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2010年5月28日 (金)

姫街道②(見付宿→市野宿→三方原追分)

2010年5月5日

磐田駅バス→加茂川・・・東海道見付宿・姫街道追分・・・河原橋・・・一本松跡碑・・・かぶと塚公園・兜塚古墳・・・京見塚古墳・・・水汲坂・・・一言坂(立場跡・古戦場跡・琴平神社)・・・一言観音・知恩斉・・・彷僧川・・・アミユーズ豊田ポケットパーク・・・妙法寺・・・誓渡院・・・行興寺(熊野の長藤)・・・池田の渡し歴史風景館・・・池田の渡し跡・・・粒見堂?・天白神社・・・新天竜川橋・・・東海道と合流・中野町・・・姫街道追分・・・普伝院(千体堂)・・・秋葉道道標・・・柏木橋(旧松小池川跡)・・・半僧坊道標(里程石)・・・長泉寺・・・八幡神社・・・池田道分岐・・・安間川・・・市野宿・熊野神社・・・八丁とうも・・・長福禅寺・・・小池の一里塚跡(65)・・・大養院・・・江原橋・・・(遠州鉄道)・(二俣街道)・旧秋葉道分岐・・・(国道152号飛龍街道)・・・馬乗場跡・・・旧五枚橋跡・五枚橋(馬込川)・・・宇藤坂・・・俊光将軍社・・・大菩薩坂・・・欠下城址あたり・・・常夜灯・・・道標・県道261号・二重坂・・・一里塚橋交差点・追分の一里塚跡(66)・・・三方原追分(元追分交差点)

 東海道見付宿の追分から、昨日歩いた三方原追分まで快晴の下を行く。ちょうど行興寺の「熊野の長藤祭り」でいいタイミングだった。天竜川を渡り東海道と合流し、中野町を抜け、安間の一里塚跡の手前で、姫街道は北に向かう。市野宿には宿場の名残りは無い。宇藤坂の旧道あたりには昔の面影が少し残っているか。

 昨日、今日の道筋は車の多い市街地の通りで、あまり面白みがある街道歩きとは言えなかった。明日は三方原追分から浜名湖の北の気賀宿、引佐峠、三ケ日宿へと進んで行く。宿場風情も残り起伏もあり、変化に富んだ姫街道となるだろう。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_5882 見付宿の東海道との追分 《地図

直進する細い道が姫街道、左に曲がるのが東海道。

Img_5896 兜塚古墳

5世紀頃築造の直径80mの円墳。戦時中に古墳上に塹壕が掘られて墳形は崩れている。ここは中部129部隊跡。

Img_5893 説明板

Img_5914 京見塚古墳

5世紀中頃築造の直径47mの円墳。

病によりこの地に移り住んだ戒成皇子(桓武天皇の第四皇子)が、塚の上から京を偲んだため、「京見塚」と呼ばれるようになったという。周辺には古墳時代後期の群集墳や埴輪焼成窯、弥生時代の方形周溝墓がある。

Img_5908 説明板

Img_5918 水汲坂 南東に上る坂。《地図

台地から下の低地へ水を汲みに行く坂だったのか。

Img_5920 坂上方向

Img_5928 一言坂(坂下方向) 東方向に上る坂。【ル-ト地図】の①

Img_5937 坂下方向

Img_5926 一言坂の戦跡碑(国道沿い)

徳川家康と武田信玄の戦場跡。この後、家康は三方原の合戦で大敗を喫する。

Img_5936_2 一言坂の戦い・姫街道説明板

Img_5927 国道1号の(新)一言坂

Img_5944 一言観音堂(左)・知恩斉(右) 《地図

もとは一言坂にあった。

Img_5947 一言観音

これも家康にゆかりの観音。家康が「戦勝」の一言を祈願したとか。中遠昔話『一言観音』 

左は一言地蔵か?

Img_5951 豊田ポケットパーク

熊野(ゆや)御前の物語』の第5場

Img_5949物語

Img_5954 ポケットパークに置かれている物語の石柱。

第3場は東海道を歩いている時に寄った若宮八幡神社にある。

Img_5972 行興寺 【ル-ト地図】の② 

熊野御前ゆかりの寺で、「熊野の長藤」は国と県の天然記念物。今日は「熊野の長藤祭り」、「熊野御前例祭」で参拝客、見学客が多く出店も並んでいる。

Img_5970 由緒

Img_5964 熊野(ゆや)の長藤

Img_5969 説明板

Img_5960 行興寺は鎌倉時代創建の西法寺跡

Img_5977 池田の渡し歴史風景館

Img_5975 池田の渡し説明板

Img_5982 池田の渡し跡

今は渡し船を待つ旅人ではなく、熊野の長藤を見に来た人たちの車で一杯。

Img_5983 杉田屋

昔は「どじょう汁」が名物だったようだ。

Img_5990 天竜川渡船場跡碑

Img_5993 新天竜川橋 《地図

Img_5998 明治から昭和にかけては木橋で渡っていた。

Img_5996 中野町の道筋①

Img_5997

中野町を抜け、東海道安間の一里塚跡(64)の手前から右(北方向)に姫街道は分岐する。

この間は『東海道(見付宿→浜松宿)』に記載。

Img_6018 ここで東海道と分かれ北進する。(安間の一里塚跡(64)の手前)《地図

Img_6017 説明板

Img_6020 普伝院

天竜川沿いの戦の死者の供養のために、村人が彫った千体の木彫仏を安置して姫街道沿いに建立した千体堂が、この寺に移されている。

Img_6024 秋葉道道標(嘉永元年(1848))

右の民家の植込みの中。

Img_6032 常夜灯 《地図

左奥に馬頭観音を安置する長泉庵。

この先の八幡神社の少し先が、「池田の近道」分岐だが、天竜川との間は浜松インターチェンジ周辺の倉庫群により旧道の道筋は失われている。

Img_6044奥山半僧坊(方広寺)道標(里程石・五里十四町)

明治14年の山林大火の際に焼けなかったことから、方広寺の鎮守の半僧坊の信仰が全国に広まった。姫街道沿いには多くの半僧坊道標がある。 

Img_6046 市野宿の家並み 《地図

斉藤本陣は現存せず、旅籠や問屋場などは不明という。江戸時代の後期には浜松宿起点の道筋が姫街道の主流となり、宿場の機能は失われていった。

Img_6054 熊野神社

Img_6060 八丁とうも

「とうも」は、水の張られた田面のこと。田んぼの間を直線の八丁縄手道だったのだろう。

Img_6069 小池の一里塚跡(65) 【ル-ト地図】の③

左の看板の下

Img_6066 石碑と説明板

Img_6070 大養院

Img_6090 馬乗場跡

この先に馬込川がある。

Img_6093 旧五枚橋跡

現在の五枚橋の下流50mほどにあった。

Img_6097 今は五枚橋を渡り、(新)宇藤坂となる。

Img_6100 宇藤坂(坂上方向) 【ル-ト地図】の④

旧五枚橋からここへ通じていた。このあたりの地名による坂名。昔は有刀ともいわれたようだ。ここも各地にある「うとう坂」と同じで、馬込川まで延びた「善知鳥(うとう)」の嘴のような地形で、この地名となったのでは。『うとう坂表

Img_6103 県道(新宇藤坂)で分断されているが、石段を上りさらに上る。

Img_6108 坂上方向

Img_6111 旧俊光(としみつ)将軍社 《地図

坂上田村麻呂の子の俊光を祀るのか? 明治40年に有玉神社に合祀され、小祠のみが残る。ラブホテルの隣で肩身が狭まそうだ。

この付近で縄文の土器片、石器類が出土し、奈良・平安時代の掘立柱建築物跡も8棟見つかった。古代の役所跡とも推定されるそうだ。

Img_6117 大菩薩坂(坂下方向) 南西に上る坂 《地図

元亀3年(1572)三方原の合戦の際に、武田信玄が欠下(かけした)城南側の大菩薩坂を上り、大菩薩山に陣を構えたとの記録があるそうだ。

Img_6118 坂下方向

Img_6123 坂下

正面の東名高速のあたりが、欠下城跡。

Img_6126 坂上方向

右に坂標

Img_6134 道標(天保3年(1832))

「右きが かなさし 左庄内道」と刻むそうだ。浜松市の姫街道沿いに残る道標では最古のもの。

Img_6136 二重(ふたえ)坂 《地図

北西に三方原台地へ上る県道261号。坂名の由来不明。

Img_6139 追分の一里塚跡(66) 【ル-ト地図】の⑤

Img_6141 説明板

Img_6143国道257号との交差点が昨日歩いた浜松宿から来る姫街道との追分(元追分交差点)。ここで合流し、姫街道は細江、三ケ日へと向かう県道261号。

右へ曲がれば、金指、奥山半僧坊、鳳来寺へといたる道筋(金指街道)。

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