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2010年5月23日 (日)

出雲街道⑧(坪井宿→久世宿→勝山宿)

2010年5月2日

院庄駅(JR姫新線)・・・清眼寺・・・八幡宮・・・作楽神社道標・・・錦橋(吉井川)・中須賀の船着場跡・・・八幡神社・・・久米橋・国道181号・旧道・・・茶屋の一里塚跡・・・国道181号・・・弘法大師塔・・・西千代橋・・・旧道・・・二つ柳跡・・・三ケ村の界(栗)石柱・・・上川原橋(久米川)・・・(坪井駅)・・・大渡橋(坪井川)・・・坪井の一里塚跡・坪井宿・・・(国道181号)・・・鶴坂①・・・(中国自動車道)・・・鶴坂峠・鶴亀神社・・・鶴坂神社・・・鶴坂②・・・(姫新線)・・・国道181号・・・塞の神・六十六部塔・・・追分の一里塚跡・・・かしく茶屋跡・・・追分道標・・・旧道・稲荷橋(河内川)・上河内集落・・・国道181号・・・目木乢・・・旧道・・・米来神社・・・目木橋・・・薬王寺・・・(姫新線)・・・久世宿・旧遷喬尋常小学校・久世橋・金刀比羅神社・重願寺・早川代官像・・・国道181号・・・黒尾川・・・湯原第二発電所・・・(姫新線)・・・高田神社・・・勝山宿・化生寺・玉雲宮・妙円寺・安養寺・三浦坂・大雲寺・明徳寺・武家屋敷跡・旦の坂跡あたり・侍屋敷跡・・・中国勝山駅(JR姫新線)→津山駅

 坪井宿から小さな鶴坂峠を越え、追分から目木乢を越えて久世宿に下る。両方の宿とも昔の宿場風情は薄い。旭川沿いの車道を進み姫新線をくぐり、高田神社前から勝山宿に入る。ここは宿場の町並みが保存されていて、連休中のこともあり賑やかだった。暑さの中、起伏がある街道をけっこうな距離歩いてかなり疲れた。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_5523 清眼寺(ぼたん寺)

美作国七福神霊場「七福神」

右は天保10年(1839)建立の六十六部供養塔で、脇願主信州佐久郡藤吉郎の名を刻む。

Img_5526作楽(さくら)神社への道標  【ルート地図】の①

「備後三郎旧跡江之道」で、隠岐へ配流される後醍醐天皇の行在所跡で、どじな忠臣児島高徳ゆかりの地。鎌倉から室町時代にかけての美作守護の居館跡で国指定史跡。

写真を撮ろうとしたら辻の民家の犬が一斉に吠え出した。まさに忠犬で、児島高徳とは比べ物にならないか。

Img_5531 中須賀の船着場跡 《地図

吉井川の高瀬舟の水運、出雲街道の宿場として栄えた地。

Img_5533 石灯籠

街道沿いと吉井川沿いに建てられた。河川改修でここに集められた。

Img_5534 説明板

Img_5536 中須賀の家並み

宿場風情はあまり残らず。

Img_5537 宮尾の街道

右に地蔵、六十六部供養塔、地神などが並ぶ。

Img_5540 八幡神社の鳥居

この先の国道と中国自動車道の間に7世紀創建という、久米廃寺跡があるようだ。

Img_5545茶屋の一里塚跡

右の榎の下に「茶屋一里塚」の石柱。このあたりは茶屋があった所。

Img_5552 西千代(せんだい)橋を渡った所の「宝暦屋」はリサイクルショップに変わってしまった。

Img_5556 二ツ柳跡

雲州からの観音信仰の諸国巡拝者が、ここの柳の枝を箸にして食事をした。そしてこれを地に挿しておいたところ、後日枝葉が出て巨木になったという。今は柳は2本ともなし。

Img_5564右に「三ケ村の界(栗)」の石柱が立つが何のことか分からず。

Img_5573 大渡橋を渡って坪井宿へ

Img_5576 坪井の一里塚跡 【ルート地図】の②

脇に工事用のトイレ(右)が置かれていて、分かりにくい。

Img_5577 説明板

領家は茶屋の一里塚のこと。

Img_5581 坪井宿の旧家

Img_5586 坪井宿説明板

Img_5589 昔は中央に水路が流れ、梅、桜、柳の並木になっていた。水路の北側は出雲街道で旅籠などが並び、南側の道は生活道として使われていた。町並みのつくりが麦粒の形に似ていることから、「麦飯町」とも呼ばれていた。森家廃絶後は代官所、陣屋も置かれた。(前の説明板の北側あたり)

今は水路はなく路上駐車ばかりで、坪井は町並みの景観などには無関心のようだ。

Img_5593 車道を横切り鶴坂①の上りとなる。 【ルート地図】の③

坂(峠)上の老松に2羽の鶴が舞い降りたことによる坂名。

Img_5602 説明板

Img_5597 坂の途中の南無妙法蓮華経塔、六地蔵などの石造物、上は墓場。

この右側に説明板の力士の塚がある。

Img_5603 坂下方向

「久世を夜出て目木乢越えて坪井鶴坂歌で越す」はこの方向を謡ったもの。

Img_5605 鶴亀神社(中国自動車道を越えた所)

妹の仇討を果たせず、無念にも返り討ちのあった弟と妹の供養塔か。仇討を果たせば評判になり、もてはやされるが、実際には稀で、途中で諦めたり返討ちに合うことの方が多かったのでは。

Img_5606 由来

Img_5609 鶴坂神社

後醍醐天皇が配流の途中で休息した地に勧請したという。

Img_5610 鶴亀神社から下るのも鶴坂

このあたりが小さな峠上になっている。

Img_5611 坂標

Img_5614 坂下方向

のどかな風景だが暑い。この下で姫新線を渡る。

Img_5628 岩屋城跡入口の案内板が立つ。

背後の岩屋山(483m)の上に山名教清が築いた山城がある。

Img_5632 六十六部供養塔・塞の神

塞の神の小祠は崩れかかり、祠内は花立だけ。

Img_5639 追分の一里塚跡

Img_5640 かしく茶屋跡

追分交差点の手前左の追分茶屋の所。ここから真庭市に入る。

Img_5644 追分の大小2つの道標 《地図

小は「右備中道」(元禄2年(1689))

大は「伊勢大神宮江八十五里」、「伯州大仙江拾七里」、「出雲大社江三十七里」などで、文久3年(1863)の建立。「木山宮」は真庭市落合の牛馬の守護神の木山神社。「口てい疫」騒ぎで参拝者が多いだろうか?

Img_5657 右へ上河内(かみごうち)の宿の集落へ入って行く。

Img_5662 集落入口の地蔵、地神(奥)

正面の大乗妙典供養石の地蔵(享和2年(1802))建立)はもとは街道沿いにあったもので、邪魔になってここに移されたのだろう。

Img_5667 「宿」の名が残るが、古い家並みは残らず。

Img_5669 集落出口の地蔵(享保18年(1733)の建立)

この先で国道に合流し、目木乢への上りとなる。

Img_5675 目木乢 【ルート地図】の④

今は何の風情もない国道181号。乢(たわ)は峠のこと。

Img_5681 長い下りとなる。

Img_5693 米来神社

米来=目木

Img_5689 目木橋から

Img_5700 目木砥石の製造所

本来の出雲街道はここを左に曲がり、大きく南方向を迂回して久世宿に入ったようだが、見所も少ないようで県道を直進する。

Img_5709 薬王寺 《地図

参勤交代の出雲の殿様も休憩したという寺。

Img_5719 旧遷喬尋常小学校

屋根に高瀬舟をデザインした「久世」の字が織り込まれた校章。

Img_5717 説明板

Img_5722 久世宿

旭川の高瀬舟、七里飛脚も置かれた水陸の要衝地で、代官所のある陣屋町、宿場町だったが、宿場の家並み、面影は残らず。

Img_5732 重願寺

天領の久世の代官所の門を移築。

Img_5729 時雨塚(芭蕉句碑・寛政5年(1793)建立・本堂前)

「はつ時雨猿も小蓑をほしげなり」

Img_5727 代官の早川八郎左衛門正紀像 《地図

善政をしいたそうだ。久世は享保11年(1726)の山中一揆の余波で、翌年幕府領となり代官が置かれた。

Img_5728 説明板

Img_5734 透明人間がうどんを食べている。箸とうどんが上下に動いているのだから、そうに決まっている??

Img_5743 旭川と姫新線の間の国道を進む。車がスピードを上げて追い越して行く。歩道がなくて歩きづらい道が続くが、勝山宿まではもう少しだ。《地図

Img_5747 姫新線をくぐって国道の北側の道に入る。

古道は原方の集落を通り、旦の坂を越えて高田神社前から勝山宿へ入った。旦の坂が侍屋敷となり、道筋も姫新線沿いあたりを西に向い中国勝山駅を過ぎて北に勝山宿へ入ったようだ。

Img_5750 やっとほっとする風景になる。ここは原方集落で古道に近い道筋だろう。

Img_5752 勝山宿の案内図

Img_5756 高田神社

久寿2年(1155)紀州熊野より勧請し、熊野大権現と呼ばれていた。明治の神仏分離で旧地名の高田神社と改められた。

Img_5760 化生(かせい)寺 《地図

開山は「那須の殺生石」でおなじみの玄翁和尚。

Img_5761 説明板

Img_5764 殺生石塚

那須原で玄翁和尚に砕かれて、三方の高田に飛来した殺生石の一つという。ただし殺生石はこの下に埋められていて、これはその上に置いた標本石だと。まあ、すべて伝説のこと、笑ってこらえてか。

Img_5762 由来

Img_5769 玉雲宮(たまもりぐう)

九尾の狐が化身した「玉藻の前」を祀るのか?

Img_5773 妙円寺

日蓮宗では珍しい重層の建物で、方三間層入母屋造。

Img_5775 安養寺

勝山城主、三浦家の菩提寺。

Img_5779 三浦坂 【ルート地図】の⑤

安養寺へ上る石段。東京台東区谷中の三浦家下屋敷跡にも「三浦坂」がある。『台東区の坂-3』に記載。

Img_5781 坂下から

Img_5782 勝山宿の家並み

Img_5497_2 神橋の手前

左は「御前酒」の蔵元

Img_5499 道標

Img_5500 出雲街道は神橋を渡って行くが、今日はここまでで、勝山宿を散策し、中国勝山駅の方へ向かう。

Img_5792 明徳寺

Img_5798 説明板

Img_5794 白菊塚

Img_5793 説明板

Img_5790 武家屋敷渡辺邸

Img_5787 説明板

Img_5506 侍屋敷跡

旦の坂はこのあたりにあった。

Img_5507 説明板

Img_5801 中国勝山駅

****************

Img_5509 津山の今津屋橋(吉井川)から(18時31分)

Img_5512

18時41分

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