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2010年6月10日 (木)

中山道(高崎宿→板鼻宿)

2010年6月6日

高崎駅(JR高崎線)・・・連雀町交差点・・・本町3交差点・・・山田家・・・恵徳寺・高崎神社・・・赤坂・・・長松寺・・・岡醤油店・山田文庫・・・国道354号・君が代橋(烏川)・・・万日堂・・・国道406号・・・石神社・・・草津道道標①②・・・若宮八幡宮・・・常安寺・・・茶屋本陣跡(飯野家)・・・金崎不動尊・・・国道18号・・・藤塚の一里塚跡(28)・・・鼻高橋(碓氷川)・・・達磨寺・・・鼻高橋・・・国道18号・・・八幡八幡宮一の鳥居・・・板鼻下町交差点・・・県道137号・・・(信越線)・・・榛名道道標・長伝寺・板鼻宿本陣跡・本陣書院跡(和宮資料館)・板鼻堰・・・鷹之巣橋東交差点・県道171号・・・称名寺・・・聞名寺・・・南窓寺・・・大乗院・・・鷹巣城址あたり・・・鷹巣神社(跡)・・・碓氷の渡し跡・鷹之巣橋(碓氷川)・・・諏訪神社・旧道・一里塚あたり(29)・安中中宿・庚申塔道標・・・蠶養神碑・道祖神・・・寒念仏供養塔・・・国道18号・・・安中駅(JR信越線)

  【ル-ト地図

 『中山道新町宿→高崎宿』の続きです。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_6863 山田家(旧山源漆器店) 《地図

明治15年頃に建てられた重厚な店蔵。

Img_6870_2 高崎神社

社宝の鰐口(非公開)がある。

Img_6873 赤坂を下る。【ル-ト地図】の①

昔は赤土のむきだした坂が烏川へと下っていたのだろう。

坂上の恵徳寺の開山大光普照禅師は、初代の高崎城主井伊直政から、「和田の名称を松崎と変えたいが」 の問いに 「松は枯れるが、高さには限りがない、その意をとって高崎はいかが」 と進言し、「高崎」の地名が生まれたという。

Img_6874 長松寺

狩野探雲(たんうん)の署名のある、『天井絵、涅槃画』がある。狩野探幽ではないよ。

Img_6879 岡醤油 《地図

「日本一醤油」、いい名だ。天明7年(1787)創業の河内屋が、明治30年にここに「岡醤油醸造」を開業。

Img_6882 山田文庫

明治から昭和と産業界で活躍した山田昌吉、大正末期のドイツ滞在を経て京大教授、高崎倉庫社長となり、1974年に山田文庫を創設した山田勝次郎の居宅跡。

明治以前の建物と思われる屋敷蔵、土蔵2棟、明治16年移築の茶室、九蔵町の茂木銀行から移築したと伝えられるレンガ塀がある。現在は図書館として公開されている。

Img_6887 君が代橋親柱が保存されている。

明治11年に明治天皇が北陸・東海行幸の時に、馬車で木橋を渡ったことを記念して命名された。

木橋→鋼橋→三層のインターチェンジ(昭和62年)

Img_6891 君が代橋から「みかえり阿弥陀」の万日堂(正面左) 【ル-ト地図】の②

全国に5体しかないという阿弥陀像は拝めず。
京都の禅林寺のみかえり阿弥陀像は真横を向いている。

Img_6894みかえり阿弥陀伝説

Img_6901 草津道道標① 《地図

正面分岐に、「右はるなみち くさつみち」の自然石の道標。直進の国道406号が信州街道、左にカーブするのが中山道。

Img_6906 草津道道標②

カーブして少し先の八坂神社の小祠の所。ここがもとの分岐点だった。

正面に「榛名山 草津温泉」と刻む。①の所へ移され、またもとの所へ戻された。

Img_6903 説明版

Img_6909 若宮八幡宮

奥州の安倍氏鎮圧に向う、源頼義・義家父子が建立したいう。

「義家の腰掛石」は見当たらず。茶屋本陣の先の右側に「八幡太郎の笛吹き石」なるものがあるそうだが、それが腰掛石なのだろうか?

Img_6926 上豊岡の茶屋本陣跡(飯野家) 《地図

高崎宿と板鼻宿の間の大名、上級武士、公卿などの休憩所。

Img_6922 説明版

Img_6924 銀箔の襖絵

今は銀色には光っていない。

Img_6931 金岡不動尊

Img_6929 不動明王

木彫りの像のようだ。

Img_6934 藤塚の一里塚跡(28) 《地図

群馬県で唯一残る一里塚。塚上に榎が2本。

Img_6943 達磨寺総門

ここからけっこうな石段を上り、鐘楼門をくぐる。

Img_6946 達磨寺霊府堂(本堂)

納められた達磨たちが両脇に重なっている。境内には日本全国の達磨を集めた達磨堂、ブルーノ・タウトが暮らした洗心邸などがある。

Img_6948 達磨堂

西洋人形も達磨か?

Img_6954 観音堂

創建当時の姿をとどめる達磨寺最古の茅葺の堂。

Img_6958八幡八幡宮の一の鳥居

この先で国道18号から分かれ県道137号に入る。信越線をくぐって板鼻宿へと入って行く。右側にやはたみち(八幡八幡宮)、榛名道の道標が立っている。

Img_6980 板鼻宿本陣(木島家)跡 【ル-ト地図】の③

手前左側の福田脇本陣跡碑は見当たらず。

後ろ(北側)を板鼻堰用水路が流れている。

Img_6993 本陣書院跡(皇女和宮資料館)

文久元年(1861)11月10日和宮が泊まった所。

Img_6981 てうちん屋跡(本陣跡の左隣)

店前に「花屋」の看板が立っている。花を売っているようには見えないが。昔は焼餅も売っていたそうだ。

Img_6971 板鼻堰用水路 《地図》(表示は板鼻川)

鷹巣山麓の堰口から碓氷、九十九両川の水を取り入れ、安中市板鼻、高崎市八幡町、剣崎町、藤塚町、上豊岡町、中豊岡町、下豊岡町を経て、烏川に落水する延長15km、灌漑面積150ヘクタールの、今から400年ほど前の慶長年間中期から後期に開鑿されたという用水路。

Itahana「英泉の板鼻」

板鼻堰用水路が描かれている。

Img_6990 称名寺

梵鐘は郷土鋳物師、金井兵部重久が宝永5年(1708)に鋳造したもので、戦時中の供出から免れた。

Img_6997 聞名寺

一遍上人の笈」がある。

少し西の南窓寺の北側の鷹ノ巣山の台地(古城住宅団地の東側)が鷹巣城跡《地図》で上ってみたが、遺構、案内板などは見つからず。

Img_7009 鷹巣神社(跡) 《地図

荒れ果てて、神門の先は草茫々で行くことができない。とても「営業中」の現役の神社とは思えないが。

Img_7017 鷹ノ巣茶屋跡(現在の茶屋伊勢路)

この前が「碓氷の渡し」跡 【ル-ト地図】の④

Img_6966 説明版

Img_7019 碓氷の渡し跡から妙義山   

夏は川越人足、冬は仮橋で渡ったようだ。

今は鷹之巣橋を渡って、諏訪神社前から安中中宿の旧道へ入る。 江戸から29番目の一里塚跡の標柱が立っているようだが見逃した。

Img_7029 庚申塔道標(享和2年(1802)建立)

左側面に「従是一宮 大日街道」とある。一宮とは富岡市の貫前(ぬきさき)神社

Img_7034 養神・道祖神(左の木の下)

養蚕の神だろう。

Img_7039 寒念仏供養塔 【ル-ト地図】の⑤

彫られているのは何の像か?

旧道はここを直進して碓氷川を渡ったが、今は国道18号の久芳橋を渡る。

Img_7041 東邦亜鉛工場(安中駅から)

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