奥州街道(白坂宿→白河宿)
2010年6月30日
白坂駅(JR東北本線)・・・皮篭交差点・国道294号(奥州街道)・・・八幡宮・・・金売吉次兄弟の墓・・・一里段溜池(皮篭の一里塚跡あたり)・・・(国道289号)・・・戊辰の役古戦場跡・・・権兵衛稲荷神社・・・棚倉街道合流点・・・金比羅神社・・・南湖橋(谷津田川(やんたがわ))・白河宿・虚空蔵堂・奈良屋・山木屋・月よみの庭・勝軍地蔵堂・関川寺・・・白河駅(JR東北本線)
昨日から降り続く本降りの雨だが、白河宿までは一息で気楽に行く。
【ル-ト地図】
*この先は『奥州街道(白河宿→笠石宿)』・『白河市の坂』へ続く。
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八幡宮 《地図》
義経が金売吉次兄弟の霊を弔い、合祀したと伝える八幡宮だろう。ここを左折して進むと金売吉次兄弟の墓がある。
金売吉次兄弟の墓
金売吉次の存在を裏付ける証拠はないらしい。奥州の金を商い義経の手助けをした商人達がいて、それを吉次兄弟と言っているのだろう。
吉次らが賊に襲われた時に革籠を奪われたことから、付近を革籠原と呼んだという。それが今の地名の皮篭(籠)(かわご)の由来。
日光西街道(壬生通)にも金売吉次の墓がある。これも複数の吉次がいた証左だろう。『日光西街道(壬生通)②』に記載。ここの墓の方が立派だ。
台座に水準点記号の几号があるそうだ。
このあたりは新一里段という地名で、街道の左側に一里段溜池がある。皮篭の一里塚も近くにあったのだろう。
白河口の戦いで戦死した長州、大垣、会津藩士の墓などが並ぶ。
突き当たりで棚倉街道と合流し、左折して九番町から南湖橋を渡り、一番町へと白河宿へ入って行く。
明治期に建てられた商家で、店先に宿場の出入り口に置かれた「馬つなぎ石」が残る。
虚空蔵堂 《地図》
慶長6年(1601)作の「鍍金装笈」を安置する。
江戸時代には蕎麦屋などを営んでいたという。栗羊羹、塩竃をみやげに買う。
後ろが天神神社のある天神山で、明治26年の夏、正岡子規が登って詠んだ歌碑がある。「夏木立 宮ありそうな ところかな」
街道は山木屋前を右折する。
南北朝時代の武将、結城宗広の墓や白河藩士の子で、赤穂義士の討入りに加わった中村勘助の妻の墓がある。
墓地の西側に戦国時代の城郭の空堀跡と土塁跡が残る。
正徳2年(1712)建立の銅製の大きな地蔵。どんないわれがあるのか?
大正時代に建てられたレトロな駅舎。去年来た時には改修中だった。「東北の駅百選」に選定されているそうだ。
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