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2010年3月28日 (日)

東海道(浜松宿→舞坂宿→新居宿)

2010年3月18日

浜松駅・・・伝馬町交差点・・・若宮小路・若宮八幡宮・・・松尾神社・・・成子坂・浜松宿西番所跡・・・(東海道線)・(東海道新幹線)・・・八丁畷・・・鎧橋・・・若林の一里塚跡(66)・・・二つ御堂・高札場跡・馬頭観音堂・・八幡神社・・・可美小学校跡・・・熊野神社・高札場跡・・・みたらし池跡・諏訪神社・・・熊野神社・高札場跡・・・浜松藩領界石・堀江領界石跡・・・地蔵院・・・麦飯長者跡・・・神明宮・・・篠原の一里塚跡(67)・・・高札場跡・・・長里橋・・・愛宕神社・・・稲荷神社・・・東光寺・・・引佐山大悲院観音堂跡・・・東本徳寺・・・西本徳寺・・・春日神社・・・舞坂松並木・舞坂橋跡・・・浪小僧・・(国道1号)・・稲荷山神社・・・舞坂宿見付跡・舞坂の一里塚跡(68)・新町常夜灯・仲町常夜灯・宝珠院・岐佐神社・本陣跡・脇本陣茗荷屋跡・西町常夜灯・本雁木跡・北雁木跡・那須田又七顕彰碑・・・弁天橋(浜名湖)・弁天海浜公園・弁天神社・・・中浜名橋・西浜名橋(浜名湖)・・・東門橋・・・ホルト通り・大元屋敷跡・・・中屋敷跡・・・関門橋・・・新居町駅(東海道線)

 名古屋では桜が開花したそうだが、すっきりしない天気が続き気温も低めだ。今回は浜松宿から桑名宿までの行程。宮宿から桑名宿へ渡る東”海道”の「七里の渡し」は今はなく、北回りの脇往還の佐屋街道を行き、「三里の渡し」跡、「ふたつやの渡し」跡から現東海道の尾張大橋、伊勢大橋と渡り、桑名宿まで歩きを続かせよう。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_0439 松尾神社 《地図

和銅年間の創建で、もとは浜松神社といい、浜松城主の祈願所だった。天満宮と伏見稲荷社が境内にある。

Img_0440 由緒

Img_0442 成子坂 成子交差点(西番所跡)から西方向へ緩やかに下る坂。【ルート地図】の①

坂名には「2つの由来話」がある。①坂上にあった地蔵堂に赤子が捨てられ泣いていた。「啼子坂」→「鳴子坂」→「成子坂」になった。 ②舞坂の漁師が天秤棒の片方に地蔵を乗せて家に帰ったところ、夜になって地蔵が「元の所の帰してくれ」と泣いたので、「泣き子地蔵」と呼び、成子地蔵になった。

Img_0446 坂下の子育地蔵堂

この中に「泣き子(成子)地蔵」はあるのだろうか? 中央がここの本尊の「首なし地蔵」らしい。首はあるように見えるが、後でつけ足したものなのか。地蔵のほかに巡礼供養塔もある。

説明板には、「長年子供に恵まれなかった町民が、願をかけたところ子供が授かったといわれる地蔵尊です。戦前は、今はない地蔵堂に集まり7月24日に地蔵盆を盛大に催していました。」と書かれているそうだが文字が薄くなって読めず。

Img_0454 鎧橋 《地図

戦死者を葬ったという千塚(血塚)は東海道線の南側に「血塚の森」として残る。

Img_0453 由来

Img_0457 若林の一里塚跡(66)

「イゲタヤ酒店」の向かい側。

Img_0458 説明板

Img_0473 二つ御堂(北側)【ルート地図】の②

藤原秀衡の愛妾が秀衡が死んだと聞いて建てた阿弥陀堂。愛妾は失意のあまりに没したという。秀衡が死んだというのは誤報だった。

このあたりに高札場があり、左奥は八幡神社。

Img_0468 阿弥陀如来像

Img_0467 説明板

Img_0470 二つ御堂(南側)

藤原秀衡が愛妾の菩提を弔うために建てた薬師堂

Img_0475 薬師瑠璃光如来像

Img_0480 諏訪神社

手前に「みたらしの池」の木柱が立っている。「御手洗の池」だろうか、由来は分からず。

Img_0490 浜松藩領界石(左下)

「従是東濱松領」で、浜松藩と旗本大沢家の堀江領との境界石柱。

Img_0489 説明板

Img_0491 堀江領境界石跡

旗本大沢家は明治維新後、堀江藩になり、堀江県となったが、「万石事件」で浜松県に合併された。

Img_0492 地蔵院(本堂は改築で解体中) 《地図

織田信長の命で殺された徳川家康の夫人の築山御前の守り本尊の腹篭(はらごもり)地蔵尊を安置。

「麦飯長者」の4人の孝行娘をもとにして著した、白隠禅師の『八重葎』(やえむぐら)ゆかりの寺。

Img_0493 説明板

Img_0495 麦飯長者跡

旅人に麦飯を喜捨した、小野田五郎兵衛家跡。五郎兵衛の息子夫婦は早逝する。悲しむ4人の孫娘に五郎兵衛は法華経の写経を教える。この幼い娘たちの平仮名の写経を見たのが名僧白隠で、これに感動し「八重葎」(やえむぐら)を著したという。

Img_0503 篠原一里塚跡(67)

右側の民家の植込みに説明板。

Img_0504 説明板

Img_0514 頑張って松

どっかで見たような??

Img_0352

浜松宿へ入る手前にも、左に倒れかけて支えられている松があった。(2010年3月3日撮影)

Img_0523 東光寺 《図》

曽我十郎の末裔が「冨士見庵」を建立し、薬師瑠璃光如来を安置したのが起こりという。

東海四十九薬師霊場第41番札所。

Img_0526 引佐山(いなさやま)大悲院観音堂跡 【ルート地図】の③

定朝法橋上人の作という観音像は、近くの如意寺に安置されている。

Img_0527 説明板

ここにも「小夜の中山の化鳥退治」の話が出ている。

Img_0530 旧家

Img_0536 西本徳寺 《地図

「海中出現 釈迦牟尼佛」は、日本左衛門が盗み出し浜松方面に逃げたが、気づくと相変わらず寺の門前だったという話がある。孫悟空が飛んだのは釈迦の手の平の上だけだったという話からのパクリか。

Img_0539 春日神社

狛犬でなく、眷属の雌雄の鹿がいいね。

Img_0538 由緒

Img_0541 舞坂の松並木 【ルート地図】の④

700mほどの間に300本くらいで見事だが、昔は1km近くに1400本もあったというからもっと壮観だったろう。途中に舞坂橋跡がある。

Img_0546 説明板

Img_0550 浪小僧(松並木の終点の小公園)

Img_0551 由来話

Img_0561 舞坂宿見附跡 《地図

石垣が残る舞坂宿の入口。

Img_0562 説明板

Img_0564 舞坂一里塚跡(68)・新町常夜灯

向い側は一里塚跡のポケットパークになっている。

Img_0566 説明板

Img_0565 説明板

Img_0574 舞坂宿の家並み

海苔、しらすの店も多い。海苔の養殖は文政2年(1819)頃、森田屋彦之丞と江戸大森の海苔職人の大森三次郎が舞坂宿に泊まった折に、偶然海苔の付着した石を見つけたことに始まるという。その後、養殖事業は幕府の認可を受け、天保期には評判になっていたそうだ。

Img_0576 宝珠院

海苔の養殖業を興した森田屋彦之丞と大森三次郎の墓がある。清水次郎長一家の「舞坂の冨五郎」の墓もあるそうだ。浜名湖岸八十八カ所霊場第61番。

Img_0575 説明板

Img_0582岐佐神社 《地図

Img_0581 由緒

Img_0584 赤石

恋に破れた兄たちが大国主命を殺そうとして落とした真っ赤に焼いた大石。

蚶貝比売命(きさがいひめ)と蛤貝比売命(うむがいひめ)の作った薬で大国主命は蘇生する。『古事記』に載る神話の一つ。

Img_0586 由来話

Img_0591 脇本陣茗荷屋堀江家

東海道で唯一残る脇本陣の建物。

向い側に宮崎伝左衛門本陣と源馬徳右衛門本陣があったが今は民家になっていて遺構は残らず。

Img_0590 説明板

Img_0600 奥が上段の間

間口は狭いが奥行きは深く2階もある。明治時代には一時、町役場として使用されていた。

Img_0602 西町常夜灯・本雁木(がんげ)跡

「今切の渡し」の船着場跡。「がんぎ」でなく、「がんげ」と発音する。

Img_0601 説明板

Img_0603 説明板

Img_0613 北雁木跡 《地図

古東海道は浜名川を浜名橋で渡って新居宿へ入って行った。明応7年(1498)の大地震で陸が切れて「今切」、浜名湖が海とつながり、東海道は渡し船(今切の渡し)で新居宿へ渡るようになった。

Img_0607 説明板

Img_0615 那須田又七顕彰碑

海苔養殖の基盤を作り、飢饉の時には被災民の救済に尽くした人物。

Img_0614 説明板

Img_0616 弁天橋、中浜名橋、西浜名橋で浜名湖を渡る。正面が「今切」の所で、遠州灘とつながっている。上を国道1号バイパスの浜名大橋が「今切」を越して行く。

Img_0620 弁天島公園

弁天神社の赤い鳥居が場違い感じで立っている。

Img_0623 弁天神社 《地図

明応の大地震で島となり、宝永6年(1709)に航路の安全を祈願して勧請され、弁天島と呼ばれるようになった。

この地に舞い降りた天女は冷たく、つれなく駿河の三保の松原へ去ってしまったという、悲しく情けない伝説が残る。

Img_0622 説明板

Img_0632 大元屋敷跡 【ルート地図】の⑤

江戸の初期には、渡船場と新居関所は現在地の南東の遠州灘近くのこのあたりで、東海道もここから西へ延びていた。元禄12年(1699)の大風雨で、新居高校付近に移転した。そこを中屋敷と呼ぶ。そこも宝永4年(1707)の大地震で被災し、関所と宿場はさらに北西の現在地へと移転した。

Img_0636 中屋敷跡

北側の新居高校に渡し船の航路標識にもなったという「堂頭の松」の2代目があるようだが探しても見当たらず。

Img_0638 関門橋を渡って新居町駅へ

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