出雲街道⑧(坪井宿→久世宿→勝山宿)
2010年5月2日
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坪井宿から小さな鶴坂峠を越え、追分から目木乢を越えて久世宿に下る。両方の宿とも昔の宿場風情は薄い。旭川沿いの車道を進み姫新線をくぐり、高田神社前から勝山宿に入る。ここは宿場の町並みが保存されていて、連休中のこともあり賑やかだった。暑さの中、起伏がある街道をけっこうな距離歩いてかなり疲れた。
【ルート地図】
写真をクリックすると拡大します。
美作国七福神霊場「七福神」
右は天保10年(1839)建立の六十六部供養塔で、脇願主信州佐久郡藤吉郎の名を刻む。
作楽(さくら)神社への道標
「備後三郎旧跡江之道」で、隠岐へ配流される後醍醐天皇の行在所跡で、どじな忠臣児島高徳ゆかりの地。鎌倉から室町時代にかけての美作守護の居館跡で国指定史跡。
写真を撮ろうとしたら辻の民家の犬が一斉に吠え出した。まさに忠犬で、児島高徳とは比べ物にならないか。
中須賀の船着場跡 《地図》
吉井川の高瀬舟の水運、出雲街道の宿場として栄えた地。
街道沿いと吉井川沿いに建てられた。河川改修でここに集められた。
宿場風情はあまり残らず。
右に地蔵、六十六部供養塔、地神などが並ぶ。
この先の国道と中国自動車道の間に7世紀創建という、久米廃寺跡があるようだ。
右の榎の下に「茶屋一里塚」の石柱。このあたりは茶屋があった所。
西千代(せんだい)橋を渡った所の「宝暦屋」はリサイクルショップに変わってしまった。
雲州からの観音信仰の諸国巡拝者が、ここの柳の枝を箸にして食事をした。そしてこれを地に挿しておいたところ、後日枝葉が出て巨木になったという。今は柳は2本ともなし。
脇に工事用のトイレ(右)が置かれていて、分かりにくい。
領家は茶屋の一里塚のこと。
昔は中央に水路が流れ、梅、桜、柳の並木になっていた。水路の北側は出雲街道で旅籠などが並び、南側の道は生活道として使われていた。町並みのつくりが麦粒の形に似ていることから、「麦飯町」とも呼ばれていた。森家廃絶後は代官所、陣屋も置かれた。(前の説明板の北側あたり) 【ル-ト地図】の47
今は水路はなく路上駐車ばかりで、坪井は町並みの景観などには無関心のようだ。
坂(峠)上の老松に2羽の鶴が舞い降りたことによる坂名。
この右側に説明板の力士の塚がある。
「久世を夜出て目木乢越えて坪井鶴坂歌で越す」はこの方向を謡ったもの。
妹の仇討を果たせず、無念にも返り討ちのあった弟と妹の供養塔か。仇討を果たせば評判になり、もてはやされるが、実際には稀で、途中で諦めたり返討ちに合うことの方が多かったのでは。
後醍醐天皇が配流の途中で休息した地に勧請したという。
このあたりが小さな峠上になっている。
のどかな風景だが暑い。この下で姫新線を渡る。
背後の岩屋山(483m)の上に山名教清が築いた山城がある。
塞の神の小祠は崩れかかり、祠内は花立だけ。
追分交差点の手前左の追分茶屋の所。ここから真庭市に入る。
追分の大小2つの道標 《地図》
小は「右備中道」(元禄2年(1689))
大は「伊勢大神宮江八十五里」、「伯州大仙江拾七里」、「出雲大社江三十七里」などで、文久3年(1863)の建立。「木山宮」は真庭市落合の牛馬の守護神の木山神社。「口てい疫」騒ぎで参拝者が多いだろうか?
正面の大乗妙典供養石の地蔵(享和2年(1802))建立)はもとは街道沿いにあったもので、邪魔になってここに移されたのだろう。
この先で国道に合流し、目木乢への上りとなる。
今は何の風情もない国道181号。乢(たわ)は峠のこと。
米来=目木
本来の出雲街道はここを左に曲がり、大きく南方向を迂回して久世宿に入ったようだが、見所も少ないようで県道を直進する。
薬王寺 《地図》
参勤交代の出雲の殿様も休憩したという寺。
屋根に高瀬舟をデザインした「久世」の字が織り込まれた校章。
旭川の高瀬舟、七里飛脚も置かれた水陸の要衝地で、代官所のある陣屋町、宿場町だったが、宿場の家並み、面影は残らず。
天領の久世の代官所の門を移築。
「はつ時雨猿も小蓑をほしげなり」
代官の早川八郎左衛門正紀像 《地図》
善政をしいたそうだ。久世は享保11年(1726)の山中一揆の余波で、翌年幕府領となり代官が置かれた。
透明人間がうどんを食べている。箸とうどんが上下に動いているのだから、そうに決まっている??
旭川と姫新線の間の国道を進む。車がスピードを上げて追い越して行く。歩道がなくて歩きづらい道が続くが、勝山宿まではもう少しだ。《地図》
古道は原方の集落を通り、旦の坂を越えて高田神社前から勝山宿へ入った。旦の坂が侍屋敷となり、道筋も姫新線沿いあたりを西に向い中国勝山駅を過ぎて北に勝山宿へ入ったようだ。
やっとほっとする風景になる。ここは原方集落で古道に近い道筋だろう。
久寿2年(1155)紀州熊野より勧請し、熊野大権現と呼ばれていた。明治の神仏分離で旧地名の高田神社と改められた。
化生(かせい)寺 《地図》
開山は「那須の殺生石」でおなじみの玄翁和尚。
那須原で玄翁和尚に砕かれて、三方の高田に飛来した殺生石の一つという。ただし殺生石はこの下に埋められていて、これはその上に置いた標本石だと。まあ、すべて伝説のこと、笑ってこらえてか。
九尾の狐が化身した「玉藻の前」を祀るのか?
落語『九尾の狐』
日蓮宗では珍しい重層の建物で、方三間層入母屋造。
勝山城主、三浦家の菩提寺。
安養寺へ上る石段。東京台東区谷中の三浦家下屋敷跡にも「三浦坂」がある。『台東区の坂-3』に記載。
左は「御前酒」の蔵元
出雲街道は神橋を渡って行くが、今日はここまでで、勝山宿を散策し、中国勝山駅の方へ向かう。
旦の坂はこのあたりにあった。
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18時41分
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