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2010年8月10日 (火)

水戸街道(松戸宿→小金宿→我孫子宿)

2010年8月7日

馬橋駅(JR常磐線)・・・江戸見坂・・・八ケ崎交差点・水戸街道道標・国道6号・・一里塚跡・・・蘇羽鷹神社・二ツ木向台遺跡・・旧道・大坂・・・(JR武蔵野線)・・・和尚坂・・庚申堂・・・北小金駅入口交差点・旧道・・・小金宿・永妻家・一月寺・旅籠玉屋跡・東漸寺・小金町道路元標・本土寺道標・水戸街道道標・・・横宿坂・・・根木内交差点・(国道6号)・県道261号・・西ノ下坂・・根木内城跡(根木内歴史公園)・・北ノ下坂・・根木内城址橋・・・新宿坂(行人坂)・・根木内城址橋・・・庚申塚・・・行念寺・・・香取神社・一里塚碑・・・稲荷神社・・・八坂神社・・・日光東往還分岐・新木戸跡・・・別雷神社・稲荷神社・・・豊受稲荷神社・・・神明神社・・・(東武野田線)・・・柏神社・柏木戸跡・・・明治天皇柏小休所跡・・・旧水戸街道入口交差点・(国道16号)・・・(常磐線)・・・馬頭観音道標・・・呼塚河岸跡・呼塚橋(大堀川)・・・(国道6号)・・・根戸大坂・・・(北柏駅)・・・庚申塔など・・・東陽寺・・・妙蓮寺・・・根戸十字路(県道7号・布施街道分岐)・・・(国道6号)・・・(常磐線)・・・興陽寺・・・八坂宮・・・我孫子駅(JR常磐線)

 *馬橋駅周辺は『松戸市の坂-2』に記載。

  【ル-ト地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_0460 江戸見坂(坂上方向) 【ル-ト地図】の4

水戸街道を江戸に向う旅人が、ここではじめて江戸の空を遠望することができたといわれる。坂上から国道6号を左折してもまだ上っている。そこから松戸宿の渡し場までは直線で5kmぐらい。江戸の空だけでなく、江戸川、金町も望めたかも。

 

Img_0469 水戸街道道標(文化3年(1806)・八ケ崎交差点を渡った所)

「左 水戸街道」・「右 印西道」

 

Img_0465 一里塚跡 

 

Img_0477 蘇羽鷹神社

千葉氏の守護神と伝わる。

 

Img_0476 姫宮様(境内)

「姫は千葉氏の一族、高城氏のお姫様、小松姫の祠です。大谷口城(小金城)が落城し、落ちのびる時の血芽の話は有名です」とある。 「血芽の話」とはどんな話か知りたいものだ。
境内北側の山林は縄文時代前期(約6千年前)の貝塚の二ツ木向台遺跡。

 

国道6号を横切り旧道に入ると大坂の下りとなる。

Img_0828 大坂を下る。《地図

標柱には「当時の道形を残している」とある。

 

Img_0825 武蔵野線をくぐると、和尚坂の上りとなる。

 

Img_0823 確かにくねった道で旧道らしさはあるが、昔風情のある家並みではない。

 

Img_0821 坂上方向

左に常行院があるので和尚坂か。

 

Img_0819 坂上近くの庚申堂

小祠内に庚申塔はないようだが。 

 

坂上で北小金駅入口交差点に出て国道6号を横切り、駅方面に小金宿に入る。

Img_0498 永妻可長居宅跡

屋号が「あめや」の小金宿の飴製造販売業者。文化13年(1816)10月に小林一茶らと本土寺で芭蕉追善供養の「翁会」を開いた。

 

Img_0497 説明板

 

Img_0489 一月寺 《地図

もとは鎌倉時代に金先禅師によって創建された普化宗(虚無僧)の寺。江戸時代には青梅の鈴法寺(『青梅街道⑤』とともに触頭として関東の普化宗諸派の寺を総括した。明治4年に太政官布告で普化宗は廃止された。
下田街道沿いの龍源寺跡には虚無僧の墓がある。 

「成田の道の記」(著者不明・寛政10年(1798))の一節に、「小金宿井筒屋に一夜の宿りを一礼し、・・・宿はづれの右の方に竹藪、竹垣あり。間に黒き少しき門あり。妄りに出入りもならざるや、門開かずあり。是に額うてり。「短笛禅林」と記しあり。此の寺一月寺なり。林中に尺八の音いと殊勝に聞ゆ。暫し佇みて、のぞきても見たく思へど入る事は是非御無用と門やさすらん」

この寺と東漸寺の間が宿場の中心部だが、日暮玄番の水戸殿旅館跡、脇本陣跡はどれか特定できず。

 

Img_0499 旅籠玉屋跡

代々惣右衛門を名乗る鈴木家。

 

Img_0500 東漸寺

文明13年(1481)根木内に開かれた高城氏と深いつながりを持ち、天文6年(1537)に高城氏の小金移転に伴い当地に移った。関東十八檀林の一つ。 落語『鈴振り

Img_5957 説明板

Img_5962 中雀門へ

Img_5965 本堂・シダレザクラ(左)

Img_5967幕末の志士、竹内兄弟の碑

 

Img_5966説明板

 

Img_0811 山門へ戻る。

木々が多い境内は、よく手入れが行き届き気持ちがいい。

 

Img_0804 大塚家が本陣だったようだ。

 

Img_0509 本土寺道標(文化5年(1808))

日蓮宗三長三本(池上の長栄山本門寺、鎌倉の長興山妙本寺)の長谷山本土寺(あじさい寺)の参道の始点だが、今はすぐに北小金駅(常磐線)にぶつかってしまう。

 

Img_0505 水戸道中道標・水戸海道道標(明和5年(1768)?)《地図

八坂神社は西方の線路沿いに移っているようだ。『下総葛飾小金道』に記載。

 

Img_0513 横宿坂を根木内交差点へ下る。《地図

横宿坂→西ノ下坂→北ノ下坂→新宿坂(行人坂)と続いている。

 

Img_0515 根木内交差点

左前方が根木内城跡。ここを直進して西ノ下坂を上るのだが、なぜか左折して国道6号を進んでしまった。下に常磐線が走っているのを見てやっとおかしいと気がついた。往復2km近くのロスとなった。こんな暑いときは注意力も散漫になる。街道歩きなんかするもんじゃないか。

 

Img_0526 根木内城跡 

土塁跡

 

Img_0522 主郭部か

 

Img_0529 空堀上の土橋跡

 

Img_0538 西ノ下坂を上ると、北ノ下坂の下りとなって根木内城址橋へ下り、新宿坂の上りとなる。いずれの坂も今は緩やかな坂になっている。

 

Img_0545 新宿坂(行人坂) 《地図

昔は杉林と竹林に覆われた薄暗い坂だったという。坂上は中新宿村、行人坂は坂上の「行を念ずる寺」の行念寺へ向かう坂ということか。

 

Img_0546 庚申塚(新宿坂の坂上右側)

左は享保9年(1724)、右は宝暦12年(1762)

 

Img_0549 行念寺

100m程先の左側に立場があり、飲食、馬のかいばや水を用意していたという。

 

Img_0551聖徳太子塔(文化13年(1816))・庚申塔(享和元年(1801))

中新宿村とある。

 

Img_0554 一里塚の碑(香取神社前) 【ル-ト地図】の5

名文か美文、それとも思い入れ過剰の駄文か?

 

Img_0555 庚申塔(正面右・享保6年(1721)・神社境内)

邪鬼の下に三猿、その下にも三猿がいる。

 

Img_0558 野馬(除け)土手の名残り

 

Img_0560 稲荷神社 《地図

屋根がいいねえ。

 

Img_0563日光東往還』分岐 《地図

直進が水戸街道。左折が日光東往還。昭和50年代までは松並木の一部が残っていたというが、この光景からは想像できず。このあたりに木戸があった。今でも「新木戸」バス停がある。

 

Img_0561 説明板(八坂神社前)

 

Img_0573 神明神社

 

Img_0574 説明板

明治時代の小金牧、佐倉牧の開墾順に、「初富・・・豊四季、五香、六実・・・十余三」という地名がついた。

 

Img_0578 柏神社

 

Img_0577 柏木戸跡説明板

 

Img_0579 明治天皇小休所跡(柏4-5)

この先の諏訪神社の前に一里塚があり、屋号「一里塚」の金子家があったそうだ。

 

Img_0586 常磐線を跨線橋で越える。《地図

正面は「マリアチャペル マリベール柏」(旧玉姫殿) 玉姫殿は各地あるが運営母体はそれぞれ異なるようだ。

 

Img_0591 馬頭観音道標(寛政11年(1799))国道6号に出る手前

こちらの面に「ながれやまみち」、反対側に「馬頭観音」

呼塚河岸で陸揚げされた荷物は、高田の水切場、野々下の水切場などを通り、流山や加村の河岸場に運ばれた。

 

Img_0596 呼塚河岸跡(呼塚橋から。正面は常磐線、その先は手賀沼) 《地図

江戸幕府からは公認されていない河岸だが、成田詣や銚子、佐原方面に向かう旅人達の乗船場となっていた。手賀沼、手賀川から利根川に出たのだろう。河岸にあった常夜灯(慶応元年(1865)に地元の有志が建立)は北柏橋付近に移されているそうだ。

 

Img_0598 根戸大坂(坂上方向)

 

Img_0599 坂上近く

坂上右が北柏駅

 

Img_0607 庚申塔・十九夜塔・馬頭観音・出羽三山供養塔などさまざまな石造物が集められている。(東陽寺の手前右側の東陽寺墓地内)

 

Img_0608 東陽寺

 

Img_0613 妙蓮寺 《地図

手前左に清正公堂がある。

 

Img_0612 説明板

 

この先の根戸十字路(県道7号)で水戸街道の脇街道の布施街道が左に分岐する。【ル-ト地図】の7

 

Img_0620 興陽寺 《地図

新四国相馬霊場の第59番

 

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