中原街道③
2010年7月11日
中山駅(JR横浜線)・・・宮の下交差点・県道45号・長坂・・・長坂谷公園・・・大池公園・・・庚申塔・日蓮大菩薩塔・都筑郡役所跡碑・・・浜街道交差地点・・・都岡町交差点(八王子街道交差)・・・御殿橋(帷子川)・・・地蔵(右)・・・桜橋・・・下川井インター交差点(保土ヶ谷バイパス)・・旧道・・・一里塚跡・見晴らしポケットパーク・岩船地蔵尊・・・(追分市民の森)・・・県道45号・・・(相模鉄道)・・・二ツ橋由来碑・石橋供養塔(二ツ上橋交差点)・・・南台交差点(厚木街道(県道40号)交差)・・・椰の木の碑・・・(県道18号)・・・宗川寺・・鎌倉街道上の道交差地点・・・新道大橋(境川)・大坂①・・・順礼街道(巡礼道)分岐・・・(国道467号)・・・(滝山街道交差)・・・(小田急江ノ島線)・・桜株十一面観音・・・新道下大橋(引地川)・・・田中八幡宮・・・引地川公園ゆとりの森・・・綾瀬大橋入口交差点・春日新道(県道45号)・・・大坂②・・・蓼川橋(蓼川)・・・廻り坂・・庚申塔道標・・・大法寺・(県道42号)・・・新道橋(比留川)・・・早川交差点・・・高座豚発祥地・・・山根の道祖神・・・女坂・・・サイホウ塚(女坂交差点)・・・(東海道新幹線)・・・道祖神・・・用田辻(県道43号)・不動明王道標(大山道交差)・・・双体道祖神・・・旧道・・・大蔵交差点・・・旧道・・・日産工機・・・寒川駅(JR相模線)
横浜市緑区→旭区→瀬谷区→大和市→綾瀬市→藤沢市→寒川町へと中原街道を行く。起伏の多い県道45号歩きがほとんどで、途中一部に旧道が残るがあまり見所はないか。午後から雨になるというので足早に進んだ。ちょうど寒川駅に着くあたりから降り出してきた。ここから平塚の中原御殿跡までは10kmもないか。梅雨の合間に東海道との合流点の平塚宿まで歩くことにしよう。
【ル-ト地図】
写真をクリックすると拡大します。
文字通りの坂だ。坂上あたりに長坂谷公園がある。
都岡(つおか)辻バス停の所(右)に少し間隔をおいて庚申塔・日蓮大菩薩塔・都筑郡役所跡碑が並ぶ。
道標を兼ねていて、左側面に「左江戸ミチ」 右側面に「右かな川」のようだ。もとは浜街道との交差点にあったものか?
明治11年12月開庁
都岡町交差点へ下り、帷子(かたびら)川の御殿橋を渡る。家康が中原御殿へ行く途中、このあたりで休憩したことから御殿丸の字名がある。
下川井インター交差点を渡って左に石段を上り旧道に入る。《地図》
手前は石段のみで車は通れない。
電柱の下に標柱が立つ。
宮の下から一里、桜株から一里とある。直径3m、高さ1mだったという塚跡はない。
腫れ物、疣(イボ)に効用があるといわれ、近郷近在の人々の篤い信仰を集めていたという。ここに供えてある石を一つ持ち帰り、朝夕2回撫でると治るといい、祈願成就の暁には、借りた石とお礼に川原の小石数個を供えるのだそうだ。
県道45号を挟んで北側にも広がっている。
県道45号に合流し旭区から瀬谷区に入り、相模鉄道をくぐる。
二ツ橋由来碑(右端)・石橋供養塔(左から2番目)・家康の歌碑(左端)(二ツ上橋交差点の所)
「道光親王」の歌(文明16年(1484)の作)がここの「二つ橋」のことだとすれば、この歌が地名の由来では。
寛文年間(1661~72)にこの地を治めていた島津久利が薩摩より取り寄せて植樹した。幕末の弘化元年(1844)の江戸城大火で焼失した本丸、西の丸の復旧にこの椰の木を伐採し、中原街道で急送し復興を果たしたいう。椰の木はイチイ科の常緑で暖地に自生し、約20mになる高木だそうだ。
「瀬谷八福神」(達磨大師が加わり八福神)の福禄寿。
山門内に安産祈願の夫婦銀杏。寺の東が瀬谷問屋場跡。天正6年(1578)に後北条氏の関東経営の駅路として設置されたのが始まりという。
この先で鎌倉街道上の道と交差する。
境川(新道大橋)を渡り、大和市に入り大坂①を上る。《地図》
「久田の大坂」と呼ばれ、昔は急坂で膝をついて這い上がったという。坂上で順礼街道と交差し、左に行けば左馬神社がある。このあたりはちょうど3年前に『大和市の坂-2』で歩いているが、だいぶ忘れている。
手前の小田急線の桜株踏切は車が連なっていた。事故の再発がないことをこの観音と祈るのみ。
桜株は小田急線の東側の滝山街道との交差点あたりにあった大きな桜の木による地名。
この先で左折し南側の道を行き、田中八幡宮に寄る。
田中八幡宮 《地図》
このあたりは「代官」という地名。保田筑後守の代官屋敷があったことによる。
引地川公園ゆとりの森 《地図》
新道下大橋の下に引地川が流れているのだが、下の道路しか気づかなかった。
大坂②を下る。 本蓼川の綾瀬大橋入口交差点から南西に下る中原街道。 《地図》
蓼川(たてかわ)の谷に下りる新道(中原街道)の坂で、『綾瀬村風土記』に「険悪にして車馬大いに苦しむ」とある。
これは新廻り坂で、旧道は大坂の途中から北西にカーブして南西に下って大坂の坂下あたりに出た坂だったが、今は途中で雑草に覆われた道となり途切れ廃道になっている。『綾瀬市の坂-4』に記載。
庚申塔(文化11年(1814)建立)の左側面には「南大山道」、右側面は「西阿つぎ ?江戸道」か。
堅牢地神は、もとインド神話の神で十二天の一つ。仏教に入り、大地をつかさどる。地天、地神ともいう。
特定郵便局長、それ以前はこのあたりの名主か何かの家柄か。
大法寺 《地図》
地元の講中の寄進という「髭題目碑」(左)
この先の深谷交番前の交差点のフェンス内に不動明王が祀られていたのだが見当たらない。どこかに移されたのか? 比留川を渡り、上って早川交差点を越える。
山根の道祖神(佐川急便自動車教習所手前のガソリンスタンド脇) 《地図》
大正時代のもので古くはない。
東方の東海道新幹線を越えた落合南の稲著社の東側の男坂(大山道・鎌倉道)に対する坂名。目坂谷、目坂台という地名もある。
坂上左の女坂食堂はやめてしまったようで、建物はあるが、「女坂食堂」の文字が消えていた。『綾瀬市の坂-1』に記載。
「南無妙法蓮華経為佐要坊塚」とあるそうだが消えていて全く読めず。
女坂交差点から藤沢市へ入り下って新幹線をくぐる。この間あまり見所はない。中将姫の祠があるようだが、通り過ぎてしまったようだ。
不動明王道標(用田交差点・大山街道(柏尾道)交差地点) 【ル-ト地図】の13
磨り減っているが台座に「右大山道」、下にも角柱の道標。
庚申塔 《地図》
左に曲がり大蔵(おおぞう)交差点へ。この道が旧道かどうかはよく分からん。
長屋門 《地図》
日産工機の工場にぶつかり旧道の道筋は途切れる。工場沿いに進み寒川小学校前交差点を渡る。
分岐を右に 《地図》
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