東海道(沼津宿→原宿→吉原宿)
2010年2月6日
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【ルート地図】
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手入れの行き届いたきれいな境内で気持ちがいい。
若山牧水の墓(山門を入って右側)
牧水はこの地を愛し、大正9年から没するまで沼津に住んでいた。
各地にある奈良の長谷寺の末寺か。十一面観音像が本尊。
外は強風だが、松の間の道は風を和らげてくれる。ここは東海道の道筋ではないが、昔の旅人も風雨、陽射しを除けてくれるこの松原に感謝してここを通ったことだろう。田子の浦まで続く広大な松原。
後北条と武田の千本浜合戦の戦死者の遺骨を葬った首塚。10代後半のものが多いという。このあたりでは夜になると首のない武者が馬に乗って走って行くという怪談も伝わるとか。
カメラも揺れてしまうほどの強風の冷風だ。
平家の最後の頭領の血筋で、平維盛の子の六代の首塚。巨大な六代松は枯れてしまった。
神奈川県逗子市にも「六代御前の墓」がある。(「逗子市の坂-5」)
埼玉県川口市にも六代の伝説がある。(『六ヵ村用水・緑川を歩く』)
初瀬街道沿いの西方寺、五六橋も六代ゆかりの伝承地。(『初瀬街道⑤』)
菅原道真の祖父、清公が遣唐使の帰国の際に嵐に遭い、吉祥天に祈ったところ難を逃れたことから、菅原家では吉祥天を守護仏とするようになったという。
「願満具足」とは願い事が全て完全に叶うということか。文字通り、有難い天満宮だ。
バス停「大諏訪天神前」先の右の民家のブロック塀の間。
神明社・神明塚古墳 《地図》
後円部に神明社が乗る。
6世紀前半の全長54mの沼津市最大の前方後円墳。
右は樹齢450年以上の神木のマキ。
山門の左後方は樹齢400年以上の「摺鉢の松」。台風で裂けた松の雨除けのため、備前の池田侯から贈られた摺鉢を乗せて置いたら、そのまま育ったという。今は京焼きの鉢が乗せられているというが気づかなかった。
白隠禅師の墓
500年に一人といわれる名僧で臨済禅中興の祖。
白隠禅師産湯の井戸 《地図》
ここ白隠の母の生家の味噌屋の地に貞享2年(1685)に生まれたそうだ。清酒「白隠正宗」はいかが。
この前が高札場跡、道路向いが問屋場跡
渡邊家は義経の兄の阿野全成の子孫だそうだ。
寛政10年(1798)建立の原宿の鎮守。《地図》
原一本松の一里塚跡(32)《地図》
祭神の愛鷹大神は後方の富士南麓の愛鷹山のことか。
最後に記載の桜地蔵尊へ行ってみる。
桜地蔵尊 《地図》
気品ある顔立ちで、すらっとした立ち姿に浮彫りされている地蔵さん。路傍の地蔵さんとは一味違っていてこれもなかなかいい。
この地蔵の由来が分からない、北の今泉の吉原二中の近くにも桜地蔵があって、これの昔話はあるのだが。
植田三十郎の墓 《地図》
このあたりの干拓に着手したが失敗した功労者。失敗しても「植田新田」に名が残り、このように顕彰されている幸せ者か。
沼田川、和田川、潤井川の合流する深い淵に棲む龍の生贄となった巫女のおあじの後を追って、浮島沼へ身を投げた6人の巫女を祀ったのが起源という。
原宿と蒲原宿の間の宿だが宿場の面影はない。
正面右奥は立円寺
今はここからの富士の眺めはそれほどではない。右はゲラティック号の碇。
こんな遭難事故があったのを知らなかった。忘れてしまっただけか。
増田平四郎像 《地図》
「スイホシ」と呼ばれた大放水路を完成させたが、これもすぐに高波で壊れてしまったという。
増田平四郎像のすぐ先。
天文の知識と土木技術にすぐれていて排水路の「天文堀」を完成させた。植田、増田、高橋と水と格闘した人物が続く。
毘沙門天妙法寺(香具山妙法寺)
寺なのに鳥居が? もとは富士登山の前に水垢離する修験場で、江戸時代に日蓮宗の寺になったようだ。津波の時には避難場所になっていたという。中国、チベット(ラマ教)、インドなどの建物が混在している不思議な空間だ。
2月のだるま市は日本三大だるま市(群馬の高崎の少林寺・東京は調布の深大寺)の一つ。
ここが本堂だろう。右後方にはインド風?の塔が。
異国情緒と富士の純日本的風景が重なる。
150mもの洞窟に七福神が祀られているそうだ。入場は有料(300円?)らしい。
やっぱりこの寺はよく分からない。
このあたりは元吉原宿で、風波が強く津波などの被害にあい、北の中吉原宿、新吉原宿へと移転した。
海老坂 《地図》」
東海道から南に上る坂。坂下近くの右側に海老坂薬師がある。ここを上って海岸へと下って行くのだろう。
薬師なのにここにも鳥居。
ここは道を間違って東海道からはずれ依田橋北交差点を越えてしまったあたりから。
左富士神社 《地図》
この北側が依田橋の一里塚(34)あたりのようだが、石柱、説明板などは見当たらなかった。
電柱、建物が邪魔で往時の風景はない。街道を歩いているとあちこちから富士を望めるので、左富士といっても新たな感慨はない。『広重の左富士』・清酒「左富士」もあるらしい。
このあたりが中吉原宿で、さらに北の新吉原宿へと移っていく。
平家越の碑(平家越橋の袂) 《地図》
源平の富士川の合戦の時の逸話。富士川はここからは西に6km以上も離れているが、当時はいくつもに分流していて、このあたりにも流れていたらしい。今は和田川が流れている。
この先が(新)吉原宿(14)なのだが今は繁華な商店街で宿場風情を感じさせる家並みは残っていない。
唯称寺山門から富士 《地図》
河童がくれたという『かっぱの茶つぼ』(写真あり)が残っている。
磔(はりつけ)八幡宮(青嶋八幡宮) 【ルート地図】の73
江戸時代に農民のために立ち上がり、磔に処せられた義民、名主の川口市郎兵衛を祀る。
参道に漫画家の望月あきら(富士市出身)が寄進した漫画が立て掛けられている。
よく見かける道祖神と大きさ、像形も違い異質な感じがする。いつ頃に造られたものなのか?
左の方に「鶴芝の碑」、瘡守稲荷、右の方に一里塚本陣、本市場陣屋秋山などが見える。
ここからの富士の眺めのことだが、今は何と言うこともない風景になっている。
今も堂の前に「白石」が置かれている。1個供えて、2個返す、祈願する社寺、奉納物は様々だが、各地に残る風習の一つ。
札の辻跡 《地図》
富士本町通りとの交差点。ここを左に曲がり富士駅に向った。
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