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2010年5月24日 (月)

出雲街道⑨(勝山宿→美甘宿→新庄宿)

2010年5月3日

中国勝山駅(JR姫新線)・・・勝山宿・・神橋(旭川)・高瀬舟船着場跡・・・鈴神社・・・美保神社・・・県道321号・・・杉が乢・・・国道181号・神代集落・四季桜・・・鬼の穴・・・八反バス停・・・(猿飛橋)・旧道・・・美甘小学校田口分校跡・・・太井の坂・・・真橋・・・滝見橋・・・寄水滝・・・首切坂・首切峠・・・国道181号・・・旧道・美甘(みかも)宿・美甘神社・・・国道181号・・・旧道・薬師堂・・・国道181号・・・旧道・・・丸山石造物群・・・今井河原刑場跡・・・新庄宿・がいせん桜通り・本陣跡・脇本陣跡・念仏寺・御幸橋・新庄村役場

 勝山宿から神橋を渡り、杉が乢へ上り神代集落に下りてから、「美甘三里は五里ござる」といわれた難所だったという美甘宿、新庄宿への長い上りが始まる。鬼の穴、首切峠、今井河原刑場跡など暗いイメージが沸くが、晴れているせいもあり、明るい坂道散歩を楽しむ。旧道が一部に残っているが荒れている所もあり国道、旧道、生活道を選びながら進んだ。

 首切峠は落石で通行止になっていたが、無事(無理)に通過する。期待した美甘宿は宿場の面影は薄かった。その分、新庄宿は「がいせん通り」の桜は散ったものの宿場風情が残り、なかなか見ごたえがあった。このあたりは標高500mくらいか、この先、出雲街道は難所の標高770mの嵐ケ乢から四十曲峠を越えて伯耆国(鳥取県)の板井原宿に下ることになる。腰が四重に曲がらないうちに越したいものだ。

 *『出雲街道⑩(新庄宿→根雨宿)』に続く。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_5496 高瀬船船着場「雁木」跡(神橋から)《地図

室町時代に開かれた旭川の水運。高瀬舟は米、木炭、材木、葛、みつまた等を下流に運び、上りは塩や干物などを積んで往来していた。

Img_5494 御前酒蔵元

文化元年(1804)の創業

Img_5491 鈴神社の急な石段

天正11年(1583)の創建という村社。先も長いし、ここから遥拝のみ。

Img_5487 美保神社

Img_5479 杉が乢への上り 【ル-ト地図】の①

Img_5472 峠から杉林を下る。

Img_5471 神代の集落へ入る。

Img_5464 四季桜

1年に4回咲くという、後醍醐天皇ゆかりの桜の何代目。

Img_5462 説明板

Img_5459 馬頭観音と大日如来碑

Img_5457 鬼の穴 【ル-ト地図】の②

鍾乳洞で50mくらいは入れるそうだが、10mほどで止めとく。

Img_5456 説明板

Img_5449 龍宮岩はこれではなく、下の新庄川の川床の奇岩だった。

Img_5441 緩やかに上って行く。

Img_5437 猿飛橋手前を右に入る。

Img_5434 旧道の道標が立つが、荒れている道もある。

Img_5430 新庄川に沿って上る。

Img_5427 美甘小学校田口分校跡(右)

昭和41年に廃校となった。

Img_5417馬頭観音と左は?

Img_5415 きつい上りでもなく気分のいい道だ。.

Img_5412 太井の坂 《地図

この先に「太井の坂」バス停がある。

Img_5406 宝篋印塔

14世紀の建立という。

Img_5391 寄水滝(首切トンネルの手前)

地蔵 の後ろを細い滝が流れている。

Img_5387 首切トンネル

桜の名所か。やっぱり「『桜の樹の下には』死体が埋まっている」(梶井基次郎)のだろう。

旧道は右に上って行く。

Img_5382 首切峠 【ル-ト地図】の③

落石で通行止めだが、右に行けば迂回できるのかも分からず強行突破だ。(それほど大げさなことでもないが)

このあたりは戦国時代に幾度も激戦があった古戦場で、とくに天文17年(1548)尼子晴久が麓城に攻め寄せ三浦忠近が敗れて自害している。峠付近で多くの首が切られたことから、こう呼ばれるようになったという。また享保11年(1726)の山中一揆でも、首謀者たちの首がここに晒されたという。

付近には腹切岩、殿様墓、女中墓などの地名も残る。

Img_5381 落ちている石と、落ちてきそうな石でやっかいな所を通過する。前に落石が重なっていて通りにくい。

Img_5376 国道に出て、左に美甘宿に入る。

Img_5372 美甘宿の家並み 【ル-ト地図】の④

Img_5366 旅館老松は今もやっているのか?

Img_5365 美甘神社

鴨の神、味鋤高彦根命を主祭神とする旧村社。この先で国道に合流する。

Img_5363 麓城跡あたり

標高513mの山城で、築城年代は不明。戦国時代には三浦忠近が城主で、尼子氏と戦い敗れた。

Img_5355 旧家

Img_5345 旧道を行く。

Img_5335 六地蔵

旧道から国道に出た所

Img_5332 田植えは近い。新庄宿も近い。

Img_5326 丸山石造物群

明治44年の疫病の死者の供養のためのもの。

Img_5324 説明板

Img_5321 今井河原刑場跡 【ル-ト地図】の⑤

こんなのどかな村にも刑場の哀しい歴史があったのだ。

Img_5320 説明板

Img_5318 六十六部供養塔(享保13年(1728)建立)

Img_5314 出雲街道説明板

確かに山陽と山陰を結ぶ「陰陽の道」

Img_5301 新庄宿説明板

Img_5309 がいせん桜通り

日露戦争の戦勝記念で植えられた桜並木。両側の水路にはきれいな水が流れ鯉が泳いでいる。

Img_5313 説明板

Img_5304 かつては旅人に振舞われたという。

Img_5308 雲州侯本陣跡

松江藩の休憩所の「御茶屋」から本陣になった。

Img_5307 説明板

Img_5311 脇本陣木代邸跡

Img_5310 説明板

Img_5297 御幸橋から念仏寺方向

百日紅(さるすべり)の古木が見える。

Img_5298 説明板

Img_5295 新庄村役場

Img_5293 出雲街道は四十曲峠へと続いて行く。

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