

各地にある「うとう坂」の一つ。さまざまな字を当てている。善知鳥坂・烏頭坂・鵜頭坂・宇都布坂・有藤坂、有度坂など。歌坂、唄坂、謡坂、音坂、お(御)塔坂、宇土坂なども「うとう」の転訛ともいう。『うとう坂表
このすぐ先には有度小学校がある。

Img_8465 上原延命地蔵堂 《地図

家康が武田の宿将の穴山梅雪と会見したところ。梅雪は家康に降り、武田氏滅亡のきっかけになったという。

Img_8466 由来

Img_8470 十七夜宮跡

宮跡はなくこの石柱のみだが、そばの「十七夜山保育園」にその名をとどめている。

Img_8469 伝説

Img_8471 千手寺

十七夜宮はこの裏手にあったのか?

Img_8481 草薙の一里塚跡(43) 【ルート地図】の④

Img_8480 説明碑

Img_8485草薙神社の大鳥居

Img_8494 旧東海道記念碑 《地図

Img_8495 由来碑

Img_8496 北村地下道をくぐる。

車も通り、中は薄暗くてカーブしているのでちょっと怖い。後ろから大きな警笛を鳴らされてびっくり、頭にきた。運転する方も歩行者、対向車にピリピリと神経を使うから大変だろう。毎日ここを通る人、車はつらいと思うよ。

Img_8499 兎餅跡地(古庄交差点)

追分羊羹、安倍川餅と並び駿河の三大名物の一つで、蜀山人も「耳長う 聞き伝へきし 兎餅 月もよいからあがれ名物」と詠んだ。

今は静岡伊勢丹(札の辻の所)、松木屋で売られているとか。未確認。

Img_8508 油井正雪首塚(菩提樹院) 《地図

さらし首になっていた安倍川そばの弥勒公園には正雪の墓跡碑がある。

Img_8504 説明板①

寺の由緒、由来というより由比(油井)正雪の首塚の説明。

Img_8507 説明板②

Img_8509 油井正雪像

三脚を据えて熱心に写真を撮っている人がいた。正雪ファンなのか?

Img_8506 伝駿河国分寺塔跡

表面の穴は釈迦の骨を納める舎利孔を改造したもので、駿河城の手水鉢として使われていたという。

Img_8505 説明板

Img_8513 長沼の一里塚跡碑(44) 《地図

Img_8514 「午後の紅茶電車」の静岡鉄道

ここまでかなりの距離を歩いて来て、甘い物が飲みたくなった。いくつかの自動販売機で「午後の紅茶」を探したが見当たらず。(午後の)ココアであきらめた。コカコーラの宣伝電車も走っているが、この電車よりは地味だ。

Img_8525 府中宿上伝馬本陣望月家・脇本陣松崎家跡 《地図

「眼鏡市場」(トップセンタービル)の前の静岡の目抜き通りで古い家などは残っていない。街道の斜向いが下伝馬本陣跡。

Img_8522 説明板①

Img_8527 説明板②

Img_8531_2 西郷隆盛・山岡鉄舟会見地

Img_8528_2 説明板

Img_8537 駿府城巽櫓

Img_8542 説明板

Img_8552 地震で崩れた石垣の復元修理

まだ始まったばかりで、手つかずといった状況か。石垣を積む時には堀の水を抜くのだろう。作業を一緒に眺めていた地元の人の話では工事費に7億円もかかるとか。静岡市の負担とも言っていたが真偽のほどは分からず。

Img_8555 説明板

Img_8558 札の辻 【ルート地図】の⑤

呉服町通りと七間町通りの交差点の伊勢丹前

Img_8559 説明板

Img_8562 七間町通り

府中の特産品(漆器・竹細工・家具・蒔絵・下駄・雛人形など)を売る店が並んでいたというが、そんな店は1軒もないようだ。

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2010年2月17日 (水)

東海道(蒲原宿→由比宿)

2010年2月7日

富士駅(東海道線)・・・富士町本通り・・・札の辻跡①・・・栄立寺・・・金正禅寺・・・札の辻跡②・・・県道396号・・・天白神社・柚木駅(身延線)・・・常夜灯・道標・旧道・・・県道・・・水神社・富士川渡船場跡・富士川橋・旧道・・・光栄寺・・・間の宿岩渕の小休本陣跡常盤家・新豊院・奉塔坂・岩渕の一里塚跡(37)・常夜灯・・・明治天皇小休所跡・・・(東名高速)・・・(東海道新幹線)・・・(東名高速)・・・新坂・光蓮寺・・・県道396号・・・義経硯水の碑・七難坂跡・・・浄瑠璃姫の墓・吹き上げの六本松・・・旧道・蒲原宿(15)・北条新三郎の墓・蒲原宿の一里塚跡(38)・諏訪神社・東木戸跡・竜雲寺・東漸寺・八坂神社・問屋場跡・「蒲原夜の雪」の碑・本陣跡・西木戸跡・茄子屋の辻・県道396号・・・和歌宮神社・・・北向不動尊一乗院・・・(東名高速)・・・旧道・由比の一里塚跡(39)・・・由比宿(16)・東枡型跡・御七里役所跡・飯田八幡宮・本陣公園・広重美術館・正雪紺屋・西木戸跡・入上地蔵堂・由比川橋・・・妙栄寺・・・豊積神社・地持院・・・由比漁港・・・由比桜えび通り・・・由比駅

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_7862 富士本町通り

名前の通り富士の眺めがいい通りだ。札の辻①の所で左に旧東海道に入る。

Img_7872 札の辻跡② 《地図

このあたりに平垣村の高札場があった。

Img_7869 説明板

Img_7881 天白神社 《地図

天から降った米3粒を祀ったのを起源とする村社。

Img_7880 由緒

Img_7883 道標と常夜灯

ここを右に進むのが旧道。しばらくして再び県道に出る。

Img_7884 説明板

「左東海道」は京から江戸に下る時の道筋だろう。

Img_7889 水神社

Img_7887 説明板

Img_7901 富士川橋を渡った堤から。

かつては渡し船で渡った。

Img_7911 富士川を渡り旧道に入り、小高い台地に上る。

Img_7930 小休本陣常盤家 《地図

屋敷内を公開している。管理人さんからいろいろと話を伺い、詳しいパンフと周辺地図をいただく。女優の常盤貴子の父親はこの家で生まれたそうだ。関係ないか。

Img_7928 説明板

Img_7924 小休本陣は間(あい)の宿にある大名、諸侯たちの休憩所で、宿泊は許可されていなかった。「立場本陣」ともいわれていた。

Img_7934 新豊院

延宝7年(1679)建立の薬医門形式の山門

薬医門は城門の一種で、「矢喰い」からきているとの説がある。

Img_7933 説明板

Img_7935 岩渕の一里塚跡(37) 【ルート地図】の①

街道は左右の塚の間を大きく右にカーブする。

Img_7939 説明板

Img_7944 常夜灯の少し先、郵便局の手前で右に入る。

Img_7961 東名高速の方へ上る坂から振り返る。

Img_7974 新坂(坂下方向) 【ルート地図】の②

前方に駿河湾が浮いている。

Img_7980 坂上方向

右は光蓮寺

Img_7981 七難坂跡 義経硯水の碑の前の坂 《地図

古東海道はこの県道396号あたりを通っていた。度重なる富士川の氾濫で道が流され、天保14年(1843)に新坂が開削された。いくつもの難所を越えたのでこう呼ばれたのだろう。

『東海道巡覧記』に「七なん坂 右義経硯水とて清水あり。小鳥居あり」とあるそうだ。

Img_7983 義経硯水の碑・蒲原一族の五輪塔 【ルート地図】の③

浄瑠璃姫に書く手紙の硯の水に、ここの清水を使ったという伝承。清水は涸れ、鳥居も今はないようだ。

Img_7988 説明板

Img_7990 南朝の忠臣蒲原一族の五輪塔と「いぼとり地蔵」(左端)

文化14年(1817)建立の地蔵尊は「いぼ神様」として参詣者が絶えなかったが、旅人に持ち去られてしまい後に再建されたもの。

Img_7995 浄瑠璃姫の碑・墓(右)と吹き上げの六本松 【ルート地図】の④

三河の矢作宿から義経を追ってこの地まで来たが、力尽き息絶えた浄瑠璃姫の墓という。三河の岡崎宿にも墓、供養塔などがある。『東海道(藤川宿→知立宿)

三河矢作の浄瑠璃姫伝説』 

Img_7993 説明板

Img_8000 北条新三郎の墓

武田信玄に敗れ落城した蒲原城主。

東名高速の北側の城跡は御殿山公園となり桜の名所。

Img_8001 説明板

浄瑠璃姫の菩提所だったという常楽寺は、この時代まであったようだ。

Img_8020 蒲原宿の一里塚跡(38)

左の小社の鳥居前

Img_8019 説明板

Img_8010 蒲原宿説明板

Img_8015 宿の案内図①

Img_8016

Img_8017

Img_8021東木戸跡・常夜灯

枡型になっている。右の石段は諏訪神社。

Img_8009 説明板

Img_8029

渡邊家土蔵(三階文庫)

Img_8030説明板

Img_8038 馬頭観音(電柱の左下)

Img_8036 説明板

Img_8039 東漸(とうざん)寺

背後が蒲原城跡、御殿山か。

Img_8040 由緒

Img_8041 塗り家造りの佐野屋(佐藤家)

土蔵造りより防火効果が大きい、贅沢普請だそうだ。

Img_8042 説明板

Img_8044 問屋場跡あたり

Img_8045 説明板

Img_8047 蒲原夜之雪記念碑

Img_8046 説明板

Img_8048 蒲原夜之雪(拡大版)

昔、集めた記念切手、五十三次のマッチ箱の図柄でなじみ深い。実際には宿場の通りにはこれほどの傾斜はない。江戸時代とはいえこれほどの雪が降っただろうか。虚実取り混ぜていい絵ができるのだろう。人物が駕篭屋と按摩とは知らなかった。夜の雪道を旅人は歩くのは無理と思うよ。

Img_8049旅籠和泉屋

Img_8051 説明板

Img_8053 西本陣の平岡本陣跡

Img_8052 説明板

Img_8056

手づくりガラスと総ケヤキの家

明治時代の建物

Img_8055 説明板

Img_8057 レトロな医院

Img_8060 高札場跡

Img_8061 説明板

Img_8064 旧五十嵐歯科医院

大正3年建築の外は洋風、内は和風の擬洋風建物。

Img_8063 説明板

Img_8067 志田家

味噌、醤油醸造の商家だった。

Img_8066 説明板

Img_8069 茄子屋の辻・西木戸跡 《地図

高松藩の槍の名人と薩摩藩との乱闘があった辻。

ここで右に曲がる。すぐ先の和歌宮神社は家康が織田信長の接待のために造った御殿の跡といい、秀吉も小田原征伐の折に、ここに立ち寄ったという。

Img_8071 説明板

Img_8080 東名高速をくぐり左に旧道へ入る。

Img_8082 2体の石仏の小祠のすぐ先に由比の一里塚跡

Img_8084 由比の一里塚跡(39)

Img_8086 説明板

Img_8089 由比宿東枡型跡

Img_8088 説明板

Img_8092 御七里役所跡

紀州藩の七里飛脚の連絡所跡。静岡県内では、沼津、由比、丸子、金谷、見附、新居に設けられていた。幕府の動向をいち早くつかむことが目的だった。

Img_8093 説明板

Img_8098 本陣公園

公園内に広重美術館

Img_8099 説明板

Img_8100 広重美術館

館内は浮世絵の保存のためとはいえ拙者には暗過ぎる。

Img_8104 正雪紺屋 【ルート地図】の⑤

慶安の変の首謀者、油比(油井)正雪の生家という。ここで奥さんが干したという桜えびのパックを買い求める。軽いしビールのつまみに打ってつけだ。

Img_8103 説明板

Img_8106 脇本陣饂飩屋跡

Img_8105 説明板

Img_8108 明治時代の郵便局舎(平野氏宅)

Img_8107 説明板

Img_8111 おもしろ宿場館

弥次喜多のような脳天気の軽薄さが街道歩きには向いているか。

Img_8114 西木戸跡

ここは枡型になっていて左へ曲がり河原に下り、仮板橋で由比川を渡った。

このあたりに脇本陣徳田家跡があるはずだが、案内板などは見当たらず。

Img_8113 説明板

Img_8123 入上(ゆりあげ)地蔵堂 《地図

この前あたりで河原へ下り、仮橋で由比川を渡ったのだろう。

Img_8116説明板

Img_8121 堂内の地蔵さん

由比川の水難者を祀った川守地蔵。

Img_8132 豊積神社

坂上田村麻呂の奥州征伐の凱旋祝いを起源とする「お太鼓祭り」が、正月に奉納される。

Img_8133 由来

Img_8131 お太鼓祭りの由来

Img_8143 由比漁港 《地図

港全体が桜えび漁の船でぎっしり埋まっている。12月で漁は終わったそうだ。

日本一の水揚げを誇る桜えび漁も、明治時代にたまたま漁船の網に大量の桜えびが掛ったことから始まったというから面白い。宝くじも馬券も買わなければ当たらない。これも関係なし。

Img_8141 説明板

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2010年2月15日 (月)

東海道(沼津宿→原宿→吉原宿)

2010年2月6日

沼津駅(東海道線)・・・通横町交差点(沼津宿問屋場跡)・・・千本街道・・・乗運寺(若山牧水の墓)・・・緑橋(観音川)・・・観音長谷寺・・・千本松原通り・千本浜公園・・・本光寺・首塚・・・山神社・・・六代松の碑・・・正覚寺・・・八幡宮・・・栄昌寺・・・吉祥院・天満宮・・・松長の一里塚跡(31)・・・連窓寺・・・神明塚古墳・・・祥雲寺・・・三島神社・・・(東海道線)・・・神明宮・・・秋葉神社・・・高木神社・・・清梵寺・・・長興寺・・・原宿(13)・松蔭寺・白隠禅師産湯の井戸・高札場跡・問屋場跡・本陣跡渡邊家・明徳稲荷・・・新田橋(沼川第2放水路)・・・原一本松の一里塚跡(32)・・・三社宮(浅間神社)・・・浅間愛鷹(あしたか)神社・・・桜地蔵尊・・・(東海道線)・植田三十郎の墓・・・県道380号・・・間の宿柏原・六王子神社・本陣跡・立円寺(望嶽の碑)・・・広沼橋(昭和放水路)・増田平四郎の碑・沼田新田の一里塚跡(33)・・・県道170号・・・海老坂・海老坂薬師・・・毘沙門天妙法寺・・・木之元神社・・・(東海道線)・・・河合橋・・・県道171号・・・(東海道新幹線)・・・左富士神社・依田橋の一里塚跡あたり(34)・・・左富士の碑・・・平家越えの碑・和田川・・・吉原本町駅(岳南鉄道)・吉原宿(14)・天神社・唯称寺・保泉寺・西木戸跡・・・磔(はりつけ)八幡宮(青嶋八幡宮)・・・県道396号・・・富安橋(潤井川)・・・袂の塞神・・・間の宿本市場・鶴芝の碑・瘡守稲荷・本市場の一里塚跡(35)・・・札の辻跡・・・富士駅(東海道線)

  ルート地図

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Img_7543 乗雲寺

手入れの行き届いたきれいな境内で気持ちがいい。

Img_7544若山牧水の墓(山門を入って右側)

牧水はこの地を愛し、大正9年から没するまで沼津に住んでいた。

Img_7551観音長谷寺

各地にある奈良の長谷寺の末寺か。十一面観音像が本尊。

Img_7550 説明板

Img_7567 千本松原

外は強風だが、松の間の道は風を和らげてくれる。ここは東海道の道筋ではないが、昔の旅人も風雨、陽射しを除けてくれるこの松原に感謝してここを通ったことだろう。田子の浦まで続く広大な松原。

Img_7559 首塚 【ルート地図】の①

後北条と武田の千本浜合戦の戦死者の遺骨を葬った首塚。10代後半のものが多いという。このあたりでは夜になると首のない武者が馬に乗って走って行くという怪談も伝わるとか。

Img_7558 説明板

Img_7562 千本浜から伊豆半島方向

カメラも揺れてしまうほどの強風の冷風だ。

Img_7563 千本松原越しの富士

Img_7571六代松の碑  《地図

平家の最後の頭領の血筋で、平維盛の子の六代の首塚。巨大な六代松は枯れてしまった。

神奈川県逗子市にも「六代御前の墓」がある。「逗子市の坂-5」に記載。

Img_7570 説明板

Img_7587 吉祥院と願満具足天満宮

菅原道真の祖父、清公が遣唐使の帰国の際に嵐に遭い、吉祥天に祈ったところ難を逃れたことから、菅原家では吉祥天を守護仏とするようになったという。

「願満具足」とは願い事が全て完全に叶うということか。文字通り、有難い天満宮だ。

Img_7591松長の一里塚跡碑(日本橋から31番目)

バス停「大諏訪天神前」先の右の民家のブロック塀の間。

Img_7594 神明社・神明塚古墳 《地図

後円部に神明社が乗る。

Img_7595 神明社由緒

Img_7599前方部から後円部方向

6世紀前半の全長54mの沼津市最大の前方後円墳。

Img_7598 古墳説明板

Img_7604 三島神社

右は樹齢450年以上の神木のマキ。

Img_7629 松蔭寺

山門の左後方は樹齢400年以上の「摺鉢の松」。台風で裂けた松の雨除けのため、備前の池田侯から贈られた摺鉢を乗せて置いたら、そのまま育ったという。今は京焼きの鉢が乗せられているというが気づかなかった。

Img_7627 白隠禅師の墓

500年に一人といわれる名僧で臨済禅中興の祖。

Img_7625 説明板

Img_7640 白隠禅師産湯の井戸 《地図

ここ白隠の母の生家の味噌屋の地に貞享2年(1685)に生まれたそうだ。清酒「白隠正宗」はいかが。

Img_7639 説明板

Img_7633 原宿案内図

Img_7631 浅間神社

この前が高札場跡、道路向いが問屋場跡

Img_7637 高札場跡説明板

Img_7641 問屋場跡説明板

Img_7644 本陣跡渡邊家(問屋場跡の先の左側)

渡邊家は義経の兄の阿野全成の子孫だそうだ。

Img_7643 説明板

Img_7650 明徳稲荷

寛政10年(1798)建立の原宿の鎮守。《地図

Img_7649 由緒

Img_7660 原一本松の一里塚跡(32)《地図

Img_7659 説明板

Img_7671 浅間愛鷹(あしたか)神社

祭神の愛鷹大神は後方の富士南麓の愛鷹山のことか。

Img_7672 由緒

最後に記載の桜地蔵尊へ行ってみる。

Img_7680 桜地蔵尊 《地図

Img_7679 桜地蔵(享保?年の銘) 

気品ある顔立ちで、すらっとした立ち姿に浮彫りされている地蔵さん。路傍の地蔵さんとは一味違っていてこれもなかなかいい。

この地蔵の由来が分からない、北の今泉の吉原二中の近くにも桜地蔵があって、これの昔話はあるのだが。

Img_7688 植田三十郎の墓 《地図

このあたりの干拓に着手したが失敗した功労者。失敗しても「植田新田」に名が残り、このように顕彰されている幸せ者か。

Img_7686 石碑

Img_7699 六王子神社

沼田川、和田川、潤井川の合流する深い淵に棲む龍の生贄となった巫女のおあじの後を追って、浮島沼へ身を投げた6人の巫女を祀ったのが起源という。

Img_7698 説明板

Img_7702 間(あい)の宿柏原の本陣跡

原宿と蒲原宿の間の宿だが宿場の面影はない。

正面右奥は立円寺

Img_7704 宿の家並み

Img_7709 望嶽の碑・ゲラティック号遭難慰霊碑(立円寺)

今はここからの富士の眺めはそれほどではない。右はゲラティック号の碇。

Img_7707遭難誌碑

こんな遭難事故があったのを知らなかった。忘れてしまっただけか。

Img_7729 増田平四郎像 《地図

「スイホシ」と呼ばれた大放水路を完成させたが、これもすぐに高波で壊れてしまったという。

Img_7728 説明板

Img_7735 沼田新田の一里塚跡(33) 【ルート地図】の②

増田平四郎像のすぐ先。

Img_7753 高橋勇吉顕彰碑

天文の知識と土木技術にすぐれていて排水路の「天文堀」を完成させた。植田、増田、高橋と水と格闘した人物が続く。

Img_7752 説明板

Img_7759 毘沙門天妙法寺(香具山妙法寺)

寺なのに鳥居が? もとは富士登山の前に水垢離する修験場で、江戸時代に日蓮宗の寺になったようだ。津波の時には避難場所になっていたという。中国、チベット(ラマ教)、インドなどの建物が混在している不思議な空間だ。

2月のだるま市は日本三大だるま市(群馬の高崎の少林寺・東京は調布の深大寺)の一つ。

Img_7766 毘沙門堂

ここが本堂だろう。右後方にはインド風?の塔が。

Img_7769 竜神洞(香炉場)から

異国情緒と富士の純日本的風景が重なる。

Img_7768 洞窟七福神塔

150mもの洞窟に七福神が祀られているそうだ。入場は有料(300円?)らしい。

やっぱりこの寺はよく分からない。

Img_7775 吉原の製糸工場が近づいてくる。

このあたりは元吉原宿で、風波が強く津波などの被害にあい、北の中吉原宿、新吉原宿へと移転した。

Img_7779 海老坂 《地図》」

東海道から南に上る坂。坂下近くの右側に海老坂薬師がある。ここを上って海岸へと下って行くのだろう。

Img_7781 海老坂薬師

薬師なのにここにも鳥居。

Img_7792 富士の麓にも住宅?がぎっしりと見える。

ここは道を間違って東海道からはずれ依田橋北交差点を越えてしまったあたりから。

Img_7797 左富士神社 《地図

この北側が依田橋の一里塚(34)あたりのようだが、石柱、説明板などは見当たらなかった。

Img_7798 左富士 【ルート地図】の③

電柱、建物が邪魔で往時の風景はない。街道を歩いているとあちこちから富士を望めるので、左富士といっても新たな感慨はない。『広重の左富士』・清酒「左富士」もあるらしい。

このあたりが中吉原宿で、さらに北の新吉原宿へと移っていく。

Img_7799 説明板

Img_7805 平家越の碑(平家越橋の袂) 《地図

源平の富士川の合戦の時の逸話。富士川はここからは西に6km以上も離れているが、当時はいくつもに分流していて、このあたりにも流れていたらしい。今は和田川が流れている。

Img_7806平家越の碑

Img_7807 説明板

Img_7810 岳南鉄道吉原本町駅

この先が(新)吉原宿(14)なのだが今は繁華な商店街で宿場風情を感じさせる家並みは残っていない。

Img_7815 唯称寺山門から富士 《地図

河童がくれたという『かっぱの茶つぼ』(写真あり)が残っている。

Img_7825 磔(はりつけ)八幡宮(青嶋八幡宮) 【ルート地図】の④

江戸時代に農民のために立ち上がり、磔に処せられた義民、名主の川口市郎兵衛を祀る。

Img_7826 参道に漫画家の望月あきら(富士市出身)が寄進した漫画が立て掛けられている。

Img_7834 袂の塞神(蓼原の単体道祖神・富安橋を渡った先の右側)

よく見かける道祖神と大きさ、像形も違い異質な感じがする。いつ頃に造られたものなのか?

Img_7836 間の宿 本市場案内図

左の方に「鶴芝の碑」、瘡守稲荷、右の方に一里塚本陣、本市場陣屋秋山などが見える。

Img_7843 鶴芝の碑(富士総合庁舎の先の右側)

ここからの富士の眺めのことだが、今は何と言うこともない風景になっている。

Img_7844 説明板

Img_7850 瘡守稲荷

今も堂の前に「白石」が置かれている。1個供えて、2個返す、祈願する社寺、奉納物は様々だが、各地に残る風習の一つ。

Img_7848 説明板

Img_7856 本市場の一里塚跡(35) 【ルート地図】の⑤

Img_7861 札の辻跡 《地図

富士本町通りとの交差点。ここを左に曲がり富士駅に向った。

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2010年2月13日 (土)

東海道(三島宿→沼津宿)

2010年2月5日

三島駅(東海道線)・・・白滝公園・・・円明寺(孝行犬の墓)・・本町交差点・東海道・三島宿・樋口本陣跡・世古本陣跡・三石神社・時の鐘・連馨寺・(伊豆箱根鉄道)・伊豆国分寺塔跡・・・県道145号・秋葉神社・・・千貫樋・・・伏見の一里塚跡(29)・宝池寺・玉井寺・・・八幡神社(対面石)・・・智方神社・・・黄瀬川橋・・・潮音寺・・・県道380号・・・矢倉沢往還合流地点(下石田交差点)・・・旧道・富士隠れ坂・・・黒瀬橋(狩野川)・平作地蔵・・・沼津の一里塚跡(30)・玉砥石・・・日枝神社・・県道380号・・・沼津宿・川廓(かわぐるわ)通り・水神社・問屋場跡(通横町交差点)・県道159号・・・大手町交差点・・・沼津城址(中央公園)・・・県道52号・・・城岡神社・・・沼津駅(東海道線)

  『箱根の坂-2』の続きです。

  ルート地図

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Img_7389 円明寺山門 《地図

この薬医門は樋口本陣の表門を移築したものという。

Img_7390 孝行犬の墓(円明寺)

人間様よりも立派な墓で、石像も立っている。

Img_7388 由来話

幕末頃の話だそうだ。寺の人間は病気の親犬の世話を子犬たちにまかせて、手をこまねいていたのではなかろう。子犬たちも親犬の後を追うように次々に死んでいったとは哀しい話だ。

.

Img_7399三島宿樋口本陣跡 《地図

向い側が世古本陣跡。にぎやかな商店街になっていて古い建物や宿場の面影は残っていない。

Img_7393 説明板①

Img_7397 世古本陣跡

Img_7394 説明板②

Img_7402 時の鐘・源兵衛川・奥に三石神社 【ルート地図】の①

農業用水として人工的に造られた川。

Img_7405 説明板①

Img_7404 説明板②

Img_7417 伊豆国分寺塔跡

8個の礎石の上に、60mもの七重塔が建っていたらしい。

Img_7412 説明板

Img_7421橋の下が千貫樋

Img_7423 千貫樋 《地図

もっと上の方に架けられていると思っていた。ここから見ると普通の用水路にしか見えない。

Img_7422 説明板

Img_7419 ここが西見附跡

Img_7426 常夜灯

Img_7427 説明板

Img_7430 伏見の一里塚跡(日本橋から29番目) 【ルート地図】の②

宝池寺側の復元された塚。ここには休憩所の立場があったという。今でも富士山の眺めがいい。

Img_7434 ちょっとぼやけてしまったが。

Img_7431 説明板

Img_7433 玉井寺側の塚は原型をとどめている。

Img_7432 説明板

付記の「塚原一里塚」は錦田の一里塚」、「山王さんのもの」は、沼津の一里塚で、山王さん(日枝神社)の参道入口の街道沿いにある。(後出)

Img_7436 玉井寺

富士山と並び、「駿河の過ぎたるもの」の一つの白隠禅師ゆかりの寺だが、富士の偉大さは白隠とは比べ物にならない。東海道を歩いていると、それを実感できる。

Img_7435 説明板

Img_7445 八幡神社 《地図

社殿は自動扉で賽銭箱の脇に立派な由緒書が置いてある。戸締りが厳重な寺社が多い中、なかなか気がきいていて好感が持てる神社だ。

Img_7444 対面石(境内の左後方)

源頼朝と義経兄弟がここに腰掛けて対面したという。2人はどっちの石に座ったのか? 後ろは「ねじり柿」か? 

Img_7442 説明板

Img_7451 智方神社 《地図

由緒を要約すると、南朝の宮女が護良親王の首をこの地に葬り、後に南朝方の北条時行が石祠を建てたのが始まりということか。

Img_7448 由緒

Img_7466 潮音寺観音堂 《地図

曽我兄弟の討入りの時に、工藤祐経と床をともにしていた白拍子で、源頼朝の召抱えを拒絶し、黄瀬川に入水したという亀鶴姫の亀鶴観音が本尊。玉の輿を断って自殺するとは。今の若い女性に聞かせたらもったいないと呆れ返るか。

Img_7458 説明板

亀鶴姫は長者の一人娘で、賢女で駿河の三美人の一人となっている。「駿河の三美人」とは、あとは誰と誰か?

Img_7461 亀鶴の碑

この先で県道380号に出る。

下石田交差点で、北から矢倉沢往還が合流する。 《地図

Img_7477 富士隠れ坂(坂下方向)西へ緩やかに下る坂。 【ルート地図】の③

街道の北側に見えていた富士が堀割の急な上り坂のために隠れてしまうことから、この名がついた。

東海道ではどこからでも富士が見えるから「富士見坂」はなく、逆に、富士が見えない所が珍しいので「富士隠れ坂」と名づけたのだ。

Img_7478 坂下方向

旧道は左へ下って平作地蔵へと向う。正面の建物あたりが堀割の崖になっていたのだろう。

Img_7482 平作地蔵 【ルート地図】の④

日本三大仇討の一つ、荒木又衛門が活躍するおなじみの仇討ちにゆかりの地蔵。

Img_7481 由来

通称「もろこし地蔵」とはどんな由来か?

Img_7491 沼津の一里塚跡(30)・玉砥石(平作地蔵の先の右側)

伏見の一里塚(29)からの距離不足の訳が説明板に書かれてある。

Img_7486 説明板

Img_7490 玉砥石

玉類を磨く砥石。奈良時代から平安時代のものという。けっこう大きい。

Img_7489 説明板

Img_7494 日枝神社 《地図

街道からここまではけっこう離れている。

Img_7497 由緒

なんだか陰鬱な起源だ。

Img_7498 芭蕉句碑

「都出て 神も旅寝の 日数哉」

芭蕉の真蹟(真筆)という。むろん碑自体は昭和62年に建てられたものだが。これの拓本を取る人もいるようだ。いろんな趣味があるよ。坂道散歩よりはましか。

Img_7502「曲水宛書簡」の曲水とは、近江芭門の重鎮で、経済的支援者の菅沼曲水のこと。

Img_7507 川廓(かわぐるわ)通り 【ルート地図】の⑤

「川曲輪」で、沼津城の狩野川沿いの城郭に由来。

Img_7508 説明板

Img_7516 御成橋から狩野川

強風で自転車で橋を渡る女学生が悲鳴を上げていた。

Img_7524 問屋場跡(通横町交差点) 《地図

今日はここまでとして沼津駅に向った。

Img_7522 説明板

Img_7529 沼津城址 《地図

武田勝頼が築いた三枚橋城と、その後の沼津城の本丸跡。

Img_7526 説明板

Img_7528 三枚橋城の石垣の石が碑の土台を囲んでいる。

Img_7527 城図

現在地が中央公園

Img_7532 城岡神社 《地図

もとは沼津城の守護の稲荷神社。

社殿から角がはえたような背後のノッポビル。

Img_7531 由緒

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2010年2月11日 (木)

東海道(小田原宿→箱根湯本)

2010年2月5日

小田原駅・・・小田原宿・新宿交差点・蹴上坂・・・青物町交差点・清水金左衛門本陣跡(明治天皇行在所跡)・松原神社・片岡本陣跡・久保田本陣跡・清水彦十郎本陣跡・ういろう本舗・小田原城跡・・・(東海道線・箱根登山鉄道)・大久寺・居神神社・板橋見附跡・(東海道新幹線)・・・板橋地蔵(栄福院地蔵堂)・・・(箱根登山鉄道)・国道1号・・・(小田原厚木道路)・旧道・日蓮上人霊跡・・・お塔坂・・・妙覚寺・・・八幡神社・・・風祭の一里塚跡(21)・道祖神・・・紹太寺・・・(箱根登山鉄道)・・・駒ノ爪橋跡・・・国道1号・・・三枚橋(早川)・・・箱根湯本駅(箱根登山鉄道)

 *この先、三枚橋から箱根峠を越えて三島宿までは、「箱根の坂-1」・「箱根の坂-2」に記載。

  【ルート地図

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Img_7243 北条氏政・氏照の墓 《地図

塔婆の前の2基の五輪塔が氏政、氏照の墓。その前の生害石の上で自刃したという。東海道の間(あい)の宿、本市場近くの源立寺(富士市)には氏政の首塚がある。

Img_7244 説明板

Img_7247 蹴上(けあげ)坂 【ルート地図】の①

新宿交差点から左に上り、右に入る。

Img_7255 清水金左衛門本陣跡(明治天皇宮ノ前行在所跡) 《地図

ここの手前が脇本陣跡の古清水旅館のようだが、建物は取り壊されて工事中だった。

Img_7253 説明板

なぜ「本陣跡」の説明板としないのか。小田原市教育委員会は明治天皇を崇敬し、学校でも国旗掲揚、君が代斉唱を先生たちに強要しているのだろうか。

Img_7258 小田原宿なりわい交流館

昭和7年に再建した「出桁造り」の旧爛間屋の建物。

Img_7260 説明板

Img_7262 松原神社

小田原の総鎮守

Img_7264吉兆の大亀

甲羅を撫でて吉兆を祈願した。ただではだめだろうな。

Img_7263 由来

Img_7266 蒲鉾の籠清

文化11年(1814)の創業。

Img_7268 片岡本陣跡(明治天皇本町行在所跡) 《地図

この少し先の山崎タイル店あたりがが久保田本陣跡。

Img_7267 説明板

Img_7272 小西薬局(国登録有形文化財) 《地図

Img_7274 ういろう本舗

薬のういろう「透頂香(とうちんこう)」と菓子のういろうの店。

この向かいが清水彦十郎本陣跡だが、今は空き地(駐車場)になっている。

Img_7282 小田原城銅門

Img_7281 説明板

Img_7284 常盤木門

Img_7285 説明板

Img_7286小田原城

Img_7287 説明板

Img_7292 石垣山一夜城址 (左の鉄柱の間)・箱根の山(右後方)

秀吉が小田原北条攻めの時に、一夜にして築いたというが実際は80日間かかったという総石垣の城。それにしても早い。今でも石垣跡が残っている。

Img_7293 伊豆大島もぼんやりと浮かんで見える。

Img_7297 丹沢の山並み

Img_7306 うす皮あんぱんの柳屋

まだ10時?の開店前なのに店の前にぞくぞくと客が集まって来る。そんなに美味いのか?

Img_7312 大久寺

江戸時代初期の小田原城主の大久保家の菩提寺。

山門をくぐって、檀家らしきの老人と挨拶を交わしすれ違った直後にバタッと大きな音。老人が敷石につまづき前にもろに倒れたのだ。起こそうとしたがその重いこと。そんなに大きな人ではないのだが。運動不足などで身体も硬くなっているようだ。まあ近い内に自分もそうなるか。

Img_7314 説明板

Img_7317 居神神社

祭神の一人は、北条早雲に敗れ、怨霊となって3年間祟ったという三浦半島の新井城主の三浦荒次郎。

Img_7316 由緒

Img_7320 鎌倉時代末期の古碑群(社殿の左後方)

中央の5基

Img_7319 説明板

Img_7315 板橋(上方)見附跡あたり 【ルート地図】の②

手前の光円寺の角を右に曲がって新幹線をくぐって行く。

Img_7322 説明板

Img_7326 下田豆腐店

Img_7327 旧家

Img_7330 板橋地蔵尊 【ルート地図】の③

永禄12年(1569)造立の高さ330cmの地蔵尊。1月と8月の縁日には開帳されるのだろうか?

箱根戦争の官軍戦死者慰霊碑もある。

Img_7332 本堂前の木彫りの大黒天もでかい。

Img_7329 説明板

Img_7339 箱根登山鉄道沿いの国道1号を行く。

Img_7340 日蓮上人霊跡 《地図

身延山へ向う日蓮がこの上の「象の鼻」岩上から房総の安房の方を眺め、故郷、両親を偲んだという霊跡ということか。「ふた親さん 象の鼻」・「相州思親閣」の標柱も立っている。この地を「お塔のふた親さん」とも呼ばれたそうだ。

Img_7341 説明板

Img_7353 風祭の一里塚跡(日本橋から21番目) 国立箱根病院の先の右側。

地蔵の後ろに道祖神の祠

Img_7351 説明板

Img_7358 紹太寺(しょうたいじ)総門跡 【ルート地図】の④

往時は10町に及ぶ広大な地に七堂伽藍を誇ったという。小田原城主の稲葉氏の菩提寺で、一族と開基の稲葉正則の祖母、春日局(将軍家光の乳母)の墓所がある。

Img_7357 説明板①

Img_7364 説明板②

Img_7365 境内図

今は塔頭は清雲院だけのようだ。

Img_7363 子院の清雲院

扁額の「長興山」は隠元禅師の筆による。

Img_7360説明板

Img_7369 風祭と入生田の境のあった境界石

寺領には7つの境界石があったという。

Img_7370 駒ノ爪橋跡

橋に源頼朝の馬の蹄跡が残っていて、旅人が道中、足が痛まぬようにと祈願したという。この先で国道1号に出る。

Img_7371 説明板

Img_7378 三枚橋 【ルート地図】の⑤

ここを渡り、箱根峠を越えて三島宿へと歩いたのは去年の4月だった。

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2010年2月 9日 (火)

東海道(大磯宿→小田原宿)

2010年2月1日

Img_7105 二宮駅(東海道線)・・・国道1号・・・(東海道線)・・・神明神社・・・吾妻神社・・・国道1号・・・旧道・・・小澤寺・・・等覚院・・・道祖神・国道1号・・・茶屋の薬師堂・・・旧道・梅沢の一里塚跡⑱・松屋本陣跡・押切坂(上の写真)・・・国道1号・・・押切橋(中村川)・・・浅間神社・・・車坂・・・(国府津駅前)・・・勧堂・・・真楽寺・・・親木橋(森戸川)・・・小八幡の一里塚跡⑲・・・三宝寺・・・大見寺・・・川辺本陣跡(ゆりかご園)・酒匂不動尊・・・酒匂神社・・・法船寺・・・連歌橋・酒匂橋(酒匂川)・・・呑海寺・・・上杉龍若丸の墓・・・昌福禅院・・・山王橋(山王川)・・・山王神社(星月夜の井戸)・・・北条稲荷(蛙石)・・・小田原宿・江戸口見附跡・山王原の一里塚跡⑳・・・新宿交差点・蹴上坂下・・・足柄観音第19番・・・本源寺・・・泪橋跡・・・大工町・・・小田原駅

  ルート地図

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Img_7066 吾妻神社参道

朝からいきなりの山登りで、昨日のビールが汗となって噴き出てきた。

Img_7063 参道から相模湾

Img_7056 吾妻神社 【ルート地図】の①

日本武尊(ヤマトタケル)と弟橘媛の伝説地。弟橘媛の櫛を埋めた埋沢が梅沢に、袖が流れ着いた海岸が袖ヶ浦とか。

Img_7058 由緒

Img_7076 小澤寺

相模新四国三十三観音霊場第3番。十一面観音を祀る。

Img_7080 藤巻寺(等覚院)の藤

家光も愛でたという。相模新四国三十三観音の第1番札所。

Img_7079 説明板

Img_7086道祖神から吾妻山を振り返る。ここで国道1号に合流する。 《地図

Img_7093 茶屋の薬師堂 《地図

Img_7091 説明板

Img_7092 薬師如来像

高さが261cmもある坐像でちょっとびっくり。

Img_7094 国道1号の押切坂

Img_7096 梅沢の一里塚跡(日本橋から18番目) 《地図

あたりには「梅沢の立場」で、茶屋、商店が並び賑わっていたという。

Img_7095 説明板

Img_7097 松屋本陣跡(一里塚のすぐ先の押切坂の坂上近く)

大磯宿と小田原宿の間(あい)の宿

Img_7098 説明板

Img_7101 押切坂 川匂神社入口交差点から西に下る旧東海街道。 【ルート地図】の②

下って国道1号に合流する。

Img_7117 車坂 南西に下る国道1号 【ルート地図】の③

「鳴神の 声もしきりに車坂 とどろかしふる ゆう立の空」と平安紀行(太田道灌の作とも伝う)に詠まれた坂。

Img_7121 説明板

Img_7123 崩れかけた土蔵

Img_7124 双体道祖神をあちこちで見かける。

Img_7133 勧堂(跡)(真楽寺の手前を左に入った所)

親鸞上人が7年間布教に努めたという旧蹟

Img_7138 真楽寺 《地図

ここも親鸞上人旧蹟。「マリア観音像」があるというが、姿は見えず説明板にも載っていない。

Img_7140 説明板

Img_7144 小八幡の一里塚跡(江戸から19番目)

「一里塚」バス停近く。北方向に八幡神社がある。

Img_7146 説明板

Img_7156 旧川辺本陣跡 【ルート地図】の④

今は社会福祉法人「ゆりかご園」となっていて、本陣の説明板などはない。

Img_7162 長い黒板塀が見事だ。

Img_7164 酒匂神社

Img_7165 由緒

Img_7167 法船寺五重塔 《地図

ミニチュア版だ。

Img_7171御手引地蔵

日蓮上人御開帳とある。

Img_7175 連歌橋(下菊川)

どんないわれがあるのか? 調べても分からず。今は川の流れも見えないただの車道だが。

Img_7178 酒匂橋から眺めていると、ウォーキング中のおばちゃんが「鹿がいるよ」と教えてくれた。ここではよく見かけられるらしい。

Img_7179 河原に鹿が2頭、近くにもう1頭いる。草の芽でも食べているようだ。

Img_7186 新田義貞首塚 《地図

義経の首塚、弁慶の首塚といい、敗残者の末路は哀れだ。

Img_7184 説明板

Img_7192上杉龍若丸の墓(山王小学校校門左脇) 《地図

これも戦国時代の哀史。

Img_7193 説明板

Img_7195中央後ろの背の高いのが龍若丸の五輪塔。

Img_7197 昌福禅院

街道から山門へ向う風情ある参道。

Img_7202 山王神社

Img_7203 由緒

Img_7204 星月夜の井戸

神社とともに井戸も移ってきたというから可笑しい。「新星月夜の井戸」か。

Img_7207 北条稲荷神社 《地図

Img_7209 リアルなお狐さんだ。狐というより犬か狼のようだ。腹の下にも子狐がいる。

Img_7212 蛙(かわず)石(北条稲荷境内)

もとは小田原城内にあったという。異変が起こる前には必ず鳴き出す石で、小田原城落城の時には盛んに鳴いたと伝える。地上に見えるのは先端の一部で、土中に深く埋まっているとか。

Img_7211 由来

Img_7214 小田原宿上方見附跡・山王原の一里塚跡(江戸から20番目) 【ルート地図】の⑤

Img_7216 説明板

Img_7221 新宿町交差点

Img_7224 旧家

新宿交差点を渡った左側。「土地管理公社管理地」の掲示板が掛かっている。

Img_7230 足柄観音十九番札所

Img_7236 本源寺

Img_7238 六道能化地蔵(本源寺境内)

Img_7239 向い側には負けずに七福神の石像が。

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2010年2月 3日 (水)

東海道(藤沢宿→平塚宿→大磯宿)

2010年1月31日

藤沢駅(東海道線)・・・白旗交差点・県道43号・・・(小田急江ノ島線)・・・藤沢宿上方見附跡・・・引地橋(引地川)・・・養命寺・県道44号・・・四ツ谷交差点・四谷不動(大山道標)・国道1号・・・四ツ谷の一里塚跡⑬・・・二ツ家稲荷・・・(茅ヶ崎市)・・・明治天皇小休止所跡・・・上正寺・・・牡丹餅立場(茶屋)跡・・・海前寺・・・八王子神社・・・(相模線)・・・茅ヶ崎の一里塚跡⑭・・・円蔵寺・・・十間坂・・・左富士(鳥井戸橋・千川)・・・鶴嶺神社参道・弁慶塚・女護ケ石・鶴嶺神社・・・神明神社・・・旧相模川橋脚・下町屋橋(小出川)・・・信隆寺・・・(平塚市)・・・馬入橋(相模(馬入)川)・・・馬入の一里塚跡⑮・・・神明社跡・・・馬入交差点・旧道・・・平塚八幡宮・・・お菊塚・・・平塚宿・江戸方見附跡・脇本陣跡・高札場跡・東組問屋場跡・本陣跡・西組問屋場跡・中原街道合流地点・要法寺・平塚の塚・鏡山お初の墓・春日神社・上方見附跡・国道1号・・・花水橋(花水川)・(大磯町)・・・善福寺・・・慶覚院・高来(たかく)神社・・・虚空蔵尊・・旧道・化粧(けわい)坂・化粧井戸・化粧坂の一里塚跡⑯・・・(東海道線)・・・大磯宿・江戸方見附跡・国道1号・日枝神社・神明神社・秋葉神社・延台寺(虎御石)・北組問屋場跡・小島本陣跡・地福寺(島崎藤村の墓)・尾上本陣跡・南組問屋場跡・高札場跡・鴫立庵・島崎藤村邸・上方見附跡・・・滄浪閣(伊藤博文旧邸)・・・八坂神社・・・切通橋(血洗川)・旧道・・・大磯城山公園・・・本郷橋(不動川)・・・国府本郷の一里塚跡⑰・・・国道1号・・・宝積院・(東海道線)・・・六所神社・・・(二宮町)・・・塩海(しおみ)橋(葛川)・・・二宮駅(東海道線)→平塚駅

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_6688 藤沢宿上方見附跡(小田急江ノ島線を越えた右側)

「見附跡」の標柱のみで、藤沢市は東海道(を歩く者)に素っ気ない。

Img_6690 養命寺

国の重文の薬師如来像を安置。

Img_6691 説明板

Img_6693 七面地蔵尊

路傍にひっそり小さな地蔵さん。

Img_6708 四谷不動(大山道標) 【ルート地図】の①

大山道への鳥居が立つ。堂の左外の石柱は万治4年(1661)に建てられた古い道標を再建したもの。東海道と大山道の交差する辻で茶屋が立ち並び賑わっていたという。

Img_6706 説明板

Img_6705 不動道標

延宝4年(1676)の建立

Img_6710 四ツ谷の一里塚跡

日本橋から13番目

Img_6712 二ツ家稲荷神社

二軒の立場茶屋があったという。境内は節分の準備で忙しい。

Img_6713 庚申塔・双体道祖神

Img_6711 説明板

Img_6715「二ツ家」の由来

二ツ谷?

Img_6718 松並木はやっぱり気分がいいが、歩道を自転車が通るのがちとやっかいだ。

Img_6725 上正寺の石灯籠

もとは上野の寛永寺にあったもの。どういう経緯でここに移されたのか?

Img_6724 説明板

Img_6729_2牡丹餅立場(茶屋)跡(菱沼歩道橋の手前) 【ルート地図】の②

Img_6730東海道細目分間之図

ぼたもちちゃ屋、一里塚(茅ヶ崎)、十ケ坂(十間坂)、鶴嶺八幡などが見える。

Img_6737 海前寺

門前の石灯籠は二代将軍秀忠の菩提供養のため久留米城主が奉献したもの。境内の本堂前にも九代将軍家重に大名から奉献された2基の石灯籠がある。さっきの上正寺といい、将軍に奉献された石灯籠が多いのは何故なのか?

Img_6742 八王子神社

Img_6751境内の庚申塔と双体道祖神

Img_6748愛嬌のある三猿の顔

Img_6755 茅ヶ崎一里塚跡 《地図

日本橋から14番目の一里塚

Img_6754 説明板

藤沢市と違いきちんとした説明碑だ。

Img_6764 十間坂 【ルート地図】の③

今は傾斜はほとんどなく、回りの見晴らしもきかないが、昔は富士、大山、箱根、江ノ島、鎌倉、六浦、金沢などが見えて、「十景坂」ともいわれた。

Img_6766 第六天神社

Img_6767 由緒

Img_6770 南湖入口の湘南茅ヶ崎らしい洒落たレストラン

Img_6772すぐ先には旧家も残っている。

Img_6775 左富士(鳥井戸橋)からの眺めだが晴れてはいるが富士は見えずがっかり。《地図

京へ向う東海道で、左側に富士山が見えるのはこの先の吉原宿付近にある。それを楽しみとするか。ちなみに中山道の志村の清水坂は右富士で有名だったが、今は富士は晴れていても見えない。

Img_6776 説明板

Img_6781 弁慶塚

鶴嶺神社参道を入った右側の民家の敷地内。義経塚はなぜ造らなかったのか?

Img_6782 由来

Img_6786 参道の松並木

Img_6785 説明板

Img_6791 女護ケ石(にょごがいし)

左の凹みのある石。右が朝恵上人墓碑と顕彰碑

Img_6790 説明板

Img_6793 鶴嶺神社

右は源義家が前九年の役の戦勝祈願に手植えたと伝う大イチョウ。幹の回りから何本もの乳柱が垂れ下がっている「たらちね銀杏」だ。

Img_6795 大イチョウ説明板

Img_6811 旧相模川橋脚 《地図

源頼朝はこの橋の渡り初めの帰途に落馬して、その後まもなく死んだという。馬も川へ落ちて死んだので馬入川という。

Img_6810 説明板

Img_6808 出現時(大正12年の関東大震災)の写真

ここは当時は水田で、鎌倉時代には相模(馬入)川の流路だった。

Img_6807 説明板

Img_6820 双体道祖神をよく見かける。

Img_6824 相模(馬入)川(馬入橋から)

昔は橋は無く、「馬入の渡し」で渡った。

いい天気なのだが丹沢、富士もやっぱり見えない。

Img_6825 馬入橋を渡って下ると平塚宿。

国道1号は右方向にカーブして行くが、旧道は市街地の商店街を直進して行く。分岐点の手前あたりが「馬入の一里塚跡」(日本橋から15番目)で、榎木町は一里塚上にあった榎に由来している。

Img_6835平塚八幡宮

相模国の八幡宮の総鎮守だった。

Img_6837 社殿

ここも節分の準備か。

Img_6832 平塚宿へと入って行く。

Img_6840 お菊塚 《地図

「番町皿屋敷」のお菊さんの墓。各地に残る皿屋敷伝説の一つ。千代田区五番町にはお菊さんゆかりの帯坂があり、姫路では「播州皿屋敷」でお菊神社、姫路城には「お菊井戸」がある。『出雲街道①』に記載。落語の『皿屋敷

Img_6839説明板

Img_6843 江戸方見附跡 《地図

Img_6844 説明板

Img_6848 旧平塚小学校

明治23年に崇善館を移築して小学校とした。今は崇善館公民館になっている。

Img_6851 脇本陣跡

Img_6852 説明板

Img_6854 高札場跡

Img_6855 説明板

Img_6853 前方に高麗山

Img_6857 東組問屋場跡

Img_6858 説明板

Img_6859 本陣跡 《地図

Img_6861 本陣跡碑

Img_6863 西組問屋場跡 《地図

ここは中原街道の合流地点

Img_6865 説明板

Img_6866要法寺

日蓮が泊まった平塚左衛門尉泰知宅に建てられた寺。

Img_6870 平塚の塚 《地図

塚の上が平らで「平塚」だという、面白くもなんともない地名由来話。

Img_6868 説明板

Img_6875 鏡山お初(松田たつ)の墓 《地図

奉公先の女主人の仇を討ったという義女、烈女、猛女の墓。仇討ちをしても赤穂浪士のように咎めを受けて切腹もせず、かえって賞されて年寄になったというから女人は得だ。

Img_6872 説明板

Img_6884 上方(京方)見附跡 《地図

広重の浮世絵はこのあたりからの眺めか。

Img_6883 説明板

Img_6895 善福寺

親鸞上人の旧蹟で、国の重文の木造伝了大師坐像(鎌倉時代)を安置。

開基は曽我十郎と虎御前の間に生まれた祐若で、戦功で平塚の荘を賜ったが無常を感じ出家して、ここに草庵を結んだとか。

Img_6897 旧家

Img_6902慶覚院

Img_6900高来(たかく)神社

高来も背後の高麗山も唐と新羅の連合軍に滅ぼされた高句麗に由来する。王族の一人、若光が渡来し高麗山のふもとに住み、このあたりを開き高麗郡が置かれていた。もとは高麗権現と呼ばれ、高麗寺が別当寺だったが、明治の廃仏毀釈で廃寺となった。今は隣りに慶覚院がある。

Img_6904 由来

Img_6907 虚空蔵尊堂

Img_6909 説明板

化粧坂が描いてある。大磯町の東海道の案内板は絵図入りで分かりやすい。

Img_6914 化粧(けわい)坂(坂上方向)【ルート地図】の④

Img_6916虎御前の化粧井戸

虎御前は曽我兄弟の仇討ちに登場する白拍子、鎌倉時代の遊女で、兄の曽我十郎祐成(すけなり)の恋人。つまり物語りのヒロイン。この時代の遊女の白拍子は詩歌管弦に長じ、虎御前も舞いの名手で頼朝にも認められたという。鎌倉時代の古東海道の大磯はこのあたりが中心地だったという。

Img_6915 説明板

「高来神社との関係」とはどういう意味か?

Img_6918 化粧坂の一里塚跡

日本橋から16番目の一里塚

Img_6919 説明板

Img_6925大磯宿江戸方見附跡

東海道線をくぐって下って行く途中。

Img_6926 説明板

Img_6956 秋葉神社(右)・延台寺(奥)

もとは説明板の下の街道沿いに「虎御石」があった。

虎御前の成長につれて大きくなり、曽我十郎の剣難を救ったという身代り石。虎御石は、いい男だと持ち上がるというので試そうと思って境内をずいぶん探したが見つからずあきらめた。法虎庵に納められているのだ。しっかり説明板を読めば分かったものを。しかし、「あしき男」には持ち上がらないのだから試さずによかったのかも。(普段は公開はしていないようだ。)

Img_6945 法虎庵

Img_6944 説明板

安置されている寺宝の最初に「虎御石」

Img_6935 虎御石説明板①

Img_6943 説明板②

延台寺境内には虎御前ゆかりの供養塔などのほかに、大磯宿の遊女の墓もある。

Img_6958 北組問屋場跡

Img_6961 小島本陣跡 《地図

Img_6963_2説明板

Img_6970地福寺

左端の小さな石柱が島崎藤村の墓

Img_6971 尾上本陣跡 《地図

Img_6977杵新饅頭店

大磯宿ゆかりの「虎子まんじゅう」・「西行まんじゅう」

Img_6976大磯照ケ崎海水浴場への道標

大正4年に立てられたもの。

Img_6984 南組問屋場跡・新島譲終焉の地

Img_6981 説明板

Img_6986新島襄終焉の地

百足(むかで)屋旅館で没した。

Img_6985 説明板

Img_6987 「さざれ石」バス停

明治時代の大磯海水浴場の土産で、石そっくりのお菓子。その店の跡がここだとか。

Img_6988 高札場跡

Img_6993鴫立庵(しぎたつあん)《地図

西行の「こころなき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ」にちなむ草庵。京都の落柿舎、滋賀の無名(むみょう)庵と並ぶ日本三大俳諧道場で、毎月句会が開かれるそうだ。

ここは「湘南」発祥の地でもある。

Img_6994 説明板①

Img_6992 説明板②

Img_7000 たばこ屋

Img_7002 島崎藤村旧宅

昭和16年からここを借り、昭和18年に病没するまで住んでいた。墓も小さいが、ここも質素な造りの住まいだ。

Img_7007 上方見附跡

Img_7006_2説明板

Img_7009 松並木を行く。

Img_7010 説明板

Img_7015滄浪閣(伊藤博文旧邸)

中華料理店として使用されていたそうだが、それも閉店しているようだが。

Img_7019血洗川の切通橋 《地図

旧道はこの先の切通しで右に入り城山公園の方に行く。西長院に血洗川の名の由来となったという「身代り地蔵」(切通地蔵・化け地蔵とも呼ぶ)があるのだが見落とした。血洗川は身代り地蔵にちなむ名というより、太田道灌によって攻められて落城した小磯城の多くの戦死者の流した血による名ではないだろうか?

Img_7027大磯城山公園

旧三井財閥の別荘地跡で、その昔は戦国時代の山城の小磯城跡ともいう。

Img_7034 国府本郷の一里塚跡 【ルート地図】の⑤

日本橋から17番目の一里塚。古代に国府が置かれていた地域。

Img_7032 説明板

Img_7039 宝積院

大磯町最古の寛永8年(1631)銘の梵鐘と、後ろに最大級の樹齢300年以上というカヤの木。

Img_7042六所神社

相模国の総社

Img_7051 二宮駅

「二宮金次郎」ではなく、空襲で父を失った戦争体験を描いた小説「ガラスのうさぎ」記念の少女像と伊達時彰徳碑が立っている。

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2010年2月 1日 (月)

東海道(藤沢宿)・藤沢市の坂

2010年1月29日

Img_6665 藤沢駅(JR東海道線)・・・鼻黒稲荷大明神①・・・金砂山観世音菩薩堂・鼻黒稲荷大明神②・・・藤沢橋(境川)・・・遊行寺坂・江戸方見附跡・・・諏訪神社・・・遊行寺・いろは坂・・広小路跡・・遊行寺橋(境川)・江島道分岐地点・・・藤沢宿本陣跡・・・常光寺・・・永勝寺(飯盛女の墓)・・・義経首洗い井戸・・・白旗神社・・・(小田急江ノ島線)・・・石名坂①②・・・観音坂・・・柏山稲荷神社・・・本願寺・・・ふるさとの森・・・大庭神社・引地川親水公園・・・成就院・・・堂明坂・・・善行坂・・・仏坂(上の写真)・・・大久保坂・・・鷹匠橋(境川)・・・遊行寺橋・・・藤沢駅

 東海道の藤沢宿とその周辺の坂道散歩です。

 ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_6492 鼻黒稲荷大明神②(左)・金砂山観世音菩薩堂(右) 《地図

「鼻黒」とはどんな由来があるのか? お狐さんの鼻が黒いというだけの話か?

Img_6488 観音堂は子育安産帯解観世音菩薩

Img_6504 遊行寺坂(坂上方向) 遊行寺の東側を北東に上る東海道の坂。 【ルート地図】の①

東海道藤沢宿の(江戸方)見附跡。道路向うは諏訪神社。

Img_6503 坂下方向

遊行寺を藤沢道場ともいったことから「道場坂」とも呼ぶ。

Img_6500 諏訪神社

藤沢七福神の大黒天

Img_6498 由緒

Img_6506 敵御方供養塔(応永25年(1418)の造立) 《地図

上杉禅秀の乱」の敵と味方双方の戦死者の供養塔

Img_6505 説明板

Img_6507 遊行寺

時宗総本山の藤沢山(とうたくさん)無量光院清浄光寺が正式名

Img_6508 由緒

Img_6509 境内図

総門(黒門)から上る参道の石段が「いろは坂」

Img_6514 小栗判官の墓(長生院墓地) 《地図

各地に残る「小栗判官照手姫伝説」の一つ。「目洗いの池」もある。

Img_6521 説明板

藤沢の「小栗判官照手姫伝説

Img_6519 照手姫の墓

中山道の赤坂宿の先の青墓町にも墓と「照手姫水汲井戸」がある。

Img_6520 照手姫建立の厄除け地蔵

Img_6510 智恵地蔵

これが地蔵か? どう見ても太ったおばさんのようだ。

Img_6524 いろは坂(坂下方向)

阿弥陀如来の四十八願にちなみ48段なのでこう呼ばれているそうだが、段差が少なく石畳という感じだ。段数も48段なのか数えなかった。

Img_6527 板割の浅太郎の墓 《地図

ご存知、国定忠治の子分。坊さんになったとは知らなんだ。

Img_6526 説明板

Img_6530 総門から「いろは坂」

門前から遊行寺橋(大鋸(だいぎり)橋)あたり一帯が火除け地の広小路で、東海道の「三曲り」として有名だった。

Img_6531 広小路説明板

Yugyoujibasi藤沢宿(本陣1軒・旅籠49軒・人口4819人・家数919軒・(天保14年))

大鋸橋(遊行寺橋・境川)、後方は遊行寺。銅の大鳥居は「江島道」の入口の「江の島弁財天」の一の鳥居。

Img_6540 藤沢宿の旧家

紙問屋のようだ。

Img_6544 小松屋 《地図

飯盛女の墓を建てた旅籠の小松屋は、ラーメン店になっている。

Img_6542 ここを入った藤沢公民館と市民病院の間に将軍家の宿泊施設の藤沢御殿があった。

Img_6547 本陣蒔田家跡(小松屋の斜め向い)

ここもラーメン店

Img_6549 常光寺

藤沢七福神の福禄寿

Img_6551 阿弥陀如来像

本尊がちゃんと開帳されている。やっぱり本物はいいねえ。南北朝期の作という。

Img_6550説明板

Img_6553 庚申塔

Img_6552 説明板

Img_6562 永勝寺の飯盛女の墓

旅籠を営んでいた小松屋源蔵が建てた39基の墓。

Img_6556 説明板

Img_6558 「施主小松屋源蔵」と刻まれている。

Img_6568 義経首洗い井戸・首塚碑(左)

Img_6564 説明板

北に「義経首塚」があるらしい。

Img_6572 白旗神社毘沙門堂

左上が社殿。頼朝が義経の怨霊を恐れて祭神に加えたのだろう。

Img_6570 由緒

Img_6576 石名坂① 本藤沢1丁目からカーブしながら北西に県道石名坂立石線まで上る坂。《地図

「石名」は石の多い土地という意味で、岩手県奥州市の水沢、宮城県仙台市、神奈川県座間市(海老名市との境)にもある。仙台市の坂は江戸吉原で売れっ子となった遊女の石名太夫と結びつけ、座間市の坂はお品という娘の人柱伝説として語られている。

Img_6591 坂下方向

Img_6595 石名坂②(坂下方向) 国道1号の石名坂橋から北西から北東に県道石名坂立石線まで上る坂。《地図

県道を横切って①の坂上近くに出るのが旧道か?今は県道石名坂立石線を石名坂と呼ぶのだろう。

Img_6596 坂下方向

石名坂橋の所。

Img_6599 池ノ辺遺跡

観音坂の坂上の藤沢市中央卸売市場あたり。

Img_6598説明板

Img_6602 観音坂(坂下方向) カーブして北方向に上る坂。 【ルート地図】の②

昔は坂上近くの老人福祉センターあたりにあった高座郡三十三ヵ所観音霊場の本願寺への坂。今は本願寺は坂下を進んだ所にある。

Img_6616 観音坂改修碑

Img_6617 坂上方向

左が老人福祉センターで本願寺があった所。

Img_6611 柏山稲荷・柏山公園

Img_6612 本願寺の庚申塔など

右端が観音坂ゆかりの高座郡三十三ヵ所観音霊場の「三十三番供養塔」。本願寺は4番札所で、昔は観音坂の坂上近くの老人福祉センターあたりにあった。今は風化、摩滅して文字は全然読めない。

Img_6627 大庭(おおば)神社

大庭景親、菅原道真を祀る御霊神社か。

鐘をついて離れないおっさんがいる。

Img_6626 梅も見ごろが近い。

Img_6628 由来

Img_6630 成就院

愛染明王は本尊。大庭神社の別当寺だった。

Img_6631 説明板

Img_6632 引地川沿いの低地から右の丘陵地を越えるのが堂明坂

Img_6633 堂明坂(坂下から) 何度もカーブして東方向へ上る長い坂。 【ルート地図】の③

堂明の由来が分からず。

Img_6635 坂下方向

Img_6637 坂上方向

峠越えのような坂道だ。

Img_6657 善行(ぜんぎょう)坂 善行1丁目から南東に上る坂。《地図

善行市民センターあたりにあった善行寺へ通じる坂だったのだろう。

Img_6659 坂上近くから

下は小田急江ノ島線。

Img_6664 仏坂(坂上から) 江ノ島線の東側を北に上る坂。【ルート地図】の④

これも善行寺への道。坂上で善行坂の坂上に出る。

Img_6666坂上方向

Img_6670聖園女学院の東側を上る国道467号

途中の歩道橋の下から大久保坂が下っている。

Img_6674 夕暮れ間近な藤沢市街地

Img_6675 大久保坂(坂下方向) 国道467号から南東に下る坂。 【ルート地図】の⑤

下り始めはすごく急だ。坂下の藤沢宿の大久保地区への坂ということか。この坂もかつては国道を横切り、聖園女学園の敷地内を上って仏坂の坂上あたりに通じていたのだろう。

Img_6679 坂下方向

Img_6681 坂上方向

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