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2010年7月 6日 (火)

奥州街道(氏家宿→喜連川宿)

2010年6月27日

氏家駅(JR東北本線)・・・光明寺・・・上町交差点・・会津西街道・会津中街道分岐・・・御前城址(氏家小学校)・・・仙禽酒造・・・今宮神社・・・上町交差点・県道48号(奥州街道)・・・原方街道分岐・・・五行橋・・思案橋(五行川)・・・薬王寺・・・村上家・・・瀧澤家・・・八幡神社鳥居・・・桜野交差点・国道293号・・・田中橋・・・狭間田の一里塚跡(32)・・・松山交差点・・・市ノ堀用水路・大黒天(2体)・・・旧道・弥五郎坂(早乙女坂)・弥五郎殿・・・旧道・高塩背山の墓道標・・・羽黒集落・・・河東碧梧桐句碑・・・枝垂れ桜・勝善神碑・荒川土手・・・下妻道道標・連城橋(荒川)・・・喜連川宿・寒竹囲い・龍光寺・御用堀・喜連川神社・大手門(復元)・大蔵ケ崎(喜連川)城址(お丸山公園)・スカイタワー・街の駅本陣・脇本陣跡・喜連川の一里塚跡(33)・東漸寺・喜連川仲町バス停→氏家駅(東北本線)→宇都宮駅・・・善願寺(大豆三粒の金仏)・・・洗橋(田川)・・・宇都宮城址公園・・・二荒山神社(鉄の狛犬)・・・清厳寺(鉄塔婆)・・・宝蔵寺(およりの鐘)・・・宇都宮駅

 梅雨真っ盛りの中を、氏家宿から境の明神を越えて白河宿までの街道歩きです。この区間はJR東北線からは離れ、バスの便も悪いので行程の立て方に苦労する。今日は喜連川宿まで行き宇都宮に戻り、街道近辺を散策した。

  【ル-ト地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_7552_2 光明寺の不動明王

高さ約3mの巨大な青銅像が屋根に乗り、氏家の宿場を憤怒の形相で護っている。この原型に使われた木造不動明王像がさくら市ミュージアムに展示されている。(前回に記載)

Img_7554 説明板

上町交差点を直進し、会津西街道へ入り御前城址へ。

Img_7559 御前城址の土塁跡(氏家小学校内) 

鎌倉時代初期に氏家公頼が築城した平城。室町時代に勝山城が鬼怒川の崖上に築かれ、二つの城が並存した。慶長2年(1597)宇都宮氏の改易に伴い両城とも廃城となる。

Img_7561 説明板

Img_7567 仙禽(せんきん)酒造

Img_7565 説明板

Img_7569 今宮神社楼門

修理中だった。

Img_7570 説明板

上町交差点まで戻り、奥州街道を進む。

Img_7578 思案橋 《地図

思案橋といえば、長崎、高知、金沢、出雲街道の津山などみな近くに遊郭があって「行こか、戻ろか」橋の上で思案したのだが、このあたりに氏家宿の遊郭があったとも思えないし、しばし思案にくれた。

Img_7590 庄屋村上家

Img_7589 享保8年(1723)の五十里(いかり)洪水の時の水位痕が門柱に残る。1m30~40cmの高さか。

日光街道宇都宮宿の一向寺の汗かき阿弥陀は五十里洪水の前日にも汗を流したとか。

Img_7587 説明板

Img_7593 瀧沢家長屋門

明治時代の紡績業の旧家。蔵屋敷、鐡竹堂(明治天皇の休憩所として使われた)も残る。

Img_7616 狭間田の一里塚跡(32)

松山交差点手前の坂本家内(右側)

Img_7615 説明板

Img_7623 大黒天石像(右)の所で国道は右へカーブする。旧道は直進して弥五郎坂を上る。

Img_7627 大黒天(左)の台座は水準点として利用された。ここは標高158mもあるようだ。《地図

Img_7625 説明板

Img_7631 弥五郎坂(早乙女坂) 

少し先の右の石段上に、天文18年(1549)の早乙女坂の合戦で、鮎ケ瀬弥五郎に討ち取られた宇都宮尚綱を供養する弥五郎殿がある。

別伝では、「弥五郎は宇都宮尚綱の家臣で、主人が討たれた後、敵陣に切り込み死んだのを、主人の子孫が供養した」とも。

Img_7635 弥五郎殿

中に尚綱を供養する石造の五輪塔が建っている。

Img_7636 由来

Img_7644 坂上方向

Img_7650 下りとなって右に旧道に入る。ちょっと分かりにくく、雑草に覆われ入りづらい。

Img_7651 入口に奥州街道の標柱が立っている。

Img_7655 倒木の下をくぐり進む。

途中に高塩背山(自然歌人・若山牧水の親友)の墓への道標がある。

Img_7664 羽黒集落に出て、左に車道を7.8分バックして上る。

Img_7666 河東碧梧桐句碑 《地図

正岡子規の弟子で、司馬遼太郎の『坂の上の雲』にも登場するそうだ。

Img_7667 説明板

Img_7674 荒川土手から大蔵ケ崎(喜連川)城址・スカイタワー 《地図

雨の中をあそこまで登るのだ。土手の手前に碧梧桐の句の説明板にある大桜(枝垂れ桜)がある。

Img_7679 道標(連城橋手前の交差点)

「右江戸道 左下妻道」

前方の国道293号沿いには早乙女の桜並木が続く。ここに明治大正期には氏家までの約8.3kmの喜連川人車鉄道が通っていた。

Img_7678 説明板

Img_7681 連城橋を渡り喜連川宿へ入る。

Img_7682 寒竹囲いの家

6代藩主の茂氏が家臣の屋敷の塀を腐りやすい板塀から、周辺に自生するオカメ笹(寒竹)の垣根とするように奨励した。

Img_7695 龍光寺の喜連川足利家の墓所

秀吉、家康は足利尊氏の流れを継ぐ、当家を特別待遇し、五千石にもかかわらず十万石の家格が与えられ、江戸城登城の時には御三家や百万石大名級の扱いを受けていたという。

Img_7694 説明板

Img_7696 御用堀 

昔は生活用水として使われていた。

Img_7705 説明板

Img_7704 旧家

Img_7708 今も鯉が泳ぐ清流だ。

Img_7712 高塩背山(左)と若山牧水(右)の歌碑(喜連川神社の裏参道)

「時をおき老樹の雫おつるごとしづけき酒は朝にこそあれ」 牧水

「かぜとよむ桜若葉のあひだよりのこれる花のちるはさびしき」 背山

Img_7715 喜連川神社

7月の天王祭の神輿渡御は荒神輿、暴れ神輿として有名だそうだ。

Img_7714 説明板

源惟朝とは喜連川塩谷氏15代目の塩谷惟朝のこと。17代目の惟久は秀吉の命に応ぜず領地、妻子を捨てて出奔した。惟久の妻は、古河公方の分家の小弓公方の血を引く足利頼純の娘の島子で、これが絶世の美女だったとか。色ボケ親爺の秀吉はこれ幸いにと早速彼女を側室にして、島子の弟の足利国朝を足利氏姫(最後の古河公方の足利義氏の娘)と結婚させ、塩谷氏に変わって喜連川の領主とした。若死にした国朝の跡をその弟の頼氏が継ぎ喜連川(足利家)を名乗った。

Img_7735 大手門(復元)

門をくぐった内側から街道方向。ここからお丸山公園(喜連川城址)、スカイタワーへ上る。シャトルエレベーターもあるのだが、上る途中で動いているのを見なかった。運転しているのだろうか? 

源義家を祖とする塩谷惟広(喜連川塩谷氏の祖)は、源平合戦で源義経の軍に従って戦功を立て、源頼朝から塩谷の里3千町を領地として与えられ、文治2年(1186)ここに大蔵ケ崎(喜連川・倉ケ崎)城を築いた。ここからお丸山公園に上る。

Img_7731 シャトルエレベーター

スカイタワーを往復する間、一度も動いてなかったようだが。雨とはいえ日曜なのに。

Img_7730 スカイタワーから喜連川城温泉、荒川。

Img_7795 本陣跡(街の駅本陣) 

建物は大正15年建築の警察署

Img_7737 説明板

Img_7742 「紙屋」といっても今は和菓子店

脇本陣を勤めた家で、明治以降に饅頭屋を開業。

Img_7743 京呉服の「ささや」(笹屋)

江戸時代から呉服を含む「ヨロズ屋」をやっていたという。蔵が後ろの喜連川小学校前の通りまで続いている。

Img_7745 喜連川の一里塚跡(33) 

「喜連川市街地MAP」によると、仲町交差点の所だが痕跡、表示はない。

Img_7746 東漸寺(右)の前

枡形の名残りか。

Img_7748 説明板

東漸寺の放火事件の実話が書かれている。スカイタワーでもらった「喜連川市街地MAP」では、昔話「お城と東漸寺の焼きくらべ」の舞台となっている。

Img_7750 突抜井戸(喜連川小学校内)

明治時代以降、上総掘りという井戸掘り工法による自噴井戸があちこちに掘られ、生活用水として使用していた。地下40m前後まで掘るときれいな水が豊富に湧出するという。三段式になっている。

氏家駅(東北本線)→宇都宮駅

***ここからは宇都宮散歩***

Img_7754 大豆三粒の大仏(善願寺の銅造盧舎那仏坐像) 

高さ3.6m、台座は1.6m、大豆三粒の寄進をもとに享保20年(1735)に建立されたことからこう呼ばれるそうだ。「土や石積れば富士の山となる豆も佛となるとこそきけ」。「ちりも積もれば山となる」ということか。

Img_7761 宇都宮城址公園 

平成18年に城址公園として整備された。

Img_7774 二荒山(ふたあらやま)神社 

下野国一之宮

Img_7775 鉄の狛犬

普通の石造の狛犬と違っておとなしそうで迫力がない感じ。もう片方の相棒がいないので元気がないのだろう。

Img_7781 およりの鐘(宝蔵寺) 

説明板のいわれのほかに①鐘の音が一里四方(四里)に聞こえた。②身分の高い人が宇都宮に「お寄り」になる時に撞いた。

Img_7780 説明板

Img_7783 清厳寺 

山門をくぐった右側に鉄塔婆の収納蔵がある。扉を開いて、電気をつけて見ることができる。無料で許可不用とは、この寺は偉い。他の寺社も見習うべし。

Img_7765 鉄塔婆

高さが3.3mもあり、緻密な浮き彫りも見事。さすが国重文のことはある。

Img_7784 説明板

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