日光御成道(岩渕宿→川口宿→鳩ヶ谷宿→大門宿)
2010年2月17日
赤羽駅(JR京浜東北線)・・・宝幢院・・・大満寺・・・岩淵宿・問屋場跡・小山酒造・八雲神社・・・岩淵橋(新河岸川)・・・岩淵水門(赤門)・・・新荒川大橋(岩淵の渡し跡)・・・善光寺・・・川口宿・本一通り・本陣家門・川口神社・錫杖寺・・・国道122号・・・十二月田交差点・・・薬林寺・・・鳩ヶ谷大橋(新芝川)・・・県道105号・・・吹上橋(見沼代用水東縁)・鳩ヶ谷の一里塚跡・鳩ヶ谷宿・御成坂・・・氷川神社・宝蔵院・多宝院・子日宮神社・・・花見地蔵・・・(東京外環自動車道)・・・妙延寺・・・一里塚ポケットパーク・・・(JR武蔵野線)・・・諏訪神社・・・一本木坂・・・東川口駅(JR武蔵野線)
*鳩ヶ谷宿は『鳩ヶ谷市の坂』に記載。この先は『日光御成道(岩槻宿→大門宿)』に続く。
【ルート地図】
写真をクリックすると拡大します。
宝幢院前の道標(元文5年(1740)の造立) 《地図》
「東 川口善光寺道 日光岩付道」・「南 江戸道」・「西 西国冨士道 板橋道」
日光岩付道・江戸道が日光御成道、川口善光寺は昔の面影はない寺になっている。二子玉川からの西回りの鎌倉街道中の道は板橋道を通り、ここで東回りの道筋と合流する。
御成道沿いは繁華な商店街、その先は北本通りで岩淵宿の昔の家並みは残っていない。
北区内最古の寛永16年(1639)の庚申塔。青面金剛と三猿でなく、阿弥陀如来と二猿で、庚申塔ではないとの見方もある。
小山酒造(丸真正宗)
明治11年創業の都内唯一の酒造。
「愛酒報国」、酒飲みは国のためになるらしい。
岩淵宿の鎮守。荒川べりに本陣小田切家があったようだ。
岩淵水門(赤門) 《地図》
ここで荒川は隅田川に分岐する。もとは隅田川が荒川の本流だった。
下は新河岸川
橋の少し上流の岩淵の渡し船(川口の渡し)で川口宿へ渡った。
善光寺 《地図》
江戸時代には庶民の手軽な善光寺参りで賑わった寺で、宝憧寺前の道標にも記されているが、今は荒川の堤防上の味気ない、殺風景な寺になってしまった。しかも工事中ですぐに引返す。
「江戸名所図会」の『善光寺』
関口鐵工のキューポラの煙突が見える。《地図》
小百合ちゃんの「キューポラのある街」、懐かしいねえ。
この写真の手前には老人ホーム「たたら荘」があり、鋳物の街だった川口を少し感じさせてくれる。
白くなっているのは、この木の特徴で、病気ではないらしい。
旧川口小学校の校門だったそうだ。それ以前は川口宿の旧家の門だったのでは?
「鍋屋の井」の説明碑などがあるが、はげかけて薄くなり見にくい。
川口は地下水脈が豊富で、各地にこのような吹き上げ井戸があったという。
本一通り 《地図》
短い通りだが古い家並みが残り、川口宿の面影を偲ばせてくれる。
乾物屋か?
中西日進堂薬局
明治40年の建築とか。本一通りには「係争中」の看板が多い。のんびりと坂道散歩なんかしていると叱られるか。
路地を左に入った所で街道には面していない。
錫杖寺(しゃくじょうじ)【ルート地図】の⑦
本尊は行基の作という地蔵菩薩。関東十一談林、真言宗関東7ケ寺の一つ。関東八十八ヵ所の第76番。
徳川将軍の日光社参の時の休憩所でもあった寺。
錫杖寺の川口七福神の福禄寿・天満宮・梵鐘(寛永18年(1641)に川口宿の名主宇田川氏が施主となり、川口鋳物師長瀬治兵衛が鋳造し奉納したもの)
この他、(延命)地蔵堂・青山地蔵尊・八面塔六地蔵尊(2面に大日如来、6面に地蔵)など見るべきものが多い。
十二月田(しわすだ)交差点 《地図》
昔、師走(しわす)のある日に狐たちが田んぼに現れ、杉の葉を植えて田植えの真似をしたという言い伝えからこの地名になったという。
顔がすり減ったか、つぶれてしまっているが、しっかり祀られている。
左が「岡の薬師」と呼ばれている薬師堂
古くは寺の西側を通る鎌倉街道が御成道だったともいう。いつの頃か将軍が日光社参りの折り、このあたりで美しい娘を見初めて側室にしたいと言い出した。そこで家臣たちが計って帰路はそこを通らず、現在の御成道(国道122号)に変更したという逸話が残っている。
①今でも古老の中には、現在の御成道を「しんけえどう(新街道)」と呼んでいる人がいる。②『新編武蔵風土記稿』に、昔は芝川の堤の上が日光御成街道であったという意味の記載ある。③現在の御成道部分(国道122号)がほぼ一直線の道路であり、新たに造られたものであると考えられる。『薬林寺HPより』
この寺には「首振り観音」、「姥像」の伝説などある。
(2011年10月11日に川口市に編入合併し、消滅した)
吹上橋を渡った所。
坂上近くにあった本陣家の建物は真光寺に移築され本堂となっている。
花見地蔵は今日も花見の季節をじっと待っているのだろう。《地図》
着物はいいが女郎仏の由来の「気品があり、美しく、可憐な」女性とは随分と印象が違うようで肩透かし。
戸塚の一里塚跡か。何の説明もない。
この先は貝殻坂上を通り、大門宿へと入って行く。
| 固定リンク
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 坂道散歩(2023年11月~)追加分(2023.12.14)
- 「歩いた坂」追加分(2023.12.10)
- JR京浜東北線を歩く①(2022.10.22)
- 大落古利根川・中川を歩く(2023.11.22)
- 柴又街道②(2023.11.21)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
お尋ねの女郎仏の絵馬は、小さな単体の物ではなく、木の枠の中に描かれていたと思います。さほど新しいものでもなく、他に絵馬は奉納されていなかったと思います。売っている店もなかったようでしたが…。ただし訪れてから1年も経っていないのに記憶も定かではなく、あまり自信はありません。悪しからず。
投稿: いまどき様へ(坂道散歩から) | 2011年2月11日 (金) 08:12
はじめまして。ちょっとお尋ねします。画像の女郎仏の件ですが、小絵馬に興味を持っていたので、20年くらい前にここへ行きました。当時向かいの荒物屋さんで奉納用の絵馬を売っていましたが、その後作者をつきとめて訪問しました。十数年後、作者を訪ねると、廃業してもう作っていないとのことでしたが、ここへお行きになられた際、まだ新しく売っていたり、奉納されているようでしたか?画像だとかなり新しい感じがしますが、、、。
投稿: いまどき | 2011年2月10日 (木) 21:40