東海道(府中宿→丸子宿)
2010年2月9日
静岡駅・・・札の辻跡・・・津島神社・・・鎮火稲荷・・・伏見稲荷神社・・・双街の碑(遊郭跡)・稲荷神社・・・駿府キリシタン聖堂跡・・・安倍川の川会所跡・由比正雪の墓跡碑・・・駿府キリシタン殉教の碑・・・首地蔵・・・安倍川義夫の碑・・・安倍川橋・・・心光禅院・・・少将井神社・・・高林寺・・・子捨橋地蔵・・・手児の呼坂(古東海道)・・・丸子(まりこ)の一里塚跡(46)・・・安倍川駅(東海道線)
【ルート地図】
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このあたりは江戸時代初期から昭和32年まで遊郭があった所。初めは7ケ町あったが江戸吉原に5ケ町を移し二丁町(双街)となった。
弥次さん喜多さんも府中宿から馬で乗りつけ、この遊郭で遊んでいる。
この左側に「双街の碑」がある。
キリシタン禁制で取り壊され、遊郭の一画となった。
この手前の本通8丁目に府中の一里塚跡(45)の標柱が立っているらしい。しかしそこは旧東海道ではない。
交差点向うの弥勒公園(緑地)に、油井正雪の墓跡碑などがある。
川の水量による深さで、渡し賃が7段階にも分かれていた。最低の16文と最高の64文では4倍もの差がある。
安倍川の河原でさらし首になっていたのを正雪の縁者の女人が密かに盗み去り、菩提樹院(前回に記載)に葬り、首塚を築いている。
首から上の病にご利益があるのか?
戦前の教科書にも載ったという美談。落語には『三方一両損』がある。
文化元年(1804)の創業。駿河の三大名物の一つ。あとは追分羊羹と兎餅。
『広重の安倍川』
少将井神社 《地図》
ここは手越の長者の館跡で、「千手の前」の誕生地という。
千手の前像
源平合戦の悲恋物語のヒロインの一人。
①「昔、ある殿様が旅行中に奥方が身ごもった。旅先から帰った殿様は召使いを責めたところ、「奥方を守るため、寝ている間も奥方の腹に手を当てていた」と答えた。そして生まれたのは手だったので疑いは晴れ、手を橋から捨て供養のためにこの地蔵を建てたという」
②「静岡の伝説」の『子捨橋』も似たような話だが、手と児を「手児の呼坂」と結びつけている。まあどちらも留守の間に家来に女房を寝取られても気づかない、「志村けんのバカ殿様」のようでこっけいで、情けなく、いただけない話ではある。
「手児の呼び坂」は万葉集にも詠まれた古い坂で、②のように子捨橋の話と結びつけるのはどうかとも思うが、登場するのが殿様でなく「郡領」だから矛盾はないか。近くで会った地元の老人も「子捨橋」と「手児の呼び坂」とは関係があると話していたが、どうつながるのかは思い出せないようだった。
なぜ「手児の呼坂」というのか、肝心の由来が書かれていない。
「手児」は乙女、「丸子」は男の子で、この峠から丸子のうら若い男神が手越の女神の名を呼び続けた悲恋物語が民話として伝わるという。この由来話が万葉風でもあり、ロマンティックでもあり、すっきり納得できると思うが。
富士市にも、民話が残る「手児(たご)の呼坂」があるそうだ。
ぽつんと場違いで寂しげに立つ小さな石柱。
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