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2010年2月23日 (火)

日光街道(日本橋→千住宿)

2010年2月14日

東京駅・・・西河岸地蔵寺・・・西河岸橋・裏河岸・・・日本橋・・・小津和紙・・・大伝馬本町通り・・・宝田恵比寿神社・・・旧日光街道碑・・・横山町繊維問屋街・・・江戸通り・・・郡代屋敷跡・浅草橋(神田川)・浅草見附跡・・・(総武線)・・・第六天榊神社(浅草文庫跡碑)・・・鳥越神社・・・天文台跡(蔵前1交差点)・・・鳥越神社・・・浅草御蔵跡・首尾の松碑(蔵前橋)・・・御蔵前通り・楫取神社・聖ヨハネ浅草教会・・・蔵前神社・榧寺(かやでら)・・・諏訪神社・・・駒形どぜう・・・駒形堂・・・(東武伊勢崎線)・・・山谷堀公園・・・待乳山聖天・・・今戸神社・・・熱田神社・吉野通り・・・泪橋・・・小塚原刑場跡・・・コツ通り・・回向院・・・南千住仲通り・豊川稲荷神社・・・円通寺(彰義隊士の墓)・・・素盞雄神社・・・誓願寺・・・千住の河岸(熊野河岸)跡・千住大橋(隅田川)・・・やっちゃ場跡・・・源長寺・・・千住の一里塚跡・高札場跡・問屋場跡・・・不動院(遊女供養塔)・・・森鴎外旧居跡・・・金蔵寺(遊女供養塔)・・・勝専寺(赤門寺)・・・千住2丁目交差点・・・北千住駅

  この先は、『日光街道(千住宿→草加宿)』へ続く。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_8841 西河岸地蔵寺 《地図

行基の作と伝う「日限延命地蔵菩薩像」を安置。

三方を高いビルに囲まれて窮屈で、肩身が狭いようだが、しっかりとガードされているとも見えるか。

Img_8842 由来

Img_8839 西河岸橋から日本橋 《地図

やっぱり高速が邪魔だ。

Img_8837 説明板①

Img_8838 説明板②

Img_8825 日本橋

【ル-ト地図】の①

Img_8831 魚河岸発祥地碑

反対側に道路元標(レプリカ)がある。

Img_8832 説明板

Img_8822 日曜で閑散としている大伝馬本町通り

車はすべて駐車している。

Img_8819 ここが今の日光街道

寝袋にくるまって読書をしている人もいる。邪魔をしないように静かに通り抜ける。

Img_8816 小津和紙店

承応2年創業(1653)の紙問屋。

Img_8818 明治時代の店

Img_8813 宝田恵比寿神社

江戸城外の宝田村の鎮守だったが、村人は江戸城築城の際に家康から移転を命ぜられこの地に移り住んだ。

Img_8814 由来

Img_8811 「旧日光街道本通り」石柱 ギンモンドホテルの右端

Img_8807 横山町繊維問屋街

日曜は休みの店がほとんど。

Img_8801 郡代屋敷跡(浅草橋の南側の交番の所)

関東の幕府直轄領の年貢の徴収、治水、領民紛争の処理などを行った関東郡代の役宅跡。

Img_8802 説明板

Img_8799 ビルとコンクリの堤防に挟まれた神田川に浮かぶ屋形船、ゆりかもめ。(浅草橋から)

Img_8798 浅草見附跡 【ルート地図】の②

Img_8795 浅草文庫碑(榊神社内)

明治7年に創設された官立の図書館跡。左は繁昌稲荷社で、第六天榊神社は、「下町八福神 」の健康長寿の神。

Img_8793 説明板

Img_8791 鳥越神社

千貫御輿の鳥越祭り

平将門の首が飛び越していったので「鳥越(=飛び越え)」という地名になり、この社名となった。あるいは、将門の身体はバラバラにされて江戸各地に埋められたが、この鳥越神社には手が埋められているという伝説がある。『日本伝承大図鑑』より

Img_8786浅草天文台跡 《地図

葛飾北斎の富嶽百景の「鳥越の不二」にこの天文台が描かれている。

Img_8788 説明板

Img_8782 首尾の松跡(蔵前橋西詰の南側)

「首尾」のいわれには3説あるようだ。どれもこじつけの感じがして一長一短、帯に短し・・・・だ。今の松は7代目、もとは少し川下の川岸にあったそうだ。

落語『あくび指南

Img_8785 説明板

Img_8778 浅草御蔵跡(蔵前橋西詰の北側)

Img_8777 説明板

Img_8770 楫取(かじとり)神社 《地図

御蔵造営用の石を運ぶ船が遭難しかかった時に現れ、船を安全に導いた(楫取)という稲荷を祀っている。

Img_8769 由緒

Img_8764 聖ヨハネ教会

明治9年の開設。浅草にもこんなに古い教会があったのだ。平成20年に国の登録有形文化財になったばかり。

Img_8763蔵前神社

五代将軍綱吉が京の石清水八幡宮を勧請。江戸城鬼門除けの守護神、将軍家の祈願所。
落語の『阿武松』・『元犬』・『松葉屋瀬川』などに登場する。

Img_8761榧寺(かやでら)

落語『蔵前駕篭

Img_8756 駒形どぜう

享和元年(1801)創業の老舗

Img_8748 駒形堂 《地図

浅草寺の観音像が隅田川から現れて最初に法安された地に建つ堂。

ここも由来は、①白駒・②絵馬・③駒形神と3説ある。

Img_8751本尊の小さな馬頭観音

Img_8752 由緒

Img_8749 説明板

Img_8746若い二人連れを乗せている人力車。今日は日曜でバレンタインデ-、かき入れ時か。

Img_8745待乳山聖天(まっちやましょうてん)

天狗坂の石段は鍵が掛っている。

Img_8744山谷堀公園 《地図

猪牙舟(ちょきぶね)を仕立てての吉原通いのコースだった。

Img_8742 説明板

Img_8738今戸神社

源頼義と義家が奥州安倍氏征討の折に、戦勝を祈願して京都の石清水八幡宮を勧請。

「下町八福神」の縁結びの神で、この日は若い女性が多かった。

Img_8736由緒

Img_8739 新撰組の沖田総司の終焉の地(千駄ヶ谷との説もある)で、今戸焼の発祥の地でもある。

落語にも『今土焼』・『今戸の狐』がある。

Img_8740 説明板

Img_8730 吉野通り

車が少ない。日曜はいつもこうなのだろうか?

Img_8723 首切地蔵(小塚原刑場) 【ルート地図】の③

品川の鈴ケ森と並ぶ江戸の刑場。刑死者供養のために寛保元年(1741)に建立された。江戸から明治までここでの刑死者は20万以上という。

落語『真景累ヶ淵④

Img_8721吉展地蔵尊(回向院)

昭和38年(1963)に誘拐され殺された吉展ちゃんを供養する地蔵。円通寺にもある。
前の通るが「コツ通り」で、「コツ」の由来は小塚原(こつかっぱら)のコツカから、小塚原刑場あたり一帯から出た人から、などの説がある。

Img_6040説明板

コツ通りから離れ西側の国道4号(現日光街道)に出る。

Img_8708 円通寺

上野戦争の弾痕が無数に残る黒門。明治40年にこの寺に移築された。

後ろが彰義隊士の墓。

Img_8717 説明板

Img_8714 説明板

Img_8713_2将軍家光鷹見の松、48首塚などもある。

Img_8712 説明板

Img_8700 素盞雄(スサノオ)神社

Img_8701 由緒

Img_8698 誓願寺

Img_8699 庚申塔

Img_3414狸塚(狸獣墓)

Img_8697 説明板

Img_3418千住大橋(隅田川)

千住の河岸(熊野河岸)跡あたりで、新河岸川を下った川越夜船の事実上の終着地だった。

千住の大はし

Img_3417説明板

Img_8684やっちゃ場跡

江戸時代から続いた青物市場跡

Img_8687 説明板

Img_8689やっちゃ場風景

Img_8682 延命子育地蔵(源長寺)

Img_8680 千住一里塚跡 【ルート地図】の④

Img_8679 高札場跡(一里塚の反対側)

Img_8677 不動院

戊辰戦争に従軍した芸州藩の戦死者の供養塔

Img_8675千住宿遊女の無縁塔(万延元年(1860)の建立)

千住宿には55軒の旅籠があり、うち36軒に遊女(飯盛女)を置いていたという。落語『藁人形』で西念をだましたのおくまのような、したたかで、ずる賢い女郎は少なく、薄幸薄命な女たちだったのだろう。

Img_8671 説明板

Img_8673 包丁塚

川魚料理人が建てたもの。

Img_8663 問屋場・貫目改所跡(東京芸術センター前)

Img_8666_2説明板①

Img_8667 説明板②

Img_8654 森鴎外旧居跡 【ルート地図】の⑤

Img_8653 説明板

Img_8656 金蔵(こんぞう)院

右の「無縁塔」は天保8年(1837)の大飢饉の餓死者の供養塔。左は千住宿の遊女の供養塔で台石に遊女の戒名が刻まれている。

Img_8655 説明板

Img_8650勝専寺(赤門寺)

徳川将軍の休憩所にもなっていた寺で、「お閻魔さま」でも親しまれている。

Img_8651 説明板

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