水戸街道(荒川沖宿→中村宿→土浦宿→中貫宿)
2010年8月18日
荒川沖駅(JR常磐線)・・・荒川沖宿・姫宮神社・火防地蔵・鶴町たばこ店・・・国道6号・・・中村南4交差点・旧道・・・原の前一里塚跡あたり・原の前交差点・(国道6号)・・・中村宿・本陣跡・・・(国道354号)・・大川橋(花室川)・・・大聖寺・男厄除坂・・・(国道6号)・・・県道354号・・・中高津の道標(布施街道道標)・・・旧道・・・下高津の道標・・・愛宕神社・・・銭亀橋(備前川・桜川)・・・一里塚の井戸跡あたり・・・大町交差点・・・土浦城南門跡・土浦宿・等覚寺・花蔵院・中城天満宮・野村家住宅・尾形家住宅・(本陣山口家跡)・琴平神社・不動院・亀城公園(土浦城址)・桜橋跡・・本陣大塚家跡(商工会議所)・月読神社・土浦城北門跡・・新川橋(新川)・・・(つくばりんりんロード)・・・照井の井戸(善応寺)・・・真壁宿通り・・・国道125号・土浦一高・筑波街道分岐・・・旧道・・・松並木・・・板谷の一里塚跡・・・国道125号・・・中貫跨道橋(国道6号)・・・旧道・・・中貫宿・本陣跡・馬頭観音・・・国道6号・・・中貫バス停→土浦駅(JR常磐線)
【ル-ト地図】
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姫宮神社 《地図》
祭神は木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)。神護景雲年間(767~69)に今は廃寺の由義寺内に創建されたいう。
神社前の道は鎌倉街道。
鶴町は姓で、このあたりに多い。
「日先大神道」のようだ。東に常磐線を越えると日先神社がある。社伝によると前九年の役の天喜5年(1057)、源頼義・義家の軍勢が当社に到着したという。
鶴町皮フ科 《地図》
中村南4交差点 《地図》
旧水戸街道は右斜めへ、国道6号(現水戸街道)は直進、左斜めに入るのが鎌倉街道。
これも「日先大神道」、隣の石仏(地蔵?)も道標になっているようだ。
この先で国道6号を横切り、中村宿へ。
宿場の面影はない。
頭がデカイのは地蔵だろうか? ユニークな顔をしている。
こちらも稚拙な彫り方、素朴というべきか。
水戸街道開通の時に西根の住民が移って来た集落で、総家数65軒、問屋場、旅籠も揃っていたという。落ち着いた、静かな町並みだが宿場の面影はない。
犬がぎゃんぎゃん吠えるので早々に立ち去る。
大聖寺山門 【ル-ト地図】の17
寺伝によれば、貞享2年(1685)土浦城主松平信興から木材の寄進を受けて建立したという。
男の厄年42歳の42段の石段。いったん平場に出てさらに上る。女厄除坂はあるのかは未確認。
四国札所の23番薬王寺の厄除坂が有名だ。『四国遍路道』
馬頭観音(天保15年(1844))には「水海道 布施 関宿 流山道」
「右やたべ おばり いたばし みつかいどう」(谷田部、小張、板橋、水海道」
少し布施街道を進んでみる。この先の旧道は消滅しているようだが。
柏の根戸で水戸街道から分岐し、七里の渡し、守谷、伊奈、谷田部、大角豆(ささぎ)、天川と進み、ここで合流する脇街道。利用者が多く水戸街道の7宿が衰え、水戸藩では本街道を通るようにとの通達まで出したという。近いうちにこの街道も歩く予定。『布施街道』(2010年9月)で歩いた。
下高津の道標(享保18年(1733)) 《地図》
正面に「右江戸道」、左側面に「左なめ川 阿ば道」で、観音講中の連中が建てたもの。ここは水戸街道と坂東街道の交叉点というが、この先は行き止まりのようだが。
よく手入れされた茅葺の屋根が見事だ。
『土浦八景』の一つ。
「ゆふたちや 日の暮れ直す 橋の反」
この先の鈴木医院の手前左側角に一里塚の井戸(18番目の一里塚跡)があるはずだが、何度往復してみても見つからず、そばの茶舗で聞くと数年前に市で撤去しまったとのこと。
大町交差点を横切り、土浦城南門跡から枡形を通り、土浦宿へ入る。
南門跡の枡形を曲がり宿場に入る。《地図》
等覚寺銅鐘(国指定重文)
もとはこの寺の前身の藤沢城内極楽寺にあった。建永元年(1206)小田城主筑後入道尊念(八田知家)が寄進したもの。藤沢城が落城後、土浦城内に移され、明治17年に極楽寺ゆかりの当寺に移された。「常陸三古鐘」(般若寺・長勝寺)の一つ。
藤沢城址、小田城跡は『筑波街道②』・『つくば市の坂』に記載。
町人学者の沼尻墨僊(ぼくせん)の墓がある。
前九年の役の時、源頼義・義家が境内で閲兵したと伝える。江戸時代には3月に駒市が立ち、多い年は700頭もの馬が集まったという。
まちかど蔵大徳(尾形家住宅) 《地図》
この裏あたりに本陣山口家があったようだ。
江戸時代からの商家で、明治時代には砂糖を商っていた。
不動院は永享年間(1429~40)若泉氏により開山。手前の石碑は「退筆塚」で、沼尻墨僊の遺徳を讃えて門人たちが文久2年(1862)に建立。
土浦城旧前川口門(高麗門)
城跡は亀城公園になっている。
堀に囲まれた城の姿が水に浮かぶ亀に見えたことから、別名「亀城」と呼ばれている。
保立食堂 《地図》
店の前には川口川が流れ桜橋が架かっていた。角に桜橋の親柱と道路元標が残っている。
食堂か?
右の商工会議所あたりが大塚本陣跡 《地図》
土浦城北門跡 《地図》
このあたりは馬出しでS字形に曲がっていたそうだ。
つくばりんりんロードを横切る。(筑波鉄道の線路跡)【ル-ト地図】の19
ここから土浦の起点まで1.5km。
照井の井戸(照井山善応寺の脇) 《地図》
ちょうど車で来たおばさんが大きなペットボトルに何本も水を詰めていた。足とお尻の一部が写ってしまった。「ケツ礼、アシからず」
確かに古い家並みが残るが土浦宿からはすぐだし、間の宿でもないだろうが?
筑波街道分岐 【ル-ト地図】の20
向かいの正面角に「真壁の道標」が立っていた。今は市立博物館に移されている。
国道125号に出て、中貫跨道橋で国道6号を越え、中貫宿へ入る。
大名らの休憩のみの小休本陣で、宿泊はしなかったようだ。天狗党の焼打ちにあっている。
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コメント
東日本大震災、福島原発事故などで気が滅入り、どうも歩くのに気力が入りませんが、「ステキな趣味」なんておだてられると歩く励み・後押しになります。今後ともよろしく。
投稿: 坂道散歩 | 2011年4月 6日 (水) 18:08
街道を歩く・・・ステキな趣味ですね。
実際に歩き記録を残す、読んでいて楽しく、今度、記事をたどって同じ道のりを歩いてみます。
荒川沖にある「日先大神道」の石碑、なんて書いてあるのか永年読めなかったので、すっきりしました。ありがとうございました。鎌倉街道や日先大神道など、昔の生活の上で今を暮らしているんだなあと、昔が身近になりました。これからも楽しいレポート、期待しています。
投稿: Dino-Toy-Museum kancho | 2011年4月 6日 (水) 10:29