東海道(亀山宿→関宿)・伊賀上野散歩(寄り道)
2010年4月12日
亀山駅(関西本線)・・・飯沼慾斎生家跡・・・旧舘家住宅(枡屋)・・・亀山宿京口門跡・京口坂・京口橋(竜川)・・・梅厳寺・・・照光寺・・・光明寺・・・慈恩寺・・・野村の一里塚跡(105)・・・大庄屋内田権四郎宅跡・・・観音坂・・・布気神社・能古茶屋跡・昼寝観音・・・清福寺・・・(関西本線)・・・太岡寺畷・・・(東名阪自動車道)・・・(関西本線)・・・国道1号・・・旧道・・・関宿・小万もたれ松・東追分・関の一里塚跡(106)・御馳走場跡・関神社・弘善寺・延命寺・・・関駅
関駅(関西本線)→伊賀上野駅・・・伊賀上野橋(服部川)・・・平井神社・・・旧小田小学校・・・開化寺・・・小六坂・・・(伊賀鉄道)・・・鍵屋の辻・数馬茶屋・伊賀越資料館・河合又五郎首洗地蔵池・矢尼母神社・・・幸福寺駒止延命地蔵堂・安部神社・・・塔西坂・・・金伝寺・浄蓮寺・・・(伊賀鉄道)・・・朝日稲荷神社・・・崇廣堂・・・上野城跡・・・蛇谷堀・・・伊賀上野歴史民俗資料館・・・芭蕉生家・・・広小路駅(伊賀鉄道)
朝からどしゃぶりで大雨洪水警報が出ているが、とにかく出発する。太岡寺畷あたりでさらに激しい降りになり、関宿の真ん中あたりでその先をあきらめて関駅で考える。
随分濡れてしまって寒いが関西本線で伊賀上野まで行くことにする。駅前のうどん屋で焼酎のお湯割りをひっかけてから、雨の中を芭蕉の故郷、伊賀忍者の郷、決闘鍵屋の辻、上野城などをゆっくりと散策した。風邪を引かなければよいが。
【ルート地図A】(東海道)・【ルート地図B】(伊賀上野散歩)
写真をクリックすると拡大します。
幕末から大正時代にかけての呉服商。
門と番所があり、その壮麗な姿から、「亀山にすぎたるものの二つあり 伊勢屋蘇鉄に京口御門」と謡われた。
京口坂から京口門を見上げる情景。京口橋ができて、坂も緩やかになってしまった。
木造阿弥陀如来立像は国の重文
延喜式に載る古社
途中に昼寝をしていて三十三観音霊場に入れてもらえなかった昼寝観音(落針観音堂)がある。埼玉県の秩父の横瀬町には、同内容の如意輪観音の「寝入り観音」の昔話がある。
ものすごい雨になってきた。下半身ずぶ濡れで、靴の中は雨水で『靴が鳴る』の有様だ。
ここは3.5kmにも及ぶ東海道随一の長縄手で、江戸時代には2km近くの松並木だった。説明板には「松並木は枯れて明治に桜を植えたがそれも枯れた」とあるが、まだけっこうな桜並木が続いている。だが今はそれを楽しんでいる状況ではない。このあたりの町名にもなっている太岡寺はどこにあった寺なのか?
芭蕉は「から風の太岡寺縄手ふき通し」と詠んだ。今日は「大雨の太岡寺縄手ふきさらし」だ。
視界も悪く危ない、危ない。
亀山城下で父の仇討を果たした小万が身を隠し、もたれたという松がここにあった。説明板の後ろに小さな松が植えられている。
「関の小万の亀山通い 月に雪駄が二十五足」と鈴鹿馬子唄に謡われた。今日は一足でいいから長靴が欲しいよ。
東海道と『伊勢別街道』(左へ)の分岐点で、伊勢神宮遥拝の大鳥居が立つ。津で日永の追分から来る『伊勢街道』と合流し、伊勢神宮へ向かっている。
雨で暗いが電柱、電線のない空が広がっている。車がいなければもっといいものを。そう贅沢なことを言うなって。
鳥居の左側の小高い所が「関の一里塚跡」で、「一里塚址」の石柱が立つ。
激しい雨で大きな雨粒が写っている。
大名行列の一行を、宿役人が送迎した場所。関宿には4ヶ所あった。
後ろは代々「玄庵」を名乗った医者の大井家。
江戸時代には熊野三所大権現と称していた。
宿場の家並みに配慮した造りになっている。
北川本陣の門を移築。
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伊賀上野駅前のこの店で、熱いうどんと焼酎のお湯割りをひっかけ、身体の中から暖めて再出陣する。でも靴の中までは暖まらないが。
伊賀忍者の頭領の服部半蔵に由来する川の名なのか?
旧小田小学校 【ルート地図B】の①
明治14年建造の木造洋風二階建てで、三重県では最も古い小学校校舎。古い教科書、オルガンなど懐かしい物が展示されている。
東海道見付宿の旧見付小学校の五階建ての校舎を思い出した。
日本で最小の三重塔とか。小田原宿の手前の法船寺にはミニチュアの五重塔があった。
藤堂藩の鉄砲練習場上野城西之丸の高台から小田に下る小径。
「小六」とは人名と思うが、どんな人物か4ヶ所の施設(旧小田小学校・崇廣堂・歴史民俗資料館・芭蕉生家)の係員に聞いても知らない。この先の「塔西坂」の「塔」はどこの塔なのかも同様。情けないね。
この道は、芭蕉の幼名にちなんだ、「甚七郎の散歩道」の一部。
荒木又右衛門の36人斬りでおなじみの所。
伊勢街道と奈良街道の分岐で、「ひだりなら道 みぎいせみち」の道標も立っている。
日本三大仇討は、曽我兄弟、赤穂浪士と、この鍵屋の辻の仇討。
仇討を果たした渡辺数馬にちなむ名。
何かの神社かと思った。仇討だけで資料館にするとはすごいね。
池の向こうに地蔵さん。
開化寺の三重塔は北だし、どこの塔のことなのか?
金伝寺(左)と浄蓮寺の間に上って行く。
文政4年(1821)に津の藩校有造館の支校として建てられた。
黒澤明監督の映画「影武者」のロケにも使われたそうだ。
別名を白鳳城
芭蕉翁の旅姿をあらわす聖堂。上の丸い屋根は旅笠、下の八角形の廂(ひさし)は袈裟、それを支える柱は行脚する翁の杖だそうだ。ここからだと丸い屋根しか見えないが。全体の写真は『芭蕉翁記念館のHP』にある。
芭蕉生家 【ルート地図B】の⑤
生家内の草庵。ここで「貝おほひ」を執筆し、江戸に下った。
広小路駅近く
塀を乗り越えて駅構内に侵入しようとする黒づくめ怪しい人影・・・。ここは伊賀忍者の郷なのだ。
忍者屋敷(伊賀流忍者博物館)もあるよ。くの一の実演のあるようだ。見たかったねえ。
伊賀鉄道も忍者号だ。
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コメント
仕事とお宅が結びつくとはけっこうなことでしょうよ。鍵屋といえば、伊賀上野に縁のある東京鶯谷の居酒屋「鍵屋」。最後に飲みに行ったのはもうだいぶ前ですが。(坂道散歩)
投稿: | 2010年6月15日 (火) 15:58
こちら行きました。鍵屋辻の仇討読みました。鍵屋職人として・・ 鍵屋という所やお店はほとんど行っています。
ある種かなりマイナーなお宅です。
投稿: 鍵屋 | 2010年6月15日 (火) 13:19