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2010年4月30日 (金)

東海道(水口宿→石部宿)

2010年4月14日

水口石橋駅(近江鉄道)・・水口宿・水口城天王口御門跡・・・水口城跡・・・心光寺・・・水口石・・・百間長屋跡・・・武家屋敷長屋門(真徳寺)・・・五十鈴神社・水口林口の一里塚跡(113)・・・妙沾(みょうてん)寺・・・柏木神社・・・泉福寺・日吉神社・・・舞込橋(泉川)・・・日吉神社御旅所・・・泉の一里塚跡(114)・・・横田の渡し跡(野洲川)・・・泉川原橋・・・横田橋(野洲川)・・・(三雲駅)・・・三雲横田常夜灯・(JR草津線)・・・天保義民の丘・天保義民の碑・・・微妙大師墓所道標・明治天皇聖蹟碑・・・田川不動・妙感寺・立志神社道標・・・(JR草津線)・・・大沙川隧道・弘法杉・西住寺・・・「夏見の里」藤棚跡・・・盛福寺・・・夏見の一里塚跡あたり(115)・・・報恩寺・由良谷川隧道・・・北島酒造・・・家棟川橋・・・高木陣屋跡・・・愍念(みんねん)寺・・・光林寺・・・落合川橋・・・石部宿・東の見附跡・吉姫神社・西福寺・高札場跡・問屋場跡・三大寺本陣跡・いしべ宿駅・小島本陣跡・明清寺・真明寺・田楽茶屋・吉御子神社・石部の一里塚跡(116)・西の見附跡・・・石部駅(JR草津線)

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_3901 案内図(この先の一里塚跡に設置されているもの)

江戸初期までは東海道は直進していたが、水口城の武家屋敷が出来て、天王口御門を右折し北側を迂回するようになった。

Img_3885 中部コミュニティセンター

商家の蔵をイメージした建物。曳山も展示されている。

Img_3886 水口城天王口御門跡

ここを右折するのが東海道だが、水口城跡に寄る。

Img_3887 説明板

Img_3893 水口城跡  【ルート地図】の72

別名を「碧水城」、もとは家光上洛の際に建てられた「水口御茶屋」。

本丸跡は水口高校の野球グラウンドになっている。東側に櫓を模した「水口城資料館」がある。

Img_3894 説明板

Img_3889 天王口御門跡に戻り、街道を進む。

Img_3890 水口石

Img_3908 百間長屋跡

下級武士たちの棟割長屋で、水口城防御のため東海道に面した北側には出入り口はなかった。

Img_3906 説明板

Img_3904 武家屋敷門(真徳寺)

Img_3905 説明板

Img_3897 五十鈴神社・水口林口の一里塚跡(113) 《地図

Img_3900 説明板

ここを左に曲がり、すぐ先を右に曲がって、北脇縄手に入る。

Img_3916 北脇縄手

江戸時代には両側は土手で松並木だった。

Img_3913 説明板

Img_3917 石仏たち

松並木の代わりか。

Img_3923 泉の家並み

Img_3927 泉福寺 《地図

延命地蔵(国重文)を安置。

Img_3934 泉の一里塚跡(114)

舞込橋(泉川)を渡って右側

Img_3935 説明板

Img_3936 横田の渡し跡 【ルート地図】の73

常夜灯(文政5年(1822)建立)は東海道中で最大級。.正面が野洲川で、3月から9月は船で渡り、10月から2月は仮橋が架けられた。

Img_3937 説明板

Img_3939_2 説明板

Img_3941 明治時代の板橋の写真

Img_3940 説明板

Img_3947 今は大きく北西に迂回して横田橋(正面奥)を渡る。

Img_3958 三雲横田常夜灯(安永8年(1779)の建立) 《地図

かつて東海道は「横田の渡し」からここへ通じていた。

Img_3963 天保義民の丘公園へ

Img_3964 天保義民の碑 【ルート地図】の74

幕府の苛政に抗議し、立ち上って殺された農民たちの慰霊塔、顕彰碑か。

Img_3966 説明板①

Img_3967 説明板②

Img_3968 「微妙大師墓所」とある。三雲駅そばの民家の前のまさに微妙な所にある墓だと思ったら、墓所(妙感寺)への道標だった。

微妙大師は後醍醐天皇の側近で「元弘の乱」に加わった万里小路藤房のこと。「微妙大師」は昭和天皇による謚号。

Img_3969邪魔にならないの?

誇らしいのだろう。

Img_3988 大沙川隧道・弘法の杉 【ルート地図】の75

明治17年築造の滋賀県下最初の道路トンネル。上が天井川の大沙川。

Img_3992 今は水は流れていない。

Img_3985 昔話「弘法杉」

Img_3999 説明板

Img_4005 夏見の一里塚跡あたり(115) 《地図

「愛宕さん」と呼ばれている小祠らしい。

このあたりの街道名物は「さくら川名酒」と「ところてん」で、「ところてん」の茶屋が多かったそうだ。

Img_4008 「愛宕さん」の道路向かいのここに「一里塚」の石柱が立っていたとも。

Img_4012 由良谷川隧道

ここも天井川で水は流れていない。右に報恩寺がある。

Img_4023 北島酒造 《地図

地酒「御代栄」か、店に入ると買いたくなるので通過だ。

Img_4029 ここを左に曲がると国の天然記念物の「うつくし松」自生地

1kmくらいだろうが、パスした。

Img_4045 吉姫神社 《地図

石部宿の西の吉御子神社と対の女神社。5月1日の例祭にはそれぞれの神輿が宿内を巡行するそうだ。

Img_4048 石部宿の家並み

「京たち石部泊まり」というように、京都を出発した旅人が最初に泊まる宿場だった。京から40km近くあるのだからやっぱり昔の人は健脚だ。

Img_4052 高札場跡

ポケットパークになっている。

Img_4055 いしべ宿駅

小島本陣跡地に建てられた「街角サロン」

向い側が三大寺本陣跡

Img_4058 小島本陣跡 【ルート地図】の76

石部宿は浄瑠璃の舞台にもなっていて、『桂川連理柵』(かつらがわれんりのしがらみ)の「石部宿屋の段」はその一つ。「お半長右衛門」、「お半長」と呼ばれたこの話をパロディった、上方落語の『胴乱の幸助』もある。

Img_4064 真明寺

芭蕉の「つつじいけて その陰に 干鱈(ひだら)さく女」の句碑があるのだが、用のある者はチャイムを押すようにとある。芭蕉マニアでもないし引き返す。

Img_4066 田楽茶屋 《地図

広重の石部(目川ノ里)』をもとに再現された茶屋。

うどんでも食べようかと思ったが、ちょうど昼時でおばちゃんたちで一杯だったのでここも通過。

Img_4062 吉御子(よしみこ)神社

吉姫神社と対の男神社だが、安産の守護神でもあるそうだ。本殿は京都の上賀茂社の旧本殿を移築したもの。

Img_4069 石部の一里塚跡(116) 《地図

少し先の交差点の西の見附跡、松並木跡から右へ石部駅に向かう。

Img_4074_2石部駅

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