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2010年2月15日 (月)

東海道(沼津宿→原宿→吉原宿)

2010年2月6日

沼津駅(東海道線)・・・通横町交差点(沼津宿問屋場跡)・・・千本街道・・・乗運寺(若山牧水の墓)・・・緑橋(観音川)・・・観音長谷寺・・・千本松原通り・千本浜公園・・・本光寺・首塚・・・山神社・・・六代松の碑・・・正覚寺・・・八幡宮・・・栄昌寺・・・吉祥院・天満宮・・・松長の一里塚跡(31)・・・連窓寺・・・神明塚古墳・・・祥雲寺・・・三島神社・・・(東海道線)・・・神明宮・・・秋葉神社・・・高木神社・・・清梵寺・・・長興寺・・・原宿(13)・松蔭寺・白隠禅師産湯の井戸・高札場跡・問屋場跡・本陣跡渡邊家・明徳稲荷・・・新田橋(沼川第2放水路)・・・原一本松の一里塚跡(32)・・・三社宮(浅間神社)・・・浅間愛鷹(あしたか)神社・・・桜地蔵尊・・・(東海道線)・植田三十郎の墓・・・県道380号・・・間の宿柏原・六王子神社・本陣跡・立円寺(望嶽の碑)・・・広沼橋(昭和放水路)・増田平四郎の碑・沼田新田の一里塚跡(33)・・・県道170号・・・海老坂・海老坂薬師・・・毘沙門天妙法寺・・・木之元神社・・・(東海道線)・・・河合橋・・・県道171号・・・(東海道新幹線)・・・左富士神社・依田橋の一里塚跡あたり(34)・・・左富士の碑・・・平家越えの碑・和田川・・・吉原本町駅(岳南鉄道)・吉原宿(14)・天神社・唯称寺・保泉寺・西木戸跡・・・磔(はりつけ)八幡宮(青嶋八幡宮)・・・県道396号・・・富安橋(潤井川)・・・袂の塞神・・・間の宿本市場・鶴芝の碑・瘡守稲荷・本市場の一里塚跡(35)・・・札の辻跡・・・富士駅(東海道線)

  ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_7543 乗雲寺

手入れの行き届いたきれいな境内で気持ちがいい。

Img_7544若山牧水の墓(山門を入って右側)

牧水はこの地を愛し、大正9年から没するまで沼津に住んでいた。

Img_7551観音長谷寺

各地にある奈良の長谷寺の末寺か。十一面観音像が本尊。

Img_7550 説明板

Img_7567 千本松原

外は強風だが、松の間の道は風を和らげてくれる。ここは東海道の道筋ではないが、昔の旅人も風雨、陽射しを除けてくれるこの松原に感謝してここを通ったことだろう。田子の浦まで続く広大な松原。

Img_7559 首塚 【ルート地図】の70

後北条と武田の千本浜合戦の戦死者の遺骨を葬った首塚。10代後半のものが多いという。このあたりでは夜になると首のない武者が馬に乗って走って行くという怪談も伝わるとか。

Img_7558 説明板

Img_7562 千本浜から伊豆半島方向

カメラも揺れてしまうほどの強風の冷風だ。

Img_7563 千本松原越しの富士

Img_7571六代松の碑  《地図

平家の最後の頭領の血筋で、平維盛の子の六代の首塚。巨大な六代松は枯れてしまった。

神奈川県逗子市にも「六代御前の墓」がある。(「逗子市の坂-5」)
埼玉県川口市にも六代の伝説がある。(『六ヵ村用水・緑川を歩く』)
初瀬街道沿いの西方寺、五六橋も六代ゆかりの伝承地。(『初瀬街道⑤』)

Img_7570 説明板

Img_7587 吉祥院と願満具足天満宮

菅原道真の祖父、清公が遣唐使の帰国の際に嵐に遭い、吉祥天に祈ったところ難を逃れたことから、菅原家では吉祥天を守護仏とするようになったという。

「願満具足」とは願い事が全て完全に叶うということか。文字通り、有難い天満宮だ。

Img_7591松長の一里塚跡碑(日本橋から31番目)

バス停「大諏訪天神前」先の右の民家のブロック塀の間。

Img_7594 神明社・神明塚古墳 《地図

後円部に神明社が乗る。

Img_7595 神明社由緒

Img_7599前方部から後円部方向

6世紀前半の全長54mの沼津市最大の前方後円墳。

Img_7598 古墳説明板

Img_7604 三島神社

右は樹齢450年以上の神木のマキ。

Img_7629 松蔭寺

山門の左後方は樹齢400年以上の「摺鉢の松」。台風で裂けた松の雨除けのため、備前の池田侯から贈られた摺鉢を乗せて置いたら、そのまま育ったという。今は京焼きの鉢が乗せられているというが気づかなかった。

Img_7627 白隠禅師の墓

500年に一人といわれる名僧で臨済禅中興の祖。

Img_7625 説明板

Img_7640 白隠禅師産湯の井戸 《地図

ここ白隠の母の生家の味噌屋の地に貞享2年(1685)に生まれたそうだ。清酒「白隠正宗」はいかが。

Img_7639 説明板

Img_7633 原宿案内図

Img_7631 浅間神社

この前が高札場跡、道路向いが問屋場跡

Img_7637 高札場跡説明板

Img_7641 問屋場跡説明板

Img_7644 本陣跡渡邊家(問屋場跡の先の左側)

渡邊家は義経の兄の阿野全成の子孫だそうだ。

Img_7643 説明板

Img_7650 明徳稲荷

寛政10年(1798)建立の原宿の鎮守。《地図

Img_7649 由緒

Img_7660 原一本松の一里塚跡(32)《地図

Img_7659 説明板

Img_7671 浅間愛鷹(あしたか)神社

祭神の愛鷹大神は後方の富士南麓の愛鷹山のことか。

Img_7672 由緒

最後に記載の桜地蔵尊へ行ってみる。

Img_7680 桜地蔵尊 《地図

Img_7679 桜地蔵(享保?年の銘) 

気品ある顔立ちで、すらっとした立ち姿に浮彫りされている地蔵さん。路傍の地蔵さんとは一味違っていてこれもなかなかいい。

この地蔵の由来が分からない、北の今泉の吉原二中の近くにも桜地蔵があって、これの昔話はあるのだが。

Img_7688 植田三十郎の墓 《地図

このあたりの干拓に着手したが失敗した功労者。失敗しても「植田新田」に名が残り、このように顕彰されている幸せ者か。

Img_7686 石碑

Img_7699 六王子神社

沼田川、和田川、潤井川の合流する深い淵に棲む龍の生贄となった巫女のおあじの後を追って、浮島沼へ身を投げた6人の巫女を祀ったのが起源という。

Img_7698 説明板

Img_7702 間(あい)の宿柏原の本陣跡

原宿と蒲原宿の間の宿だが宿場の面影はない。

正面右奥は立円寺

Img_7704 宿の家並み

Img_7709 望嶽の碑・ゲラティック号遭難慰霊碑(立円寺)

今はここからの富士の眺めはそれほどではない。右はゲラティック号の碇。

Img_7707遭難誌碑

こんな遭難事故があったのを知らなかった。忘れてしまっただけか。

Img_7729 増田平四郎像 《地図

「スイホシ」と呼ばれた大放水路を完成させたが、これもすぐに高波で壊れてしまったという。

Img_7728 説明板

Img_7735 沼田新田の一里塚跡(33) 【ルート地図】の71

増田平四郎像のすぐ先。

Img_7753 高橋勇吉顕彰碑

天文の知識と土木技術にすぐれていて排水路の「天文堀」を完成させた。植田、増田、高橋と水と格闘した人物が続く。

Img_7752 説明板

Img_7759 毘沙門天妙法寺(香具山妙法寺)

寺なのに鳥居が? もとは富士登山の前に水垢離する修験場で、江戸時代に日蓮宗の寺になったようだ。津波の時には避難場所になっていたという。中国、チベット(ラマ教)、インドなどの建物が混在している不思議な空間だ。

2月のだるま市は日本三大だるま市(群馬の高崎の少林寺・東京は調布の深大寺)の一つ。

Img_7766 毘沙門堂

ここが本堂だろう。右後方にはインド風?の塔が。

Img_7769 竜神洞(香炉場)から

異国情緒と富士の純日本的風景が重なる。

Img_7768 洞窟七福神塔

150mもの洞窟に七福神が祀られているそうだ。入場は有料(300円?)らしい。

やっぱりこの寺はよく分からない。

Img_7775 吉原の製糸工場が近づいてくる。

このあたりは元吉原宿で、風波が強く津波などの被害にあい、北の中吉原宿、新吉原宿へと移転した。

Img_7779 海老坂 《地図》」

東海道から南に上る坂。坂下近くの右側に海老坂薬師がある。ここを上って海岸へと下って行くのだろう。

Img_7781 海老坂薬師

薬師なのにここにも鳥居。

Img_7792 富士の麓にも住宅?がぎっしりと見える。

ここは道を間違って東海道からはずれ依田橋北交差点を越えてしまったあたりから。

Img_7797 左富士神社 《地図

この北側が依田橋の一里塚(34)あたりのようだが、石柱、説明板などは見当たらなかった。

Img_7798 左富士 【ルート地図】の72

電柱、建物が邪魔で往時の風景はない。街道を歩いているとあちこちから富士を望めるので、左富士といっても新たな感慨はない。『広重の左富士』・清酒「左富士」もあるらしい。

このあたりが中吉原宿で、さらに北の新吉原宿へと移っていく。

Img_7799 説明板

Img_7805 平家越の碑(平家越橋の袂) 《地図

源平の富士川の合戦の時の逸話。富士川はここからは西に6km以上も離れているが、当時はいくつもに分流していて、このあたりにも流れていたらしい。今は和田川が流れている。

Img_7806平家越の碑

Img_7807 説明板

Img_7810 岳南鉄道吉原本町駅

この先が(新)吉原宿(14)なのだが今は繁華な商店街で宿場風情を感じさせる家並みは残っていない。

Img_7815 唯称寺山門から富士 《地図

河童がくれたという『かっぱの茶つぼ』(写真あり)が残っている。

Img_7825 磔(はりつけ)八幡宮(青嶋八幡宮) 【ルート地図】の73

江戸時代に農民のために立ち上がり、磔に処せられた義民、名主の川口市郎兵衛を祀る。

Img_7826 参道に漫画家の望月あきら(富士市出身)が寄進した漫画が立て掛けられている。

Img_7834 袂の塞神(蓼原の単体道祖神・富安橋を渡った先の右側)

よく見かける道祖神と大きさ、像形も違い異質な感じがする。いつ頃に造られたものなのか?

Img_7836 間の宿 本市場案内図

左の方に「鶴芝の碑」、瘡守稲荷、右の方に一里塚本陣、本市場陣屋秋山などが見える。

Img_7843 鶴芝の碑(富士総合庁舎の先の右側)

ここからの富士の眺めのことだが、今は何と言うこともない風景になっている。

Img_7844 説明板

Img_7850 瘡守稲荷

今も堂の前に「白石」が置かれている。1個供えて、2個返す、祈願する社寺、奉納物は様々だが、各地に残る風習の一つ。

Img_7848 説明板

Img_7856 本市場の一里塚跡(35) 【ルート地図】の74

Img_7861 札の辻跡 《地図

富士本町通りとの交差点。ここを左に曲がり富士駅に向った。

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