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2010年3月11日 (木)

東海道(藤枝宿→島田宿→金谷宿→日坂宿→掛川宿)

2010年3月1日

Img_9732 藤枝駅(東海道線)・・・青木交差点・・・鏡池堂(六地蔵)・・・古東海道道跡・・・東海道追分・・・無縁寺跡(瀬戸地蔵堂・瀬戸古墳群供養塔)・・・千貫堤跡・瀬戸の染飯茶屋跡・・・育生舎跡・・・田中藩領傍示石跡・・・上青島の一里塚跡(51)・・・栃山橋(栃山川)・・・島田宿一里塚跡(52)・本陣跡・島田御陣屋跡・御陣屋稲荷・快林寺・大井神社・大善寺(時の鐘)・・・関川庵(吉三の墓・吉三地蔵)・・大井川川越遺跡・・朝顔の松・あさがほ堂・朝顔目明観音・川除地蔵・・・大井川橋・・・金谷宿渡し場跡・水神公園・八軒屋橋・・・宅円庵(日本左衛門首塚)・・・(大井川鉄道)・・・大代川・・・清水橋・・・金谷宿佐塚屋本陣跡・柏屋本陣跡・金谷一里塚跡(53)・長光寺・・不動橋・・・石畳茶屋・金谷坂・鶏頭塚・庚申堂・すべらず地蔵・・・諏訪原城址・・・菊川坂・・・間の宿菊川・藤原宗行詩碑・日野俊基歌碑・・・箭置坂(青木坂)・・・小夜の中山・久延寺(夜泣き石)・扇屋・西行歌碑・・・佐夜鹿一里塚跡(56)・・・鎧塚・白山神社・馬頭観音・妊婦の墓・涼み松・夜泣き石跡・沓掛稲荷神社・・・沓掛坂(二の曲がり)・・・日坂宿・秋葉山常夜灯・本陣扇屋跡・問屋場跡・旅籠川坂屋・光善寺観音堂・高札場跡・下木戸跡・古宮橋・・・若宮神社・・・事任八幡・・・(国道1号)・・(塩井神社)・・・伊達方一里塚跡(57)・・・諏訪神社・・・岩橋・・・本村橋・・・大頭龍大権現道標・・・馬喰橋(逆川)・・葛川一里塚跡(58)・・・七曲り・掛川宿東番所跡・本陣沢野家跡・・・掛川駅(東海道線)

 今日は今回の東海道歩きのハイライト。島田宿から「越すに越されぬ」大井川を渡り、小箱根の金谷坂、菊川坂から箭置坂を上り(上の写真は途中からの眺め)、歌枕の「小夜の中山」を越え、往時の宿場の面影の残る日坂宿を通り、山内一豊の掛川宿まで。かなりの距離だが足は大丈夫だろうが、頭の中がパンクしなければよいが。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_9477 鏡池(きょうち)堂 【ルート地図】の①

鏡ケ池に棲む神龍(悪龍)を鬼岩寺二世静照上人が退治したところ、池の中から六地蔵が出現した。智証大師の作の金色の木像という30cmの地蔵は33年に一度の開帳だそうだ。六体の像でなく、一面か六面に六体が彫られたものか。ここの西方の水神社の前が鏡ケ池(跡)。まあ池の中から引上げられたのだから金色に輝いていることはあるまい。

Img_9472 由来

渡辺崋山の名も出てくる。

Img_9479鏡池堂の先で右に瀬戸山(消滅)へ上るのが古東海道の道跡。

Img_9478 説明板

Img_9480 左(南東)に入るのが古東海道

Img_9481 東海道追分

Img_9482 松並木がまばらに残っている。

Img_9488無縁寺跡の瀬戸延命地蔵堂(右)と瀬戸古墳群供養塔(左)

無縁寺は寛永4年(1627)の大井川洪水の犠牲者の供養の寺だった。国道1号敷設、ゴルフ場建設などのために瀬戸山は古墳群とともに崩されて消滅してしまった。供養塔を建てたからといって被葬者は浮かばれないだろうよ。瀬戸地蔵堂ももとは瀬戸山にあった。

Img_9493 千貫堤跡

寛永12年(1635)に大井川の洪水から守るために築かれた堤防跡。

Img_9492 説明板

Img_9494染飯(そめいい)茶屋跡(千貫堤跡の向い側)

古東海道の時代から尾根の茶店で売られていた、旅人用のくちなしで染めた強飯弁当。染飯は今でも藤枝駅前の「喜久屋」で製造販売しているようだが、昨日の買うのを忘れた。

Img_9489 説明板

Img_9505上青島一里塚跡(51)

すぐ先に一里塚の石柱が立っている。

Img_9515 この先あまり見るべきものはないが、所々に古い建物が残っている。

Img_9519 栃山橋を渡って島田宿へと入る。《地図

Img_9520 説明板

Img_9525島田宿一里塚跡(52)

Img_9522 島田宿説明板

Img_9554 島田宿本陣跡 《地図

後方に陣屋(代官所)跡、御陣屋稲荷、快林寺と続く。

Img_9549 説明板

Img_9527島田御陣屋跡

Img_9532 説明板

Img_9537 御陣屋稲荷

風刺人形、川柳が作られるようになり、別名を「悪口稲荷

Img_9538 由緒

Img_9539 「悪口コンテスト」の入賞作品。

全国から投稿があるようだ。なかなか辛らつで手きびしい。「愛」はあるのだろうか?

Img_9546快林寺観音堂

左前に「島田宿中心地之碑」。梅花観音霊場第96番、秩父駿河観音霊場第9番。いろんな札所があるよ、まったく。

Img_9568 大井神社

三柱の祭神は女神で、安産、女性、子どもの守り神。さすがに女性の参詣者が目立った。左は島田の帯祭りの大奴像。

Img_9565 由緒

Img_9572 大善寺 《地図

時の鐘は戦時中に供出され2代目のもの。

Img_9569 説明板

Img_9577 吉三郎の墓(関川(かんせん)庵 【ルート地図】の②

八百屋お七の恋人、吉三郎はお七が処刑された後に僧となり諸国遍歴のすえ、島田宿で没しここに葬られたという。また後年、たまたまこの寺に立ち寄った吉三郎の子の修行中の僧が納めたという「吉三地蔵」が安置されているという。ちょっとでき過ぎた話だが。吉三地蔵は本堂にあるというが、後ろの地蔵ではないのか?

吉三郎は出家して西運と名乗り、諸国行脚の末に目黒の行人坂下の大円寺の隣りの明王院に身を寄せ、お七の菩提を弔ったというのが一般的か。「お七地蔵」・「ほうろく地蔵」・「お七の墓」・「お七観音」・「お七吉三比翼塚」などいろいろあるが、やっぱり主役はお七だ。女は得か?

Img_9580大井川川越遺跡 《地図

川越人足の番屋が軒を連ね、川越しの事務所の川会所、人足が川札を金に替えた札場などもある。案内人の方からいろいろと面白い話を聞いて、かなりの時間を費やした。まだ先が長く、ちょっと心配になってきたが。

Img_9579 絵図

Img_9581 番屋内

最近は雛人形を飾る家が少なくなっているそうで、近くの家々のものを飾っているそうだ。一年に一度、明るく華やかな雛壇に並べられ、人形も晴れがましそうに見える。ただ虫干し、風通しをされているとも知らずに。

Img_9587 島田大堤

島田宿、大井川下流の人々の生活を守ってきた堤が途切れ途切れに残っている。

Img_9586 説明板

Img_9589 八重枠稲荷

増水時の激流から堤防を守る、「八重枠」から由来する川除けと、川越しで亡くなった人々を供養する神社。

Img_9588 説明板

Img_9592 朝顔の松・あさがほ堂

「朝顔日記」の深雪の目が開いて、初めて見えたのがこの松の木(2代目)とか。初代の松は正面左の「あさがほ堂」に木碑となって奉納されている。正面奥の小堂は「朝顔目明観音」と「川除地蔵」。

江尻宿の法岸寺には『朝顔日記』のヒロインの深雪の墓があったっけ。

Img_9593 由来

Img_9601 大井川橋(1026m)を渡る。

歩道もしっかりついているが、すごく時間がかかる気がする。ただただ渡るだけだからか。 『広重の大井川

Img_9607 今日は風が強く流れは急だ。昔なら川止めになっていたか。

Img_9614 金谷の渡し場

番屋、川会所などが並んでいるが、島田側のようには残っていない。『広重の大井川(金谷)

Img_9629 日本左衛門首塚(宅円庵) 【ルート地図】の③

遠州鈴ケ森(見付宿)で晒し首になっていたのを愛人の女が運び去りここに葬ったという。由比正雪の首といい、いつも生首を平気で持ち歩くのは女性だ。「女は強し、そして恐い、そして・・・・」

首塚には岡本天古の「月の出るあたりは弥陀の浄土か な」の句が彫られているそうだ。

Img_9627 説明板

辞世の「押取の人の思い羽かさなりて 身に青網のかかる悲しさ」

「かかる悲しさ」なんてセンチなセリフは大泥棒の最後らしくない。石川五右衛門のように、「・・・・世に盗人の種は尽きまじ」ぐらい言わないとかっこ悪いと思うよ。

Img_9622 宅円庵

北向地蔵、六地蔵などがある。無住の寺のようだ。

Img_9630 由来

Img_9638 金谷宿佐塚屋本陣跡 《地図

Img_9639 柏屋本陣跡(金谷南交流センター前)

本陣はもう1軒、山田屋があった。

Img_9641金谷宿説明板

Img_9648 金谷一里塚跡(53) 《地図

左へ東海道線、大井川鉄道のガードをくぐる。

次ぎの(54)・(55)番目の一里塚は欠番。

Img_9649 説明板

Img_9652 長光寺

芭蕉の「道のべの 木槿(むくげ)は馬に 食われけり」の句碑がある。

Img_9653 不動橋

金谷宿の西の入口。

Img_9655 説明板

Img_9656 中山新道説明板

新道に入らず、直進して金谷坂を上るのが旧東海道。

Img_9675金谷坂の石畳 【ルート地図】の④

Img_9664 説明板

Img_9665 仁誉地蔵尊

由来不明

Img_9668 鶏頭塚

Img_9666 説明板

Img_9670 三猿だけの庚申塔も珍しいか。

Img_9672 庚申堂

昔はもっと大きな堂だったのだろう。日本左衛門がここで盗み用の着物にドレスアップして夜盗に向ったとか。

Img_9671 由来 

Img_9677 すべらず地蔵

六角堂の中に双体の木造地蔵が立つ。

もちろん金谷坂で「滑らない」ようにだが、今は受験で「すべらない」ようにと受験生が訪れるそうだ。「藁にもすがる」思いか。もっと勉強した方がましよ。

Img_9678 説明板

Img_9673 坂の途中から金谷宿方向

Img_9684 金谷坂を上ると茶畑が広がる小高い台地に出る。

Img_9689 諏訪原城跡の大手郭、武家屋敷あたり。

天正元年(1573)に武田勝頼が築いた山城。扇状の形をしているので扇城の別名がある。

Img_9687 説明板

Img_9697 菊川坂の石畳を下る。

平成13年に復元されたばかりで、石の表面が平らでなく歩きにくい。雨の日はきついだろう。

Img_9698左側に舗装道路がついているから大丈夫。

Img_9707菊川坂・間の宿菊川の説明板

Img_9696 「茶」の字が浮かぶ栗ケ岳

Img_9705 間の宿菊川へ下る。

Img_9709 間の宿菊川

Img_9710 遠江三十三観音第25番松島山岩松寺への道標

欠けた上部を補修している。岩松寺は「歩き観音」で有名だそうだ。

Img_9718 案内図

本陣・脇本陣・庄屋・問屋場などが見える。

Img_9722 菊石

菊川の名の由来となった菊花紋の石。白菊姫の伝説もあるそうだ。酒造会社のイメキャラのような名で、名前を聞くだけでその美しさに酔ってきそうだ。白菊姫伝説とはどんなものか? 調べても分からず。

Img_9721 説明板

Img_9724中納言藤原宗行卿詩碑(左)・日野俊基歌碑(右)

承久の乱と約100年後の正中の変で鎌倉幕府討幕に加担し、捕まった二人の漢詩と和歌。宗行は鎌倉へ護送中に処刑、俊基は赦免されるが、懲りずに元弘の変に加わり死罪となった。

Img_9720 説明板

Img_9728 箭置(やおき)坂(青木坂) 《地図

菊川宿の西にあり、西坂とも、小夜の中山まで上る長い坂なので、長坂とも呼ばれる。確かに長い。ひと汗かいた。

広重の小夜の中山

Img_9731 坂下(菊川)方向

Img_9737 鎌倉へ向う阿佛尼が「十六夜日記」で詠んだ歌碑

「雲かかる 小夜の中山越えぬとは 都に告げよ 有明の月」

この先、歌枕の「小夜の中山」の多くの歌碑が街道沿いに並んでいる。

小夜の中山」の地名由来は、蛇身怪鳥を退治した藤原良政と結ばれた月小夜姫が都から戻って、この地に移り住んだことからという。良政と月小夜姫の子が小石姫で、「夜泣き石」の話とつながって行く。

昔ばなし『蛇身鳥物語

Img_9736 説明板

Img_9743 久延寺 《地図》 

家康手植えの五葉松の向うに「夜泣き石」

Img_9741 説明板

Img_9745 夜泣き石

身重で殺されたお石の霊が乗り移って泣いたという石にしては大きく無骨な感じがする。もとの「夜泣き石」は別の場所にあるがそれも大きい。(峠下の茶店の小泉屋《地図》→後述)

Img_9744 「夜泣き石」伝説

音八と母の仇の轟業右衛門は和解して、お石の菩提を弔ったという筋書きもあるようだ。

Img_9750 扇屋(久延寺の隣り)

ここは「子育て飴」伝説で、「小石姫は男児を出産後自害した。遺児の月輪童子は実父から伝えられた製法の飴で育てられた」、「夜泣き石伝説」のお石から生まれた音八もこの飴で育てられたというからややこしい。お石・小石姫・月輪童子・音八・月小夜姫・藤原良政など登場人物も多く、筋書きもあちこち適当にくっつけたりして絡み合い、結末もいくつかに分かれている。

店は閉まっていて飴は買えなかった。各地に残る「幽霊飴」・「子育て飴」伝説の一つだろう。

Img_9751 西行歌碑 「年たけて また越ゆべしと おもひきや いのちなりけり さよの中山」

晩年の69歳で、奥州藤原氏を訪ねる旅で、2回目の小夜の中山越えをしているのだから、やっぱり昔の人にはかなわない。平安時代末期の東海道もまだ整備されていなかった時のことで尚更だ。そしてこの歌が「小夜の中山」の名を一段と高めたのだからただただ平伏あるのみ。
西行は俊乗坊重源の依頼により、東大寺再建の砂金勧進のため藤原秀衡を訪ねるべく伊勢の二見ケ浦から伊良湖岬に渡り奥州へと旅立った。伊良湖岬にも歌碑が立っている。『田原街道④・伊勢街道(表浜街道)①』に記載

Img_9752 説明板

Img_9753 案内図

右端の「月小夜姫」は小石姫の母親。墓は気づかなかった。

Img_9762佐夜鹿一里塚跡(56)

Img_9761 説明板

Img_9768 鎧(よろい)塚

Img_9769 説明板

「中先代の乱」の北条時行には、三島宿と沼津宿の間の智方神社でも出会った。

Img_9784 馬頭観音

「小夜の中山伝説」で、蛇身怪鳥を退治した藤原良政が乗っていた馬を祀るという。良政と月小夜姫の間に生まれたのが小石姫。

Img_9783 説明板

Img_9786 妊婦(小石姫)の墓

Img_9787 説明板

小石姫は身重のまま自害したとしている。

Img_9788 涼み松

芭蕉がこの松の下で、「命なりわずかの笠の下涼み」と詠んだそうだ。

Img_9790 説明板

Img_9794 夜泣き石跡

もとの「夜泣き石」はここにあった。後に久延寺に移され東京の博覧会に出品されたが不評で、久延寺は持ち帰る途中で放棄した。その後、峠下へ移転していた茶店小泉屋が出資して自店の敷地内に移したという顛末。したがって現在、久延寺にある「夜泣き石」は偽物と言ったら怒られるか。

Img_9796 説明板

「現在の位置に移る」として、今どこにあるかを書いていない。久延寺に気を使った文面だろうがいただけない。

Img_9801 沓掛稲荷神社の先で急な沓掛坂となり下る。

Img_9803「二の曲がり」を下って日坂宿へ。

Img_9806 説明板

Img_9814 日坂宿の家並み

700mほどの小さな宿だが、古い建物も残っていて宿場風情を感じさせる。

Img_9817 説明板

Img_9815 常夜灯の隣りが片岡本陣扇屋跡

Img_9816 説明板

Img_9818 地図

Img_9820 片岡本陣扇屋跡

今は日坂幼稚園で平屋のレトロな建物がいい感じだ。

Img_9821 説明板

Img_9828 問屋場跡あたり

Img_9829 説明板

Img_9831

池田屋

「日坂宿 旅人御宿」の暖簾が掛っている。今は割烹旅館「末広亭」として営業。

Img_9833旧伊藤家

「藤文」と「かえでや」

Img_9834 説明板

Img_9841萬屋

食事を出さない木賃宿だった。

Img_9842 説明板

Img_9844 旅籠屋「川坂屋」

日坂宿の西端の旅籠。敷地は国道、バイパス建設で分断されている。

Img_9846説明板

Img_9849秋葉山常夜灯

後ろは遠江三十三観音霊場の第21番の光善寺観音堂。

Img_9856 高札場跡

その先の古宮橋手前が下木戸跡

Img_9857 説明板

Img_9860 説明板

Img_9864 成瀬大域出生の地(三河屋)

明治天皇から楠正成愛用と伝わる硯をもらい、「賜硯堂」と号した書家。

Img_9871 事任(ことのまま)八幡宮 【ルート地図】の⑤

「枕草子」、「十六夜日記」にも出てくるそうだ。何でも願い事が叶うとは文字通り有難い神社だ。

姫石権現、その姫宮、(事任)八幡宮、囲碁、竜神、雄鯨、雌鯨、潮垢離、潮井河原(塩井神社)の登場する面白い『雄鯨山雌鯨山』の伝説がある。

Img_9874 由緒

Img_9882 塩井神社 《地図

『雄鯨山雌鯨山』伝説の潮井河原の地。逆川を渡る参道の橋は崩れてそのまま放置されているかと思いきや、祭礼の時だけ仮橋が架けられるそうだ。境内への道は他にあるのだろうか? 

Img_9889 嵐牛美術館

伊藤嵐牛は寛政から明治にかけての国学者、俳人か。

Img_9890 案内板

TVの「お宝探偵団」のような書画、骨董はないとさ。

Img_9891 伊達方一里塚跡(57)

右に説明板と石柱

Img_9893 説明板

Img_9913「大頭龍大権現・福天大権現」道標

菊川市加茂の大頭龍神社と、菊川市西方の福天大権現(洞谷山龍雲寺)への道標

Img_9911 説明板

Img_9916 馬喰橋手前 《地図

そろそろ腹が減ってきたが、我慢我慢もう少し。

Img_9918 葛川一里塚跡(58)

馬喰橋を渡ったすぐ先

Img_9925東伝寺の手前で左に曲がり、「七曲り」を通って掛川宿の中心部へ入っていく。《地図

Img_9928 東番所跡

Img_9930 説明板

Img_9932 掛川宿の通りの菓子屋「桂花園」 

「丁葛」15本入り1500円也

Img_9935呉服「桝忠」

寛政2年(1790)創業

Img_9936 掛川座

昭和の初期に建てられた映画館、演劇場らしい。今は総合福祉施設として開館している。

Img_9941 この掛川市役所出張所の向い側が本陣沢野家跡

Img_9942 本陣沢野家跡 《地図

今は駐車場。この先の中町に浅羽本陣跡、問屋場跡があったのだが説明板などは見つからなかった。もう5時近い。掛川城へは明日登城しよう。

Img_9944 掛川駅(北口)

いいねえ、この駅舎は。新幹線停車駅で唯一の木造駅舎だそうだ。ただし北口だけ。

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