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2010年8月23日 (月)

東金御成街道②

2010年8月19日

実籾駅(京成本線)・・・県道69号・・・長作交差点・・庚申塔道標・・・三嶋神社・・・天戸台十字路・・・椎の古木・六十六部供養塔・・・出羽三山碑・庚申塔道標・稲荷神社・・・六十六部供養塔・花島観音標識塔・・・馬頭観音・庚申塔・・・如意輪観音・天戸大橋(花見川)・・・庚申塔・・・広尾十字路・・・子安観音・如意輪観音・・・油作の坂・・犢橋宿・地蔵尊・地蔵堂・土分の坂・・・(東関東自動車道)・・・庚申塔・・・御瀧神社・・・元観音堂・・・県道69号・・・(国道16号)・県道66号・・地蔵尊・・・駒形観音堂・駒形大仏・・・庚申塔・・・御成街道消滅地点(長沼原町交差点)・・・(北側へ迂回)・・・御成街道復活地点(鎌池交差点)・・・JR総武本線・・焼塚(一里塚跡)・・・(国道51号)・・・春日神社・・・御成台1交差点・・・千城台駅(千葉モノレール)→千葉駅

  【ル-ト地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_1454 庚申塔道標(中央・(宝暦3年(1753))・長作交差点を左折した所)

右側面に「北さくらみち 南海辺道」、左右は二十三夜塔と二十六夜塔。いずれももとは長作交差点にあったもの。

 

Img_1465 椎の古木 《地図

下に六十六部供養塔がある。

 

Img_1467 六十六部供養塔(天明7年(1787))

 

Img_1466 説明板

 

Img_1469 稲荷神社

庚申塔道標(享保20年(1735))で、右側面に「右江戸みち」、左側面に「左けみ川ミち」

 

Img_1473 稲荷神社前の坂

稲荷坂と呼ばれているだろか?

 

Img_1476 廻国供養塔(宝暦13年(1763))

すぐ先の交差点に花島観音標識塔が立つ。

 

Img_1479 花島観音(天福寺)標識塔

明治14年の造立で、右側面に「是北観音堂へ八町」・左側面に「西ふなばし道」

 

Img_1478 説明板

 

Img_1483 庚申塔道標(右・明治25年)・馬頭観音 《地図

庚申塔の右側面に「此方花島柏井 ○井みち」、左側面に「此方けみ川 此方おゝわだ道」 

ここから花島観音までは1kmほどだがパスした。

 

Img_1488 天戸大橋(花見川)の手前

左に如意輪観音の小祠

 

Img_1489 如意輪観音

 

Img_1492橋を渡った左側に庚申塔の小祠

 

Img_1493 庚申塔

右の青面金剛像は寛政8年(1796)の造立で、左側面に「こてはしむら男女講中」とある。左の猿田彦大神像は万延元年(1860)の造立。

 

Img_1501 広尾十字路を過ぎ、下り坂の途中右に子安観音と如意輪観音の小祠がある。

 

Img_1503 子安観音・如意輪観音(右端)

左三体の子安観音はしっかりと赤子を抱いている。

 

Img_1507 油作の坂 《地図

犢橋(こてはし)宿へ上る坂。

 

Img_1511_2油作の坂の 旧道が一部残っている。《地図

御成街道はほぼ直線に造成されたが、このあたりは工事を担当した村と村の接点で、東に向い工事してきた村と西に向かい工事してきた村とが目測を誤り、直線道として結びつかず、互いに主張を譲らなかったために曲がってしまったとか。

 

Img_1513地蔵の丸彫り (旧道左の墓地入口)

女講中により 天明元年(1781)の造立。

 

Img_1510 地蔵堂(犢橋郵便局の向い側)

 

Img_1514 堂内の元禄13年(1700)造立の高さ117cmの丸彫り石地蔵   

 

Img_1518 犢橋宿の旧家 【ル-ト地図】の9

表札に「家号花島佐平治」とある。犢橋宿は船橋宿の次の継ぎ立場で、旅籠が2軒、餅屋、荒物屋、酒屋、駄菓子屋、湯屋などの商家が10数軒あった。旅籠からは昼間から夜遅くまで三味線の音が聞こえ、道沿いには派手な着物の女が立ち客引きをしていたという。今のこのあたりの家並みからは夢、幻の光景だ。

 

Img_1520 土分(どぶ)の坂 

犢橋宿から下る坂で、土分は字名。この先には松並木があったという。

 

Img_1523 庚申塔(左)は天和3年(1683)の造立という古い物で、上部を接合している。右は三猿の庚申塔のようだが、「道祖神」と刻まれている。《地図

 

Img_1524 御瀧神社(御瀧権現) 《地図

 

家康が喉の渇きをいやしたという滝があったと伝える。

 

Img_1526 元観音堂(奥之院馬頭観世音) 

元和6年(1620)、家光が鷹狩りの帰途愛馬を失い、その霊を弔った地と伝える。境内には多くの石絵馬が奉納されている。

 

Img_1532 地蔵(国道16号長沼交差点を渡った左側)

享保12年(1727)の造立 

 

Img_1533 駒形観音堂

元禄16年(1703)に馬頭観音を本尊として開基。境内右に子安観音、駒形大仏がある。

 

Img_1535 駒形大仏 【ル-ト地図】の10

元禄16年(1703)の建立

 

Img_1536 説明板

 

Img_1540 旧家

 

Img_1541 庚申塔(長沼コミュニティ前交差点の手前左側)

明和2年(1765)の造立

 

Img_1544 子安観音の祠

 

Img_1545 子安観音

 

Img_1548 街道消滅地点(長沼原町交差点) 《地図

街道は正面の住友重機工場、陸上自衛隊下志津駐屯地内を南東に横切り、鎌池交差点に出ていたが、2.5kmほど寸断されている。大きく北側を迂回する。

 

Img_1550 街道復活地点 《地図

鎌池交差点から駐屯地方向

 

Img_1552 焼塚(一里塚跡) 【ル-ト地図】の11

街道を造成する時、狼煙(のろし)を上げたり、白旗を掲げたりした場所で、一里塚とも呼ばれていたという。

この先右側の若松高校の所にあった鎌池は昭和46年に埋め立てられた。

 

Img_1553 標識は「御成街道」で、地元でもこう呼んでいる。

 

Img_1566 春日神社 《地図

このあたりは天保14年(1843)に佐倉城主堀田正睦の命で吉岡本郷に住んでいた8世帯が移住し、開拓した「吉岡新開」(四街道市吉岡)で、開拓者の繁栄を願って建立されたという。

 

Img_1573 千葉モノレール千城台(ちしろだい)駅

 

Img_1575今日はこれに乗るのを楽しみにしていた。

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