« 水戸街道(我孫子宿→取手宿→藤代宿) | トップページ | 水戸街道(荒川沖宿→中村宿→土浦宿→中貫宿) »

2010年8月15日 (日)

水戸街道(若柴宿→牛久宿→荒川沖宿)

2010年8月14日

佐貫駅(JR常磐線)・・・佐貫駅東入口交差点・・・大坂・・・八坂神社・・若柴宿・・延命寺坂・延命寺跡・・会所坂・・薬師寺跡・・仲宿坂(東屋坂)・・牛女坂・・足袋屋坂・・鍛冶屋坂・ねがら道・・観音寺跡・金竜寺・・田舎庵・・・星宮神社・・・(県道243号)・・・成井一里塚跡・・・銅像山踏切(常磐線)・・・(国道6号)・・・下町坂下橋(根古屋川)・・牛久宿・下惣門跡・明治天皇行在所跡(飯島家)・・正源寺・・上惣門跡・・・国道6号・・・(常磐線)・・・牛久シャトー・・・国道6号・・・鹿嶋神社・薬師寺・・・(国道408号)・・・小野川橋(小野川・圏央道)・・・牛久橋跨道橋(県道274号)・・・(中根・荒川沖)一里塚跡・・・八幡神社・荒川沖宿・荒川橋(乙戸川)・荒川沖天満宮・・・荒川沖駅(常磐線)

 若柴宿で街道から「ねがら道」に下る何本かの坂に出会い、久しぶりに本業の坂道散歩に戻った半日だった。お盆で国道6号は昼過ぎまで下りが渋滞し、寺は墓参の人たちで賑わいを見せていた。蒸し暑い中を街道歩きなんかしている時ではないか。

  【ル-ト地図

 写真をクリックすると拡大します。

Img_0984 水田の間の道を行くと大坂の上りとなる。

Img_0987 坂上近く 【ル-ト地図】の①

左へ曲がり、八坂神社から若柴宿へ入って行く。金竜寺までの600mほどが宿場だった。

Img_0988坂上の旧家

Img_0991 八坂神社

ここは戦国時代の若柴城の外城跡、今でも地元ではこのあたりをトジョウと呼んでいるそうだ。

Img_1057 周辺図(田舎庵の前に掲示)

宿場の案内図というより、坂道散歩図で嬉しいね。街道とねがら道(根絡道)の間の坂を上り下りしている地元の人たちもいた。いい運動になるだろう。

Img_0992 延命寺坂(坂下方向)

昔、坂の途中に延命寺があった。

Img_0995 延命寺跡(右)を通り、ねがら道(根絡道)に下る。

Img_1002 長屋門

Img_1003_3 明治19年の大火で宿の大半が焼失してしまった。昔は坂名の由来となった足袋屋、鍛冶屋もあったのだが。今は宿場の家並みというより、豪農のお屋敷町という感じで、商家、旅籠風の家はない。

Img_1004 立派な塀、門構えの旧家が続く。

Img_1005旧家

Img_1023 会所坂上

旧家の脇を右に下る。坂の途中の平場に村役人の事務所があった。すぐ先に薬師寺跡がある。

Img_1010 坂下方向

Img_1012 坂下でねがら道に出る。

Img_1018 仲宿坂(東屋坂) 坂下方向

ここは仲町で、この坂は街道からねがら道ではなく、北方向へ下る坂。

Img_1022 坂上方向

Img_1021 坂下方向

Img_1031_2 足袋屋坂(坂上方向)

坂上に足袋屋があった。むき出しになった何本もの木の根が坂を飾っている。

Img_1027 坂下はねがら道

Img_1033 鍛冶屋坂(坂下方向)

坂上に鍛冶屋があった。

Img_1036 坂下方向

Img_1038 坂下方向

大きく左にカーブしてねがら道に出る道と、直進する道がある。

Img_1040 坂下はねがら道(椿の小径) 《地図

Img_1061 ねがら道説明板

Img_1049金竜寺

境内裏手に新田義貞の墓ほか新田家代々の墓がある。東海道小田原宿の手前には新田義貞の首塚があった。『東海道大磯宿→小田原宿』に記載。

この寺には新田義貞、牛久沼の名前とも縁のある2つの昔話、「わら干し観音」・「牛になった小坊主」がある。『龍ヶ崎の昔話

Img_1067 田舎庵

民家風のそば屋。

Img_1072星宮神社

「平貞盛駒止めの石」があるのだが見逃した。あちこちにある「○○の駒止め石」同様ただの石だが。

Img_1084 成井一里塚跡 【ル-ト地図】の②

Img_1085 説明板

Img_1090 旧道らしくうねうねと曲がっている。

常磐線の銅像山踏切を渡り、国道6号を横切り牛久宿へ入る。銅像山とはどこにあるのか?

Img_1100 牛久宿 【ル-ト地図】の③

下惣門はこのあたりか。もう少し先か。

Img_1111飯島家

「明治天皇牛久行在所」の石柱が立つ。この宿も宿場風情の名残りは少ない。少し手前右側の旅籠大黒屋には水戸の天狗党が泊まったそうだ。文化元年(1804)には助郷に苦しめられた農民たちによる牛久一揆(女化騒動)が起こった。

郵便局の手前を左に入ると、得月院、河童絵の小川芋銭記念館牛久城跡から牛久沼へ行かれるがパス。

Img_1115 正源寺 《地図

山門をくぐると下方に現代的な本堂がある。右は旧観音堂跡で、本尊の馬頭観音は刈谷の牛久観音に祀られ、今は火伏せの秋葉三尺堂となっている。

寺の手前に本陣があった。

Img_1121 宮崎利兵衛商店

Img_1133 牛久シャトー(シャトーカミヤ)

浅草の神谷バーで大ヒットした「電気ブラン」の神谷伝兵衛により明治時代に創設された、日本初の本格的ワイナリー。本館の建物は明治36年(1903)に完成した。

Img_1143 薬師寺 《地図

参道の途中に厳島神社がある。

Img_1139 大日如来(厳島神社境内)

寛文8年(1668)造立。

Img_1138_2 説明板

Img_1150 地蔵など石仏たち(猪子区民館の敷地)

右端の地蔵?は頭からすっぽり着物を被されている。暑くてたまらないだろう。

Img_1164 中根一里塚跡(右側、牛久市) 【ル-ト地図】の④

Img_1167 説明板

Img_1165 荒川沖一里塚跡(左側、土浦市)

Img_1166 説明板

塚の保存状態、説明文の内容とも似たようなもの。

Img_1175 国道から離れ荒川沖宿へ入る。右側に小さな八幡神社がある。

Img_1180 荒川橋から常磐線 《地図

荒川ではなく、乙戸川に架かる橋。荒川は流れていないのになぜ「荒川沖」か? 昔はこの乙戸川も水量は豊富で、荒れる川の性格を持っており、これが地名になった。沖は東の旧村の荒川本郷から離れた新しい村という意味。水戸街道開通にともない宿場を作るために荒川本郷の人たちが西の街道筋に移住させられたそうだ。
今では細い用水路みたいで、荒れた川だったとは想像できないが。

Img_1205 曽良の歌碑(荒川沖駅前)

曽良も荒川という地名に疑問を持っていたようだ。そして実際に川の流れをみて、なるほどと納得したのだろう。やはり乙戸川は昔は荒ぶる川だったのだ。

Img_1182 荒川沖宿 【ル-ト地図】の⑤

人通りもなく静まり返っている。牛久宿と共同で継立てを行っていたので本陣などはない。

Img_1188 宇野家

Img_1193 荒川沖天満宮

Img_1212 天満宮の裏の駐車場内の墓石

Img_1216 遊女の墓石だろう。

安永9年、「○○信女」と刻まれている。遊女といっても女郎部屋の哀れな女郎たちだが、墓があるだけましか。

Img_1196 名主兼問屋だった川村家

Img_1198 旅籠佐野屋跡(荒川沖局の隣)

今も佐野家住宅。

Img_1202 鈴木呉服店

荒川沖駅近く。

|

« 水戸街道(我孫子宿→取手宿→藤代宿) | トップページ | 水戸街道(荒川沖宿→中村宿→土浦宿→中貫宿) »

「旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/161343/49154015

この記事へのトラックバック一覧です: 水戸街道(若柴宿→牛久宿→荒川沖宿):

« 水戸街道(我孫子宿→取手宿→藤代宿) | トップページ | 水戸街道(荒川沖宿→中村宿→土浦宿→中貫宿) »