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2010年8月 8日 (日)

水戸街道(千住宿→新宿→松戸宿)

2010年8月3日

北千住駅(つくばエクスプレス)・・・日光街道千住宿・・・水戸街道分岐・・・清亮寺・・・荒川土手・・・堀切橋・・・小谷野神社・・・正覚寺・・・小菅稲荷神社・・・小菅御殿跡(東京拘置所)・・・小菅銭座跡・・・水戸橋(綾瀬川)・・・小菅神社・・・鵜の森橋・・・蓮昌寺・・・昌栄稲荷社(小菅3交差点)・・・大曲・・・善養寺・・・曳舟川親水公園・・・一里塚跡・・・(環七通り)・・・中川橋(中川)・・・新宿・宝蓮寺・西念寺・日枝神社・浄心寺・・中川大橋東交差点(国道6号・現水戸街道)・佐倉(成田)街道分岐・・・馬捨場跡・寒念仏供養塔・・・地蔵ほか石造物群・・・(貨物線路)・・・国道6号・・・(京成金町線)・・・(常磐線)・・・葛西神社・・・桜堤・・・金町関所跡・・・葛飾橋(江戸川)・・・松戸宿・・・(常磐線)・・・雷電神社・・・竹ケ花交差点・・・上本郷交差点・・・国道6号・・・首斬り地蔵・・・馬橋駅入口交差点・・・馬橋駅(常磐線)

 千住宿は『日光街道』に、松戸宿は『松戸市の坂-1』、『なま道(鮮魚街道)②』に記載。

  【ル-ト地図

 写真をクリックすると拡大します。

Img_0302 日光街道千住宿

Img_0309 日光街道との追分 【ルート地図】の①

直進が日光街道、右に曲がるのが水戸街道。右に道標が立つ。「北へ 旧日光道中」・「東へ旧水戸佐倉道」。この先が下妻街道との追分で道標が立つ。

Img_0313小菅の渡し跡から荒川土手を南に迂回して堀切橋を渡る。

堀切橋の少し先にTVの「3年B組金八先生」のロケ地だった足立区立第二中学校があった。今は東京未来大学となっている。

Img_0320 ずらっと簡易宿泊小屋が並ぶ。簡易といっても造りはしっかりし、上を首都高の屋根が架かって涼しく、風通しもよく、静かで住み心地はよさそうだ。

Img_0327小菅稲荷神社

小菅御殿や伊奈家の鎮守。右は東京拘置所(小菅御殿跡)

Img_0330石灯籠 《地図

江戸時代初期の作。

東京拘置所正門内にある。内といっても拘置所にお世話になる必要はない。

Img_0332 説明板

Img_0333 小菅御殿跡(東京拘置所) 

寛永元年(1624)に関東郡代伊奈氏の下屋敷となり、将軍の鷹狩りの際の休息所に使われ、元文元年(1736)には徳川吉宗の命により小菅御殿が造られた。明治に入り一時小菅県庁が置かれ、その後に東京拘置所となった。ここはもっと居心地がいいか。

Img_0335 小菅銭座跡(西小菅小学校) 【ルート地図】の②

ここも小菅御殿の一角だった。

Img_0336 説明板

Img_0339 水戸橋(綾瀬川)から 《地図

この橋に出る妖怪を黄門さんがこらしめ、自ら水戸橋と命名したそうだ。今、妖怪が出たら川の上を渡る幾つもの得体の知れない物体を見て、腰を抜かしすごすごと退散するだろう。

Img_0341 小菅神社

Img_0344 鵜の森橋

古隅田川の遊歩道となっている。

Img_0345 蓮昌寺

将軍家光がこの寺の蓮(ハス)を大変気に入って寺の名を変えさせたとか。

この先に立場があったそうだ。

Img_0352 旧道

大きく北へ常磐線の線路沿いまで迂回するので、「大曲」というようだ。

Img_0355 曳舟親水公園 《地図

Img_0361 亀有の一里塚跡 【ルート地図】の③

テレビの人気も下火になってきたようで不機嫌そうな顔の黄門さん一行。

Img_0363 説明板

Img_0364こちら、「こち亀」の両さんもぱっとしないようだ。

Img_0367 中川橋から中川下流方向

ここには「新宿の渡し場」があった。左に大きく蛇行している。

中川橋を渡ると街道は右折し大きくカギ形に南へ迂回する。枡形にしては一辺が長すぎる。宝蓮寺裏は湿地帯で生洲と呼ばれた大きな池があり、街道はこれを避けたのだそうだ。池でとれた鯉、フナ、どじょう、うなぎは旅籠で出されていたという。

Img_0370 新宿(にいじゅく)の町並み 《地図

宝蓮寺、問屋場、高札場、西念寺、日枝神社と続いていた。日枝神社の前には旧中島邸の長屋門があったが、保存運動もむなしく昭和57年に撤去され、旧宿場町の面影は皆無となった。

Img_0373 日枝神社

Img_0374 新宿一里塚?

亀有の一里塚からまだ3kmもないよ。看板に偽りありか。

Img_0378 中川大橋東交差点

正面を入るのが佐倉(成田)街道 《地図》 ここにあった石橋供養塔道標は葛飾郷土博物館?へ移されたようだ。「右なりた千葉寺道 左水戸街道」と刻まれているようだ。

Img_0383 馬捨場跡・寒念仏塔(左) 《地図

馬頭観音はあったっけ? 暑さでボケたか。

Img_0380 説明板

Img_0390 一本松・地蔵・八大龍神碑(左端)・帝釈道碑(右端)  《地図

八大龍神碑は大正末に埋め立てられた大池(生洲)の主の蛇の祟りを鎮めるために昭和56年?に建てられたとか。帝釈道は柴又帝釈天への道のこと。

Img_0385 説明板

Img_0396 京成金町線を越える。

ここには明治32年から大正元年まで、柴又帝釈天行きの帝釈人車鉄道が通っていた。

国道6号とも分かれ、常磐線をくぐり江戸川方向へ進む。このあたりは『岩槻慈恩寺道』で歩いている

Img_0407 葛西神社前 《地図

雑草の中にぽつんと庚申塔(文政2年(1819))が立つ。

Img_0411葛西神社

Img_0419 桜堤 

昭和22年9月のカスリーン台風で決壊し足立区、葛飾区、江戸川区に濁流の被害をもたらした。今は堤防の役目はなく、水元公園まで見事な桜並木が続いている。

Img_0417 説明板

Img_0415 決壊の様子

右→左へ濁流が押し寄せている。

Img_0418 周辺地図

Img_0422 金町関所跡碑 【ルート地図】の④

関所があったのは現在の堤防下の河川敷で、一帯は金町御番所町と呼ばれていた。

Img_0424 説明板

Img_0431葛飾橋から江戸川上流方向

右が松戸宿

Img_0435この先で堤防を降り、角町交差点を左折して松戸宿へ入った。

堤防をそのまま進むと金町関所からの下横町渡船場跡(下河岸)で、堤防下に「御料松戸宿碑」が立っている。

Dsc01289 御料松戸宿碑

2006年6月3日撮影

Dsc01288 説明板

Img_0437 松戸宿の町並み 《地図

所々に古い商家が残る。

Img_0442 ひどいね、これは

ここは松戸市民劇場前の松戸駅に向かう人通りの多い交差点。よくこんなになるまで放置しているよ。文化ホールの職員も、近くの市立図書館の職員も気がつかないのか、気がついても何とも思わないのか、見て見ぬ振りか、自分とは関係なし、どうでもいいのかも。情けないね。

松戸宿を抜け、常磐線を越え、上本郷交差点で国道6号に出る。

Img_0452 右は龍善寺の森

Dsc02810 首斬り地蔵(左) 【ルート地図】の⑤

倒幕派の密偵(佐藤久太郎)が水戸藩に捕らえられ斬首された。その場所に地蔵を立てたが首がなくなり、新しい首をつけてもすぐに無くなるという。『わがまちブック松戸1』

2006年7月2日撮影

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コメント

 葛西橋→葛飾橋に訂正しました。

投稿: | 2016年6月 3日 (金) 06:32

金町から松戸に渡る橋は『葛西橋』ではなく『葛飾橋』だし、地元ではバイパスの橋と区別する為『旧葛飾橋』と呼んでいる。

投稿: | 2016年6月 2日 (木) 22:55

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