東海道(小田原宿→箱根湯本)
2010年2月5日
小田原駅・・・小田原宿・新宿交差点・蹴上坂・・・青物町交差点・清水金左衛門本陣跡(明治天皇行在所跡)・松原神社・片岡本陣跡・久保田本陣跡・清水彦十郎本陣跡・ういろう本舗・小田原城跡・・・(東海道線・箱根登山鉄道)・大久寺・居神神社・板橋見附跡・(東海道新幹線)・・・板橋地蔵(栄福院地蔵堂)・・・(箱根登山鉄道)・国道1号・・・(小田原厚木道路)・旧道・日蓮上人霊跡・・・お塔坂・・・妙覚寺・・・八幡神社・・・風祭の一里塚跡(21)・道祖神・・・紹太寺・・・(箱根登山鉄道)・・・駒ノ爪橋跡・・・国道1号・・・三枚橋(早川)・・・箱根湯本駅(箱根登山鉄道)
*この先、三枚橋から箱根峠を越えて三島宿までは、「箱根の坂-1」・「箱根の坂-2」に記載。
【ルート地図】
写真をクリックすると拡大します。
塔婆の前の2基の五輪塔が氏政、氏照の墓。その前の生害石の上で自刃したという。東海道の間(あい)の宿、本市場近くの源立寺(富士市)には氏政の首塚がある。
新宿交差点から左に上り、右に入る。
清水金左衛門本陣跡(明治天皇宮ノ前行在所跡) 《地図》
ここの手前が脇本陣跡の古清水旅館のようだが、建物は取り壊されて工事中だった。
なぜ「本陣跡」の説明板としないのか。小田原市教育委員会は明治天皇を崇敬し、学校でも国旗掲揚、君が代斉唱を先生たちに強要しているのだろうか。
昭和7年に再建した「出桁造り」の旧網問屋の建物。
小田原の総鎮守
甲羅を撫でて吉兆を祈願した。ただではだめだろうな。
文化11年(1814)の創業。
片岡本陣跡(明治天皇本町行在所跡) 《地図》
この少し先の山崎タイル店あたりがが久保田本陣跡。
小西薬局(国登録有形文化財) 《地図》
薬のういろう「透頂香(とうちんこう)」と菓子のういろうの店。
この向かいが清水彦十郎本陣跡だが、今は空き地(駐車場)になっている。
石垣山一夜城址 (左の鉄柱の間)・箱根の山(右後方)
秀吉が小田原北条攻めの時に、一夜にして築いたというが実際は80日間かかったという総石垣の城。それにしても早い。今でも石垣跡が残っている。
まだ10時?の開店前なのに店の前にぞくぞくと客が集まって来る。そんなに美味いのか?
江戸時代初期の小田原城主の大久保家の菩提寺。
山門をくぐって、檀家らしきの老人と挨拶を交わしすれ違った直後にバタッと大きな音。老人が敷石につまづき前にもろに倒れたのだ。起こそうとしたがその重いこと。そんなに大きな人ではないのだが。運動不足などで身体も硬くなっているようだ。まあ近い内に自分もそうなるか。
祭神の一人は、北条早雲に敗れ、怨霊となって3年間祟ったという三浦半島の新井城主の三浦荒次郎。
中央の5基
手前の光円寺の角を右に曲がって新幹線をくぐって行く。
永禄12年(1569)造立の高さ330cmの地蔵尊。1月と8月の縁日には開帳されるのだろうか?
箱根戦争の官軍戦死者慰霊碑もある。
日蓮上人霊跡 《地図》
身延山へ向う日蓮がこの上の「象の鼻」岩上から房総の安房の方を眺め、故郷、両親を偲んだという霊跡ということか。「ふた親さん 象の鼻」・「相州思親閣」の標柱も立っている。この地を「お塔のふた親さん」とも呼ばれたそうだ。
風祭の一里塚跡(日本橋から21番目) 国立箱根病院の先の右側。
地蔵の後ろに道祖神の祠
往時は10町に及ぶ広大な地に七堂伽藍を誇ったという。小田原城主の稲葉氏の菩提寺で、一族と開基の稲葉正則の祖母、春日局(将軍家光の乳母)の墓所がある。
今は塔頭は清雲院だけのようだ。
扁額の「長興山」は隠元禅師の筆による。
寺領には7つの境界石があったという。
橋に源頼朝の馬の蹄跡が残っていて、旅人が道中、足が痛まぬようにと祈願したという。この先で国道1号に出る。
ここを渡り、箱根峠を越えて三島宿へと歩いたのは去年の4月だった。
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