« 東海道(掛川宿→袋井宿→見付宿) | トップページ | 東海道(浜松宿→舞坂宿→新居宿) »

2010年3月17日 (水)

東海道(見付宿→浜松宿)

2010年3月3日

磐田駅(東海道線)・・・浅間神社・・・大乗院坂・くろん坊様・・・宮之一色一里塚跡(63)・・・秋葉山常夜灯・・・国道1号・一言坂古戦場跡・・・若宮神社・・・新天竜川橋・・・中ノ町(六所神社・軽便鉄道軌道跡・松林寺・高札場跡・金原明善生家)・・・姫街道分岐・安間一里塚跡(64)・・・安間橋(安間川)・・・(国道1号)・・・六所神社・・・浜松アリーナ・・・子安神社・・・琵琶橋(芳川)・・・馬込(向宿)一里塚跡あたり(65)・浜松宿外木戸跡・・馬込橋(馬込川)・・夢告地蔵尊・・(遠州鉄道)・万年橋(新川)・徳川秀忠生誕の井戸跡・・・鎧掛松・浜松城址・・・連尺交差点・浜松宿佐藤本陣跡・高札場跡・杉浦本陣跡・川口本陣跡・梅屋本陣跡・伝馬町交差点・・・浜松駅(東海道線)

 今回の終点は29番目の浜松宿。東海道五十三次も道中の半ばを過ぎてしまった。桜の咲く前あたりに続きを歩くとするか。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_0283 昔ながらの子どものおもちゃ屋

Img_0284 大乗院坂(坂下方向) 【ルート地図】の①

昔、坂の途中に山伏の寺の大乗院があったことによる坂名。

Img_0289 坂上方向

右に「くろん坊さま」の小祠がある。

Img_0285 説明板

Img_0287 くろん坊さま(大乗院坂の坂下)

物盗りに襲われ命を落としたインド人の旅僧を祀る「黒坊大権現」。咳、熱病にご利益あり。

Img_0286 由来

Img_0292 宮之一色一里塚跡(63)(下万能バス停の所) 【ルート地図】の②

Img_0295 説明板

Img_0290 秋葉山常夜灯(一里塚の先の左側)

風除けに周りを板で囲み、上部の格子から光が漏れるようになっている。

Img_0291 説明板

Img_0298 一言坂古戦場跡あたり 《地図

木原畷→一言坂→二俣城→三方ケ原と続く合戦場の一つ。この先に徳川家康と武田信玄の「一言坂の戦跡」碑と説明板が立っていて、姫街道の旧道の一部が残り、「一言観音堂」があるようだ。家康は一言、「戦勝」と願ったという。姫街道を歩く時の楽しみとしよう。

Img_0301 若宮神社 《地図

明治時代に29の村社を合祀した郷社。10月の例祭の奉納相撲の土俵がある。

Img_0305_2 「藤と香りの道」案内碑(若宮八幡の参道右)

平宗盛に見初められた熊野(ゆや)は京へ上るが、故郷に残した母親が病気になり、 「いかにせん 都の春も惜しけれど なれし東の花や散るらん」と詠んで故郷に戻ってきた。熊野は池田荘の荘司の娘とも、池田宿の遊女だったともいう。池田(天竜川)の渡し近くの行興寺は熊野御前の建立と伝え、境内の長藤は熊野の手植えという。

中遠昔ばなし『熊野御前

Img_0308 新天竜川橋(912m・右)を渡る。天竜川橋には歩道がない。

Img_0309 こんなに広い歩道がついている。

広重 見附(天竜川図)

Img_0312 中野町案内板

東海道の真ん中で「中ノ町」と名づけたという。『東海道中膝栗毛』にも、「江戸へも六十里、京へも六十里にて、ふりわけの所なれば中の町といへるよし」とある。袋井宿も「どまん中宿」が売り物だったが。

Img_0314 中野町案内図①

Img_0315

Img_0324 船橋之記碑・明治天皇玉座跡の碑 《地図

後ろは六所神社。船橋は明治元年に明治天皇が天竜川を渡る時に、船を並べて橋の代わりとしたもの。1日で撤去された。

Img_0328 中ノ町の家並み

Img_0330 浜松から中野町までの浜松電気鉄道中ノ町線(全長7km)の終点地。昭和12年に廃線。

Img_0331 松林寺

遠江四十九薬師第八番。寅年に開帳されるので「寅薬師」と呼ばれる。今年だ。

Img_0333 子育・延命地蔵尊(松林寺境内・享保5年(1720)の建立)

右は如意輪観音、左は馬頭観音

Img_0336 金原明善生家

私財を投じ天竜川の治水事業に取り組んだ明治時代の実業家。向い側に「明善記念館」がある。『金原明善物語

Img_0342 藤井歯科医院

Img_0347 安間一里塚跡 【ルート地図】の③

右の金網の中に木柱が立つ。ここの少し手前で北に姫街道の市野宿へ通ずる道が分岐している。

Img_0350 片側だけの松並木

Img_0352 自力と支えで頑張っている松。枝はちゃんと上方へ垂直に延びている。「人間も他力と自力で生きているのだ」なんてね。

Img_0357 六所神社 《地図

神社前の「お宮の松」は、昭和54年の台風による被害で伐採された。

Img_0358 説明板

Img_0363 子安神社 《地図

源範頼が娘の無事出産を祈願して建立したとも伝える。

Img_0364 由緒

Img_0370 浜松宿外木戸跡(馬込橋の手前)

家康が長年住みなれた浜松城を去り、馬込橋を渡り駿府城に向かう時、なごり惜しんで何度も浜松城を振り返ったという。ここにあった見返りの松は、大正10年(1921)に火事により焼失してしまったそうだ。

この手前(浜松東警察署前あたり)に馬込(向宿)一里塚跡の木柱があるはずだが見つからず。

Img_0371 外木戸(東木戸)跡(馬込橋東)

Img_0380 夢告地蔵 《地図

もとは安政5年(1858)に流行ったコレラ犠牲者を供養するための延命地蔵。明治になって廃仏毀釈により、土中に埋められたが町民の夢に現れて、「世上に出たい」と告げた。これが夢告地蔵として人気を呼び、ことに東西からの花柳界の女性の参拝が絶えなかったとか。

Img_0377 由来

Img_0430 徳川秀忠誕生の井戸 《地図

左奥に新しい井戸が造られている。むろん水は湧いていない。上は遠州鉄道で下を流れる新川(今は暗渠)には誕生橋が架っていた。 

Img_0431 秀忠の生まれた下屋敷は、ここより西方50m先にあった。

Img_0432 由来碑

Img_0427 鎧掛松(三代目・浜松市役所前)

三方原の合戦から逃げ帰った家康がこの松に鎧を掛けて休んだという。初代の松は城内の堀のそばにあった。

Img_0426 由来

Img_0407 浜松城跡

家康は元亀元年(1570)から17年間在城した。後の歴代城主の中には幕府の要職についた者が多く、「出世城」と呼ばれるようになった。

Img_0408 説明板

Img_0397_2連尺交差点から伝馬町交差点の「ザザシティ」の間に浜松宿の高札場(谷島屋書店前)と本陣が4軒あった。今はすべてビルになっていて昔の宿場を偲ばせるものは何も残らず。

Img_0386 佐藤本陣説明板 《地図

Img_0390 梅屋本陣説明板(ザザシティ浜松西館の前)

「ザザシティ」は、浜松の地名の由来となった、室町幕府の六代将軍足利義教の歌、「浜松の音はざざんざ」から名づけたのだろうか。

Img_0392 川口本陣説明板(てんまビルの前)

Img_0395 杉浦本陣説明板(浜松信金の前)

今回の東海道歩きはここまで。

|

« 東海道(掛川宿→袋井宿→見付宿) | トップページ | 東海道(浜松宿→舞坂宿→新居宿) »

「旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/161343/47832572

この記事へのトラックバック一覧です: 東海道(見付宿→浜松宿):

« 東海道(掛川宿→袋井宿→見付宿) | トップページ | 東海道(浜松宿→舞坂宿→新居宿) »