東金御成街道②
2010年8月19日
実籾駅(京成本線)・・・県道69号・・・長作交差点・・庚申塔道標・・・三嶋神社・・・天戸台十字路・・・椎の古木・六十六部供養塔・・・出羽三山碑・庚申塔道標・稲荷神社・・・六十六部供養塔・花島観音標識塔・・・馬頭観音・庚申塔・・・如意輪観音・天戸大橋(花見川)・・・庚申塔・・・広尾十字路・・・子安観音・如意輪観音・・・油作の坂・・犢橋宿・地蔵尊・地蔵堂・土分の坂・・・(東関東自動車道)・・・庚申塔・・・御瀧神社・・・元観音堂・・・県道69号・・・(国道16号)・県道66号・・地蔵尊・・・駒形観音堂・駒形大仏・・・庚申塔・・・御成街道消滅地点(長沼原町交差点)・・・(北側へ迂回)・・・御成街道復活地点(鎌池交差点)・・・JR総武本線・・焼塚(一里塚跡)・・・(国道51号)・・・春日神社・・・御成台1交差点・・・千城台駅(千葉モノレール)→千葉駅
【ル-ト地図】
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庚申塔道標(中央・(宝暦3年(1753))・長作交差点を左折した所)
右側面に「北さくらみち 南海辺道」、左右は二十三夜塔と二十六夜塔。いずれももとは長作交差点にあったもの。
椎の古木 《地図》
下に六十六部供養塔がある。
庚申塔道標(享保20年(1735))で、右側面に「右江戸みち」、左側面に「左けみ川ミち」
稲荷坂と呼ばれているだろか?
すぐ先の交差点に花島観音標識塔が立つ。
明治14年の造立で、右側面に「是北観音堂へ八町」・左側面に「西ふなばし道」
庚申塔道標(右・明治25年)・馬頭観音 《地図》
庚申塔の右側面に「此方花島柏井 ○井みち」、左側面に「此方けみ川 此方おゝわだ道」
ここから花島観音までは1kmほどだがパスした。
左に如意輪観音の小祠
右の青面金剛像は寛政8年(1796)の造立で、左側面に「こてはしむら男女講中」とある。左の猿田彦大神像は万延元年(1860)の造立。
広尾十字路を過ぎ、下り坂の途中右に子安観音と如意輪観音の小祠がある。
左三体の子安観音はしっかりと赤子を抱いている。
油作の坂 《地図》
犢橋(こてはし)宿へ上る坂。
油作の坂の 旧道が一部残っている。《地図》
御成街道はほぼ直線に造成されたが、このあたりは工事を担当した村と村の接点で、東に向い工事してきた村と西に向かい工事してきた村とが目測を誤り、直線道として結びつかず、互いに主張を譲らなかったために曲がってしまったとか。
女講中により 天明元年(1781)の造立。
堂内の元禄13年(1700)造立の高さ117cmの丸彫り石地蔵
表札に「家号花島佐平治」とある。犢橋宿は船橋宿の次の継ぎ立場で、旅籠が2軒、餅屋、荒物屋、酒屋、駄菓子屋、湯屋などの商家が10数軒あった。旅籠からは昼間から夜遅くまで三味線の音が聞こえ、道沿いには派手な着物の女が立ち客引きをしていたという。今のこのあたりの家並みからは夢、幻の光景だ。
犢橋宿から下る坂で、土分は字名。この先には松並木があったという。
庚申塔(左)は天和3年(1683)の造立という古い物で、上部を接合している。右は三猿の庚申塔のようだが、「道祖神」と刻まれている。《地図》
御瀧神社(御瀧権現) 《地図》
家康が喉の渇きをいやしたという滝があったと伝える。
元和6年(1620)、家光が鷹狩りの帰途愛馬を失い、その霊を弔った地と伝える。境内には多くの石絵馬が奉納されている。
享保12年(1727)の造立
元禄16年(1703)に馬頭観音を本尊として開基。境内右に子安観音、駒形大仏がある。
元禄16年(1703)の建立
明和2年(1765)の造立
街道消滅地点(長沼原町交差点) 《地図》
街道は正面の住友重機工場、陸上自衛隊下志津駐屯地内を南東に横切り、鎌池交差点に出ていたが、2.5kmほど寸断されている。大きく北側を迂回する。
街道復活地点 《地図》
鎌池交差点から駐屯地方向
街道を造成する時、狼煙(のろし)を上げたり、白旗を掲げたりした場所で、一里塚とも呼ばれていたという。
この先右側の若松高校の所にあった鎌池は昭和46年に埋め立てられた。
春日神社 《地図》
このあたりは天保14年(1843)に佐倉城主堀田正睦の命で吉岡本郷に住んでいた8世帯が移住し、開拓した「吉岡新開」(四街道市吉岡)で、開拓者の繁栄を願って建立されたという。
千葉モノレール千城台(ちしろだい)駅
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