水戸街道(松戸宿→小金宿→我孫子宿)
2010年8月7日
馬橋駅(JR常磐線)・・・江戸見坂・・・八ケ崎交差点・水戸街道道標・国道6号・・一里塚跡・・・蘇羽鷹神社・二ツ木向台遺跡・・旧道・大坂・・・(JR武蔵野線)・・・和尚坂・・庚申堂・・・北小金駅入口交差点・旧道・・・小金宿・永妻家・一月寺・旅籠玉屋跡・東漸寺・小金町道路元標・本土寺道標・水戸街道道標・・・横宿坂・・・根木内交差点・(国道6号)・県道261号・・西ノ下坂・・根木内城跡(根木内歴史公園)・・北ノ下坂・・根木内城址橋・・・新宿坂(行人坂)・・根木内城址橋・・・庚申塚・・・行念寺・・・香取神社・一里塚碑・・・稲荷神社・・・八坂神社・・・日光東往還分岐・新木戸跡・・・別雷神社・稲荷神社・・・豊受稲荷神社・・・神明神社・・・(東武野田線)・・・柏神社・柏木戸跡・・・明治天皇柏小休所跡・・・旧水戸街道入口交差点・(国道16号)・・・(常磐線)・・・馬頭観音道標・・・呼塚河岸跡・呼塚橋(大堀川)・・・(国道6号)・・・根戸大坂・・・(北柏駅)・・・庚申塔など・・・東陽寺・・・妙蓮寺・・・根戸十字路(県道7号・布施街道分岐)・・・(国道6号)・・・(常磐線)・・・興陽寺・・・八坂宮・・・我孫子駅(JR常磐線)
*馬橋駅周辺は『松戸市の坂-2』に記載。
【ル-ト地図】
写真をクリックすると拡大します。
水戸街道を江戸に向う旅人が、ここではじめて江戸の空を遠望することができたといわれる。坂上から国道6号を左折してもまだ上っている。そこから松戸宿の渡し場までは直線で5kmぐらい。江戸の空だけでなく、江戸川、金町も望めたかも。
水戸街道道標(文化3年(1806)・八ケ崎交差点を渡った所)
「左 水戸街道」・「右 印西道」
千葉氏の守護神と伝わる。
「姫は千葉氏の一族、高城氏のお姫様、小松姫の祠です。大谷口城(小金城)が落城し、落ちのびる時の血芽の話は有名です」とある。 「血芽の話」とはどんな話か知りたいものだ。
境内北側の山林は縄文時代前期(約6千年前)の貝塚の二ツ木向台遺跡。
国道6号を横切り旧道に入ると大坂の下りとなる。
大坂を下る。《地図》
標柱には「当時の道形を残している」とある。
確かにくねった道で旧道らしさはあるが、昔風情のある家並みではない。
左に常行院があるので和尚坂か。
小祠内に庚申塔はないようだが。
坂上で北小金駅入口交差点に出て国道6号を横切り、駅方面に小金宿に入る。
屋号が「あめや」の小金宿の飴製造販売業者。文化13年(1816)10月に小林一茶らと本土寺で芭蕉追善供養の「翁会」を開いた。
一月寺 《地図》
もとは鎌倉時代に金先禅師によって創建された普化宗(虚無僧)の寺。江戸時代には青梅の鈴法寺(『青梅街道⑤』とともに触頭として関東の普化宗諸派の寺を総括した。明治4年に太政官布告で普化宗は廃止された。
下田街道沿いの龍源寺跡には虚無僧の墓がある。
この寺と東漸寺の間が宿場の中心部だが、日暮玄番の水戸殿旅館跡、脇本陣跡はどれか特定できず。
代々惣右衛門を名乗る鈴木家。
文明13年(1481)根木内に開かれた高城氏と深いつながりを持ち、天文6年(1537)に高城氏の小金移転に伴い当地に移った。関東十八檀林の一つ。 落語『鈴振り』
木々が多い境内は、よく手入れが行き届き気持ちがいい。
日蓮宗三長三本(池上の長栄山本門寺、鎌倉の長興山妙本寺)の長谷山本土寺(あじさい寺)の参道の始点だが、今はすぐに北小金駅(常磐線)にぶつかってしまう。
水戸道中道標・水戸海道道標(明和5年(1768)?)《地図》
八坂神社は西方の線路沿いに移っているようだ。『下総葛飾小金道』に記載。
横宿坂を根木内交差点へ下る。《地図》
横宿坂→西ノ下坂→北ノ下坂→新宿坂(行人坂)と続いている。
左前方が根木内城跡。ここを直進して西ノ下坂を上るのだが、なぜか左折して国道6号を進んでしまった。下に常磐線が走っているのを見てやっとおかしいと気がついた。往復2km近くのロスとなった。こんな暑いときは注意力も散漫になる。街道歩きなんかするもんじゃないか。
根木内城跡
土塁跡
西ノ下坂を上ると、北ノ下坂の下りとなって根木内城址橋へ下り、新宿坂の上りとなる。いずれの坂も今は緩やかな坂になっている。
新宿坂(行人坂) 《地図》
昔は杉林と竹林に覆われた薄暗い坂だったという。坂上は中新宿村、行人坂は坂上の「行を念ずる寺」の行念寺へ向かう坂ということか。
左は享保9年(1724)、右は宝暦12年(1762)
100m程先の左側に立場があり、飲食、馬のかいばや水を用意していたという。
聖徳太子塔(文化13年(1816))・庚申塔(享和元年(1801))
中新宿村とある。
名文か美文、それとも思い入れ過剰の駄文か?
邪鬼の下に三猿、その下にも三猿がいる。
稲荷神社 《地図》
屋根がいいねえ。
直進が水戸街道。左折が日光東往還。昭和50年代までは松並木の一部が残っていたというが、この光景からは想像できず。このあたりに木戸があった。今でも「新木戸」バス停がある。
明治時代の小金牧、佐倉牧の開墾順に、「初富・・・豊四季、五香、六実・・・十余三」という地名がついた。
この先の諏訪神社の前に一里塚があり、屋号「一里塚」の金子家があったそうだ。
常磐線を跨線橋で越える。《地図》
正面は「マリアチャペル マリベール柏」(旧玉姫殿) 玉姫殿は各地あるが運営母体はそれぞれ異なるようだ。
こちらの面に「ながれやまみち」、反対側に「馬頭観音」
呼塚河岸で陸揚げされた荷物は、高田の水切場、野々下の水切場などを通り、流山や加村の河岸場に運ばれた。
呼塚河岸跡(呼塚橋から。正面は常磐線、その先は手賀沼) 《地図》
江戸幕府からは公認されていない河岸だが、成田詣や銚子、佐原方面に向かう旅人達の乗船場となっていた。手賀沼、手賀川から利根川に出たのだろう。河岸にあった常夜灯(慶応元年(1865)に地元の有志が建立)は北柏橋付近に移されているそうだ。
坂上右が北柏駅
庚申塔・十九夜塔・馬頭観音・出羽三山供養塔などさまざまな石造物が集められている。(東陽寺の手前右側の東陽寺墓地内)
妙蓮寺 《地図》
手前左に清正公堂がある。
この先の根戸十字路(県道7号)で水戸街道の脇街道の布施街道が左に分岐する。【ル-ト地図】の7
興陽寺 《地図》
新四国相馬霊場の第59番
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