東海道(見付宿→浜松宿)
2010年3月3日
磐田駅(東海道線)・・・浅間神社・・・大乗院坂・くろん坊様・・・宮之一色一里塚跡(63)・・・秋葉山常夜灯・・・国道1号・一言坂古戦場跡・・・若宮神社・・・新天竜川橋・・・中ノ町(六所神社・軽便鉄道軌道跡・松林寺・高札場跡・金原明善生家)・・・姫街道分岐・安間一里塚跡(64)・・・安間橋(安間川)・・・(国道1号)・・・六所神社・・・浜松アリーナ・・・子安神社・・・琵琶橋(芳川)・・・馬込(向宿)一里塚跡あたり(65)・浜松宿外木戸跡・・馬込橋(馬込川)・・夢告地蔵尊・・(遠州鉄道)・万年橋(新川)・徳川秀忠生誕の井戸跡・・・鎧掛松・浜松城址・・・連尺交差点・浜松宿佐藤本陣跡・高札場跡・杉浦本陣跡・川口本陣跡・梅屋本陣跡・伝馬町交差点・・・浜松駅(東海道線)
今回の終点は29番目の浜松宿。東海道五十三次も道中の半ばを過ぎてしまった。桜の咲く前あたりに続きを歩くとするか。
【ルート地図】
写真をクリックすると拡大します。
昔、坂の途中に山伏の寺の大乗院があったことによる坂名。
右に「くろん坊さま」の小祠がある。
物盗りに襲われ命を落としたインド人の旅僧を祀る「黒坊大権現」。咳、熱病にご利益あり。
宮之一色一里塚跡(63)(下万能バス停の所) 【ルート地図】の7
風除けに周りを板で囲み、上部の格子から光が漏れるようになっている。
木原畷→一言坂→二俣城→三方ケ原と続く合戦場の一つ。この先に徳川家康と武田信玄の「一言坂の戦跡」碑と説明板が立っていて、姫街道の旧道の一部が残り、「一言観音堂」があるようだ。家康は一言、「戦勝」と願ったという。姫街道を歩く時の楽しみとしよう。
若宮神社 《地図》
明治時代に29の村社を合祀した郷社。10月の例祭の奉納相撲の土俵がある。
平宗盛に見初められた熊野(ゆや)は京へ上るが、故郷に残した母親が病気になり、 「いかにせん 都の春も惜しけれど なれし東の花や散るらん」と詠んで故郷に戻ってきた。熊野は池田荘の荘司の娘とも、池田宿の遊女だったともいう。池田(天竜川)の渡し近くの行興寺は熊野御前の建立と伝え、境内の長藤は熊野の手植えという。
東海道五十三次(浮世絵)』の28「見附(天竜川)」
東海道の真ん中で「中ノ町」と名づけたという。『東海道中膝栗毛』にも、「江戸へも六十里、京へも六十里にて、ふりわけの所なれば中の町といへるよし」とある。袋井宿も「どまん中宿」が売り物だったが。
船橋之記碑・明治天皇玉座跡の碑 《地図》
後ろは六所神社。船橋は明治元年に明治天皇が天竜川を渡る時に、船を並べて橋の代わりとしたもの。1日で撤去された。
浜松から中野町までの浜松電気鉄道中ノ町線(全長7km)の終点地。昭和12年に廃線。
遠江四十九薬師第八番。寅年に開帳されるので「寅薬師」と呼ばれる。今年だ。
右は如意輪観音、左は馬頭観音
金原明善生家
私財を投じ天竜川の治水事業に取り組んだ明治時代の実業家。向い側に「明善記念館」がある。『金原明善物語』
右の金網の中に木柱が立つ。ここの少し手前で北に姫街道の市野宿へ通ずる道が分岐している。
自力と支えで頑張っている松。枝はちゃんと上方へ垂直に延びている。「人間も他力と自力で生きているのだ」なんてね。
六所神社 《地図》
神社前の「お宮の松」は、昭和54年の台風による被害で伐採された。
子安神社 《地図》
源範頼が娘の無事出産を祈願して建立したとも伝える。
家康が長年住みなれた浜松城を去り、馬込橋を渡り駿府城に向かう時、なごり惜しんで何度も浜松城を振り返ったという。ここにあった見返りの松は、大正10年(1921)に火事により焼失してしまったそうだ。
この手前(浜松東警察署前あたり)に馬込(向宿)一里塚跡の木柱があるはずだが見つからず。
【ル-ト地図】の10 夢告地蔵 《地図》
もとは安政5年(1858)に流行ったコレラ犠牲者を供養するための延命地蔵。明治になって廃仏毀釈により、土中に埋められたが町民の夢に現れて、「世上に出たい」と告げた。これが夢告地蔵として人気を呼び、ことに東西からの花柳界の女性の参拝が絶えなかったとか。
徳川秀忠誕生の井戸 《地図》
左奥に新しい井戸が造られている。むろん水は湧いていない。上は遠州鉄道で下を流れる新川(今は暗渠)には誕生橋が架っていた。
三方原の合戦から逃げ帰った家康がこの松に鎧を掛けて休んだという。初代の松は城内の堀のそばにあった。
家康は元亀元年(1570)から17年間在城した。後の歴代城主の中には幕府の要職についた者が多く、「出世城」と呼ばれるようになった。
連尺交差点から伝馬町交差点の「ザザシティ」の間に浜松宿の高札場(谷島屋書店前)と本陣が4軒あった。今はすべてビルになっていて昔の宿場を偲ばせるものは何も残らず。
佐藤本陣説明板 《地図》
梅屋本陣説明板(ザザシティ浜松西館の前)
「ザザシティ」は、浜松の地名の由来となった、室町幕府の六代将軍足利義教の歌、「浜松の音はざざんざ」から名づけたのだろうか。
【ル-ト地図】の11今回の東海道歩きはここまで。
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