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2010年2月 3日 (水)

東海道(藤沢宿→平塚宿→大磯宿)

2010年1月31日

藤沢駅(東海道線)・・・白旗交差点・県道43号・・・(小田急江ノ島線)・・・藤沢宿上方見附跡・・・引地橋(引地川)・・・養命寺・県道44号・・・四ツ谷交差点・四谷不動(大山道標)・国道1号・・・四ツ谷の一里塚跡⑬・・・二ツ家稲荷・・・(茅ヶ崎市)・・・明治天皇小休止所跡・・・上正寺・・・牡丹餅立場(茶屋)跡・・・海前寺・・・八王子神社・・・(相模線)・・・茅ヶ崎の一里塚跡⑭・・・円蔵寺・・・十間坂・・・左富士(鳥井戸橋・千川)・・・鶴嶺神社参道・弁慶塚・女護ケ石・鶴嶺神社・・・神明神社・・・旧相模川橋脚・下町屋橋(小出川)・・・信隆寺・・・(平塚市)・・・馬入橋(相模(馬入)川)・・・馬入の一里塚跡⑮・・・神明社跡・・・馬入交差点・旧道・・・平塚八幡宮・・・お菊塚・・・平塚宿・江戸方見附跡・脇本陣跡・高札場跡・東組問屋場跡・本陣跡・西組問屋場跡・中原街道合流地点・要法寺・平塚の塚・鏡山お初の墓・春日神社・上方見附跡・国道1号・・・花水橋(花水川)・(大磯町)・・・善福寺・・・慶覚院・高来(たかく)神社・・・虚空蔵尊・・旧道・化粧(けわい)坂・化粧井戸・化粧坂の一里塚跡⑯・・・(東海道線)・・・大磯宿・江戸方見附跡・国道1号・日枝神社・神明神社・秋葉神社・延台寺(虎御石)・北組問屋場跡・小島本陣跡・地福寺(島崎藤村の墓)・尾上本陣跡・南組問屋場跡・高札場跡・鴫立庵・島崎藤村邸・上方見附跡・・・滄浪閣(伊藤博文旧邸)・・・八坂神社・・・切通橋(血洗川)・旧道・・・大磯城山公園・・・本郷橋(不動川)・・・国府本郷の一里塚跡⑰・・・国道1号・・・宝積院・(東海道線)・・・六所神社・・・(二宮町)・・・塩海(しおみ)橋(葛川)・・・二宮駅(東海道線)→平塚駅

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_6688 藤沢宿上方見附跡(小田急江ノ島線を越えた右側)

「見附跡」の標柱のみで、藤沢市は東海道(を歩く者)に素っ気ない。

Img_6690 養命寺

国の重文の薬師如来像を安置。

Img_6691 説明板

Img_6693 七面地蔵尊

路傍にひっそり小さな地蔵さん。

Img_6708 四谷不動(大山道標) 【ルート地図】の①

大山道への鳥居が立つ。堂の左外の石柱は万治4年(1661)に建てられた古い道標を再建したもの。東海道と大山道の交差する辻で茶屋が立ち並び賑わっていたという。

Img_6706 説明板

Img_6705 不動道標

延宝4年(1676)の建立

Img_6710 四ツ谷の一里塚跡

日本橋から13番目

Img_6712 二ツ家稲荷神社

二軒の立場茶屋があったという。境内は節分の準備で忙しい。

Img_6713 庚申塔・双体道祖神

Img_6711 説明板

Img_6715「二ツ家」の由来

二ツ谷?

Img_6718 松並木はやっぱり気分がいいが、歩道を自転車が通るのがちとやっかいだ。

Img_6725 上正寺の石灯籠

もとは上野の寛永寺にあったもの。どういう経緯でここに移されたのか?

Img_6724 説明板

Img_6729_2牡丹餅立場(茶屋)跡(菱沼歩道橋の手前) 【ルート地図】の②

Img_6730東海道細目分間之図

ぼたもちちゃ屋、一里塚(茅ヶ崎)、十ケ坂(十間坂)、鶴嶺八幡などが見える。

Img_6737 海前寺

門前の石灯籠は二代将軍秀忠の菩提供養のため久留米城主が奉献したもの。境内の本堂前にも九代将軍家重に大名から奉献された2基の石灯籠がある。さっきの上正寺といい、将軍に奉献された石灯籠が多いのは何故なのか?

Img_6742 八王子神社

Img_6751境内の庚申塔と双体道祖神

Img_6748愛嬌のある三猿の顔

Img_6755 茅ヶ崎一里塚跡 《地図

日本橋から14番目の一里塚

Img_6754 説明板

藤沢市と違いきちんとした説明碑だ。

Img_6764 十間坂 【ルート地図】の③

今は傾斜はほとんどなく、回りの見晴らしもきかないが、昔は富士、大山、箱根、江ノ島、鎌倉、六浦、金沢などが見えて、「十景坂」ともいわれた。

Img_6766 第六天神社

Img_6767 由緒

Img_6770 南湖入口の湘南茅ヶ崎らしい洒落たレストラン

Img_6772すぐ先には旧家も残っている。

Img_6775 左富士(鳥井戸橋)からの眺めだが晴れてはいるが富士は見えずがっかり。《地図

京へ向う東海道で、左側に富士山が見えるのはこの先の吉原宿付近にある。それを楽しみとするか。ちなみに中山道の志村の清水坂は右富士で有名だったが、今は富士は晴れていても見えない。

Img_6776 説明板

Img_6781 弁慶塚

鶴嶺神社参道を入った右側の民家の敷地内。義経塚はなぜ造らなかったのか?

Img_6782 由来

Img_6786 参道の松並木

Img_6785 説明板

Img_6791 女護ケ石(にょごがいし)

左の凹みのある石。右が朝恵上人墓碑と顕彰碑

Img_6790 説明板

Img_6793 鶴嶺神社

右は源義家が前九年の役の戦勝祈願に手植えたと伝う大イチョウ。幹の回りから何本もの乳柱が垂れ下がっている「たらちね銀杏」だ。

Img_6795 大イチョウ説明板

Img_6811 旧相模川橋脚 《地図

源頼朝はこの橋の渡り初めの帰途に落馬して、その後まもなく死んだという。馬も川へ落ちて死んだので馬入川という。

Img_6810 説明板

Img_6808 出現時(大正12年の関東大震災)の写真

ここは当時は水田で、鎌倉時代には相模(馬入)川の流路だった。

Img_6807 説明板

Img_6820 双体道祖神をよく見かける。

Img_6824 相模(馬入)川(馬入橋から)

昔は橋は無く、「馬入の渡し」で渡った。

いい天気なのだが丹沢、富士もやっぱり見えない。

Img_6825 馬入橋を渡って下ると平塚宿。

国道1号は右方向にカーブして行くが、旧道は市街地の商店街を直進して行く。分岐点の手前あたりが「馬入の一里塚跡」(日本橋から15番目)で、榎木町は一里塚上にあった榎に由来している。

Img_6835平塚八幡宮

相模国の八幡宮の総鎮守だった。

Img_6837 社殿

ここも節分の準備か。

Img_6832 平塚宿へと入って行く。

Img_6840 お菊塚 《地図

「番町皿屋敷」のお菊さんの墓。各地に残る皿屋敷伝説の一つ。千代田区五番町にはお菊さんゆかりの帯坂があり、姫路では「播州皿屋敷」でお菊神社、姫路城には「お菊井戸」がある。『出雲街道①』に記載。落語の『皿屋敷

Img_6839説明板

Img_6843 江戸方見附跡 《地図

Img_6844 説明板

Img_6848 旧平塚小学校

明治23年に崇善館を移築して小学校とした。今は崇善館公民館になっている。

Img_6851 脇本陣跡

Img_6852 説明板

Img_6854 高札場跡

Img_6855 説明板

Img_6853 前方に高麗山

Img_6857 東組問屋場跡

Img_6858 説明板

Img_6859 本陣跡 《地図

Img_6861 本陣跡碑

Img_6863 西組問屋場跡 《地図

ここは中原街道の合流地点

Img_6865 説明板

Img_6866要法寺

日蓮が泊まった平塚左衛門尉泰知宅に建てられた寺。

Img_6870 平塚の塚 《地図

塚の上が平らで「平塚」だという、面白くもなんともない地名由来話。

Img_6868 説明板

Img_6875 鏡山お初(松田たつ)の墓 《地図

奉公先の女主人の仇を討ったという義女、烈女、猛女の墓。仇討ちをしても赤穂浪士のように咎めを受けて切腹もせず、かえって賞されて年寄になったというから女人は得だ。

Img_6872 説明板

Img_6884 上方(京方)見附跡 《地図

広重の浮世絵はこのあたりからの眺めか。

Img_6883 説明板

Img_6895 善福寺

親鸞上人の旧蹟で、国の重文の木造伝了大師坐像(鎌倉時代)を安置。

開基は曽我十郎と虎御前の間に生まれた祐若で、戦功で平塚の荘を賜ったが無常を感じ出家して、ここに草庵を結んだとか。

Img_6897 旧家

Img_6902慶覚院

Img_6900高来(たかく)神社

高来も背後の高麗山も唐と新羅の連合軍に滅ぼされた高句麗に由来する。王族の一人、若光が渡来し高麗山のふもとに住み、このあたりを開き高麗郡が置かれていた。もとは高麗権現と呼ばれ、高麗寺が別当寺だったが、明治の廃仏毀釈で廃寺となった。今は隣りに慶覚院がある。

Img_6904 由来

Img_6907 虚空蔵尊堂

Img_6909 説明板

化粧坂が描いてある。大磯町の東海道の案内板は絵図入りで分かりやすい。

Img_6914 化粧(けわい)坂(坂上方向)【ルート地図】の④

Img_6916虎御前の化粧井戸

虎御前は曽我兄弟の仇討ちに登場する白拍子、鎌倉時代の遊女で、兄の曽我十郎祐成(すけなり)の恋人。つまり物語りのヒロイン。この時代の遊女の白拍子は詩歌管弦に長じ、虎御前も舞いの名手で頼朝にも認められたという。鎌倉時代の古東海道の大磯はこのあたりが中心地だったという。

Img_6915 説明板

「高来神社との関係」とはどういう意味か?

Img_6918 化粧坂の一里塚跡

日本橋から16番目の一里塚

Img_6919 説明板

Img_6925大磯宿江戸方見附跡

東海道線をくぐって下って行く途中。

Img_6926 説明板

Img_6956 秋葉神社(右)・延台寺(奥)

もとは説明板の下の街道沿いに「虎御石」があった。

虎御前の成長につれて大きくなり、曽我十郎の剣難を救ったという身代り石。虎御石は、いい男だと持ち上がるというので試そうと思って境内をずいぶん探したが見つからずあきらめた。法虎庵に納められているのだ。しっかり説明板を読めば分かったものを。しかし、「あしき男」には持ち上がらないのだから試さずによかったのかも。(普段は公開はしていないようだ。)

Img_6945 法虎庵

Img_6944 説明板

安置されている寺宝の最初に「虎御石」

Img_6935 虎御石説明板①

Img_6943 説明板②

延台寺境内には虎御前ゆかりの供養塔などのほかに、大磯宿の遊女の墓もある。

Img_6958 北組問屋場跡

Img_6961 小島本陣跡 《地図

Img_6963_2説明板

Img_6970地福寺

左端の小さな石柱が島崎藤村の墓

Img_6971 尾上本陣跡 《地図

Img_6977杵新饅頭店

大磯宿ゆかりの「虎子まんじゅう」・「西行まんじゅう」

Img_6976大磯照ケ崎海水浴場への道標

大正4年に立てられたもの。

Img_6984 南組問屋場跡・新島譲終焉の地

Img_6981 説明板

Img_6986新島襄終焉の地

百足(むかで)屋旅館で没した。

Img_6985 説明板

Img_6987 「さざれ石」バス停

明治時代の大磯海水浴場の土産で、石そっくりのお菓子。その店の跡がここだとか。

Img_6988 高札場跡

Img_6993鴫立庵(しぎたつあん)《地図

西行の「こころなき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ」にちなむ草庵。京都の落柿舎、滋賀の無名(むみょう)庵と並ぶ日本三大俳諧道場で、毎月句会が開かれるそうだ。

ここは「湘南」発祥の地でもある。

Img_6994 説明板①

Img_6992 説明板②

Img_7000 たばこ屋

Img_7002 島崎藤村旧宅

昭和16年からここを借り、昭和18年に病没するまで住んでいた。墓も小さいが、ここも質素な造りの住まいだ。

Img_7007 上方見附跡

Img_7006_2説明板

Img_7009 松並木を行く。

Img_7010 説明板

Img_7015滄浪閣(伊藤博文旧邸)

中華料理店として使用されていたそうだが、それも閉店しているようだが。

Img_7019血洗川の切通橋 《地図

旧道はこの先の切通しで右に入り城山公園の方に行く。西長院に血洗川の名の由来となったという「身代り地蔵」(切通地蔵・化け地蔵とも呼ぶ)があるのだが見落とした。血洗川は身代り地蔵にちなむ名というより、太田道灌によって攻められて落城した小磯城の多くの戦死者の流した血による名ではないだろうか?

Img_7027大磯城山公園

旧三井財閥の別荘地跡で、その昔は戦国時代の山城の小磯城跡ともいう。

Img_7034 国府本郷の一里塚跡 【ルート地図】の⑤

日本橋から17番目の一里塚。古代に国府が置かれていた地域。

Img_7032 説明板

Img_7039 宝積院

大磯町最古の寛永8年(1631)銘の梵鐘と、後ろに最大級の樹齢300年以上というカヤの木。

Img_7042六所神社

相模国の総社

Img_7051 二宮駅

「二宮金次郎」ではなく、空襲で父を失った戦争体験を描いた小説「ガラスのうさぎ」記念の少女像と伊達時彰徳碑が立っている。

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