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2010年4月19日 (月)

東海道(四日市宿→石薬師宿→庄野宿→亀山宿)

2010年4月11日

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 杖衝坂を上り鈴鹿市に入り、小さな石薬師宿、庄野宿から亀山城下の亀山宿まで、見所も多く、まあ予定通りの満足の街道歩きだった。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_2854 観音寺 《地図

本尊は養蚕観音とも呼ばれる千手観音像。なぜ「養蚕」なのか?

Img_2865 杖衝坂(つえつきざか)の坂下

正面突き当りに金毘羅神社

Img_2867 坂上方向 【ルート地図】の①

日本武尊(ヤマトタケル)が東征の帰り、疲労のあまり杖をついて上ったという、『古事記』に載る坂。足が三重に折り曲がってしまったことから、「三重」という地名が起こったという伝承もある。

Img_2872 説明板

Img_2873 坂下方向

手前が「弘法の井戸」、奥が「大日の井戸」

Img_2870 芭蕉句碑

「徒歩(かち)ならば杖衝坂を落馬かな」

季語のない句で有名。落馬の痛さのあまり、季語を入れるのを忘れたか? 「猿も木から落ちる」ならぬ、「芭蕉も季語を忘れる」か。

Img_2871 説明板

Img_2876 血塚

日本武尊が足の血を石で拭って止め、その石を埋めたとか。

Img_2880 采女の一里塚跡(101) 《地図

Img_2882 左へ旧道に入ると鈴鹿市

Img_2889 この先の道筋

Img_2892 右に石薬師宿へ入ると、左に北町の地蔵堂。

Img_2901 北町の地蔵尊 《地図

Img_2893 石薬師宿の通りは「信綱かるた道」となっている。

Img_2896 案内図

Img_2904 信綱の代表作?

これしか知らないが、いい歌だ。

Img_2920 小沢本陣跡 【ルート地図】の②

Img_2923 説明板

Img_2924 天野記念館

タイムレコーダーのアマノ(株)の記念館

Img_2929 佐佐木信綱生家・記念館(右)

生家には「信綱産湯の井戸」まである。

Img_2932 説明板

Img_2943 石薬師寺

広重-石薬師(石薬師寺)』の背後の鷹飛山は、明治になって切り崩されて東海道を埋め立てたので、今は江戸時代の道よりはわずかに高くなっているそうだ。

Img_2947 説明板

Img_2946 本尊の薬師石仏

Img_2953 御曹司社 《地図

蒲(がま)冠者源範頼を祀る。鳥居の横は大木は椎の木(スダジイ?)

Img_2952説明板

Img_2954 蒲桜(御曹司社の南側)

これも源範頼ゆかりの桜で、別名を「逆桜」。

Img_2955 説明板

Img_2961 石薬師の一里塚跡(102) 《地図

Img_2962 説明板

Img_2964 関西本線をくぐって線路沿いを進む。

広重-庄野(白雨)

Img_2971 庄野宿入口

Img_2972 説明板

Img_2977 庄野宿の家並み

Img_2980 庄野宿資料館(旧小林家住宅) 【ルート地図】の③

油問屋だった家。高札の実物5枚が展示されていて、詳しい説明をしてもらう。

Img_2983 本陣沢田家跡

左側に高札場跡、その隣が脇本陣楠家跡で、北側には問屋場があった。

Img_2990 川俣神社① 《地図

スダジイの大木

Img_2991 この先の道筋

Img_2995 神戸(かんべ)領領界石・女人堤防碑

鈴鹿川の女人堤防』によれば、女人だけで堤防を築いたというのは作り話のようだが。
萩城下には女人台場と呼ばれた菊ヶ浜土塁がある。『萩往還①』に記載

Img_3003 中富田の一里塚跡(103)・亀山領領界石 《地図

ここは川俣神社②の境内

Img_2998 説明板

一里塚も領界石ももとは、川俣神社の東にあったようだ。

一里塚の先の左側に高札場、その向い側あたりに御馳走場が見える。

Img_3025 正面奥の右に地福寺 《地図

東海道は左に下り、関西本線を渡る。

Img_3028地福寺の毘沙門天像

Img_3027 説明板

Img_3047 谷口法悦供養塔

「川合のやけ地蔵」ともいう。このあたりは刑場跡。法悦さんは供養塔建立マニアだろう。

Img_3048 説明板

Img_3051 和田道標

斜め正面に向かう道が亀山領若松港に向かう道。

Img_3049 説明板

Img_3068 石上寺(せきじょうじ)(左)に沿う坂

Img_3061 石上寺境内 《地図

本尊は子安延命地蔵。伊勢七福神の布袋尊。今日はこの石段上の熊野権現社で何か行事があるようで参詣人が多かった。

Img_3069 和田の一里塚跡(104)

坂上の右側

Img_3070 説明板

Img_3076 能褒野神社二の鳥居 《地図

ここから西が亀山宿で、「これより西亀山宿」の立て札、屋号札の掲示を呼びかける立て札(下の写真)が立っている。この隣が天正11年(1583)にこの付近で行われた合戦の戦死者を弔う露心庵跡。

Img_3075説明板

Img_3089 左側の戸に「どうぐや跡」の屋号札が貼り付けてある。

Img_3082 巡見道説明板(本町広場の所)

鈴鹿山脈の東麓を縦貫して中山道へ抜ける道。

Img_3086 家並み

奥に見えるのは亀山城? いや「衣城 しもむら」という衣料品店だ。

Img_3092 左は屋号「なべや」と「おけや」、右は「やまがたや」

Img_3097 江戸口門跡 《地図

ここで右(正面方向)に曲がり、東町商店街へ入る。

Img_3096 説明板

Img_3100 旧佐川邸跡(車町ふれあい広場)

佐川家は江戸時代は、旅籠佐野屋を営んでいた。

Img_3104 福泉寺山門

隣の法因寺には竪筋が左巻きとなる、樹齢300年以上の「左巻きカヤの木」があるようだ。

Img_3103 説明板

Img_3110 脇本陣椿屋跡(左)

洋品店の「しぼりや」

Img_3113 樋口本陣跡(左)(東町1-2-23) 【ルート地図】の④

「SHARP Document Solution Spot」の所

この先の交番の十字路が大手門跡、高札場跡で広場があり、通過する諸大名の「御馳走場」だった。東海道は十字路を左に曲がる。

Img_3118 人形坂 大手門跡から緩やかに曲がりながら下る。《地図

坂名の由来は何か?

Img_3123 遍照寺

山門(鐘楼門)の下に亀山城二之丸御殿の大書院と式台部分を移築した本堂がある。

鐘楼門をくぐり、石段下に本堂があるため「頭で鐘撞く遍照寺」といわれた。

Img_3124 坂下方向

古い家並みが残る、いい雰囲気の通り。

Img_3128 「あらものや跡」の屋号札がついている。

Img_3130 池の側(外濠)、石坂(左の橋)、石井兄弟敵討跡碑(正面右)、亀山城多聞櫓(奥の右上)

Img_3134 東海道は直進するが今日はここまでとし、右に曲がり亀山城跡へ向かう。

Img_3135 加藤家長屋門 《地図

江戸後期の亀山城主石川家の家老職の屋敷跡。案内の女性の話では、門内の屋敷も復元する予定だそうだ。
南側に亀山城の搦手門の青木門があった。家康がこの門を通る時に、門一帯に茂るアオキを称賛したことからこう呼ばれるようになったという。

Img_3136 見張りの番猫が門の前をうろついている怪しげな男を大きく目を開けて警戒している。

Img_3137 説明板

Img_3145 石坂(坂上方向) 《地図

右は「池の側」(外濠)で、左に池の側の松並木(跡)、正面奥が亀山城の多門櫓

Img_3149 石井兄弟敵討跡碑

元禄版「曽我兄弟の仇討」か。それにしても28年とは長い。この翌年の赤穂浪士の討入りは、浅野長矩切腹からたったの一年後。

Img_3153 説明板

Img_3158 亀山城多聞櫓

かつては粉蝶(ふんちょう)城と称された華麗な城だったそうだ。

丹波亀山城の天守の破却を命じられた堀尾忠晴が間違えて、ここの天守を取り壊したという話も伝わるそうだが、真偽のほどは定かでないらしい。

「亀山城桜まつり」の日曜で花見客で賑わっていた。

Img_3159 説明板

Img_3167 亀山神社

文永2年(1265)の創建という。

Img_3166 大久保神官邸宅門(亀山神社境内)

Img_3177 市ケ坂 《地図

坂上には亀山市歴史博物館があるが、もう5時近くであきらめる。

Img_3174 黒門(市ケ坂門)跡 《地図

今は亀山中学校の敷地内で、東側の藩校の明倫舎も、その隣あたりの御城米坂の跡形もない。

Img_3189 でころぼ坂上

人形坂から南方向に下る坂) 【ルート地図】の⑤

「でころぼ」とはどんな意か? 下記のコメントを頂き、デッコロボー(ろくでなし)という土地の方言と分かりました。また、以前は「幽霊が出る坂」とも言われたそうです。

Img_3194 坂下方向

Img_3197 坂下方向

途中に遍照寺の墓地があり、昔はもっと暗く寂しい坂で、「幽霊の出る」坂だったのだろう。

Img_3200 坂上方向

Img_3407 能褒野神社一の鳥居(亀山駅前)

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コメント

 なるほど、「デッコロボー(ろくでなし)」ですか。
 坂の途中に遍照寺の墓地があり、昔はもっと暗く寂しい坂で「幽霊が出る」、というのも納得です。
 ありがとうございました。

投稿: でころぼ坂(坂道散歩) | 2012年9月21日 (金) 07:28

>「でころぼ」とはどんな意か?
土地の方言でデッコロボー(ろくでなし)という言葉があるのでそこから来ているのだと思いますが、どうしてそんな名前になったんでしょうね。子どもの頃、「でころぼ坂には幽霊が出る」と言われたものです。

投稿: | 2012年9月20日 (木) 21:23

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