なま道(鮮魚街道)②
2010年7月29日
六実(むつみ)駅(東武野田線)・・・県道281号・・・六実の火の見やぐら・・・高龗神社・・・五香稲荷神社・・・(新京成電鉄)・・・金比羅神社・・・子和清水・・・門前公園・金ケ作陣屋跡・・さくら通り・・・(新京成電鉄・JR武蔵野線)・・・かっぱ横丁・・・(新京成電鉄)・・・庚申塔・・・国道464号・・・(国道6号)・・・(千葉大園芸学部)・・・跨線橋(JR常磐線)・・・県道5号・・・坂川・・・角町交差点・水戸街道松戸宿・本陣跡・春雨橋(坂川)・千葉周作修行の地・納屋河岸跡・・・JR松戸駅
雨と強風の中、松戸宿の納屋河岸を目指す。見所は少ないが気温が低めなのがせめてもの救いだ。
*松戸宿周辺は『松戸市の坂』に記載。
【ル-ト地図】
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雨水を司る龍神を祀る。江戸時代の馬牧を開墾した「開墾記念碑」、「史跡香実会所跡碑」などが建つ。開墾した順に五香、六実などの地名がつけられた。
五香稲荷神社 《地図》
この先で五香十字路を直進するのが旧道のようだが、新京成の線路に阻まれる。線路を越えると金比羅神社の北側から常盤平中学校の南側を通り子和清水と旧道は残っている。(下の生街道の標柱に記載あり)《地図》 そうとは知らず、新京成をくぐってそのまま県道を進んだ。
「江戸時代銚子にあがった魚は利根川をのぼり、その後、陸路を布佐(我孫子)~金ケ作~日暮~松戸新田~陣ケ前~納屋川岸と運ばれました。この道筋を生街道といいます。当時の街道は現在地より北へ約50mの常盤平中学校に沿った道でした」
「親には酒で、子にはただの水」だったという他愛もない話だが、なま道を運んできた魚にここの水をかけ、鮮度を保ったというから大事な清水だったのだろう。以前は池になっていたようだが涸れてしまったのか。
この先の常盤平柳町交差点で右に進む。
金ヶ作陣屋跡(門前公園) 《地図》
(2017年2月25日撮影)
このあたりの住民は陣屋の権威をちらつかせ、魚を運ぶ人夫から魚をせしめたとか。「虎の威を借る狐」だ。
さくら通りを少し進む。
(2017年2月25日撮影)
金ヶ作陣屋跡の表柱 《地図》
新京成線、武蔵野線を越えて行く。かっぱ横丁に入り、みのり台駅手前で再び新京成を渡る。
庚申塔(文化11年(1814)) 《地図》
国道464号の分実(わかざね)交差点、美野里橋、松戸隧道口から国道6号を渡り千葉大園芸学部に沿って進み常磐線を跨線橋で越え、坂川を渡り角町交差点から水戸街道松戸宿へ入る。
2004年の夏までここに本陣の建物があった。
商家なのか? 昔風情、情緒のある家だが何の表示もない。
まだ営業しているのだろうか。
千葉周作修行の地
浅利道場が宝光院(正面)と善照寺の間にあった。千葉周作は少年時代を、奥州街道の栗原郡荒谷村(現大崎市古川)の斗瑩稲荷神社下の屋敷で過ごした。周作の道場があった神田お玉が池跡は、落語『佃祭』に記載。
元文2年(1737)創業という。今は営業していないようだ。
納屋河岸の旧船問屋の青木源内家の復元された塀
ここは魚、野菜など物資を扱う河岸で、旅客は少し下流の下横町渡船場(下河岸)から松戸宿へ入った。(2006年6月3日撮影)
銚子沖で獲れた魚は前日の夕刻、銚子を発って利根川をさか上り、布佐に翌日未明に着き、なま道で駄送され昼までにここに着いた。江戸川を下り夕方から夜に日本橋に着き、翌朝のせりに掛けられた。
ここは往時は蔵や納屋が立ち並んでいたそうだ。
ここから下って旧江戸川へ入り、日本橋小網町までの水路は行徳みち(木下街道)と同じ。旧江戸川を下り→右に細い新川に入り→中川に出る。ここに船改めの番所があった→小名木川に入り→隅田川に出る→細い水路を入ると日本橋小網町→日本橋魚市場という水路。
強風で傘も壊れ、歩きも雑になった半日だった。
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