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2010年4月23日 (金)

東海道(関宿→坂下宿→土山宿→水口宿)

2010年4月13日

関駅(関西本線)・・・関宿・問屋場跡・川北本陣跡・鶴屋脇本陣跡・伊藤本陣跡・高札場跡・福蔵寺・地蔵院・観音院・西の追分・・・国道1号・・・転び石・・・市瀬橋(鈴鹿川)・・・旧道・・・西願寺・・・国道1号・・・弁天橋・弁天(市瀬)の一里塚跡(107)・・・旧道・・・沓掛集落・・・鈴鹿馬子唄会館・・・河原谷橋・・・坂下宿・松屋本陣跡・大竹屋本陣跡・梅屋本陣跡・法安寺・小竹屋脇本陣跡・岩屋観音・荒井谷の一里塚跡あたり(108)・・・片山神社・・・灯篭坂・・・芭蕉句碑・・・馬の水飲み場跡・・・鈴鹿峠・田村神社跡・鏡岩・峠の茶屋跡・・・万人講常夜灯・・・国道1号・・・熊野神社・・・十楽寺・・・山中城址・・・(新名阪自動車道)・・・山中の一里塚跡(109)・・・金毘羅神社・・・旧道・・・蟹坂・・榎島神社・・蟹坂古戦場跡・・高札場跡・海道橋(田村川)・・・田村神社・・・(国道)・道の駅あいの土山・・・土山宿・生里野地蔵・上島鬼貫句碑・一里山地蔵・土山の一里塚跡(110)・来見橋・白川神社・井筒屋跡・平野屋・二階屋本陣跡・問屋場跡・東海道伝馬館・問屋宅跡・土山本陣跡・大黒屋本陣跡・問屋場跡・高札場跡・大黒橋(吉川)・常明寺・・・国道1号・御代参街道道標・見性庵廃寺跡・・・松尾川の渡し場跡あたり・・・(国道1号)・・・歌声橋(野洲川)・・・国道1号・・・垂水斎王頓宮跡・・・国道1号・・・旧道・・・瀧樹神社・天満宮・・・地安寺・・・頓宮御殿跡・・・諏訪神社・・・市場の一里塚跡(111)・・・大日川堀割跡(大日川)・・・反野畷(松並木)・・・長円寺・・・真風軒詩碑・・・三好赤甫旧蹟・大日如来・(国道1号)・若王寺・・・今郷の一里塚跡(112)・浄土寺・・・宝善寺・・・岩神社入口・・・永福寺・・・大師堂・・・水口宿東見附跡・脇本陣跡・本陣跡・問屋場跡・善福寺・大岡寺・日雲宮・蓮華寺・大徳寺・からくり時計・水口石橋駅(近江鉄道)

 昨日は大雨で予定を変更したので、今日の道のりはけっこうな距離がある。まあ江戸時代の旅人から見ればたいしたことはなかろうが。好天を期待したがそうでもなく、関駅を7時前には出発し、まだひっそりとした関宿を抜け、昔の賑わいが嘘みたいな坂下宿から鈴鹿峠を越え、土山宿から水口宿へと進み、思ったより早く4時前には水口石橋駅に着いた。

 鈴鹿馬子唄の「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る」の道中は、坂は照らなかったが鈴鹿と土山は曇り時々雨で、馬子唄どおりだったようだ。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_3409 関宿の家並み 《地図

まだ7時前で家々の戸は閉ざされ人通りもない。

広重 関(本陣早立)』 もっと早い、まだ薄暗いうちに出立したのだろう。

Img_3414 鶴屋脇本陣跡

「関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも泊まるなら会津屋か」と謡われた関宿を代表する旅籠。江戸時代の終わり頃には脇本陣も勤めた。千鳥破風が目立つね。

Img_3415 説明板

Img_3416 伊藤本陣跡

手前の川北本陣跡は空き地になっている。

Img_3417 説明板

Img_3419 橋爪家

両替商で江戸にも出店を持つ豪商だった。三角屋根は明治になってからの改造。

Img_3418 説明板

Img_3420 旅籠玉屋(左)・旅籠石垣屋(右)

玉屋は歴史資料館になっている。

Img_3424 高札場跡

関宿のほぼ中心部で、関郵便局も昔風の造り。

Img_3426 正面は地蔵院

ポツリポツリと降り出してきた。今日は勘弁して欲しいよ。

Img_3427 福蔵寺

仇討の孝女、小万の墓がある。裏門が萩屋脇本陣から移築したものだった。これは表門、うっかりした。織田信孝の墓もある。

Img_3433 旅籠会津屋(左)・洋館屋好見家(右)

会津屋はもとは山田屋といい、小万が育った家。

Img_3434 説明板

Img_3430地蔵院の愛染堂

「関の地蔵に振袖着せて、奈良の大仏婿に取ろ」と謡われた、器量良しで、ふっくら円満な顔立ちの地蔵さん。本堂(右)、鐘楼、愛染堂は国の重文。

Img_3436 観音院

Img_3437 由来

Img_3440 西追分

ここから伊賀を通り、松原(現東大阪市)にいたる道は加太越(かぶとごえ)奈良道(大和街道)と呼ばれる重要な街道だった。

Img_3444 転び石(オークワ流通センター前の駐車場内)

大昔は山の上にあったが、いつしか転がり落ちて夜な夜な不気味な音を立てて人々を恐れさせた。ここを通りかかった弘法大師が石の供養をすると石は静かになったという。車で来た人はなぜこんな大きな石を放置しておくのかと思うだろうが、何度かたづけても街道に転がり出てしまい、鈴鹿川に落ちても自力でここに戻ったという伝説もあるやっかいな石。

Img_3455 これが名勝の筆捨山(289m)か

今は持った筆を捨てたくなるような何の変哲もない景色だが。

広重 坂之下(筆捨嶺)

Img_3454 説明板

Img_3457 弁天(市瀬・沓掛)の一里塚跡(107)

国道1号の弁天橋を渡った左側。橋の手前を左折すると弁天社の小祠があるようだ。

この先で右に旧道へ入り、沓掛の集落へと緩やかに上って行く。

Img_3468 沓掛の集落

Img_3473 坂下宿

かっての宿は鈴鹿峠の真下の片山神社下の谷間にあり「古町」と呼ばれている。慶安3年(1650)の大洪水で埋没し、翌年に宿全体がここに移転した。

Img_3476 説明板

Img_3474 松屋本陣跡 【ルート地図】の①

この先の大竹屋本陣跡・梅屋本陣跡・小竹屋脇本陣跡も石柱のみで遺構は残らず。

Img_3481 法安寺庫裏玄関

松屋本陣から移築したもの。

Img_3484 金蔵院跡の石垣

仁寿年間(851~853)創建で、鈴鹿山護国寺とも呼ばれた古刹。江戸時代初期には将軍家の御殿が設けられ、上洛途中の家康や家光が休息した。参勤交代の大名は山門前で駕籠から降りたという。慶安3年(1650)の洪水後に古町からここに移ったが明治に入り廃寺となり、今は石垣だけが往時をしのばせる。

左は身代地蔵堂

Img_3485 身代地蔵さん

大名行列を横切った子どもの身代わりになったという。今も地元の信仰が篤いようだ。

Img_3490 岩屋観音の清滝と観音の小堂

高さ18mの巨岩に穿たれた岩窟に万治年間(1658~1660)に実参和尚によって道中の安全祈願のために阿弥陀如来・十一面観音・延命地蔵の石仏が安置された。堂の隣のこの清滝と合わせて、「清滝観音」として知られ、葛飾北斎の『諸国滝廻り』にも取り上げられている。毎月3日、18日に堂が開扉されるようだ。

Img_3495 荒井谷の一里塚跡あたり(108)

この先で右に山道に入って片山神社から鈴鹿峠へ向かう。たいした距離ではない。

Img_3501 片山神社へ

Img_3505 片山神社

由来が古代に遡る延喜式内社で、鎌倉時代にはここに鎮座していたという。斎王群行の際に皇女が休泊した「鈴鹿頓宮」の跡ともいう。江戸時代には鈴鹿権現と呼ばれ信仰を集めたが、平成11年に本殿などを焼失し、現在は神楽殿のみが残り、高い石垣にかつての面影をとどめている。

Img_3504 灯篭坂 【ルート地図】の②

灯篭が両側にずらっと並んでいると思ったらここだけ。

鈴鹿流薙刀発祥の地」だそうだ。

Img_3511 芭蕉句碑

「ほっしんの 初にこゆる 鈴鹿山」 『猿蓑』に詠まれた句

Img_3512 すぐ先に左に「馬の飲み水場跡」と鈴鹿峠説明板がある。

ここは「八町二十七曲り」と呼ばれた難所だったそうだが、この先で国道1号をくぐり呆気なく鈴鹿峠に着いてしまう。

Img_3513 説明板

Img_3518 鈴鹿峠(378m) 《地図

松葉屋・鉄屋・伊勢屋・井筒屋・堺屋・山崎屋などの峠の茶屋で賑わっていたという。左に入ると田村神社跡で、その先が鏡岩。

Img_3525 説明板

Img_3522 鏡岩

鈴鹿峠の神体の磐座(いわくら)というより、山賊の「鬼の姿見」の話の方が面白いか。古代から中世には山賊が横行していたようだ。

Img_3523 説明板

Img_3524 確かに鏡のように光っている? 雨に濡れているからそう見えるだけか。

Img_3532 峠に広がる茶屋畑の中を行く。

Img_3533 万人講常夜灯

Img_3534 説明板

Img_3535 国道1号(右)に合流して単調な車道歩きが続く。

Img_3539 小さな双体道祖神が車道歩きを癒してくれる。

この先の十楽寺バス停先が「蟹坂の古戦場」に登場する山中城址で、「山中城址」の石柱が立っている。

Img_3561 山中の一里塚跡(109)・櫟野(いちの)観音道道標 《地図

十一面観音の櫟野寺(らくやじ)への道標

Img_3559 説明板

Img_3575 蟹坂(国道1号)を下る。

Img_3577 右に蟹坂の旧道を下る。【ルート地図】の③

Img_3587 蟹坂の由来

ここのは悪い蟹だが、東京福生市の蟹坂は、娘に助けられた蟹が恩返しをするという、いい蟹の話で、京都木津川市の「蟹満寺」の由来話と同じ。

Img_4075 蟹を退治した恵心僧都源信が厄除けに作るようにと言った蟹の甲羅を模した飴。甘さ控えめで左党でもいけるよ。

蟹を供養する石塔(蟹塚)は国道1号の向い側にある。

Img_3579 案内図

Img_3589 榎島神社(白川神社の末社)

神木の椎の木は樹齢400年以上

Img_3591 蟹坂の集落を下って行く。

Img_3595 蟹坂古戦場跡

甲賀への侵攻を計る伊勢の北畠具教とそれを阻まんとする山中城主の山中秀国の戦い。

Img_3596 説明板

Img_3598 高札場跡・海道橋

土山宿の人々が中心となって架けた田村川木橋。武家と一部の農民以外は有料だった。高札にはそのいきさつが書かれている。

広重の土山(春の雨)』はこの橋を渡り、田村神社の杜の中を土山宿へ向かう大名行列を描いている。

Img_3599 説明板

Img_3610田村神社 《地図

弘仁3年(812)に創建という古社で、もとは鈴鹿峠にあった。坂上田村麻呂が鈴鹿峠から弓を射たら、翌朝に当地で見つかったという伝説がある。それ以来、弓が厄除けになっているという。

甲賀の昔話』に、「坂上田村麻呂の鈴鹿峠の鬼退治」と「蟹坂」の話が載っている。

Img_3611 道の駅「あいの土山」

「火曜日は定休日とはこれ如何に」 駅は年中無休なはずだが。でもトイレだけは開いていた。

街道は隣の「蟹が坂飴」の製造販売の高岡商店の間から右方向へカーブして土山宿へ入って行く。

Img_3616 土山宿へ

左に生里野地蔵尊堂

Img_3617 生里野地蔵尊

化粧が厚過ぎやしないかい。

Img_3620 上島鬼貫句碑

「吹け波(ば)ふけ 櫛を買ひたり 秋乃風」

櫛は「お六櫛」で、昔、伊勢参りを終えた木曽からの旅人が土山宿で急な腹痛に襲われた。通りかかった村人に助けられ何か礼がしたいと言うが、村人の夫婦は何も求めず旅人の髪をやさしく梳(す)いてくれた。櫛職人の旅人はお六櫛の作り方を教えたという。生里野には多い時で十数軒の櫛を売る店が並んでいたという。ここで旅人を看病したのも「お六さん」という名だったという出来すぎた話もあるようだ。

Img_3619 説明板

句もきちんと書かないとなあ。

Img_3621 お六櫛商「三日月屋」

Img_3626土山の一里塚跡(110)

右の民家前に「東海道一里塚跡」の石柱。手前に「一里山の地蔵堂」がある。地元の女性が丁寧に清掃をしていた。

Img_3635 来見(くるみ)橋を渡って宿の中心部へ

Img_3639 白川神社

7月の第3日曜日の土山祇園祭花傘神事で「花奪い行事」が行われる。

Img_3638 説明板

Img_3641 大原製茶所

土山の茶は滋賀県一の生産量で、味・色・香りのすべてが一級品として評価されているそうだ。

Img_3648 井筒屋跡

森鴎外の祖父、白仙は参勤交代の途中にここで没した。宿の西の常明寺に白仙の墓がある。

Img_3647 説明板

Img_3651 平野屋

森鴎外が白仙の墓参の折に泊まった旅籠。その時には井筒屋は廃業していた。

Img_3650 説明板

Img_3654 二階屋本陣跡

Img_3662 問屋場跡(復元)

伝馬館前の街道沿いにあったものを伝馬館の敷地内に復元。

Img_3660 東海道伝馬館

江戸後期の農家の地平家を改造した展示館。2階に盆景、蔵に大名行列の模型などが並び、特産品も販売している。「蟹が坂飴」もある。

Img_3671 問屋宅跡

問屋の宿役人の責任者の居宅跡

Img_3669_2 説明板

Img_3672 土山宿本陣跡 《地図

土山家が勤めた。

Img_3673 説明板

Img_3687大黒屋本陣・問屋場跡・高札場跡

もう一軒の本陣は豪商の大黒屋立岡家が勤めた。

Img_3685 説明板

Img_3688 土山陣屋跡

Img_3689_2 説明板

Img_3694 御代参街道道標(右)《地図

多賀大社への道標。東海道は右斜めに進んで「松尾川の渡し」へ通じていた。左は「高野世継観音」の永源寺への道標で途中までは同じ道筋。

「お伊勢参らばお多賀へおいやれ お伊勢お多賀の子でござる」 祭神は親子でごもっとも。

Img_3696 説明板

Img_3693 昔の東海道の道筋(南北が逆方向だが)

Img_3700 今の道筋案内図

野洲川は江戸時代には松尾川といい、10月から2月までは木橋か土橋で、3月から9月までは渡し舟か徒歩で渡った。

Img_3707 野洲川(歌声橋から) 《地図

Img_3711 垂水斎王頓宮跡 《地図

京から伊勢までの斎王群行は5泊6日かかった。勢多、甲賀、垂水、鈴鹿、一志に頓宮(仮の宮・行宮(あんぐう))が置かれた。

Img_3713 頓宮跡

寂しげな所だ。華やかな都から離れ、伊勢までの長い道中で、斎王となる皇女はどんな心持でこの頓宮へ泊まったのだろうか。

9歳で斎王となり伊勢へ下り、40年後に付き添いとして鈴鹿峠を越えて、この地を訪れた斎宮女御の徽子(きし)女王の歌碑、「世にふれば 又も越えけり 鈴鹿山 昔の今に あるにやあるらん」 

Img_3712 説明板

Img_3718瀧樹(たぎ)神社・天満宮

5月3日の祭礼では「ケンケト踊り」・「花奪神事」が行われる。

Img_3727 地安寺

境内には御水尾法皇の御影堂、山門の手前左には林丘寺宮植栽の茶がある。

Img_3723 説明板

Img_3728 旧頓宮村の家並み

Img_3731 頓宮御殿跡

倭姫巡幸の際の殿舎が設けられ、後には垂水頓宮の関連施設があったともいう。

Img_3730 説明板

Img_3735 市場の一里塚跡(111)

右の民家の植込みの中に説明板と石柱

Img_3736 説明板

Img_3738 大日川堀割跡 《地図

正面の大日川橋の下を大日川が流れる。右に石柱が立つ。橋を渡った先が反野畷

Img_3743 説明板

Img_3741 反野畷

松並木の名残りを抜けて行く。

Img_3766 三浦赤甫旧跡

大日如来の小祠が隣にある。

Img_3767 説明板

Img_3785 今郷(今在家)の一里塚跡(112) 【ルート地図】の④

浄土寺の前

Img_3786 説明板

Img_3806 岩神社入口

Img_3807 説明板

Img_3818 水口岡山城址(前方の古城山(大岡山))

天正13年(1585)に豊臣秀吉が家臣の中村一氏に命じて築かせた城。その頃から水口宿の町割りなども整備されていった。三層天守閣の城は、彦根城に劣らぬ景観だったとか。関が原の戦で落城し、水口は直轄領となった。

Img_3831 水口宿東見附跡 【ルート地図】の⑤

Img_3832 説明板

Img_3838 脇本陣跡(左)

「元脇本陣文右衛門」の貼り紙がしてある。この子らは脇本陣を知っているだろうか。

Img_3840 水口宿説明板

広重 水口(名物干瓢)

Img_3844 本陣鵜飼家跡(左) 《地図

奥に「明治天皇聖蹟」碑が立っている。

Img_3841_2 説明板

Img_3846 宿内は三筋に分岐した道路の形態になっている。

Img_3853 問屋場跡

Img_3852 説明板

Img_3854 善福寺(血天井)

岡山城の古材が使われていて、本堂廊下の天井板には落城の際に自害した武士の血痕が残っているそうだ。

Img_3860 大岡寺(だいこうじ)

十一面千手観音像、恵心僧都源信の作という阿弥陀如来像は国の重文。鴨長明はこの寺に滞在した際に剃髪し出家したそうだ。

Img_3863 由緒

Img_3861 芭蕉句碑

「いのちふたつ 中に活きたる さくらかな」

『野ざらし紀行』の「命二つの 中に生きたる 桜哉」の句で、句碑は「の」が抜けている。

大岡寺の桜は「水口八景」の一つ。この句は芭蕉がよく滞在した蓮華寺で詠んだものという。

Img_3873 大徳寺

家康ゆかりの寺で、山門は三葉葵の紋。

Img_3874 説明板

Img_3879 からくり時計 《地図

水口曳山をデザインしたもので9時・12時・15時・18時に曳山を曳く人形が動き出すそうだ。

Img_3866ポスター

Img_3877 水口宿説明板

Img_3884 近江鉄道(水口石橋駅)

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