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2010年4月16日 (金)

東海道(桑名宿→四日市宿)

2010年4月10日

桑名駅(JR関西本線)・・・桑名宿京町見附跡・・・(県道504号)・・・吉津屋見附跡・・・寺町通り・・・七曲見附跡・・・広瀬鋳物工場跡・・・天武天皇社・・・一目連神社・・・中川梵鐘店・・・善西寺・・・矢田立場跡・・・了順寺・・・江場松原跡・・・城南神社・・・晴雲寺・・(国道258号)・・・伊勢両宮常夜灯・町屋橋跡・・・国道1号・町屋橋(員弁川)・・・旧道・・・真光寺・・・縄生の一里塚跡(97)・・・伊勢朝日駅(近鉄名古屋線)・・・橘守部生誕地・・・浄泉坊・・・西光寺・・・朝明橋(朝明川)・・・蓮証寺・・・御厨神明神社・宝性寺・長明寺・・・(関西本線・三岐鉄道三岐線)・・・若宮八幡宮・・・(三岐鉄道三岐線・近鉄名古屋線)・・・富田の一里塚跡(98)・・・八幡神社跡・・・行啓記念道路碑・・・サトウハチロ-詩碑・明治天皇小休所跡・・・北村地蔵堂・善教寺・十四橋(十四川)・・・薬師寺・・・常照寺・・・力石・・・證円寺・・・米洗橋(米洗川)・・・八幡地蔵堂・・・かわらづの松・・・光明寺・・・国道1号・・・延命地蔵堂・・・多度神社・・・三ツ谷の一里塚跡(99)・海蔵橋(海蔵川)・・・旧道・・・法泉寺・・・佛性院・・・三滝橋(三滝川)・・・四日市宿・陣屋跡・帯や脇本陣跡・問屋場跡・黒川本陣跡・道標・国道1号・諏訪神社・崇顕寺・浜田城跡・鵜森神社・・・東漸寺・・・(近鉄名古屋線)・・・浜田の町並み・・・鈴木薬局・・・落合川・・・鹿化橋(鹿化川)・・・大宮神明社・・・大聖院・・・天白橋(天白川)・・・両聖寺・・・日永神社・・・薬師堂・・・実蓮寺・・・西唱寺・・・日永の一里塚跡(100)・・・名残松・・・国道1号・・・日永の追分・・・追分駅(近鉄内部線)

 まだまだ見ごろの桜を楽しみながら、残りの宿場も少なくなってきた東海道を伊勢の国から鈴鹿峠を越えて近江の国へと向かう。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_2563 京町見附~吉津屋見附~寺町通りへと進んで行く旧東海道

Img_2571 吉津屋(よつや)見附跡 【ルート地図】の52

ここでコの字に曲がり、寺町通りへと入って行く。

Img_2576 光徳寺

古くは泡州崎念仏道場と称した浄土宗の寺。明治7年には日進小学校の前身の進善学校が置かれた。このあたりは泡州崎といい、手前に泡州崎八幡社がある。

Img_2579 幕府方の桑名藩の責任を一身に負い切腹した森陳明の墓が十念寺の裏の墓所にある。

Img_2585狩野光信の墓(寿量寺)

Img_2584_2 説明板

Img_2593 天武天皇社

「壬申の乱」で桑名郡家に泊まった天武天皇を祀る全国で唯一の神社。桑名郡家には乱の終わるまで、鸕野讚良皇女(後の持統天皇)や皇子たちが2ヵ月間残ったという。

Img_2592 説明板

Img_2597 中川梵鐘店

鋳物は桑名の代表的産業? 今でも埼玉県の川口市より盛んなのだろうか。

Img_2606 矢田立場跡 《地図

Img_2605 説明板

Img_2610 つたや

「若鮎」という焼き立ての甘いお菓子(120円)をほうばりながら進む。

Img_2614 江場松原跡

かつては西に鈴鹿山脈、東に伊勢の海も遠望されたという松並木は、伊勢湾台風(昭和34年)の頃までは残っていたそうだ。

Img_2628旧町屋橋跡へ 《地図

Img_2623伊勢両宮常夜灯説明板

Img_2633 桜の下あたりに板橋の町屋橋が架かっていたのだろう。(現在の国道1号の町屋橋から桑名方向)

橋のたもとの茶店では名物「安永餅」が売られ賑わっていたという。

Img_2640 山口誓子句碑 《地図

「露けさよ 祷りの指を 唇に触れ」だそうだ。

Img_2641 縄生(なお)の一里塚跡(97)

左に「一里塚跡」の石柱

Img_2646「語らい広場」(伊勢朝日駅の踏切を渡った所) 《地図

ここは松並木があり、正面はその中に混じっていた榎。小向の立場があったのもこのあたりか。

Img_2653 橘守部生誕地

Img_2659 浄泉坊の旧本堂の三つ葉葵紋の鬼瓦。

参勤交代の大名は、この寺の前では駕籠から降りて一礼したという。

Img_2658 由来

Img_2671 桜並木を通り、伊勢湾岸道をくぐり、朝明(あさけ)橋へと進む。

ここも昔は松並木だったのか?

Img_2680 長明寺(左)

文治年間(1185~89)に蒔田相模守宋勝が居城した蒔田城跡という。その堀跡が寺を囲む。

この寺の先の左側に聖武天皇にまつわる鏡ケ池の伝説地があるのだが見落とした。

Img_2679 説明板

Img_2693 富田の一里塚跡(98) 【ルート地図】の53

一里塚橋を渡った右側に「富田の一里塚址」の石柱が立つ。

Img_2694 説明板

Img_2700 八幡神社跡

Img_2696 説明板

Img_2719 善教寺

国重文の「阿弥陀如来立像と像内納入文書

Img_2717 北村地蔵堂(善教寺前)

すらっとした痩身で端正な顔立ちの、地蔵らしからぬ容姿の地蔵さん。

Img_2714 十四川の桜まつり

大正12年に植樹が始まった、約800本のソメイヨシノはまだ見ごろだ。

Img_2729 力石・新設用水道碑 《地図

正面の説明板の下に、32貫目(120kg)の力石が置いてある。

Img_2731 説明板

Img_2740 八幡地蔵堂

ここは志氐(しで)神社に合祀されている八幡神社の跡地。

Img_2741 八幡地蔵尊

Img_2744 かわらづの松(京側から)

このあたりは「川原津」いう地名。「変わらず」でなく、変わり果てた松並木に残る一本の松。

Img_2745志氐(しで)神社鳥居

五穀成就常夜灯と隣の民家の間に自然石があり、向かいの民家前の石と対になり、「東海道夫婦石」と呼ばれ、道中安全・縁結び・夫婦円満などを願う旅人、村人が撫でて信仰していたという。

『足を折られた狛犬』:「神様が留守番を言いつけたのに、遊びに出かけてしまい前足を折られてしまったという」 神ともあろう者が、むごい、むご過ぎる話だが、実際は狛犬を運搬中に折ってしまったらしい。それをこんな話に作り変えて、都合のいい伝説にしようとする、人間のずるさにはあきれ返るばかりだ。

Img_2754 三ツ谷の一里塚跡(99)(海蔵川の堤) 【ルート地図】の54

Img_2760ここも「海蔵川桜まつり」の真っ最中

マイカーの家族連れが多い。

Img_2770 嶋小餅店

Img_2772 三滝橋を渡って四日市宿へ

広重-四日市(三重川)』は、この橋を描いたものという。

Img_2774 四日市宿の町並み 【ルート地図】の55

手前は「なが餅」の笹井屋本店、この先の右の近藤建材店が帯や脇本陣跡、福生医院が問屋場跡、黒川農薬商会が黒川本陣跡らしいが何の表示もない。もう一軒の清水家本陣(清水太左衛門家)はどこにあったのか? 左へ入った中部西小学校が陣屋(代官所)跡。四日市市は東海道(を歩く者)に冷淡な市町村の最たる自治体か。

Img_2779 道標 《地図

旧道はここを直進して諏訪神社前へ続いていた。

Img_2781 旧道の道筋

Img_2784 右のスワマエ商店街が旧道

アーケードを抜け、阿瀬知川を渡ると丹羽文雄が生まれた寺の崇顕寺がある。

Img_2790浜田城址 《地図

今は鵜森神社、右は田原稲荷神社で浜田城主の先祖といわれる俵藤太(藤原)秀郷や、初代城主田原忠秀らを祀っている。

Img_2788 説明板

十六間四方白星兜鉢(国重文)は、俵藤太が三上山のムカデを退治した際、褒美として龍神から贈られたもので、祈願すると雨雲を呼ぶとされ、大正のころまで実際に雨乞いが行われていたという。

Img_2794 浜田の家並み

昔は干鰯屋、材木屋、紙屋、餅などを売る水茶屋があって賑わっていたそうだ。

Img_2799 鈴木薬局

江戸時代からの薬商で、この製薬所は嘉永5年(1852)の建築。

Img_2798 説明板

Img_2812 大聖院

定朝の作という源頼義の念持仏の不動明王(国重文)を安置。

Img_2811説明板

Img_2816天白橋へと上って行く。

このあたりは車の往来が多い。

Img_2820 両聖寺

お盆には「つんつく踊り」が披露される。

Img_2819説明板

Img_2823 日永神社

右に明歴(明暦)2年(1656)の古い「日永の追分道標」が移されている。

Img_2824 説明板

Img_2834 日永の一里塚跡(100) 《地図

西唱寺先の右の民家の間に石柱。うっかりすると通り過ぎてしまうだろう。

Img_2836 名残の松

松並木はなく、残るは「かわらづの松」とこの松のみ。

Img_2837 説明板

Img_2838 日永の追分 【ルート地図】の56

東海道(右)・伊勢街道(左)

伊勢神宮の遥拝鳥居(安永3年(1774)建立)、道標(嘉永2年(1849)建立)が立つ。このあたりは四日市宿と石薬師宿の間の「間の宿」で、旅籠、茶店が多かった。

鈴鹿山系からの伏流水という湧き水があり、車にポリタンクをいくつも積んで水を運んでいる人たちがいた。こちらもペットボトルに入れて追分駅に向かった。

Img_2843 説明板①

Img_2841 説明板②

Img_2848 追分駅(近鉄内部線)

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