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2010年5月14日 (金)

東海道(大津宿→三条大橋)

2010年4月28日

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 石山の商店街を抜け、京阪電車の踏切を何度も渡り、北西方向に曲がりながら進み、大津宿の札の辻に出た。ここは路面の京阪電車が通る広い車道で、かつての宿の面影は残っていない。国道1号の長い逢坂を上ると、歌枕の逢坂の関だがここも車の行き交うただの車道で何の風情もない。このまま三条大橋まで下って行くのかと思ったが、平地に出てからまた日ノ岡峠へと上り返すことになる。日ノ岡から蹴上浄水場に沿って下ると、もうこのあたりは観光客が多く、京都に着いた実感がわく。賑やかな三条大橋を少し眺めただけで次の目的地に向かった。

 ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_4328蓮如上人休息所跡(鳥居川交差点の手前)

後ろが旅籠伏見屋跡で、本願寺八世蓮如上人が布教の途中で休憩したという。縁切地蔵もここにあったのか?

Img_4335 粟津(鳥居川)の一里塚跡(121)あたり 

東海道線のガードをくぐった盛越川の手前にあったようだ。

Img_4339 膳所城勢多口総門跡

右の民家前に石柱が立つ。

Img_4372 膳所五社まつり(5月3日)

若宮→篠津→膳所→和田→石坐神社の順で、祭りの前に今日全部に寄ることになる。

Img_4347 若宮八幡神社

表門は膳所城の犬走り門を移築。

Img_4345 説明板

Img_4353 旧家

Img_4356篠津神社

ここの表門も膳所城の城門を移築。

Img_4358 奥村歯科 《地図

ここを左に曲がって行く。

Img_4363 大養寺

武家屋敷の長屋門で、膳所の六門の一つ。

Img_4367膳所神社

表門は膳所城の城門を移築。

Img_4366 由緒

Img_4368 説明板

Img_4371 旧家

Img_4376縁心寺

膳所城主の菩提寺

Img_4377 旧家

Img_4379和田神社

表門は膳所藩校遵義堂(じゅんきどう)の門を移築。境内(右)の神木のいちょうは、関が原合戦に敗れた石田三成が京へ護送される途中、ここで休止の際につながれたという。

Img_4385 旧家

Img_4386_2 響忍寺(こうにんじ) 

【ル-ト地図】の82

膳所の六門の一つ。ここは元は家老屋敷だった。あとの4門は残らず。

Img_4391石坐(いわい)神社 《地図

Img_4389 由緒

Img_4390 説明板

Img_4395 膳所城北総門跡

正面の民家前に石柱

Img_4402 義仲寺(ぎちゅうじ) 《地図

Img_4401 説明板

Img_4403 巴地蔵尊

Img_4409 木曽義仲の墓

Img_4410 芭蕉の墓

Img_4415 「木曽殿と背中合わせの寒さかな」

弟子の又玄が義仲寺に滞在中の芭蕉を訪ねた時に詠んだ句。芭蕉の死後に詠まれた句と思っていた。

境内には、「古池や・・・」を初め多くの句碑がある。

Img_4418 芭蕉真蹟の「行く春をあふミの人とおしみける」

Img_4412 翁堂

Img_4420 大津(石場)の一里塚跡(122)あたり 《地図

京阪電鉄の石場駅を渡ったあたり。

Img_4423 膳所の家並み

Img_4426平野神社

毎年8月9日に蹴鞠が奉納され「けまり神社」とも呼ぶ。鞠(まり)の形の石灯籠があるようだ。

Img_4438 「うな忠」?

国の登録有形文化財

Img_4440 露国皇太子遭難之地(左に石柱) 《地図

巡査が訪日中のロシア皇太子に斬りかかった大津事件の発生地点。大審院長児島惟謙が司法権の独立を守ったともてはやされた事件。

Img_4443 札の辻 《地図

ここを左に曲がる。大津宿には宿場の面影は残っていない。
直進すれば小関越え、西近江路へとつながる。

Img_4446_2 道路の中央を堂々と走る3両の京阪電車だが、むろん赤信号では停車しなければならない。

もう逢坂の上りが始まっている。

Img_4451_2 大津宿大塚本陣跡 

Img_4453_2 説明板

Img_4456_2 逢坂

「武内宿禰、精兵を出して追ふ。たまたま逢坂に遭ひて破りつ。故、其の処を号けて逢坂といふ」『日本書紀』

神功皇后の将軍・武内宿禰がこの地で忍熊王とばったりと出会ったことに由来するという伝承の坂名。

Img_4467_2 坂標

Img_4459_2 関蝉丸神社

歌舞音曲、諸芸事の神、逢坂の関の守り神の蝉丸を祀る。東京北区の王子神社の境内に蝉丸を祀る関神社がある。

Img_4461_2 謡曲「蝉丸」

Img_4463_2 時雨燈篭(蝉丸神社境内)

鎌倉時代の特色をもつ石灯籠で、国の重文だ。

Img_4462_2 説明板

Img_4473_2 逢坂の関は近い

Img_4474_2 逢坂の関跡 【ルート地図】の84

「逢坂山関址」碑、百人一首の「これやこの  行くも帰るも  別れては  知るも知らぬも  逢坂の関」(蝉丸)
「夜をこめて  鳥のそらねは  はかるとも  よに逢坂の  関はゆるさじ(清少納言)
「名にしおはば 逢坂山の さねかずら 人にしられで くるよしもがな」(三条右大臣)の歌碑が立つ。 

Img_4477_2 説明板

Img_4502_2 逢坂の関からの道筋

Img_4493_2 月心寺(左)・大谷(走井)の一里塚跡(123)あたり 《地図

「走井」があり東海道の旅人は、ここで渇きをいやし、茶屋で「走井餅」を味わった。庭の一角に小野小町百歳像を収める小町堂がある。『広重 大津(走井茶店)』
大正・昭和期は画家橋本関雪の別荘地だった。今でも「走井」からは水が湧いている。
落語『走り井餅』もある。
このあたりに大津算盤の始祖、片岡庄兵衛の店があった。

Img_9097 髭茶屋の追分 《地図

直進が東海道、左折が奈良街道(京街道)。
このあたりに「ひげ茶屋九左衛門」の茶屋(料亭)があったのか? 

Img_9099 道標

左の「蓮如上人」石柱は、京街道沿い枚方の出口御坊光善寺の蓮如上人廟への道標。

Img_4506_2小関越道標(三井寺観音道)

【ル-ト地図】の86

逢坂の「大関」に対する小関。さっきの大津宿の札の辻に通じている。

Img_4509_2 昔ながらの商店

Img_4510 山科地蔵堂(徳林庵) 《地図

Img_4511 縁起

Img_4515山科地蔵尊

京の六地蔵」の一つ。小野篁の作だとか。

着飾り化粧して吉祥天のような地蔵らしかなぬ姿でなじめない。化粧直しは100年に一度らしい。始終、所かまわず化粧している女人よりましか。

Img_4513 今でも「六地蔵めぐり」は盛んなようだ。

Img_4526 五条別れ道標(宝永4年(1707)建立・直進が東海道

奴茶屋」のあったのはこのあたりか? 『拾遺都名所図会

Img_4531 旧家

Img_4533 御陵(日ノ岡)の一里塚跡あたり(124) 《地図

東海道最後の一里塚がこのあたりにあったようだが。右へ行けば天智天皇山科陵。

Img_4536 亀の水、日ノ岡峠への上りが始まる。

Img_4541 亀の水不動尊 【ルート地図】の87

日ノ岡峠へ上る旅人の喉を潤した湧き水。

水を受ける石水鉢の本物は東京都内に現存するそうだ。

Img_4540 由来

Img_4547 この先で三条通りの車道に出てまだ上る。

Img_4550 車石広場 《地図

車石の使い方はこうではない。

Img_4551 説明板

Img_4481 車石の溝を牛車の車輪が通ったのだ。(逢坂の関にあるもの)

Img_4480 説明板

Img_4555 日ノ岡峠の九条山交差点

粟田口刑場があったのはこのあたりか。

Img_4552 崖上に「南無阿弥陀仏」碑と「万霊供養塔」が立っている。処刑者の供養のためのものだろうか?

Img_4562 日ノ岡から蹴上浄水場の脇を下る。

Img_4565 琵琶湖疎水とインクライン(傾斜鉄道)

Img_4567 インクライン線路跡

Img_4566 説明板

Img_4570 運輸船

Img_4568 説明板

Img_4575_2 合槌稲荷神社

社は民家の敷地内のようで、ここで遠慮する。

Img_4576 由来

謡曲「小鍛冶」の影響から、鍛冶屋が稲荷を信仰するようになったともいわれるそうだ。

Img_4588粟田神社

古来、東山道、東海道の旅人の旅立ち、道中安全の守り神。

Img_4584 粟田口碑(白川小学校前) 《地図

京都七口の一つ。合槌神社の由来話に登場する刀鍛冶の宗近もこのあたりに住んでいたようだ。

Img_4582 説明板

Img_4598 坂本龍馬結婚式場跡(左) 

白川橋の手前、ここは青蓮院の旧境内でその塔頭の金蔵寺跡。

Img_4595 お龍さんの写真を見るのは初めてだ。清楚な日本的な美人か?

Img_4596 説明碑

Img_4600 白川橋から白川

Img_3740道標(延宝6年(1678))

Img_4605 高山彦九郎像(三条大橋脇)

お龍さんの写真の見たばかりで、この無骨な像に出会うとは。東海道のラストシーンとしては興ざめの一幕だ。

Img_4606 説明板

Img_4608 三条大橋

【ル-ト地図】の88

広重 三条大橋

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