« 2010年8月 | トップページ | 2010年10月 »

2010年9月29日 (水)

奥州街道(二本松宿→福島城下)

2010年9月18日

二本松駅(JR東北本線)・・・県道355号・・・県道129号・・・蓮華寺・・・豊潤水・・・菅原神社・・・竹田見附ポケットパーク・・・鯉川橋(鯉川)・・・油井宿・智恵子生家・・・油井川(橋工事中迂回)・・・昭和橋(油井川)・・・観音橋(油井川)・・・長谷観音・・・二本柳宿・大清浄地蔵・円東寺・・弘法清水・・・上岩崎橋(払川)・・小取揚坂・鹿の鳴き石・・・五郎兵衛遺跡・・・大取揚坂・・・境川橋(境川)・・・(橋供養碑・信夫隠の碑)・・・県道52号・・・八丁目宿・天満宮・メガネ橋・天明橋(水原川)・稲荷神社・常念寺・本陣跡・・・松川駅入口交差点・・・六地蔵道標(相馬街道分岐)・・・市坂・・・浅川踏切(東北本線)・・・県道114号・・・(東北本線)・・・浅川新町宿(若宮宿)・八幡神社・仲ノ坂・阿弥陀堂・・・(東北新幹線)・・・(国道4号)・・・清水町宿・出雲大神宮・仲興寺・旅籠仙台屋跡・・・(国道4号)・・・共楽公園(弘法大師堂・拝石・明治天皇伏拝野立所碑)・・伏拝坂・・ビッタラ石・・・県道148号・・・須川南諏訪神社・・・虚空蔵大菩薩道標・・・杉妻村道路元標・・・濁川橋(濁川)・・・白猿壇(常徳寺跡地)・・・日吉神社・・・荒川橋(大森川)・・・信夫橋(荒川)・・・福島城江戸口・柳稲荷・・御倉邸・福島河岸・・福島城土塁跡・・偕楽亭跡・・板倉神社・・杉妻稲荷神社・・本丸跡(知事公館)・・二の丸跡・・(密語橋通)・・・福島宿本陣跡・脇本陣跡・・・福島駅

 去年白河から歩いて二本松に着いたのが8月19日だった。今年は1ヶ月遅れでもまだ暑い。ひところの猛暑ほどではないが。今回は仙台までの予定で、順調に行けばその後に塩釜街道の続きと東街道を歩きたい。ところが途中から持病の左膝痛が出始めた。初日からこれでは先が思いやられる。明日は雨か膝痛が続くようなら福島競馬場でウォーカーからギャンブラーに変身して休養だ。膝を冷やし、てるてる坊主を逆さに吊るして寝るとするか。

  奥州街道郡山宿→二本松宿)』からの続きです。

  【ル-ト地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_3578切通しの坂を上る。【ル-ト地図】の①

明治18年に福島県令三島通庸により開削された切通しの道だそうだ。(コメント(下記)により訂正した

Img_3582 坂上近く

左に「豊潤水」が湧いている。大正時代の道路掘り下げ工事中に水が湧き出したのを、旅人や牛馬のための水場として個人が整備したという。

Img_3588坂上から下る。

Img_3593 菅原神社 《地図

このあたりは二本松藩の御備籾蔵(年貢米の収納庫)や郷蔵があった蔵場丁。

Img_3600 油井宿の家並み

次の二本柳宿と一緒に宿業務を行っていたようだ。

Img_3603智恵子の生家 【ル-ト地図】の②

高村智恵子は意外と庶民的な顔をしている。(病気になる前の写真)

Img_3608 旧家

Img_3611 油井川の福岡橋?は架け替え工事中で、県道に迂回し昭和橋を渡る。

Img_3620 長谷観音 《地図

日本三観音の一つという一木造りの十一面観音は秘仏だが33年忌毎に開帳され、衣更えの儀が真夜中に無灯の下で行われるという。本堂の下からは十一面観音の霊力により万病に効くという「御身垂水(おみたらすい)が湧き出すそうだ。

万病に効く」というのは何にも効かないただの水ということよ。

Img_3622説明板

Img_3635 大清浄地蔵(二本柳宿の入口あたり) 《地図

十一面観音=馬下し観音は堂内に安置で、「一時お止まり下さい」は「下馬して通れ」ということだろう。大清浄地蔵(お天気地蔵)=守地蔵で説明板の横の石の地蔵なのだろうが、700年前の古い物とも思えないが。 

Img_3633 説明板

Img_3636 二本柳宿の家並み

昭和の後半までは道の真ん中に堀が残り、茅葺きの民家が並び宿場風情を感じさせたという。

Img_3641 問屋跡

「鍛冶屋」、「木羽屋」などの立て札を掲げてあるが古い家は見当たらない。

Img_3642 円東寺

地蔵の前に二本の柳があったらしい。今は旧国道との間あたり移されているようだ。

Img_3644円東寺の糸桜」と呼ばれる樹齢400年以上のシダレ桜

二本の柳よりも長命か。

Img_3643 説明板

Img_3647 弘法(円東寺)清水

地元で生活用水としても使われていたが、坂の下手が削られてから涸れてしまったそうだ。弘法大師が杖を刺したら水が湧き出たという各地にあるありふれた話。

Img_3646 清水の前を下って小取揚坂を上る。《地図

Img_3651 鹿の鳴き石(小取揚坂の途中)

3回廻って鹿の鳴き声を聞こうと思っていたが、石の後ろ側の足場が悪く廻りにくいのでやめた。

Img_3652 説明板

Img_3659 五郎兵衛遺跡

奈良から平安時代の集落跡のようだ。説明板はほとんど消えて読めず。五郎兵衛はこのあたりの地名。

Img_3661 西に安達太良連峰

安達太良山は乳首山とも呼ばれる。

Img_3665 大取揚坂を上る。《地図

坂下左に馬頭観音などが並ぶ。「大」がつくだけあってこっちの方が急だ。

Img_3672境橋(境川)を渡って福島市に入る。ここが安達郡と信夫郡の境だった。《地図

橋を渡った所に「橋供養碑」、その先の右側に「信夫隠の碑」と説明板があるはずだが探しても見当たらない。後日、帰宅してから松山町観光協会に問い合わせたところ、近くの立正院境内に移されているという。

Img_3681 八丁目宿の家並み 《地図

左に天満宮、この手前に口留番所があった。酒館、女郎たちで賑わったという歓楽的な宿場の面影はない。

Img_3680旧家

Img_3686 西光寺

阿弥陀如来坐像(県重文)、天明の飢饉で行き倒れになった人々を供養する「天明九年の碑」がある。

Img_3687 メガネ橋 《地図

明治18年に架けられた空石積工法の石橋

Img_3696 本陣跡桜内家 《地図

右に「八丁目本陣跡」の標柱。GSも桜内家が経営。後ろに邸宅があるようだ。

Img_3700 本家畳店

Img_3702 奥州街道と相馬街道との分岐の六地蔵道標 【ル-ト地図】の③

直進が相馬街道で、左折が奥州街道。

Img_3704 六地蔵の下に「従是南相馬道」か? 

Img_3708 市坂を上って下り右カーブして東北本線の浅川踏切を渡る。

このあたりの東側は住宅地として開発されている。

Img_3709 浅川踏切 《地図

1km程南東(右)が松川事件の現場。

Img_3720 (若宮)八幡神社 《地図

浅川新町宿(若宮宿)の入口

Img_3725 浅川新町宿の家並み

宿場の面影は薄い。

Img_3726 仲ノ坂を上る。《地図

途中の左上に阿弥陀堂がある。

Img_3729 阿弥陀堂 

Img_3728 阿弥陀というより地蔵さんような顔立ちだ。

国道4号を越えて清水町宿へ入る。ここも宿場風情は感じられない。

Img_3738 出雲大神宮 《地図

「金売り吉次」の父親という「炭焼き藤太」を祀る。ここでは吉次は4人兄弟としている。白坂宿の先の吉次の墓の説明板では3人兄弟だった。1人は女だったのか。まあ、いずれにせよ伝承だから。『坂道散歩(白坂宿→白河宿)

Img_3737 説明板

Img_3741 仲興寺 《地図

藤原宗興の歌碑はどれか? 境内にいた老人に聞いてみたが、「分からん」とにべもない返事。後日調べると、大きな馬頭観音の左の説明板の後ろに隠れているのが歌碑のようだ。宗興がどういう人物で、なぜこの宿場に来たのかは分からず。

Img_3739 説明板

仲興寺の前で左折し共楽公園への上りとなる。

Img_3743 旅籠仙台屋跡(左折した上り口)

ここが清水町宿のはずれ。

Img_3749 共楽公園への静かな道 《地図

Img_3753 公園内は土曜日なのに閑散としている。

Img_3756 拝石・弘法大師堂・明治天皇伏拝野立所碑・「羽山嶽の碑群」などの一画。

Img_3760 拝石

信達平野が湖水だった頃、ここから信夫三山、出羽三山を伏し拝んだという。そんな大昔から三山に対する信仰はあったのだろうか?

Img_3762 支手(さえて)地蔵(左端)などの石造物。

支手とは? 

Img_3761 説明板

Img_3763 北西方向の眺め

Img_3766 馬頭観音

文化2年(1805)に福島の飛脚問屋「島屋」が道中安全を願って建てたもの。

Img_3769 伏拝坂を下る。【ル-ト地図】の④

けっこうな急坂だが、下ったあたりから左膝が痛み始めた。休み休み福島を目指すが、膝を曲げては歩けないほどになって行った。

Img_3771 坂下方向(石垣の先の右にビッタラ石がある)

Img_3772 ビッタラ石

日本武尊の舟繋ぎ石だとか。やはりこのあたりは湖だったのか。ここもかなりの高さはあるが。

下って旧国道4号(県道148号)に出る。

Img_3778 道標

Img_3782 虚空蔵大菩薩道標

この先10mに新しい道標が立つ。そこが今の参道入口か。

Img_3785 杉妻(すぎのめ)村道路元標

ここに村役場あった。

Img_3788 昔ながらの商店

Img_3790 白猿壇

坂上田村麻呂を救ったという白猿を葬った所。

Img_3797 日吉神社 《地図

坂上田村麻呂を救った猿はこの神社の神使いだったかも。

Img_3798 説明板

Img_3804 信夫橋

荒川が阿武隈川と合流する。この河原は福島藩の処刑場や百姓一揆の集合場所になったという。

Img_3803 かつての信夫橋

「十三メガネ橋」と親しまれいた。

Img_3810 福島城江戸口(信夫橋を渡った所)

枡形と番所があった。

Img_3809 説明板

Img_3806 柳稲荷(信夫橋を渡った土手上) 《地図

Img_3807 説明板

Img_3815 御倉邸(旧日本銀行福島支店長役宅)

隣に米沢藩米蔵が復原工事中。

Img_3822 福島河岸跡

天神橋の手前

Img_3821 説明板

Img_3833 福島城案内図

Img_3835 福島城土塁跡

県庁西庁舎の南側

Img_3836 説明板

Img_3843 板倉神社 《地図

左は阿武隈川で、このあたり一帯は紅葉山公園

Img_3844 説明板

Img_3847 阿武隈川から弁天山

Img_3851 杉妻稲荷神社

Img_3850 説明板

Img_3852本丸跡(知事公館あたり)

Img_3855密語橋(ささやきばし)通(県庁の西側の通り)

奥州街道の郡山の手前の笹原川にも耳語橋(ささやきばし)がある。『坂道散歩(笠石宿→郡山宿)

Img_3858 羊羹の菊屋

Img_3864 藤金旅館

左は呉服屋

Img_3866 本陣黒沢六郎兵衛宅跡(左のウィズもとまちビル)・脇本陣寺島源吉宅跡(斜向いの常陽銀行)あたり 【ル-ト地図】の⑤

ここを右折して上町道筋の左手にも脇本陣の安斉一郎衛門宅があった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年9月16日 (木)

水戸街道(長岡宿→水戸城下)

2010年9月13日

水戸駅(JR常磐線)バス→矢頭・国道6号・・・東野町交差点・県道180号・・・熱田神社・・・天神社・・・一里塚跡・・・道祖神・・・(国道50号)・金山稲荷神社・・・牛馬頭観音・一里塚三叉路・旧道・・・旧吉田小学校跡・・・吉田村道路元標・・・台町交差点・県道180号・・・薬王院・・・神楽屋敷跡・・・清厳寺・・・吉田古墳・・・五差路・男坂・・女坂・・吉田神社・・・金刀比羅神社・・・銷魂橋(備前堀)・江戸街道起点石柱・・・竈神社・・・水戸宿・ハミングロード513・・能化稲荷神社・・陸前浜街道起点石柱(水戸街道終点)・・・さくら川・・・備前堀新橋水門・伊奈神社・・・柳堤橋(さくら川)・・・水戸駅

  【ル-ト地図

 水戸街道の最終日、距離もわずかだし遅めの出発とし蒸し暑い中をゆっくり歩く。明日あたりから涼しくなるらしい。まあ当てにはならないが。予定より1ヶ月遅れで、奥州街道の続きを歩こう。

  参考:『歴史と伝統の東部巡り』(水戸商工会議所)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_3415 熱田神社 《地図

Img_3418 天神社 《地図

Img_3419 一里塚跡 【ル-ト地図】の①

塚上に樹齢100年の榎の大木、前には庚申塔、馬頭観音、子安観音などの祠。石段上は阿夫利神社の石碑らしいが確かめなかった。このあたりは一里塚の地名が残っている。

Img_3423道路を挟んで西側の塚跡もあった。

Img_3425 道祖神

Img_3431 金山稲荷神社 《地図

Img_3433_2 牛馬頭観音の立つ分岐点 《地図

旧道は左に。

Img_3437 吉田村道路元標

手前が旧吉田小学校跡

台町交差点で県道180号に出る。

Img_3439 飯島商店

Img_3443 薬王院参道

片側だけいちょう並木。

Img_3444 仁王門

Img_3445 文化財説明板

Img_3447 五輪塔

Img_3451 本堂

Img_3448 説明板

Img_3460神楽屋敷跡(清厳寺の手前)

Img_3462 清厳寺(せいがんじ)

街道から離れ、薬王院の裏手方向の吉田古墳を目指すがかなり迷った。そしてがっかりした。

Img_3471 吉田古墳 【ル-ト地図】の②

もとは直径30mの方墳で、石室の奥に壁画が描かれていた装飾古墳だが、今は崩れかかった一里塚といった風で、肩透かしを食った。来た甲斐なしか。まあ致し方なし。

Img_3474 説明板

Img_3468_2 吉田神社上の五差路 《地図

旧道の女坂は直進して右にカーブして吉田神社前に下る。男坂は直角に右に曲がり左カーブして下り吉田神社前に出る。自動車の進む道が新道(県道180号)で、3つの道は吉田神社参道前で合流する。左に曲がれば吉田古墳の方に行かれる。 

Img_3482 男坂は右へ曲がる。

Img_3484 男坂 《地図

今でも女坂よりは急だ。

Img_3489 女坂 《地図

Img_3501 吉田神社

Img_3507 金刀比羅神社 《地図

狛兎だが、相棒がいないのは可哀想だ。大正時代に寄進、造立されたようだ。当初は対になったいたのだろう。

Img_3511 備前堀から銷魂(たまげ)橋 【ル-ト地図】の③

橋を渡った所に「江戸街道起点」の石柱が立つ。

Img_3516 「水戸街道」のこと。地方から江戸へ向かう道はみな江戸街道。

ここに高札場があった。水戸の宿場の中心部はもっと先にある。そこを水戸街道歩きの終点とするのでさらに進む。

Img_3521 竈(かまど)神社

もとは三宝荒神社で水戸城内に祀られていた。

Img_3524 ハミングロード513 地図

513mの商店街で、宿場の通り。

Img_3526 伊勢屋

醤油おにぎりを買って能化稲荷神社で一休み。ここのおにぎりは旨いよ。

Img_3531 能化稲荷神社

ここはお狐さんが揃って出迎えてくれる。

Img_3533 縁起

Img_3539 「江戸(水戸)街道宿場跡」の石柱

このあたりが宿場の中心だが、本陣などがどこにあったのかは不明のようだ。

Img_3543 井幸茶舗

Img_3545「陸前浜街道起点」の標柱 【ル-ト地図】の④

ここを水戸街道歩きの終点とする。「けんしん」(茨城県信用組合)の前を進むのが仙台の手前の岩沼で奥州街道に合流する岩城相馬街道(陸前浜街道)で、この道もいずれ歩くだろう。

さくら川方向に向かい水戸駅まで歩く。

Img_3550 油屋

天保元年創業の菓子店

Img_3560 備前堀新橋水門

手前がさくら川、正面奥に鳥居が伊奈神社。

Img_3554 説明板

Img_3558 伊奈神社 【ル-ト地図】の⑤

小さな社だが伊奈氏は神として祀られているのだ。

Img_3562 さくら川に黒い物体が浮いている。

Img_3563 黒鳥か?

Img_3566 近づいても逃げない。威厳のあるきつい目をしている。艶のあるふんわりとした高級羽毛を身につけて、さながら黒いドレスの女王だ。雌かどうかは分からないか。すると・・・。

Img_3570 なり振りかまわず、川岸の雑草をムシャムシャと食べ始めた。そばで眺めている人間など無視、全然気にする様子はない。貴婦人の食事中に話しかけても悪いので、そっと立ち去る。黒鳥は草食性で、主に水草を食べるが、水辺に近い場所や陸上でも、採食することがあるそうだ。4月から9月が繁殖期で、連れ合いは巣で卵を抱えているのかも。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年9月13日 (月)

水戸街道(竹原宿→片倉宿→小幡宿→長岡宿)

2010年9月10日

石岡駅(JR常磐線)・・・県道52号・跨線橋・・・杉並木跡・・石岡の一里塚跡・・・(県道7号)・・・旧道・・・不動堂・・・(県道52号)・・・郡橋(園部川)・・・竹原神社・・竹原宿・・椿山稲荷神社・道鏡様・・国道6号・・・(県道145号)・・・堅倉三叉路・旧道・・一里塚跡あたり・片倉宿・・・県道59号・・・巴橋(巴川)・・・石船神社①・・・旧道・・・(小岩戸交差点・国道6号)・・・石船神社②・・・山中橋(黒川)・・・山中薬師・西郷地小学校跡・・・愛宕神社・・・(県道181号)・・・小幡宿・法円寺・・・界田橋(寛政川)・・・青龍大権現・・・国道6号・・・千貫桜跡・・・(小幡北山埴輪遺跡公園)・・・県道18号・・・(県道43号)・・・御霊神社・・・高橋(涸沼川)・・・小鶴集落・・思案橋・・・(諏訪神社)・・如意寺・・・長岡橋(涸沼前川)・・・県道40号・・高岡神社・長岡宿・・・国道6号・・・(北関東自動車道)・・・矢頭バス停→水戸駅

  【ル-ト地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_3168常磐線を跨線橋で越える。

昭和30年までこの先約2kmに杉並木が続いていたそうだ。今も杉並、茶屋場などの地名が残る。

Img_3165 説明板

Img_3171 石岡の一里塚跡 【ル-ト地図】の①

両塚が残っている。今も並木があるが杉ではない。

Img_3173 説明板

Img_3179万能塚 史跡地復元」とある。

「万能」は農具の「まんのう」で、ここが考案した鈴木万能の製作地で、常光院には彼の墓がある。 

Img_3187 不動堂 《地図

市指定の木造不動明王坐像を安置。(石岡市のサイトに載っているが、不動像がどこの寺にあるのかが書かれていない)

Img_3189この神輿の中に不動明王が鎮座するようだ。 まさに神仏習合そのもの。

Img_3192 長屋門の旧家

Img_3196 郡橋(園部川)を渡り、起伏のある道を小美玉市へ入り、竹原宿へ向かう。平成18年に川町、野里町、里村が合併した。

Img_3208 明和7年(1770)の道標だが、「従是・・・・迄三町」と肝心な所が読めない。

Img_3211 竹原神社 《地図

アワアワ祇園の時には屋根が黒漆仕上げの神輿が町内を渡御する。

Img_3221 椿山稲荷神社 《地図

境内に道鏡様の小祠がある。

Img_3219 道鏡様説明板

この説明板の後ろに小祠がある。その中に神体の約45cmほどの自然石の男根があるそうだ。近くには孝謙天皇の女陰石を神体とする孝謙天皇宮もあるらしいが、行かなくてもいいだろう。

Img_3223 これは祠の下に奉納?されたさまざまな男根石。

Img_3227 竹原宿の旧家

国道6号沿い。一里塚跡も痕跡、標示なし。

Img_3231 旧家

Img_3232 旧庄屋の木村家か?

Img_3238 レトロっぽい家

Img_3249 大曲三叉路の向こう側の小祠を歩道橋を渡り見に行く。

Img_3250 子安観音だった。

大正時代のもの。この先の街道沿いにもいくつもある。

Img_3260 堅倉三叉路から片倉宿へと入る。《地図

この先一里塚跡のようだが痕跡、標示などはない。

Img_3271 一本槍酒店(跡) 【ル-ト地図】の②

営業はしていない。

Img_3273 加藤家復旧門・本多家(右隣)

Img_3269 復旧門の由来

Img_3275 岩松家(本多家の向い)

Img_3277 旅館かと屋 《地図

角にある。

Img_3281 平本米穀店

この先で巴川を渡る。

Img_3286 石船神社①

Img_3289 小岩戸交差点の地蔵さん 《地図

いつもにこやかでご苦労さん。

Img_3297 石船神社②

このあたりは西郷地という地名。

Img_3308 山中薬師 【ル-ト地図】の③

西郷地小学校跡

Img_3310 説明板①

肝心の本尊の薬師如来像のことが書かれていない。

Img_3311 仁王像

説明板のとおり、みなぎる迫力、力強さは感じられない。おじさん相撲取という感じだ。

Img_3307 説明板②

Img_3313 子安観音

Img_3315 愛宕神社 《地図

もとの神体は愛宕権現の本地仏の勝軍地蔵尊で、法円寺に安置されているという。今は火之迦具土命。

県道181号を渡ると小幡宿となる。

Img_3318 法円寺

境内は工事中で勝軍地蔵尊を探す雰囲気ではなかった。

Img_3319 小幡宿の家並み

Img_3320 廃屋のようで、びっしり雑草に覆われている。

Img_3321 ここもか? 連結椅子は何だったのか。

Img_3323 江戸屋商店

Img_3324 旧家

Img_3326 旧家

Img_3328 木の下に聖徳大神、二十三夜塔の小祠

聖徳大神は道標を兼ねているようだ。

Img_3338 青龍大権現 《地図

小さな石祠だけだった。

すぐ先で国道6号に出る。

Img_3343 千貫桜跡 【ル-ト地図】の④

水戸黄門さん(水戸光圀)が「千貫の価値がある」と褒め称えた桜の大樹があったという。右は光圀の歌碑で、「春風も 心して吹け 散るは憂し 咲かぬはつらし 花の木のもと」

ここで近所のお婆さんとしばし雑談、休憩。付近の昔の様子などを伺った。

Img_3344 千貫桜はなくとも見事な桜並木が続いている。

Img_3348 小幡北山埴輪制作遺跡公園 《地図

埴輪を焼いた窯跡が日本で一番多い遺跡だそうだ。公園になっていて遊歩道で散策できるが、5万㎡もあるらしい。迷子にでもなったら大変、さあっと通り過ぎる。

Img_3357 御霊神社 《地図

Img_3364 小鶴の家並み

佐久間米店

Img_3365 こどもや

おもちゃからケーキ、菓子まであるようだ。覗いて見ればよかった。

Img_3368 思案橋 《地図

水戸街道にも思案橋はあったのだ。でもこのあたりに「行こか、戻ろか」思案した遊郭があったとも思えないが。思案しても分からん。

Img_3367 思案橋

Img_3370 輸入雑貨を扱っている店よ。今はどうだか。

Img_3371 残念だがもう閉店してしまたようだ。

Img_3375 如意輪寺

本尊の如意輪観音像は徳川光圀の寄進とか。

Img_3378 長岡橋(涸沼(ひぬま)前川) 《地図

鉄道の鉄橋みたいな橋だ。

Img_3379 歩道橋もずいぶん塗装が剥げている。

Img_3382みそまんじゅう屋(藤屋製菓)

長岡名物だそうだ。ばら売りはしてないとか。

Img_3385 案内板

水戸浪士の毛塚に寄って見たかったが、案内図も距離も出てないのでパスした。後日調べると、ここから右へ500mほど先の楠公社が毛塚だった。

坂を上り、高岡神社から長岡宿に入る。

Img_3389 長岡宿 【ル-ト地図】の⑤

うっかりして脇本陣木村家は通り越してしまったようだ。

Img_3391 旧家

Img_3395 旧家

長岡小入口交差点の左の衣料品店「みくらや」は、旅籠「中夷(えびす)」跡で大老井伊直弼襲撃(桜田門外の変)に向かう水戸浪士が屯集し、血気にはやる浪士が柱に切りつけた刀傷が残るそうだ。

Img_3397 柏屋肥料店

国道6号に出て、矢頭跨道橋を渡り、矢頭バス停から水戸駅に向かった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年9月12日 (日)

水戸街道(稲吉宿→府中宿)

2010年9月9日

土浦駅(JR常磐線)バス→中貫・国道6号・・・西山交差点・・・旧道・下稲吉の一里塚跡・・・稲吉宿本陣跡・旅籠皆川屋跡・成就院・香取神社・・・天の川・・・かすみがうら市役所・・・観音寺・・・国道6号・・・千代田の一里塚跡・野寺坂・・・新治小入口交差点・旧道・・・国道6号・・・恋瀬橋(恋瀬川)・・・旧道・・府中宿・清涼寺・金毘羅神社・常陸総社宮・常陸国衙跡・府中城土塁跡・照光寺・本陣跡・金丸通・鈴ノ宮稲荷神社・・・常陸国分寺跡・・・県道52号・・・石岡駅(JR常磐線)

 *『水戸街道(荒川沖宿→中貫宿)』の続きです。

  【ル-ト地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_2955 下稲吉の一里塚跡(左) 《地図

看板のみで説明はなく、塚跡もはっきりしない。この先を左に入ると稲吉宿。少し手前には陶陶酒の販売店、工場がある。

Img_2969 稲吉宿本陣跡(坂本家) 【ル-ト地図】の①

向いが脇本陣跡。

Img_2970 説明板

Img_2972 主屋

屋根下が「笹りんどう」の紋か。

Img_2975 旅籠皆川屋跡(木村家住宅)

本陣の隣

Img_2974 説明板

Img_2982 太田医院

Img_2984 周辺図

4の「中根長者の屋敷跡」に寄って見たかったが、どこで曲がるのか分からず通り過ぎてしまった。住西寺周辺が屋敷跡で、中世から近世にかけての館跡のようだ。天正年間(1573~91)に当主の中根与右衛門は、佐竹氏からの軍用金用立の要求を拒み佐竹氏に亡ぼされたとか。

5の野寺一里塚は千代田一里塚のこと。

Img_2985 香取神社

Img_2986 芭蕉句碑(香取神社境内)

裏面に良可の歌と碑文

Img_2988 説明板

Img_2992 かすみがうら市役所(左) 《地図

霞ヶ浦町と千代田町が合併。長たらしいひらがな表記にする必要など全くない。

Img_3006 長屋門の旧家

Img_3007 長屋門

Img_3009 岩井酒店

Img_3011 観音寺 《地図

鎌倉時代末期の「波切不動」とも呼ばれる不動明王立像があるそうだが、不動堂の扉は閉まっていて見えず。

県道53号を横切り下土田地区に入る。

Img_3020 旧家の長い塀

Img_3021 廃寺のようだ。石造物に雑草が絡まっている。

下土田バス停の脇

Img_3028 気分のいい坂を下って国道6号に出る。

Img_3032 野寺坂を上る。《地図

野寺とはどこにある寺のことか? 近くに寺は見当たらないが。上は千代田石岡ICへの立体交差。

Img_3039 千代田(野寺)の一里塚跡 【ル-ト地図】の②

塚上に石柱が立っている。

Img_3041 振り返ると塚跡が分かる。

Img_3046 恋瀬橋へと下る。

Img_3052 恋瀬橋(恋瀬川)から筑波山 【ル-ト地図】の③

万葉ロマン、歌枕の地のような名だが、「鯉が遊泳する瀬の見える川」の鯉瀬川が転じたとか。

橋を渡り、坂を上って府中宿へ入る。

Img_3057 府中宿の家並み 《地図

左は金刀比羅神社の鳥居

Img_3054 金刀比羅神社

Img_3056常陸大掾氏 歴史コース」 の金刀比羅神社説明板

Img_3058 中藤米店

Img_3060 丁子屋

昭和4年の大火での焼失を免れた江戸末期の染物屋。現在は観光施設の「まち蔵藍」

Img_3124 左から①十七屋履物店・②久松商店・③福島屋砂糖店

Img_3063

Img_3062

Img_3061

Img_3074 すがや化粧品店

Img_3072 説明板

Img_3078 旧家

Img_3084 常陸総社宮随神門 《地図

10月から屋根の葺き替え、随神像の修復が行われる。

Img_3082 説明板

Img_3104 常陸国衙跡(石岡小学校校庭) 【ル-ト地図】の④

小学校の敷地内に陣屋門、府中城土塁跡、風間阿弥陀、舟形石棺などがある。

Img_3102 説明板

Img_3088 府中藩の陣屋門

Img_3090 説明板

Img_3106 府中城土塁跡

Img_3094_3 説明板

Img_3101風間阿弥陀

Img_3100 説明板

Img_3114 照光寺 《地図

Img_3110 説明板

Img_3117 平松理容店

営業中だが昨日床屋に行ったばかりなので残念。

Img_3116 説明板

Img_3120 森戸商店

Img_3119説明板

Img_3122 きそば東京庵店

Img_3121_2 説明板

Img_3125 府中宿本陣跡 《地図

「パンケーキ ヴィオレ店」の奥の矢口家だが標示はない。

Img_3128 金丸通り 《地図

この通りには藩から許された8軒の妓楼が並び、新地八軒と呼ばれた遊郭があった。喫茶四季は昭和5年の建築、隣の中華の朝日屋も昔風情のある建物だ。

Img_3135 向い側の月泉堂 

明治から大正時代の建築のようだ。

Img_3133 鈴ノ宮稲荷神社(金丸通)

この隣にあった妓楼紀州屋の女将いくは、天狗党の面倒を見ていたそうだ。説明板にも「元治元年(1864)、天狗党60余名が勢ぞろいして出発した地」とある。

Img_3130 説明板

宿場の街道沿いに戻り、常陸国分寺跡へ向かう。

Img_3138 浜総業

Img_3144 常陸国分寺跡 【ル-ト地図】の⑤

Img_3158 説明板

Img_3148 旧千手院山門(国分寺境内)

Img_3146 説明板

Dsc05206 屋根下の彫刻

Img_3153 都々逸坊扇歌堂(国分寺境内)

Img_3149 説明板

Dsc05210常陸国分尼寺跡 

(2003年2月8日撮影)

Dsc05208 説明板

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年9月 8日 (水)

布施街道③

2010年9月6日

みどりの駅(つくばエクスプレス)→新町交差点・・・五角堂・・明超寺・・・谷田部四ツ角(谷田部町道路元標)・・・谷田部藩陣屋跡(谷田部小学校)・・・八坂神社・・・搦手橋(谷田川)・・・愛宕神社・・・(県道143号)・・・(県道19号)・・・国道354号・・・(国道408号)・・・小野川橋(小野川)・・・(圏央道)・・・旧道?・・・鹿島神社・・・小野川小入口交差点・国道354号・・・稲荷前交差点(学園西通)・・・稲荷神社(赤塚公園)・・・睦八幡宮・・・(大角豆交差点・県道55号)・・・(常磐自動車道)・・・桜土浦IC歩道橋・・旧道・・・馬頭観音道標・・下広岡橋(花室川)・・・栄泉寺・・・鹿島神社・・・出羽三山碑・・・天川二丁目橋(十五用水路)・・・天川中央公園・・・(国道6号)・・・土浦第四中学校・・・中高津の道標(水戸街道合流地点)・・土浦四中入口バス停→土浦駅(JR常磐線)

 *この先は『水戸街道(荒川沖宿→中貫宿)』に続く。

  【ル-ト地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_2831 長屋門の旧家(新町交差点近く)

Img_2832 五角堂 【ル-ト地図】の①

「谷田部に過ぎたるもの」の一つの「からくり伊賀七」(飯塚伊賀七)の設計。ここは伊賀七の生家で子孫たちが居住している。

Img_2833 説明板①

Img_2834 説明板②

Img_2841 谷田部町道路元標(谷田部四ツ角)

Img_2846 谷田部藩陣屋跡(谷田部小学校) 【ル-ト地図】の②

Img_2848 説明板

Img_2850 筑波郡役所時代の陣屋跡

大正15年6月廃止。

Img_2845 陣屋の玄関

小学校の前の公民館に移築。

Img_2853 旧家

鍵の手に曲がって搦手橋へと進む。

Img_2855 八坂神社 《地図

搦手橋を渡り坂を上り直進し、国道354号に合流する。この先は見所も少なく単調な車道歩きで暑さがこたえる。

Img_2870小野川と建設中の圏央道(正面) 《地図

Img_2871 旧道のような感じの道で入ってみるが。《地図

Img_2873 鹿島神社

Img_2876 長屋門

小野川小入口交差点の所

Img_2879 稲荷神社(赤塚公園内、右は国道354号) 《地図

地名や交差点名に「稲荷前」があるが、以外と小さな社だった。

Img_2885 睦八幡宮 【ル-ト地図】の④

Img_2887 大角豆(ささぎ)交差点

大角豆「ささげ」とは豆科の植物名。このあたりで多く栽培されていたのだろうか。「ぎ」と「げ」の違いは似たような発音だからか。

常磐自動車道を越え、歩道橋の先で旧道に入る。

Img_2893 旧道に入ると、やっぱりほっとする。《地図

Img_2894 馬頭観音道標 【ル-ト地図】の④

こちらの面は「道普請供養塔」と刻まれている。

Img_2896 馬頭観音道標

享保2年(1717)の建立で、文政11年(1828)の再建。

Img_2897「右 やたべ 水海道 ふせ道 江戸道」

「左 あら川 うしく えどさき道」、谷田部、布施、荒川(沖)、牛久だろう。

道標のすぐ先で花室川を渡り、坂を上る。

Img_2910坂下の旧家

坂上を右に入ると栄泉寺。

Img_2919 鹿島神社 《地図

慶長5年(1600)の創建で、寛永年間の再建。文化年間(1804~17)に領主の土屋相模守が本殿を修営したそうだ。「桜村教育委員会」の金属製の説明板が、地面に落ちて錆びて木の根元に立て掛けてある。ここはつくば市になる前は桜村だった。

Img_2921 桜ニュータウンの北側を進む。旧道はニュータウンの中を斜めに横切っていたのかも。

Img_2926 出羽三山碑(筑波研究学園専門学校前) 《地図

左から出てきた分岐点に、新しい道標のような石柱と一緒に立っている。

Img_2933 天川団地を通り、この先の天川中央公園の先で斜め左に入る。

Img_2935 左は雑草地で旧道のような趣もある。《地図

この先で国道6号の上を通り、土浦四中沿いを進み、福田商店の先で左折する。

Img_2945 ここも旧道っぽい道が少しだけ残る。

突当たって右折すると中高津の道標の立つ水戸街道との合流点に出る。

Img_2947中高津の道標(布施街道道標) 【ル-ト地図】の⑤

右のセブンイレブンの前が「土浦四中入口」バス停。

Img_1272_2 水戸街道側から

馬頭観音道標(天保15年(1844))「水海道 布施 関宿 流山道」

その前の小さな道標には、「右やたべ おばり いたばし みつかいどう」(谷田部、小張、板橋、水海道」で、歩いて来た道。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年9月 6日 (月)

布施街道②

2010年9月3日

守谷駅(つくばエクスプレス)・・・県道46号・・・(つくばエクスプレス)・・・(赤法花)の一里塚跡・・・常総橋(小貝川)・・・青木集落・庚申塔・・・豊体集落・浄円寺・・弁財天社・・庚申塔・・・大橋(中通川)・・・弁財天社・・・寺下橋・・・高雲寺・・・小張下宿・・善空寺・・・小張T字路・・・鹿島神社・・八坂神社・板橋不動尊・・・県道19号・・・狸穴入口バス停・・・県道211号・・・高岡集落・・道祖神・・金毘羅宮・・馬頭観音・・・馬頭観音道標(高岡交差点)・県道3号・・・飯田集落・・・道祖神・・・(常磐自動車道)・・・庚申塔・馬頭観音(つくば工科高校)・・・不動並木跡・・・大渡山不動尊・・・新町交差点・・・天満宮・・・国道354号・・・鹿島神社・・・稲荷社・道祖神・・・みどりの駅(つくばエクスプレス)

  【ル-ト地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_2695 つくばエクスプレスをくぐって県道46号は小貝川へ向かう。

Img_2703 赤法花(あかぼっけ)の一里塚跡 【ル-ト地図】の①

西塚?が残っている。

Img_2700 塚上の庚申塔(左・享保11年(1726))、阿夫利神社・加蘇山神社碑(中央)

Img_2699 説明板

「笠間街道と称し・・・・」とあるのは笠間藩の参勤交代がこの道を通ったことによる。

Img_2707 常総橋から小貝川

涼しげな眺めだが、非常に暑い。橋を渡った左側にある水神宮に寄るのを忘れた。暑さボケだろう。

Img_2709 庚申塔

このあたりは青木集落で、道路向いには二十三夜塔が立つ。

Img_2718 浄円寺 

ここは豊体(ぶたい)集落

Img_2724 弁天社

Img_2727 庚申塔

賽銭箱が置いてある。「防犯カメラ作動中」の木札が付いている。賽銭を盗むアホがいるのか?

大橋(中通川)を渡る。

Img_2731 「太郎兵衛煎餅」の大久保熨斗吉商店 《地図

「のしきち」とは珍しい名だ。屋号なのか? どんな煎餅か買ってみたかったが、まだ9時前で閉まっていた。

Img_2738 寺下橋(用水路)を渡って小張集落へ。

Img_2744 高雲寺 【ル-ト地図】の②

松下石見守長綱の開基で、境内には「高岡流綱火」と並ぶ「伊奈の綱火」の流派の「小張松下流綱火」(三本綱からくり花火)を考案した松下石見守重綱の碑があるそうだ。

Img_2747 小張下宿の旧家

Img_2749 長屋門

Img_2755 旧家

Img_2756 善空寺 《地図

Img_2758 説明板

小張T字路を右折する。T字路を直進すると小張松下流綱火が奉納される愛宕神社がある。

Img_2764 くねった坂を上り下りすると鹿島神社から八坂神社、板橋不動尊の清安山布動院に出る。

Img_2777板橋不動尊 【ル-ト地図】の③

楼門は工事中

Img_2773 説明板

Img_2782 鐘楼・三重塔

Img_2785 狸穴入口バス停そば 《地図

この先のセブンイレブンの所で、県道19号と分かれ左に県道211号に入る。

Img_2788高岡地区の旧道のようで入ってみたが、私有の山林のようだ。すぐ左に県道が走っている。

Img_2789 鳥居の後ろに薬師堂で神仏一体か。

この先は民家の敷地に入ってしまうようで、屋敷神(仏)なのだろう。少し引き返し、県道に戻る。

Img_2792 「高岡流綱火」(あやつり人形仕掛花火)も近くの愛宕神社で奉納される。

Img_2793 高岡集落の旧家

Img_2794 道祖神

Img_2797 金毘羅宮 《地図

Img_2802 高岡交差点(正面)を右折に県道3号に入る。

左の電柱下に小さな馬頭観音道標が立つ。【ル-ト地図】の④

Img_2803 「左ハ まみ阿な あ?? 道」

「まみ阿な」は狸穴だろう。その次は「あら戸」(新戸)?ではないだろうな。

Img_2805 右???

こちらは全然読めない。

県道3号は高岡交差点を右折し、上って下り飯田の集落へ入るが、新しい道路、工事中の道路などで道を間違えそうになる。何しろ暑さで頭が回らないから苦労する。まあ普段から回りは良くないが。

Img_2811 飯田集落の旧家

Img_2814 道祖神

飯田集落を抜けるとまた上り坂になり、途中で左折し常磐道をくぐる。

Img_2816 庚申塔

つくば工科高校のグランドの外側、すぐ先に馬頭観音も立っている。どこからか移されてきたものだろう。

Img_2821 不動松並木跡 【ル-ト地図】の⑤

Img_2820 不動並木説明板

「谷田部に過ぎたるもの」の一つの松並木が残っているような書き方だが松の木など影も形もない。早く説明板も書き換えないと「研究学園都市」の名が泣くよ。50年くらい前の不動並木の写真。なかなか見事だ。「過ぎたるものの」あとの2つは、布施弁天の鐘楼、五角堂を創った飯塚伊賀七(からくり伊賀七)と、同時代の画家で羽成観音堂の天井画を書いた広瀬周度。

Img_2828 大渡山不動尊

不動並木、不動前交差点があるが、この不動尊の由緒などについてはよく分からず。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年9月 5日 (日)

布施街道①

2010年9月1日

北柏駅(JR常磐線)・・・水戸街道・・・根戸十字路・県道7号・・・庚申塔・・・常夜灯・布施弁天道標・布施弁天通り・・・南龍寺・道標・・・紅竜霊園・・・寺山坂・・・大日・薬師如来堂・・布施弁天東海寺・・・利根川河川敷・・・七里ケ渡し・布施河岸跡・・・新大利根橋・・・前掘橋(大野川)・・・稲戸井村道路元標・戸頭神社・・・永蔵寺・・・戸頭公園・・・乙子交差点・国道294号・・・(南守谷駅・関東鉄道常総線)・・・愛宕神社・・・西林寺・・・守谷城大手門跡(守谷小学校)・・・八坂神社・・・守谷城址公園・・・森林公園・・・(つくばエクスプレス)・・・法花坊(ほっけぼう)交差点・・・守谷駅(つくばエクスプレス)

 布施街道は享保15年(1730)頃に開かれた水戸街道の脇往還で、根戸(柏市)で水戸街道から分かれ、布施弁天、利根川の七里ケ渡し、守谷、板橋、谷田部を経由し、土浦の中高津で水戸街道に合流する。谷田部藩、笠間藩の参勤交代の道、新四国相馬霊場巡礼の道、布施弁天、板橋不動尊への参拝の道だった。脇街道ながら利用者が多く、元文4年(1739)に水戸藩では本街道の7つの宿場(我孫子宿~中村宿)が衰えるので、布施街道を通らないようにとの触書まで出したという。

 今では道路、住宅、鉄道などで旧道の道筋も消滅したり、はっきりしない所もあり、昔の街道風情は期待できないだろうが、まあ気楽にゆるりと猛暑の中を出発した。

  【ル-ト地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_2485 水戸街道追分(根戸十字路) 【ル-ト地図】の①

直進が水戸街道、左折が布施街道。

Img_2487 庚申塔

富勢郵便局向い側。「布施」と「富勢」どっちが先か?

Img_2495 常夜灯(文化7年(1810)建立) 《地図

常夜灯には「筑波街道」とある。谷田部から北条に出て、筑波山登拝へと向かったようだ。右脇には布施弁天への道標(貞享4年(1687))も立っている。後ろは追分蕎麦店だが、むろん開店前。

Img_2505

南龍寺

明治6年に富勢小学校の前身の寺子屋、天真学校がこの寺に開設された。

新四国相馬霊場の第26番札所

Img_2506 道標(南龍寺の門前)

こちらが江戸道で歩いて来た道。道標の向こう側が流山道で、小林一茶が守谷の西林寺からの帰りに通った道。行きは流山から利根川を下ったのだろうか? 流山は一茶の寄遇の地で「第二の故郷」とも呼ばれている。

Img_2507 道標

新四国大師道は「新四国相馬霊場」のこと。

Img_2514霊園前に恐が2頭

オリエント企画の宣伝用キャラだろう。

Img_2519 恐竜と張り合う地蔵さん(紅竜霊園前) 

Img_2522 寺山坂を下る。《地図

Img_2539 大日如来堂・薬師如来堂・安産不動明王堂・新四国相馬霊場第67番札所などが一緒。《地図

Img_2530 大日如来

Img_2535 薬師如来

Img_2554布施弁天東海寺楼門 【ル-ト地図】の②

Img_2556 説明板

Img_2552 境内図

Img_2557 本堂

堂内には顔を白粉で化粧したふくよかな弁天さんが立っている。弘法大師の作という本尊(秘仏)ではなく、客寄せの前仏だ。(本堂内は撮影禁止、布施弁天のHPに写真あり) 狩野探舟作という竜も外陣に描かれている。

江ノ島弁天、浅草弁天(上野不忍池)と並ぶ、「関東三弁天」の一つ。新四国相馬霊場の第68番札所

Img_2558 説明板

Img_2566 鐘楼

角形の基壇、十二角の柱、十二支の彫刻のユニークで、奇抜、独創的な鐘楼だ。設計者の「からくり伊賀」こと伊賀は、この先の谷田部の街道沿いに角堂、木製和時計なども手掛けている。楽しみだ。よほど数字が好きなのか、縁があるのか。どうせなら梵鐘も角形か角形にしたら面白いのに。でも梵鐘はもっと古いものか。

Img_2563 説明板

Img_2567 三重塔

Img_2562 新大利根橋、七里ケ渡方向

Img_2578 七里ケ渡し跡へ河川敷を進む。 《地図

庚申塔や石の小祠、ただの石ころのようなものが並んでいる。もうここは河川敷で左側には新大利根橋が架かっている。

Img_2586 七里ケ渡説明板 【ル-ト地図】の③

右は新大利根橋、説明板の後ろは鈴掛(プラタナス)の大木。根元に享保4年(1719)の渡船事故の水死者供養の水神の小祠があるようだが見逃がした。

Img_2582 説明板(平成21年3月31日設置)

以前の説明板には水神の祠の記載があった。

Img_2585 渡し小屋

昭和30年頃までは渡しは存続していたようだ。

Img_2588七里ケ渡・布施河岸跡あたり(説明板の後ろの利根川・右上は新大利根橋)

対岸の戸頭への渡しは平安時代以前からあったという。元和2年(1616)江戸幕府から御定船場に指定されてから発展し、とくに布施の船着場は利根川を往来する船の河岸場として繁栄した。渡しの名は布施村下の七里ケ浜に由来するとの説もある。下流の水戸街道には「青山(取手)の渡し」(大利根橋あたり)があった。

Img_2595 新大利根橋を渡り茨城県取手市へ入る。

全長2.4kmあるらしい。途中から橋に上り、途中で戸頭側に下りられるがやはり長い。

Img_2599 千葉県と茨城県の境界から下流方向

Img_2601 土手へ下りて下流に戸頭へと向かう。

Img_2604 土手を下り、北に戸頭集落に向う。

この先は「取手の坂」の坂道散歩の時に歩いているのだが、その時の写真、記録を探しても見つからない。ブログにも記事がない。この道でいいのかちょっと不安になりそうな所だが、一度歩いているので安心、自信はある。

Img_2609 河川敷の雑草の間の殺風景の道を進む。《地図

Img_2611 前掘橋を渡るとやっと家並みが見え始める。

Img_2614 道路元標(戸頭神社前)

Img_2615 戸頭神社 【ル-ト地図】の④

足利尊氏の創建とも伝え、七里ケ渡のある利根川沿いの交通の要衝の地として栄えた戸頭の鎮守。

神社前は道路工事中、前回来た時もそうだった。3年間も続いているのではあるまい?

Img_2624 永蔵寺(廃寺)

かつては48もの末寺と、20石の朱印地を有していたという大寺の面影はないが敷地は広い。

新四国相馬霊場の第45番札所で、境内の薬師堂は第34番札所。このあたりには遍路用の宿坊が5、6軒あり毎晩のように騒がしく、賑わっていたという。今は新旧の住宅が混在する静かな集落だ。

Img_2630 戸頭公園脇の坂を上る。《地図

昔は公園内を突っ切って上っていたのだろう。この先の旧道の道筋は消滅している所もあり、はっきりしない。

乙子交差点に出て、南守谷駅で線路をくぐる。このあたりの道筋もよく分からず。

Img_2649 愛宕神社 《地図

Img_2648 説明板

「この鰐口」といっても、すぐそばに現物があるわけではない。

Img_2653 旧家

Img_2658 右の石柱は何か?

下部の方には「・・・一千人宿址」とあるようにも見えるが、分からん。

Img_2662 西林寺 《地図

小林一茶が9回も訪れた寺。寄寓地の流山と当寺を間を布施街道、七里ケ渡、流山道で往来したのだろう。

Img_2663 小林一茶句碑

Img_2664 説明板

Img_2675守谷城大手門跡(守谷小学校正門前) 《地図

鎌倉時代に北東の平台に築かれた守谷本城が戦国時代にこの地に増築、移転された。

Img_2671 説明板①

Img_2672 説明板②

Img_2673 領域図

Img_2674 図の番号説明板

Img_2678 八坂神社

説明板の「この絵馬

Img_2677 説明板

Img_2686 守谷城址公園 【ル-ト地図】の⑤

図の現在地あたりから堀切、矢倉台、御馬家台方向。水堀跡で最近?までは湿地帯だったようだ。

俗説では平将門の築城だが、源頼朝の有力な家人の千葉常胤の子、相馬師常(もろつね)が相馬一郡を領有してから築いたという。城は古城沼(守谷沼)に突出した台地(平台)で、本郭を中心に二郭、三郭で構成されている、通路は馬場(ばんば)と呼ばれている所だけの、要害堅固の中世期の城郭だった。

Img_2682 縄張りイメージ図

Img_2690 法花坊交差点のつくばエクスプレス下 《地図

日陰で風通しが良く涼しい。そばのコンビニで買ったコロッケ、メンチ、茶で一休み。まだお昼前だが、あまりの暑さに今日はここまでとし、守谷駅に向かった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年9月 3日 (金)

成田街道④

2010年8月29日

京成佐倉駅・・・海隣寺の坂・・海隣寺・麻賀多神社・佐倉宿・札の辻・佐倉町道路元標・市立美術館・宗円寺・嶺南寺・甚大寺・・・松林寺・・・三谷家住宅・・・久保町の坂・・妙経寺・・妙見堂・・・順天堂記念館・・・昌柏寺・・・藤沢地蔵尊・藤坂・・・妙胤寺・・・白山神社・・・根古谷の石仏・双体道祖神・・・本佐倉城跡・・・県道137号・・・酒々井宿・大鷲神社・酒々井一里塚跡あたり・八坂神社・多古街道分岐地点(酒々井町役場交差点)・勝蔵院・酒の井跡碑・・麻賀多神社・・・下り松跡あたり・・・宗吾入口交差点・旧道・・・国道51号・・・旧道・大坂・大崎馬頭観音・・・宗吾道道標・・・伊篠の松並木跡・成田山護摩供養碑・・・(国道51号)・・・旧道・・・並木坂・・並木坂上交差点・・・不動塚(不動尊旧跡①)・・・和算家飯嶋武雄の墓・・・一本松跡・・・(JR成田線)・・・庚申塔・・・阿利耶橋(京成線)・不動尊旧跡②・・・成宗電車線路跡・・・薬師堂・台の坂・・成田山新勝寺・・・京成成田駅

  【ル-ト地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_2241 海隣寺の坂 《地図

坂下方向を振り返る。長い急坂で、荷車の後押しをして駄賃を稼ぐ「おっぺし」がいたという。

Img_2243 海隣寺

千葉氏の菩提寺で、歴代の墓がある。

Img_2244 説明板

Img_2245 旧家

Img_2250 麻賀多神社

佐倉藩の鎮守、佐倉七福神の福禄寿、恵比寿。

Img_2248 説明板

Img_2252 新町交差点の旧家 《地図

ここは「札の辻」で高札場、木戸があった。佐倉町道路元標が立っている。ここから宿の中心部、新町へ入る。

Img_2258蔵六餅本舗

明治15年創業の和菓子店

Img_2262佐倉市立美術館

大正時代の旧川崎銀行佐倉支店の建物。

Img_2266 宝円寺

佐倉七福神の寿老人。向いの嶺南寺が弁財天。

Img_2272 甚大寺

佐倉藩主歴代の菩提寺。佐倉七福神の毘沙門天。門前には金毘羅大権現の大きな石柱が立つ。

Img_2273 説明板

Img_2275松林寺

土塁に囲まれている感じだ。佐倉七福神の毘沙門天。

Img_2282 三谷家住宅

享保以前から佐倉に定住し、薬種商だった時期もあり、幕末には呉服などを商っていた。

Img_2283 説明板

Img_2286 久保町の坂 《地図

Img_2300 順天堂記念館 【ル-ト地図】の①

順天堂大学の前身。森鴎外の父もここに学んだそうだ。

Img_2299

Img_2298 説明板

Img_2302 藤坂 《地図

逆くの字形に下って上る坂。藤の大木があったらしい。

右に大小2体の藤沢地蔵

Img_2304 藤沢地蔵

大きい地蔵は成田山への道標も兼ねているようだ。

Img_2310山妙寺(みょういんじ)

本佐倉城主千葉勝胤からつけられた山号寺号。本寺は別名清正公とも呼ばれ加藤清正公の木像・手形があるそうだ。

このあたりは猿楽場(さがくば)という地名でバス停もある。中世の頃、寺社に属していた猿楽師が猿楽を演じた場所だったのだろう。

Img_2315 本佐倉城跡への坂 《地図

Img_2322 根古谷の石仏(右)

庚申塔、地蔵など。正面が本佐倉城跡

Img_2325 根古谷の双体道祖神

「子孫長命祈願」と彫られているそうだ。年代は不詳。

Img_2332本佐倉(もとさくら)城跡 【ル-ト地図】の②

文明年間(1469~86)に千葉輔胤(ちばすけたね)が築城。天正18年(1590)に豊臣秀吉により滅ぼされるまでの千葉氏の居城。正面の道を上った所が千葉氏の守護神の妙見社。

千葉氏の家臣屋敷に向かう肥前坂もあるのだが、妙見社前までとした。

Img_2327 説明板

Img_2329 城跡図

Img_2338 酒々井大鷲神社 《地図

酒々井宿の入口、上宿(新宿)の鎮守。新宿は一番新しい宿で、宿の繁栄を祈願した神社。祭神は天日鷲命(あめのひわしのみこと)。鳥居の脇に酒々井観光ナビが設置されている。

Img_2337酒々井観光ナビ

酒々井町役場交差点で右に多古街道が分岐する。

Img_2339 酒々井宿の家並み

昭和の後半まで東側に(酒々井)一里塚跡が一つだけ残っていたそうだ。成田山までは二里八町(約8.7km)。

Img_2341 旧家

Img_2351 勝蔵(しょうぞう)院

Img_2349 説明板

Img_2356 酒の井碑(右端) 【ル-ト地図】の③

碑は下総地方に特徴的な室町時代前期の「供養碑(下総形石板碑)」で、梵字「キリーク(阿弥陀如来)」が彫られている。左が酒の井の跡か。それとも後から堀った井戸か? 水(酒)は涸れている。各地に残る、「養老の瀧」・「子は清水」と同類の話が伝わる。

Img_2357 説明板

Img_2364 麻賀多神社 《地図

千年以上前に建立されたと伝わる酒々井の鎮守。

Img_2367 下り松跡あたりか?

両側から古松が枝を垂れていたという。

宗吾入口交差点から県道137号と離れ直進し、国道51号に出て少し進み右に旧道に入る。

Img_2372 大坂 【ル-ト地図】の④

木陰は暑さを和らげてくれる。昔の旅人も大助かりだったろう。

Img_2374 坂上方向

左の崖上に大崎馬頭観音がある。

Img_2379 大崎馬頭観音堂

江戸時代に馬を使った運送業者たちに祀られていた。天保10年(1839)銘の俳句が彫られた成田山道標があるというがどれか分からず。

Img_2386 伊篠の松並木跡 《地図

松喰虫で枯れ死したというがまだ一部残り、旧道の面影をとどめている。

Img_2390 成田山護摩木山供養碑

成田不動尊の護摩を焚くための材木を用立てるため、信者が寄付した山林、土地を記念した石碑。山林、土地を買い取ってまで寄進してくれるのだから信者はありがたい。「坊主丸儲け」とはよく言ったものよ。

この中には「成田山 宗吾社道」道標もある。

Img_2400 帽子を被っているが一日中日に照らされ地蔵もつらいよ。 台座に「文政四年 三界萬霊 当村女人講中」とある。

国道51号に出て飯沖交差点を直進し下って、並木坂を上り返す。

Img_2405 並木坂(前方の上り坂) 《地図

Img_2408 不動塚(成田不動尊旧跡①) 【ル-ト地図】の⑤

成田山の本尊の不動明王を最初に安置した所と伝える成田山発祥の地、草創の地だ。

この一画には十九夜塔の小祠、金比羅の小社がある。

Img_2411 石造の不動明王が安置されている。

Img_2424 一本松跡交差点

道路の中央に一本の松がそびえ成田の入口として親しまれてきた。自動車の排ガスなどで枯れ死し、昭和51年に交通の障害になるため伐採された。

Img_2425 碑と馬頭観音道標(左)

馬頭観音道標(安政5年(1858))は、義民の代表格、元締めの佐倉宗吾(惣五郎)を祀る宗吾霊堂への道標。

Img_2430 不動尊旧跡② 《地図

さきほどの旧跡①が遠いので、ここに不動尊を仮安置し、ここから本堂へ出発したという。たった1.7kmしか離れていないのに、手抜きをするとご利益も薄れるというものだ。

Img_2431 説明板

Img_2434成宗(せいそう)電車線路跡 《地図

明治43年から昭和19年まで、成田山の門前と宗吾霊堂の間を走っていた電車線路跡。人力車の車夫、土産物屋、旅館などの賛成反対が入り混じり、流血騒ぎまで起こったという。

坂を下って成田線をくぐり、宗吾駅へと走っていたようだ。

Img_2442 薬師堂 《地図

3代前の成田山新勝寺の本堂。今の本堂と比べるとはるかに小さい。通称「日陰の薬師」で、相模の日向の薬師、三河の鳳来寺の峰の薬師とともに、「日本の三薬師」の一つと歌われているそうだが、三薬師の組合せは他にもあるようだ。

Img_2439 説明板

Img_2471 山田刃物店

Img_2443 台の坂(表参道)を総門へ下る。

猛暑の日曜日だが、くねった急坂を善男善女が行き交う。夏休みで子どもも多く、外人さんも目立つ。絶え間なく流れているモーツアルトの曲が自然で心地よく耳に響く。やっぱりモーツアルトは不動さんより偉大か。

元禄14年(1701)には成田村には旅籠が1軒もない純農村だったが、天保14年(1843)には旅籠32軒をはじめ商店が軒を並べ門前町へと移行していたそうだ。

Img_2468

大野屋旅館

Img_2446 成田山新勝寺総門(平成20年建立)

後ろに仁王門、本堂と続く。

Img_2454 本堂

昭和48年の建立。後方に2代前の本堂の光明堂(元禄14年(1701)建立)がある。3代前までの4棟の本堂が残るとは珍しく、成田山の発展、繁盛ぶりを物語るようだ。

Img_2453 釈迦堂

安政5年(1858)建立の前本堂。今の本堂より小振りだが装飾は豪華絢爛だ。

Img_2451 説明板

Img_2459 三重塔

Img_2458 説明板

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年9月 1日 (水)

成田街道③

2010年8月27日

前原駅(新京成電鉄)・・・国道296号・・・道入庵・・・百庚申・・・御嶽神社・・・馬頭観音・・・東福寺滝台阿弥陀堂・・・道祖神・・・高憧庵・木っぱ地蔵・・・庚申塔・・・道祖神・・・(郷土資料館)・・・陸上自衛隊習志野演習場・・・新木戸交差点・成田山道標・血流地蔵道道標・・・八幡神社・・・馬頭観音など・・・神明社・・・「おたきさん道」道標・・・子安観音・・・庚塚バス停・道祖神・・・市役所入口交差点・大和田宿・円光院・長妙寺・時平神社①・陣屋跡・明治天皇行在所跡・薬師寺・子安観音・・・宮坂・・時平神社②・・・大和橋(新川)・・・白旗神社・・・(国道16号)・・・八坂神社・・・台町稲荷神社・・・(勝田台駅)・・・成田山道標・・・加賀清水・・稲荷神社・・・(ユーカリが丘駅)・・・成田山道標・・・志津村道標元標・・・上座総合公園・・・皇産霊神社・・・手繰の坂・・手繰不動堂(跡)・・手繰橋(手繰川)・・・旧道・弥右衛門坂・・・成田山道標・・・雷電の碑・妙覚寺・・・妙伝寺・新坂・・・臼井宿・甘酒茶屋跡・中宿交差点・明治天皇臼井行在所跡・臼井町道路元標・国道296号・・・長源寺・・・(京成電鉄)・・・成田山道標・・・八丁坂・・・江原刑場跡・・・八幡神社・・・鹿島地蔵・鹿島橋(鹿島川)・・・旧道・海隣寺の坂・・・京成佐倉駅

  【ル-ト地図

  佐倉市内は『佐倉市の坂』にも記載あり。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_2043 地蔵(道入庵境内) 《地図

前原新田の開墾を記念して、延宝3年(1675)に造立。道入庵は吉橋大師講の第49番。このサイトに88の札所の一覧が載っている。

Img_2042 説明板 

Img_2045 百庚申 《地図

Img_2048 後ろには立派な青面金剛庚申塔が立つ。

Img_2050 御嶽神社

木造蔵王権現三尊立像は平安時代の作と推定という。扉が開いているのに中を覗くのを忘れた。

Img_2055 馬頭観音の脇を左斜めに入る道は地元では木下(きおろし)道と伝える。

Img_2063東福寺滝台阿弥陀堂 《地図

本尊の阿弥陀如来坐像は中世末から近世初期の作という。

この先、270mほどの左側に立場があったそうだ。

Img_2064 旧家

Img_2067 道祖神

安永8年(1779)の造立

Img_2071 丹羽正伯供養碑(正面・高憧庵墓地内)

「諦通院日慮」の石碑。薬園台の地名の由来となった薬草園を開いた医者。

後ろが木食僧観信の墓と「木っぱ地蔵」の小堂。正面右奥の小祠が吉橋大師講の第41番。

Img_2070 説明板

Img_2074 木っぱ(こっぱ)地蔵 【ル-ト地図】の① 

観信が一本の木から彫り上げたという木造の坐像。素朴な表情をしている。

墓地の向い側に観信が享保年間(1716~35)に開いたという高憧庵がある。

Img_2072 説明板

読めないだろうな。

Img_2078_2庚申塔

Img_2082 道祖神(天明3年(1783))が電柱の脇にひっそりと。

Img_2090このあたり一帯は幕府の下野牧で、木戸があった。今は右側は自衛隊習志野駐屯地。

Img_2092 成田山道標(新木戸交差点右側)

「成田山 是より七■」

Img_2094 「血流地蔵道」道標(新木戸交差点左側) 【ル-ト地図】の②

血流地蔵を見たいものだが、貞福寺まではここから4kmもあり、あきらめた。

Img_2095 説明板

Img_2098 馬頭観音・十九夜塔・出羽三山碑などが並ぶ一画。

Img_2107「おたきさん道」道標(慶応元年(1865)) 一本松前バス停手前の交差点

滝不動(金蔵寺)への道標。新京成電鉄に「滝不動駅」がある。

Img_2110 女人講中、子安講中によって立てられた子安観音がしっかり子を抱いている。

Img_2115 道祖神

庚塚(かのえづか)バス停の脇

Img_2118 無縁法界塔(文久元年(1861))

市役所入口交差点を渡り、大和田宿に入る。

Img_2120 長妙寺 《地図

Img_2121 八百屋お七の墓(長妙寺境内)

お七が(今の)八千代市の生まれで、江戸本郷の八百屋の養女となったとは知らなんだ。

お七の墓は白山の円乗寺にもある。『文京区の坂-4』に記載。 相手の吉三郎の墓は東海道島田宿の関川庵にある。『東海道(藤枝宿→掛川宿)』に記載。

Img_2129 米屋

Img_2131 明治天皇行在所跡

このあたりが陣屋跡で、大和田宿の家並みは1kmほど続き、旅籠の近江屋、中村屋、若竹屋、東屋、舛屋などがあったそうだ。

Img_2135 畳屋

Img_2138 薬師寺

Img_2143 宮坂を下る。 《地図

昔は荷車の難所で、坂下には後押しをして日銭を稼ぐ人たちがたむろしていたという。左の木々の中に時平神社②が鎮座する。

Img_2144 時平神社②

下総三山の七年祭の一社。平清盛によって排斥、左遷され、この地に流れ着いた藤原時平の子孫たちの一人、高津姫が時平を祀ったという。左大臣藤原時平は右大臣菅原道真を大宰府に配流した権力者。子孫が流される破目に遭うとは因果応報の歴史のなせる業か。八千代市には時平神社が4社あるようだ。菅原道真を祀る天神社、天満宮は全国にごまんとある。

Img_2150 長屋門

Img_2472 七代目市川団十郎銘の道標(右端・天保2年(1831)) 《地図

左側面と裏面には、この清水(加賀清水)を飲めば子どもを授かるという意味のことが書かれているそうだ。ここにあった林屋という茶屋がこの清水の茶を成田山参詣客に振舞っていたという。中古自動車に挟まれ、ひいきが立てた「成田屋」の幟ならぬ派手な宣伝旗を見たら団十郎は「こりゃー ぶったまげた げに怪しかりき世の中よ」と大見得を切るかも。

Img_2483 加賀清水 《地図

Img_2482 説明板

Img_2154 モノレール山万ユーカリが丘線をくぐる。

Img_2155成田山道標

コンクリで接合されていたのが、また折れたようだ。

Img_2157 志津村道路元標

Img_2164 手繰(たぐり)の坂を下る。 《地図

Img_2165 手繰不動堂跡か?

Img_2166手繰橋を渡って左の旧道の弥右衛門坂

もとは「田久里」だったが、年々起こる印旛沼の大洪水でこの川も氾濫し橋も道も水没するため、両側に杭を打ち綱を張り、舟に乗ってこの綱を手で繰って渡ったことから、「手繰」という文字になったという。

Img_2169 弥右衛門坂(坂上方向) 【ル-ト地図】の③

昔は粘土層が厚くひどくぬかるんだ道で、この先の新坂を下るまでは臼井峠と呼ばれていたという。

Img_2171 坂上方向

坂上を進んだT字路に道標が立つ。

Img_2174 道標(文化3年(1806)) 《地図

正面に「右成田道」、左側面に「西さくば道」

このあたりを大名宿といい、北方の台地上には臼井城址がある。印旛沼の眺めがいいという。

Img_2177 雷電の碑(妙覚寺前)

手形は自分の2倍もあるか。

Img_2176 説明板

Img_2179 新坂(にいざか)を下る。《地図

Img_2180 坂下方向

坂下を右に入った墓地(浄行寺跡)に雷電夫妻の墓がある。港区赤坂の三分坂(さんぶんざか)の坂下の報土寺にも墓がある。『港区の坂-6』 長野県東御市には生家跡がある。『善光寺街道①

坂下左側には旅籠坂本屋、左折する突当たりには継立場があった。

Img_2185 甘酒茶屋跡(左の武藤自動車の所)

このあたりは臼井宿の上宿で、甘酒茶屋の看板娘のおはんさんを雷電が見初め妻にした。相撲界から退いた後は永くこの地で暮らしたという。

Img_2184 説明板

Img_2191 明治天皇臼井行在所跡(中宿交差点) 《地図

ここは高札場跡で、臼井町道路元標も立っている。

Img_2192 長源寺

成田不動尊の江戸出開帳の際には、不動尊の宿舎?に当てられたという。

Img_2195 道標(京成線を渡った辻) 《地図

Img_2196 道標

左端の「西 江戸道」は文化3年(1806)の造立、その隣の「さくら道」は成田道ではなく、佐倉道と呼ばれていた頃のもの。その隣は六十六部廻国供養塔、右端は墓のようだ。

Img_2197 説明板

Img_2200京成の線路沿いを行く。この先に一里塚があったようだ。

Img_2201 八丁坂の坂下 

坂上の江原刑場の処刑者の埋葬場所で、「首さらし場」、「首洗い池」などもあったそうだ。

Img_2205 坂上方向 《地図

Img_2209 江原刑場跡 【ル-ト地図】の④

Img_2208 説明板

Img_2215 八幡神社

Img_2217 鹿島地蔵(右)・鹿島橋 《地図

後ろに旧道の一部が残るようだ。

Img_2218 鹿島地蔵

付近で溺死した者のために地元の人が建てたという。台座に「宝暦五・・・・再興万人講  享和元・・・・」と刻む。宝暦5年(1755)に造立した地蔵を享和元年(1801)に再建したのか? 

Img_2228佐倉城三十三間堀

Img_2229 国立歴史民俗博物館正門前(佐倉城址公園内) 《地図

Img_2230 巴屋菓子舗

Img_2231 海隣寺の坂へ 【ル-ト地図】の⑤

成田街道が台地上の町へと上がる坂で、街道筋の要所として木戸が設置され、土手、竹矢来で守られていた。坂上に海隣寺がある。

Img_2233 旧家

Img_2234 坂上方向 

途中で左折し京成佐倉駅に向かう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年8月 | トップページ | 2010年10月 »