中山道(高崎宿→板鼻宿)
2010年6月6日
高崎駅(JR高崎線)・・・連雀町交差点・・・本町3交差点・・・山田家・・・恵徳寺・高崎神社・・・赤坂・・・長松寺・・・岡醤油店・山田文庫・・・国道354号・君が代橋(烏川)・・・万日堂・・・国道406号・・・石神社・・・草津道道標①②・・・若宮八幡宮・・・常安寺・・・茶屋本陣跡(飯野家)・・・金崎不動尊・・・国道18号・・・藤塚の一里塚跡(28)・・・鼻高橋(碓氷川)・・・達磨寺・・・鼻高橋・・・国道18号・・・八幡八幡宮一の鳥居・・・板鼻下町交差点・・・県道137号・・・(信越線)・・・榛名道道標・長伝寺・板鼻宿本陣跡・本陣書院跡(和宮資料館)・板鼻堰・・・鷹之巣橋東交差点・県道171号・・・称名寺・・・聞名寺・・・南窓寺・・・大乗院・・・鷹巣城址あたり・・・鷹巣神社(跡)・・・碓氷の渡し跡・鷹之巣橋(碓氷川)・・・諏訪神社・旧道・一里塚あたり(29)・安中中宿・庚申塔道標・・・蠶養神碑・道祖神・・・寒念仏供養塔・・・国道18号・・・安中駅(JR信越線)
【ル-ト地図】
『中山道新町宿→高崎宿』の続きです。
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山田家(旧山源漆器店) 《地図》
明治15年頃に建てられた重厚な店蔵。
社宝の鰐口(非公開)がある。
昔は赤土のむきだした坂が烏川へと下っていたのだろう。
坂上の恵徳寺の開山大光普照禅師は、初代の高崎城主井伊直政から、「和田の名称を松崎と変えたいが」 の問いに 「松は枯れるが、高さには限りがない、その意をとって高崎はいかが」 と進言し、「高崎」の地名が生まれたという。
狩野探雲(たんうん)の署名のある、『天井絵、涅槃画』がある。狩野探幽ではないよ。
「日本一醤油」、いい名だ。天明7年(1787)創業の河内屋が、明治30年にここに「岡醤油醸造」を開業。
明治から昭和と産業界で活躍した山田昌吉、大正末期のドイツ滞在を経て京大教授、高崎倉庫社長となり、1974年に山田文庫を創設した山田勝次郎の居宅跡。
明治以前の建物と思われる屋敷蔵、土蔵2棟、明治16年移築の茶室、九蔵町の茂木銀行から移築したと伝えられるレンガ塀がある。現在は図書館として公開されている。
明治11年に明治天皇が北陸・東海行幸の時に、馬車で木橋を渡ったことを記念して命名された。
木橋→鋼橋→三層のインターチェンジ(昭和62年)
君が代橋から「みかえり阿弥陀」の万日堂(正面左) 【ル-ト地図】の48
全国に5体しかないという阿弥陀像は拝めず。
京都の禅林寺のみかえり阿弥陀像は真横を向いている。
草津道道標① 《地図》
正面分岐に、「右はるなみち くさつみち」の自然石の道標。直進の国道406号が信州街道、左にカーブするのが中山道。
カーブして少し先の八坂神社の小祠の所。ここがもとの分岐点だった。
正面に「榛名山 草津温泉」と刻む。①の所へ移され、またもとの所へ戻された。
奥州の安倍氏鎮圧に向う、源頼義・義家父子が建立したいう。
「義家の腰掛石」は見当たらず。茶屋本陣の先の右側に「八幡太郎の笛吹き石」なるものがあるそうだが、それが腰掛石なのだろうか?
上豊岡の茶屋本陣跡(飯野家) 《地図》
高崎宿と板鼻宿の間の大名、上級武士、公卿などの休憩所。
今は銀色には光っていない。
木彫りの像のようだ。
藤塚の一里塚跡(28) 《地図》
群馬県で唯一残る一里塚。塚上に榎が2本。
達磨寺総門
ここからけっこうな石段を上り、鐘楼門をくぐる。
納められた達磨たちが両脇に重なっている。境内には日本全国の達磨を集めた達磨堂、ブルーノ・タウトが暮らした洗心邸などがある。
西洋人形も達磨か?
創建当時の姿をとどめる達磨寺最古の茅葺の堂。
八幡八幡宮の一の鳥居
この先で国道18号から分かれ県道137号に入る。信越線をくぐって板鼻宿へと入って行く。右側にやはたみち(八幡八幡宮)、榛名道の道標が立っている。
手前左側の福田脇本陣跡碑は見当たらず。
後ろ(北側)を板鼻堰用水路が流れている。
文久元年(1861)11月10日和宮が泊まった所。
店前に「花屋」の看板が立っている。花を売っているようには見えないが。昔は焼餅も売っていたそうだ。
板鼻堰用水路 《地図》(表示は板鼻川)
鷹巣山麓の堰口から碓氷、九十九両川の水を取り入れ、安中市板鼻、高崎市八幡町、剣崎町、藤塚町、上豊岡町、中豊岡町、下豊岡町を経て、烏川に落水する延長15km、灌漑面積150ヘクタールの、今から400年ほど前の慶長年間中期から後期に開鑿されたという用水路。
板鼻堰用水路が描かれている。
【ル-ト地図】の50梵鐘は郷土鋳物師、金井兵部重久が宝永5年(1708)に鋳造したもので、戦時中の供出から免れた。
【ル-ト地図】の51「一遍上人の笈」(県指定重要文化財)がある。
少し西の南窓寺の北側の鷹ノ巣山の台地(古城住宅団地の東側)が鷹巣城跡《地図》で上ってみたが、遺構、案内板などは見つからず。
荒れ果てて、神門の先は草茫々で行くことができない。とても「営業中」の現役の神社とは思えないが。
この前が「碓氷の渡し」跡
夏は川越人足、冬は仮橋で渡ったようだ。
今は鷹之巣橋を渡って、諏訪神社前から安中中宿の旧道へ入る。 江戸から29番目の一里塚跡の標柱が立っているようだが見逃した。
左側面に「従是一宮 大日街道」とある。一宮とは富岡市の貫前(ぬきさき)神社。
養蚕の神だろう。
寒念仏供養塔
彫られているのは何の像か?
旧道はここを直進して碓氷川を渡ったが、今は国道18号の久芳橋を渡る。
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