出雲街道⑨(勝山宿→美甘宿→新庄宿)
2010年5月3日
中国勝山駅(JR姫新線)・・・勝山宿・・神橋(旭川)・高瀬舟船着場跡・・・鈴神社・・・美保神社・・・県道321号・・・杉が乢・・・国道181号・神代集落・四季桜・・・鬼の穴・・・八反バス停・・・(猿飛橋)・旧道・・・美甘小学校田口分校跡・・・太井の坂・・・真橋・・・滝見橋・・・寄水滝・・・首切坂・首切峠・・・国道181号・・・旧道・美甘(みかも)宿・美甘神社・・・国道181号・・・旧道・薬師堂・・・国道181号・・・旧道・・・丸山石造物群・・・今井河原刑場跡・・・新庄宿・がいせん桜通り・本陣跡・脇本陣跡・念仏寺・御幸橋・新庄村役場
勝山宿から神橋を渡り、杉が乢へ上り神代集落に下りてから、「美甘三里は五里ござる」といわれた難所だったという美甘宿、新庄宿への長い上りが始まる。鬼の穴、首切峠、今井河原刑場跡など暗いイメージが沸くが、晴れているせいもあり、明るい坂道散歩を楽しむ。旧道が一部に残っているが荒れている所もあり国道、旧道、生活道を選びながら進んだ。
首切峠は落石で通行止になっていたが、無事(無理)に通過する。期待した美甘宿は宿場の面影は薄かった。その分、新庄宿は「がいせん通り」の桜は散ったものの宿場風情が残り、なかなか見ごたえがあった。このあたりは標高500mくらいか、この先、出雲街道は難所の標高770mの嵐ケ乢から四十曲峠を越えて伯耆国(鳥取県)の板井原宿に下ることになる。腰が四重に曲がらないうちに越したいものだ。
*『出雲街道⑩(新庄宿→根雨宿)』に続く。
【ルート地図】
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室町時代に開かれた旭川の水運。高瀬舟は米、木炭、材木、葛、みつまた等を下流に運び、上りは塩や干物などを積んで往来していた。
文化元年(1804)の創業
天正11年(1583)の創建という村社。先も長いし、ここから遥拝のみ。
1年に4回咲くという、後醍醐天皇ゆかりの桜の何代目。
鍾乳洞で50mくらいは入れるそうだが、10mほどで止めとく。
昭和41年に廃校となった。
太井の坂 《地図》
この先に「太井の坂」バス停がある。
14世紀の建立という。
地蔵 の後ろを細い滝が流れている。
桜の名所か。やっぱり「『桜の樹の下には』死体が埋まっている」(梶井基次郎)のだろう。
旧道は右に上って行く。
落石で通行止めだが、右に行けば迂回できるのかも分からず強行突破だ。(それほど大げさなことでもないが)
このあたりは戦国時代に幾度も激戦があった古戦場で、とくに天文17年(1548)尼子晴久が麓城に攻め寄せ三浦忠近が敗れて自害している。峠付近で多くの首が切られたことから、こう呼ばれるようになったという。また享保11年(1726)の山中一揆でも、首謀者たちの首がここに晒されたという。
付近には腹切岩、殿様墓、女中墓などの地名も残る。
落ちている石と、落ちてきそうな石でやっかいな所を通過する。前に落石が重なっていて通りにくい。
鴨の神、味鋤高彦根命を主祭神とする旧村社。この先で国道に合流する。
標高513mの山城で、築城年代は不明。戦国時代には三浦忠近が城主で、尼子氏と戦い敗れた。
旧道から国道に出た所
明治44年の疫病の死者の供養のためのもの。
こんなのどかな村にも刑場の哀しい歴史があったのだ。
確かに山陽と山陰を結ぶ「陰陽の道」
日露戦争の戦勝記念で植えられた桜並木。両側の水路にはきれいな水が流れ鯉が泳いでいる。
松江藩の休憩所の「御茶屋」から本陣になった。
百日紅(さるすべり)の古木が見える。
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