東海道(蒲原宿→由比宿)
2010年2月7日
富士駅(東海道線)・・・富士町本通り・・・札の辻跡①・・・栄立寺・・・金正禅寺・・・札の辻跡②・・・県道396号・・・天白神社・柚木駅(身延線)・・・常夜灯・道標・旧道・・・県道・・・水神社・富士川渡船場跡・富士川橋・旧道・・・光栄寺・・・間の宿岩渕の小休本陣跡常盤家・新豊院・奉塔坂・岩渕の一里塚跡(37)・常夜灯・・・明治天皇小休所跡・・・(東名高速)・・・(東海道新幹線)・・・(東名高速)・・・新坂・光蓮寺・・・県道396号・・・義経硯水の碑・七難坂跡・・・浄瑠璃姫の墓・吹き上げの六本松・・・旧道・蒲原宿(15)・北条新三郎の墓・蒲原宿の一里塚跡(38)・諏訪神社・東木戸跡・竜雲寺・東漸寺・八坂神社・問屋場跡・「蒲原夜の雪」の碑・本陣跡・西木戸跡・茄子屋の辻・県道396号・・・和歌宮神社・・・北向不動尊一乗院・・・(東名高速)・・・旧道・由比の一里塚跡(39)・・・由比宿(16)・東枡型跡・御七里役所跡・飯田八幡宮・本陣公園・広重美術館・正雪紺屋・西木戸跡・入上地蔵堂・由比川橋・・・妙栄寺・・・豊積神社・地持院・・・由比漁港・・・由比桜えび通り・・・由比駅
【ルート地図】
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名前の通り富士の眺めがいい通りだ。札の辻①の所で左に旧東海道に入る。
札の辻跡② 《地図》
このあたりに平垣村の高札場があった。
天白神社 《地図》
天から降った米3粒を祀ったのを起源とする村社。
ここを右に進むのが旧道。しばらくして再び県道に出る。
「左東海道」は京から江戸に下る時の道筋だろう。
かつては渡し船で渡った。
小休本陣常盤家 《地図》
屋敷内を公開している。管理人さんからいろいろと話を伺い、詳しいパンフと周辺地図をいただく。女優の常盤貴子の父親はこの家で生まれたそうだ。関係ないか。
小休本陣は間(あい)の宿にある大名、諸侯たちの休憩所で、宿泊は許可されていなかった。「立場本陣」ともいわれていた。
延宝7年(1679)建立の薬医門形式の山門
薬医門は城門の一種で、「矢喰い」からきているとの説がある。
街道は左右の塚の間を大きく右にカーブする。
前方に駿河湾が浮いている。
右は光蓮寺
七難坂跡 義経硯水の碑の前の坂 《地図》
古東海道はこの県道396号あたりを通っていた。度重なる富士川の氾濫で道が流され、天保14年(1843)に新坂が開削された。いくつもの難所を越えたのでこう呼ばれたのだろう。
『東海道巡覧記』に「七なん坂 右義経硯水とて清水あり。小鳥居あり」とあるそうだ。
義経硯水の碑・蒲原一族の五輪塔
浄瑠璃姫に書く手紙の硯の水に、ここの清水を使ったという伝承。清水は涸れ、鳥居も今はないようだ。
文化14年(1817)建立の地蔵尊は「いぼ神様」として参詣者が絶えなかったが、旅人に持ち去られてしまい後に再建されたもの。
浄瑠璃姫の碑・墓(右)と吹き上げの六本松 【ルート地図】の77
三河の矢作宿から義経を追ってこの地まで来たが、力尽き息絶えた浄瑠璃姫の墓という。三河の岡崎宿にも墓、供養塔などがある。『東海道(藤川宿→知立宿)』
武田信玄に敗れ落城した蒲原城主。
東名高速の北側の城跡は御殿山公園となり桜の名所。
浄瑠璃姫の菩提所だったという常楽寺は、この時代まであったようだ。
【ル-ト地図】の78左の小社の鳥居前
枡型になっている。右の石段は諏訪神社。
渡邊家土蔵(三階文庫)
背後が蒲原城跡、御殿山か。
土蔵造りより防火効果が大きい、贅沢普請だそうだ。
昔、集めた記念切手、五十三次のマッチ箱の図柄でなじみ深い。実際には宿場の通りにはこれほどの傾斜はない。江戸時代とはいえこれほどの雪が降っただろうか。虚実取り混ぜていい絵ができるのだろう。人物が駕篭屋と按摩とは知らなかった。夜の雪道を旅人は歩くのは無理と思うよ。
手づくりガラスと総ケヤキの家
明治時代の建物
大正3年建築の外は洋風、内は和風の擬洋風建物。
味噌、醤油醸造の商家だった。
茄子屋の辻・西木戸跡 《地図》
高松藩の槍の名人と薩摩藩との乱闘があった辻。
ここで右に曲がる。すぐ先の和歌宮神社は家康が織田信長の接待のために造った御殿の跡といい、秀吉も小田原征伐の折に、ここに立ち寄ったという。
紀州藩の七里飛脚の連絡所跡。静岡県内では、沼津、由比、丸子、金谷、見附、新居に設けられていた。幕府の動向をいち早くつかむことが目的だった。
公園内に広重美術館
館内は浮世絵の保存のためとはいえ拙者には暗過ぎる。
慶安の変の首謀者、油比(油井)正雪の生家という。ここで奥さんが干したという桜えびのパックを買い求める。軽いしビールのつまみに打ってつけだ。
落語『慶安太平記』
弥次喜多のような脳天気の軽薄さが街道歩きには向いているか。
ここは枡型になっていて左へ曲がり河原に下り、仮板橋で由比川を渡った。
このあたりに脇本陣徳田家跡があるはずだが、案内板などは見当たらず。
入上(ゆりあげ)地蔵堂 《地図》
この前あたりで河原へ下り、仮橋で由比川を渡ったのだろう。
由比川の水難者を祀った川守地蔵。
坂上田村麻呂の奥州征伐の凱旋祝いを起源とする「お太鼓祭り」が、正月に奉納される。
由比漁港 《地図》
港全体が桜えび漁の船でぎっしり埋まっている。12月で漁は終わったそうだ。
日本一の水揚げを誇る桜えび漁も、明治時代にたまたま漁船の網に大量の桜えびが掛ったことから始まったというから面白い。宝くじも馬券も買わなければ当たらない。これも関係なし。
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