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2010年8月28日 (土)

成田街道①

2010年8月24日

亀有駅(JR常磐線)・・・水戸街道・・・中川橋・・・新宿・・・国道6号・水戸街道追分・・・三猿浮彫道標・北向地蔵・・・(貨物線路)・・・大秀寺・・崇福寺・・・(京成金町線)・・・さくら道・・・(北総鉄道)・・・親水さくらかいどう・・・岩槻慈恩寺道地蔵道標・・・江戸川不動尊(唐泉寺)・・・正真寺・・・天祖神社・・・真光院・・・光ケ嶽観音堂・・・(江戸川駅・京成本線)・・・北野神社・・・岩槻慈恩寺道道標・元佐倉道合流地点・・・宝林寺・・・本蔵寺・・・市川橋(江戸川)・・・市川関所跡・・・市川広小路・観音寺・庚申塔道標・・・胡録神社・・・庚申塔道標・・・春日神社・・・新田胡録神社・・・弘法大師道標・・・諏訪神社・・・本八幡交差点(行徳街道(木下街道)合流地点)・・・本八幡駅(JR総武線)

 佐倉藩をはじめ房総方面の諸大名の参勤交代の佐倉街道で、江戸時代中期以降は成田山参詣の道として賑わった成田街道を、水戸街道の新宿(にいじゅく)の追分から歩く。

  【ル-ト地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_1801 水戸街道追分 【ル-ト地図】の①

正面の車の止まっている細い道が成田街道。

 

Img_1807 三猿浮彫道標(左端) 

元禄6年(1693)造立の葛飾区内最古の道標。上部は三猿のようにも仏(弘法大師)の坐像のようにも見える。左から3番目が下河原北向地蔵、その右が庚申供養地蔵(正徳?年)か。

 

Img_1810 説明板

「さくら海道」は佐倉街道で、後の成田街道のこと。

 

Img_1817 崇福寺

 

Img_1816 説明板

 

Img_1827 親水さくらかいどう 【ル-ト地図】の②

 

Img_1828 説明板

 

Img_1834 地蔵道標・馬頭観音堂 【ル-ト地図】の③

向こうは江戸川の土手

 

Img_1835 慈恩寺道地蔵道標(右端) 

正徳3年(1713)の造立の坂東三十三観音の第12番札所の岩槻慈恩寺への道標で、江戸川区最古の道標。前記の葛飾区の道標の方が20年古かったか。まあ現存、発見されているものの比較だから。ここから北に『岩槻慈恩寺道』で歩いている。

 

Img_1831 説明板

 

Img_1841 江戸川不動尊(唐泉寺)

「ボケ封じ」にご利益があるそうだ。護摩を炊いて封じてもらおうか。まあそれもすぐに忘れてしまうだろう。もうボケているから。

 

Img_1843 庚申塔道標(正真寺内)

享保8年(1723)の造立で、「これより左ばんどうみち」

 

Img_1842 説明板

 

Img_1847 天祖神社

 

Img_1854 真光院

どらえもん?の後ろは何の像か?

 

Img_1849 説明板

 

Img_1858 光ケ嶽(てるがたけ)観音堂 《地図

地蔵の後ろの堂

 

Img_1856 説明板

 

Img_1857 一寸八分の観音像だろう。

里見義豊義俊の守り本尊だったという。義豊は戦国時代、義俊は平安時代末期の武将で随分と時代に隔たりがあるが、まあ伝承だから。

 

Img_1860 伊予田の観世音道道標 (若竹寿司店の前)《地図

慈恩寺への道標か?

 

Img_1868 北野神社

 

Img_1870 説明板

一里塚はJR総武線のガードの南側あたりの元佐倉道(千葉街道)沿いにあった。一里塚バス停、一里塚交差点にその名が残る。

 

Img_1873 慈恩寺道標(安永4年(1775)) 《地図

ここは元佐倉道との合流地点で、このあたりは小岩市川関所があり御番所町と呼ばれていた。ここから土手に向かえば関所があり、小岩市川の渡し場だった。『元佐倉道』に記載。

 

Img_1871 説明板

 

Img_1877 常夜灯(宝林寺)

もとは小岩市川の渡し場に天保10年(1839)に建てられたもの。

 

Img_1880本蔵寺

小岩市川関所の役人を代々務めた中根氏の館跡といわれ、菩提寺と伝える。

 

Img_1881説明板

 

Img_1884 小岩市川の渡し場跡あたり(市川橋から)

 

Img_1887 市川関所跡 

役人が旅人を取調べた番所は小岩側にあった。

 

Img_1888 説明板

 

Img_1895 行徳道分岐(観音寺の前) 《地図

庚申塔道標の小堂がある。

 

Img_1894 庚申塔道標(安永3年(1774))

左側面に「これより行とくみち」

 

Img_1898 庚申塔道標 《地図

『歴史の道調査報告書』によれば、右側面に「東八わ■十六丁 中山■丁 市川新田」、左側面に「西 市川八丁 江戸両こく三り十丁 北 ■七丁 国分寺十二丁」だが、国分寺の手前にという字がつく地名などあるの(あった)だろうか?

 

Img_1908 弘法大師道標(寛政11年(1799)) 《地図

右側面に「右やわた道」、左側面に「左 すがの道」
後ろも道標で「左 宮久保山道」と読める。

 

Img_1914 行徳街道(木下街道)合流地点(本八幡交差点) 【ル-ト地図】の⑤

ここにあった大きな地蔵道標は稲荷木の一本松跡に移されている。

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