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2010年7月21日 (水)

中原街道②

2010年7月9日

沼部駅(東急多摩川線)・・・丸子の渡し跡(東京側)・・・丸子橋(多摩川)・・・丸子の渡し跡(川崎側)・・・丸子橋交差点(綱島街道分岐)・県道45号・・・(東急東横線)・・・旧原家母屋跡・・・名主安藤家長屋門・・・小杉御殿の御主殿跡・・・小杉陣屋跡・・・西明寺・・・カギの道・・・小杉駅供養塔・・・庚申塔道標(大師道分岐)・・・小杉十字路・・・神地橋(二ケ領用水)・・・泉沢寺・・・庚申塔・・・地蔵尊・・・馬頭観音・・・(JR南武線)・・・大戸神社・鎌倉街道下の道合流地点・・・厳川橋跡(江川せせらぎ遊歩道)・・・千年交差点・旧道・蟻山坂・・・県道45号・・・野川橋(矢上川)・・・野川くぬぎ坂・・・妙法寺(久末義民地蔵尊)・・・久末交差点・・・(第三京浜国道)・・・鎌田堂・道中坂・旧道・・向坂・旧道・・・のちめ不動尊・・・山田神社・・・馬頭観音・清林寺・・・勝田橋(早渕川)・・・旧道分岐・・・関家住宅・・・稲荷神社・・・(横浜市営地下鉄)・・・向原交差点・・・大塚原交差点・・・東方原交差点・・・星ケ谷交差点・・・原庭バス停・庚申塔・・・関戸交差点・・・地蔵尊・滝ケ谷戸・・・(東漸寺)・・・佐江戸交差点・・・地蔵尊・・地蔵尊前交差点・辻の地蔵尊・・・落合橋(鶴見川)・・・八王子道分岐?・地神供養塔・・・中山橋(JR横浜線)・・・宮の下交差点・・・長泉寺・・・中山駅(JR横浜線)

 *『中原街道③』に続く。

  【ル-ト地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_8773 丸子橋を渡り川崎市へ

Img_8776 丸子の渡し跡碑 《地図

Img_8777 説明板

丸子橋交差点に出て東横線をくぐり、丸子通り(県道45号)を上丸子天神町、小杉陣屋町、小杉御殿町へと進む。

Img_8784 周辺案内図

Img_8783 原家住宅

大正2年に完成した総ケヤキ造り二階建ての母屋がここにあった。今は日本民家園に移築復元してある。

Img_8795 安藤家長屋門

旧名主の代表格で代官から賜った長屋門。門の内側に高札があるそうだ。なぜ高札が内側に?

Img_8797 石橋醤油店

今も醤油の販売店なのか?

Img_8798 説明板

Img_8804 小杉御殿の御主殿跡 【ル-ト地図】の①

このあたりが二代将軍秀忠が建てた小杉御殿の中心部の御主殿跡。御殿は家康の送迎、鷹狩りの休息所などに使われた。東海道が整備されると廃止された。

Img_8812 小杉陣屋跡 《地図

家康の命を受けた小泉次大夫はここに陣屋を設け、14年に及ぶ難工事の末、稲毛領、川崎領を潤す「二ケ領用水」を完成させた。小杉陣屋町はこれに因む町名。

Img_8811 西明寺

もとは川崎の有馬にあったが、木月の金剛院と合併し、この地に移る。
鎌倉時代は勅願寺の影向寺の末寺で、北条時頼が幾度も参拝し西明寺の再建に務めたことから、時頼が中興開山といわれている。境内の弁財天には北条時頼にまつわる伝説があるそうだ。「川崎七福神」の大黒天。参道付近はよく公の場として使われ、明治6年には本堂に「小杉学舎」が置かれ近代小学教育の場となった。

Img_8802 カギの道

西明寺参道前で左に曲がり、すぐに右に曲がる、宿場、城下にある「枡形」の道。

Img_8808 説明板

Img_8815 小杉駅供養塔(西明寺前バス停の所)

台座が道標で、「東江戸 西中原」

Img_8817 説明板

Img_8820 庚申塔道標

「東江戸 西大山道 南大師道」

大師道は川崎大師への道だろう。

Img_8828 神地橋(ごうじばし) 《地図

二ケ領用水の本流。このあたりでとれた良質の「稲毛米」と呼ばれ江戸の人々に喜ばれたそうだ。

Img_8831 泉沢寺

吉良氏の菩提寺。吉良氏は門前市を開きこの地の繁栄を図った。夏の泉沢寺の市は世田谷の「ボロ市」と並び広く知られていた。寺の周囲には構堀(かまえぼり)といわれる水堀があったそうだ。

Img_8832 説明板

Img_8833 庚申塔(左)

Img_8837 地蔵の小祠(右)

Img_8835 説明板

Img_8836 地蔵さん

Img_8838 馬頭観音の小祠(左)

正面はJR南武線のガード。

Img_8839 馬頭観音

かなり風化している。

Img_8842 大戸神社 《地図

狛犬が砲弾を抱えている。日露戦争の戦勝記念に奉納されたもの。
神社前で南から来る「鎌倉街道下の道」が合流する。

Img_8851 蟻山坂 【ル-ト地図】の②

右に旧道を上る。

Img_8856坂上から下って県道に合流し、少し先で左に旧道に入る。

Img_8860 蟻山坂改修記念碑

上が旧道、碑の手前が県道で「新蟻山坂」

Img_8866 旧道に並ぶ天照皇太神塔、青面金剛塔、秩父坂東回国供養塔、地蔵。

Img_8875 野川くぬぎ坂 《地図

第三京浜の西側の宮前区には「くぬぎ坂」がある。木々の間の緑の多い坂で、この坂より名前負けしていない。『川崎市の坂-4』に記載。

Img_8881 久末義民地蔵(右)・地蔵供養塔(左)(妙法寺内) 《地図

苛酷な年貢を取り立てる領主に直訴して殺された村民たちを供養する地蔵。

Img_8880 説明板

Img_8894 鎌田堂 《地図

由来碑によれば、堂の背後は鎌田兵衛正清の館跡でこの名がある。もとは観音像を安置していたが盗まれ、寛文13年(1673)に地蔵を建立した。寛永から安政(1624~1859)の頃には念仏道場として繁栄し、「道場坂」(今の道中坂)の名を残した。

Img_8896 由来

Img_8901 今も子育て、諸願成就の地蔵として庶民の信仰を集めている。

Img_8903 道中坂 【ル-ト地図】の③

坂上の第三京浜方向

Img_8904右に旧道に入る。

Img_8907合流した向坂の坂上から道中坂方向を振り返る。この先で再び右へ旧道に入る。 《地図

Img_8910 旧道を行くと石垣上に「のちめ不動尊」がある。

Img_8919 のちめ不動尊 【ル-ト地図】の④

今から150年ほど前、のちめの人が八王子から不動尊をかつぎ、この地に祀ったという。「のちめ」とはどのあたりのことなのか? なぜ八王子から背負ってきたのか? 八王子のどこかで造らせた像なのか? それとも八王子のどこかから、かっぱらって来たのか? 由来碑を読んでもよく分からん。年号も間違っていた。

Img_8924 山田神社前

鳥居から長い参道の石段を上る。社殿まではけっこうな距離があり、汗が噴き出てきた。

Img_8929 山田神社 《地図

仁平年間(1151~53)の源義朝の家来の鎌田兵衛正清の居城跡という。たしかにこのあたり一帯は丘陵地になっていて城(館)にはふさわしい地形だ。

7月の「虫送り」行事は今も行われているのだろうか?

Img_8951旧道は右だが関家住宅を見たいのでそのまま県道を進む。旧道は港北ニュータウンにぶつかり途切れてしまう。《地図

Img_8958 関家長表門 《地図

もとは後北条氏に仕えた地侍と伝える旧名主家。現在も居住中の屋敷。

Img_8955 説明板

この先、横浜市営地下鉄をくぐり、向原交差点に突き当たって右折、大塚原交差点を左折し、起伏のある道を南西に佐江戸を目指す。

Img_8973 東方原へ上る。《地図

Img_8977_2 星の谷へ下り

Img_8980 庚申塔の小祠(原庭バス停)

Img_8981 庚申塔

Img_8983 馬頭観音(介護老人福祉施設池辺前)

後ろに古いのもある。

Img_8992 地蔵

滝ケ谷戸バス停の所 

Img_9002 佐江戸バス停 《地図

「西土」が「佐江戸」と変化したという。鶴見川と恩田川の合流する交通の要衝地で、荷物の受け渡しをする継立場が設置されていた。

このあたりは車の往来が激しく、渋滞していてあたりをゆっくり散策する気分にはなれない。近くには東漸寺、無量寺、杉山神社もあるが。

Img_9004 辻の地蔵 【ル-ト地図】の⑤

中原街道(県道45号)の拡幅で、平成19年に地蔵尊前交差点の辻からここへ移された。

Img_9005 地蔵と地神

Img_9009 落合橋(鶴見川)

少し上流で左から恩田川が合流している。

Img_9011 八王子道(右)との分岐?(高周波前バス停の先の辻)

正面に地神供養塔と風化した石造物(馬頭観音か地蔵か)が立っている。

Img_9012 地神供養塔(右)・左は?

この先の宮の下交差点で今日の打ち止めにして中山駅に向かう。

Img_9018 長泉寺前の庚申塔

元禄6年(1693)の銘がある。

Img_9021 庚申塔か馬頭観音か(緑郵便局交差点の所)

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