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2010年2月13日 (土)

東海道(三島宿→沼津宿)

2010年2月5日

三島駅(東海道線)・・・白滝公園・・・円明寺(孝行犬の墓)・・本町交差点・東海道・三島宿・樋口本陣跡・世古本陣跡・三石神社・時の鐘・連馨寺・(伊豆箱根鉄道)・伊豆国分寺塔跡・・・県道145号・秋葉神社・・・千貫樋・・・伏見の一里塚跡(29)・宝池寺・玉井寺・・・八幡神社(対面石)・・・智方神社・・・黄瀬川橋・・・潮音寺・・・県道380号・・・矢倉沢往還合流地点(下石田交差点)・・・旧道・富士隠れ坂・・・黒瀬橋(狩野川)・平作地蔵・・・沼津の一里塚跡(30)・玉砥石・・・日枝神社・・県道380号・・・沼津宿・川廓(かわぐるわ)通り・水神社・問屋場跡(通横町交差点)・県道159号・・・大手町交差点・・・沼津城址(中央公園)・・・県道52号・・・城岡神社・・・沼津駅(東海道線)

  『箱根の坂-2』の続きです。

  ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_7389 円明寺山門 《地図

この薬医門は樋口本陣の表門を移築したものという。

Img_7390 孝行犬の墓(円明寺)

人間様よりも立派な墓で、石像も立っている。

Img_7388 由来話

幕末頃の話だそうだ。寺の人間は病気の親犬の世話を子犬たちにまかせて、手をこまねいていたのではなかろう。子犬たちも親犬の後を追うように次々に死んでいったとは哀しい話だ。

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Img_7399三島宿樋口本陣跡 《地図

向い側が世古本陣跡。にぎやかな商店街になっていて古い建物や宿場の面影は残っていない。

Img_7393 説明板①

Img_7397 世古本陣跡

Img_7394 説明板②

Img_7402 時の鐘・源兵衛川・奥に三石神社 【ルート地図】の64

農業用水として人工的に造られた川。

Img_7405 説明板①

Img_7404 説明板②

Img_7417 伊豆国分寺塔跡

8個の礎石の上に、60mもの七重塔が建っていたらしい。

Img_7412 説明板

Img_7421橋の下が千貫樋

Img_7423 千貫樋 《地図

もっと上の方に架けられていると思っていた。ここから見ると普通の用水路にしか見えない。

Img_7422 説明板

Img_7419 ここが西見附跡

Img_7426 常夜灯

Img_7427 説明板

Img_7430 伏見の一里塚跡(日本橋から29番目) 【ルート地図】の65

宝池寺側の復元された塚。ここには休憩所の立場があったという。今でも富士山の眺めがいい。

Img_7434 ちょっとぼやけてしまったが。

Img_7431 説明板

Img_7433 玉井寺側の塚は原型をとどめている。

Img_7432 説明板

付記の「塚原一里塚」は錦田の一里塚」、「山王さんのもの」は、沼津の一里塚で、山王さん(日枝神社)の参道入口の街道沿いにある。(後出)

Img_7436 玉井寺

富士山と並び、「駿河の過ぎたるもの」の一つの白隠禅師ゆかりの寺だが、富士の偉大さは白隠とは比べ物にならない。東海道を歩いていると、それを実感できる。

Img_7435 説明板

Img_7445 八幡神社 《地図

社殿は自動扉で賽銭箱の脇に立派な由緒書が置いてある。戸締りが厳重な寺社が多い中、なかなか気がきいていて好感が持てる神社だ。

Img_7444 対面石(境内の左後方)

源頼朝と義経兄弟がここに腰掛けて対面したという。2人はどっちの石に座ったのか? 後ろは「ねじり柿」か? 

Img_7442 説明板

Img_7451 智方神社 《地図

由緒を要約すると、南朝の宮女が護良親王の首をこの地に葬り、後に南朝方の北条時行が石祠を建てたのが始まりということか。

Img_7448 由緒

Img_7466 潮音寺観音堂 《地図

曽我兄弟の討入りの時に、工藤祐経と床をともにしていた白拍子で、源頼朝の召抱えを拒絶し、黄瀬川に入水したという亀鶴姫の亀鶴観音が本尊。玉の輿を断って自殺するとは。今の若い女性に聞かせたらもったいないと呆れ返るか。

Img_7458 説明板

亀鶴姫は長者の一人娘で、賢女で駿河の三美人の一人となっている。「駿河の三美人」とは、あとは誰と誰か?

Img_7461 亀鶴の碑

この先で県道380号に出る。

下石田交差点で、北から矢倉沢往還が合流する。 《地図

Img_7477 富士隠れ坂(坂下方向)西へ緩やかに下る坂。 【ルート地図】の67

街道の北側に見えていた富士が堀割の急な上り坂のために隠れてしまうことから、この名がついた。

東海道ではどこからでも富士が見えるから「富士見坂」はなく、逆に、富士が見えない所が珍しいので「富士隠れ坂」と名づけたのだ。

Img_7478 坂下方向

旧道は左へ下って平作地蔵へと向う。正面の建物あたりが堀割の崖になっていたのだろう。

Img_7482 平作地蔵 【ルート地図】の68

日本三大仇討の一つ、荒木又衛門が活躍するおなじみの仇討ちにゆかりの地蔵。

Img_7481 由来

通称「もろこし地蔵」とはどんな由来か?

Img_7491 沼津の一里塚跡(30)・玉砥石(平作地蔵の先の右側)

伏見の一里塚(29)からの距離不足の訳が説明板に書かれてある。

Img_7486 説明板

Img_7490 玉砥石

玉類を磨く砥石。奈良時代から平安時代のものという。けっこう大きい。

Img_7489 説明板

Img_7494 日枝神社 《地図

街道からここまではけっこう離れている。

Img_7497 由緒

なんだか陰鬱な起源だ。

Img_7498芭蕉句碑

「都出て 神も旅寝の 日数哉」

芭蕉の真蹟(真筆)という。むろん碑自体は昭和62年に建てられたものだが。これの拓本を取る人もいるようだ。いろんな趣味があるよ。坂道散歩よりはましか。

Img_7502「曲水宛書簡」の曲水とは、近江芭門の重鎮で、経済的支援者の菅沼曲水のこと。

Img_7507 川廓(かわぐるわ)通り 【ルート地図】の69

「川曲輪」で、沼津城の狩野川沿いの城郭に由来。

Img_7508 説明板

Img_7516 御成橋から狩野川

強風で自転車で橋を渡る女学生が悲鳴を上げていた。

Img_7524 問屋場跡(通横町交差点) 《地図

今日はここまでとして沼津駅に向った。

Img_7522 説明板

Img_7529 沼津城址 《地図

武田勝頼が築いた三枚橋城と、その後の沼津城の本丸跡。

Img_7526 説明板

Img_7528 三枚橋城の石垣の石が碑の土台を囲んでいる。

Img_7527 城図

現在地が中央公園

Img_7532 城岡神社 《地図

もとは沼津城の守護の稲荷神社。

社殿から角がはえたような背後のノッポビル。

Img_7531 由緒

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