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2010年3月14日 (日)

東海道(掛川宿→袋井宿→見付宿)

2010年3月2日

掛川駅(東海道線)・・・掛川城址・・・円満寺・・・十九首塚・・・逆川橋・・・大池橋(倉真川)・秋葉道分岐・・・(天竜浜名湖鉄道)・・・白山神社・・・宗心寺・・・大池一里塚跡(59)・蓮祐寺・・・高松神社・(国道1号)・・(東名高速)・・・善光寺橋(垂木川)・・仲道寺・善光寺・・・間の宿原川・金西寺(原川薬師)・・・北野天満宮・・・同心橋(原野谷川)・・・花茣蓙公園(名栗の立場跡・可睡斎三尺坊道標)・・・松並木・冨士浅間宮赤鳥居・・・妙日寺(日蓮両親の供養塔)・久津部一里塚跡(60)・用行義塾跡・・・七つ森神社・・・新屋の秋葉山常夜灯・・・袋井宿・東海道どまん中茶屋・東本陣跡・宿場公園・問屋場跡・高札場跡・御幸橋・円通寺(川井代官所門)・十二社神社・・・旧沢野医院・・・木原一里塚跡(61)・許禰神社(家康の腰掛石)・木原畷古戦場跡・長命寺(笹田源吾供養塔)・・・西木橋・・・須賀神社(大クス)・・・全海寺・・・三ケ野橋(太田川)・・・三ケ野坂(明治の道)・道標・車井戸跡碑・・・(ヤマハスタジアム・・・善導寺)・・・遠州鈴ケ森刑場跡・・・三本松御旅所・・・秋葉灯篭・・・東坂・元門跡・愛宕神社・阿多古山一里塚跡(62)・見付宿東木戸跡・あと押し坂・見付天神社・鳥人浮田幸吉住居跡・御証文屋敷跡・御朱印屋敷跡・中川橋・西坂・旧見付学校・淡海国玉神社・脇本陣門・玄妙寺・慈恩寺・・姫街道分岐・西光寺・加茂川橋・西木戸跡・・・遠江国分寺跡・・・府八幡宮・・・磐田駅(東海道線)

 午前中は天気が悪そうで出発時間を遅らせたら、何度も道を間違えたり、目標物がなかなか見つからなかったりで苦労した。磐田駅に着く頃には薄暗くなり、気分的にもかなり疲れた。やっぱり早めに行動開始しないとだめだ。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_9954 掛川城

Img_9955 二の丸御殿

江戸時代後期の建物で、現存する城郭御殿としては、京都二条城など全国でも数ヵ所しかない貴重な建築物。

Img_9951 説明板

Img_9968 清水銀行掛川支店 《地図

山内一豊の妻の内助の功の逸話のレリーフ。

Img_9966 説明板

Img_9969 円満寺

掛川城の内堀(蓮池)にあった蕗の門を移築。

Img_9970 説明板

Img_9975十九首塚 【ルート地図】の①

朝廷の使者から打ち捨てるように命じられた平将門らの首を藤原秀郷が葬った首塚。このあたりは「十九所」という地名だったが、いつの頃からか「十九首(じゅうくしゅ)」と呼ばれるようになったそうだ。すぐそばに「十九首公民館」がある。

Img_9972 由来

かすんで見えないだろうな。

Img_9980 大池橋(倉真川) 《地図

秋葉道との分岐。東海道は左に曲がり、天竜浜名湖鉄道をくぐる。

Img_9981 説明板

鳥居は見あたらなかったが。

Img_9987 大池一里塚跡(59)

蓮祐寺の門前

Img_9992 柴田酒店

銘酒「曽我鶴」とある。今も営業しているのだろうか?

Img_0002 善光寺橋へ

Img_0008 仲道寺(右)・善光寺(左) 【ルート地図】の②

東海道の真ん中で「仲道寺」、善光寺の阿弥陀如来像は坂上田村麻呂の守り本尊とか。

Img_0006 説明板

Img_0013 原川の松並木

Img_0019 金西寺(原川薬師)

もとは土中に埋もれ、笠を被せられていて「笠薬師」と呼ばれていた瑠璃光薬師如来を安置。

Img_0020 間の宿原川

Img_0029 津波も恐いが、火事もだよ。

写真を撮っていたら、近所のおじさんから保険会社の調査員か何かに間違われた。

Img_0036 名栗の立場跡(花茣蓙(ござ)公園・同心橋を渡った所)

可睡斎三尺坊」道標が立っている。可睡斎とは幼い家康を助けた仙麟等膳(せんりんとうぜん)和尚のことで、後年、家康が感謝のために招いた席で居眠りをしたことからこう呼ばれるようになったという。

中遠昔ばなし『可睡和尚

Img_0039 説明板

広重 袋井(出茶屋ノ図)

Img_0042 案内図①

ここから袋井宿の中心まではかなりの4kmもある。

Img_0043

Img_0046 名栗の花茣蓙を売る店が並んでいたそうだ。

Img_0053 松並木

Img_0057 冨士浅間宮大鳥居

ここから北方向に1kmもないだろうが、遥拝のみ。

Img_0055 説明板

Img_0059 妙日寺の広い参道

Img_0060 由緒

Img_0063妙日寺の日蓮の両親供養塔。

柳生但馬守宗矩が寄進したんだと。

Img_0062 説明板

Img_0065 久津部一里塚跡(60) 《地図

東小学校の校庭。

Img_0064 説明板

Img_0069 「どまん中」東小学校

どうせなら東でなく中にしたらどうか。

Img_0075 用行義塾跡

Img_0074 説明板

Img_0085 七つ森神社

ここにも「小夜の中山の怪鳥退治」に向った7人の武士の伝説がある。7人もいてあえなく返り討ちにあったという。(鳥が人に返り討ちとはおかしな話だが) その後に、藤原良政が一人で退治したということか。

Img_0082 由緒

Img_0087 久野城跡がきれいに見えるというが、バイパスの高架が邪魔だ。向こう側の2つの山のどちらかなのか。

Img_0102 東海道どまん中茶屋 【ルート地図】の③

Img_0121 周辺案内図

Img_0106 東本陣田代家跡

中本陣・西本陣の3軒あった。

Img_0107 説明板

Img_0126 円通寺

山門は南側にあった川井代官所の門

Img_0127 説明板

Img_0128 十二社神社

Img_0129 説明板

Img_0132 旧澤野医院

享保以前からの医院。この建物は昭和9年の建築。今は記念館として開館している。

Img_0133 説明板

Img_0140 木原一里塚跡(61) 《地図

約60m東にあったものを復元。

Img_0142 説明板

Img_0149木原畷古戦場碑と家康の腰掛石(許禰(こね)神社境内)

家康が腰掛たのは「関が原の戦」の戦勝祈願でこの社を訪れた時という。

Img_0150説明板

Img_0146 許禰神社由緒

Img_0151 周辺案内図

Img_0154 笹田源吾供養塔(長命寺境内)

偵察に来て村人に殺された武田勝頼の家来。木原大念仏は源吾を供養するために始まったという。

Img_0153 説明板

Img_0157 六地蔵(長命寺境内)

享保17年(1732)の造立。遠州一姫・二十九福地蔵の第2番。姫地蔵は1ヵ所で、福地蔵が29ヵ所なのか?

Img_0162 須賀神社の樹齢500年の大楠

Img_0167 全海寺

遠州一姫・二十九福地蔵の第3番札所。

Img_0170 三ケ野橋を渡って、この先は「三ケ野坂の七つの道」に分かれる。鎌倉古道・江戸・明治・大正・昭和・平成①・平成②(質屋通いの隠れ道)の7つということらしい。

Img_0172 三ケ野坂(明治の道) 《地図

この先か手前で、左へ江戸の古道へ入るのが正解のようだ。そうすれば「本多平八郎物見の松跡」がある大日堂にも寄れたのだが。

Img_0173 坂上の「車井戸跡碑」・「明治の道碑」

三ケ野坂上の集落は、雨水を溜めたり、谷に水汲みに行ったりしていたが、弘化4年(1847)に医王寺によって参道の入口のこの場所に、滑車で汲み上げる井戸が掘られ、昭和35年まで使われていたそうだ。

Img_0174 「従是鎌田山薬師道」道標(弘化4年(1847)の建立) 《地図

南方1.5kmほどの新幹線の南側の鎌田山医王寺への道標。

この先で大きく道を間違える。どこを歩いているか分からなくなり、台地上の新興住宅街、工場群の間をさ迷いながら、ヤマハスタジアムへ下り、善導寺からなんとか東海道へ戻った。右へ曲がるのを直進して、どんどんと南の方へ行ってしまったようだ。

Img_0179 遠州鈴ケ森 【ルート地図】の④

実際の刑場は西の三本松村にあった。江戸で処刑された日本左衛門の首がここで晒された。その首を愛人が持ち去り、金谷宿の宅円庵に首塚を築いた。

Img_0182 日本左衛門の供養塔ではないだろう。

Img_0188東坂を下る。《地図

けっこうな急坂だ。左前方が愛宕神社

Img_0197 元門跡碑(東坂の途中)

江戸時代の見付天神社の表参道。

Img_0196 説明板

Img_0190 見付宿東木戸跡(東坂の坂下)

見付の由来は、西からの旅人がここで始めて富士を「みつけ」たとか、「うみつけのち」が転訛したとか諸説ある。

Img_0195 木戸跡のモニュメント

国道1号の方に立っている。

Img_0192 周辺図①

Img_0193

西坂町の交差点で姫街道が分岐する。

Img_0200 愛宕神社

社殿の後ろの塚が阿多古山一里塚跡。探すのに東坂を行ったり来たり。反対側の民家の間にも石柱が立っているそうだが、気づかなかった。

Img_0203 阿多古山一里塚跡(62) 【ルート地図】の⑤

Img_0202 石柱

Img_0194 説明板(愛宕神社の下にある)

Img_0208 愛宕神社から見付宿

Img_0209 あと押し坂

見付天神社へ上る参道。

Img_0210ということ。

Img_0214 悉平太郎(しっぺいたろう)像(天神社参道右側)

人身御供の化け物退治をした、「霊犬悉平太郎伝説」 人身御供の慣わしがなくなったことを喜ぶ踊りが「裸祭り」のルーツと伝わっている。

犬の縁で、悉平太郎がいた光前寺がある駒ヶ根市と磐田市は昭和42年に姉妹都市になった。「縁はいなもの味なもの」、「犬も歩けば縁を結ぶ」か。駒ヶ根市から贈られた(本物の)犬を2代目悉平太郎とし、その子どもの3代目も境内で飼われているとか。(もう4代目も生まれているかも) 会って見たかったなあ。

Img_0213 伝説

Img_0216 見付天神社(矢奈比売神社)

裸祭り」は国の無形重要民俗文化財

奥に日本唯一の犬を祀る「霊犬神社」がある。

Img_0212 説明板

Img_0228 鳥人浮田幸吉住居跡

日本で初めて飛行?した鳥人だ。「浮田」とはよほど空に浮きたかったのだろう。「風船おじさん」よりはずっとましだ。

Img_0232御朱印屋敷「冷酒(上村)清兵衛邸

「冷酒」は家康がつけたあだ名。武田勢に追われる家康を助けて、朱印を貰ったのだろう。近くに清兵衛と一緒に家康を助けた、安間平治弥邸跡(御証文屋敷)もある。

中遠昔ばなし『冷酒清兵衛

Img_0234 旧見付小学校 《地図

明治時代で5階建ての小学校とはすごいね。

この手前の交差点あたりが、問屋場跡、北本陣跡、南本陣跡なのだが、説明板・標示板などは見つからず。

Img_0235 説明板

Img_0241 脇本陣大三河屋門

Img_0239 説明板

Img_0243 慈恩寺

結願寺ということだ。

Img_0254 西光寺山門

家康の別荘の中泉御殿の表門を移築。奥は鐘楼門。

遠江四十九薬師霊場の第48番、日限地蔵尊の寺。

Img_0253 説明板

Img_0258 西木戸跡

西光寺の前

Img_0267 遠江国分寺跡

Img_0265 説明板

Img_0269 礎石をくり抜いたという手水石。

Img_0274 府八幡宮楼門 《地図

Img_0271 説明板

Img_5881 善導寺の大クス(磐田駅前)

樹齢700年

(2010年5月5日撮影)

Img_5879 説明板

Img_0277 磐田駅

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