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2010年9月29日 (水)

奥州街道(二本松宿→福島城下)

2010年9月18日

二本松駅(JR東北本線)・・・県道355号・・・県道129号・・・蓮華寺・・・豊潤水・・・菅原神社・・・竹田見附ポケットパーク・・・鯉川橋(鯉川)・・・油井宿・智恵子生家・・・油井川(橋工事中迂回)・・・昭和橋(油井川)・・・観音橋(油井川)・・・長谷観音・・・二本柳宿・大清浄地蔵・円東寺・・弘法清水・・・上岩崎橋(払川)・・小取揚坂・鹿の鳴き石・・・五郎兵衛遺跡・・・大取揚坂・・・境川橋(境川)・・・(橋供養碑・信夫隠の碑)・・・県道52号・・・八丁目宿・天満宮・メガネ橋・天明橋(水原川)・稲荷神社・常念寺・本陣跡・・・松川駅入口交差点・・・六地蔵道標(相馬街道分岐)・・・市坂・・・浅川踏切(東北本線)・・・県道114号・・・(東北本線)・・・浅川新町宿(若宮宿)・八幡神社・仲ノ坂・阿弥陀堂・・・(東北新幹線)・・・(国道4号)・・・清水町宿・出雲大神宮・仲興寺・旅籠仙台屋跡・・・(国道4号)・・・共楽公園(弘法大師堂・拝石・明治天皇伏拝野立所碑)・・伏拝坂・・ビッタラ石・・・県道148号・・・須川南諏訪神社・・・虚空蔵大菩薩道標・・・杉妻村道路元標・・・濁川橋(濁川)・・・白猿壇(常徳寺跡地)・・・日吉神社・・・荒川橋(大森川)・・・信夫橋(荒川)・・・福島城江戸口・柳稲荷・・御倉邸・福島河岸・・福島城土塁跡・・偕楽亭跡・・板倉神社・・杉妻稲荷神社・・本丸跡(知事公館)・・二の丸跡・・(密語橋通)・・・福島宿本陣跡・脇本陣跡・・・福島駅

 去年白河から歩いて二本松に着いたのが8月19日だった。今年は1ヶ月遅れでもまだ暑い。ひところの猛暑ほどではないが。今回は仙台までの予定で、順調に行けばその後に塩釜街道の続きと東街道を歩きたい。ところが途中から持病の左膝痛が出始めた。初日からこれでは先が思いやられる。明日は雨か膝痛が続くようなら福島競馬場でウォーカーからギャンブラーに変身して休養だ。膝を冷やし、てるてる坊主を逆さに吊るして寝るとするか。

  奥州街道郡山宿→二本松宿)』からの続きです。

  【ル-ト地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_3578切通しの坂を上る。【ル-ト地図】の①

明治18年に福島県令三島通庸により開削された切通しの道だそうだ。(コメント(下記)により訂正した

Img_3582 坂上近く

左に「豊潤水」が湧いている。大正時代の道路掘り下げ工事中に水が湧き出したのを、旅人や牛馬のための水場として個人が整備したという。

Img_3588坂上から下る。

Img_3593 菅原神社 《地図

このあたりは二本松藩の御備籾蔵(年貢米の収納庫)や郷蔵があった蔵場丁。

Img_3600 油井宿の家並み

次の二本柳宿と一緒に宿業務を行っていたようだ。

Img_3603智恵子の生家 【ル-ト地図】の②

高村智恵子は意外と庶民的な顔をしている。(病気になる前の写真)

Img_3608 旧家

Img_3611 油井川の福岡橋?は架け替え工事中で、県道に迂回し昭和橋を渡る。

Img_3620 長谷観音 《地図

日本三観音の一つという一木造りの十一面観音は秘仏だが33年忌毎に開帳され、衣更えの儀が真夜中に無灯の下で行われるという。本堂の下からは十一面観音の霊力により万病に効くという「御身垂水(おみたらすい)が湧き出すそうだ。

万病に効く」というのは何にも効かないただの水ということよ。

Img_3622説明板

Img_3635 大清浄地蔵(二本柳宿の入口あたり) 《地図

十一面観音=馬下し観音は堂内に安置で、「一時お止まり下さい」は「下馬して通れ」ということだろう。大清浄地蔵(お天気地蔵)=守地蔵で説明板の横の石の地蔵なのだろうが、700年前の古い物とも思えないが。 

Img_3633 説明板

Img_3636 二本柳宿の家並み

昭和の後半までは道の真ん中に堀が残り、茅葺きの民家が並び宿場風情を感じさせたという。

Img_3641 問屋跡

「鍛冶屋」、「木羽屋」などの立て札を掲げてあるが古い家は見当たらない。

Img_3642 円東寺

地蔵の前に二本の柳があったらしい。今は旧国道との間あたり移されているようだ。

Img_3644円東寺の糸桜」と呼ばれる樹齢400年以上のシダレ桜

二本の柳よりも長命か。

Img_3643 説明板

Img_3647 弘法(円東寺)清水

地元で生活用水としても使われていたが、坂の下手が削られてから涸れてしまったそうだ。弘法大師が杖を刺したら水が湧き出たという各地にあるありふれた話。

Img_3646 清水の前を下って小取揚坂を上る。《地図

Img_3651 鹿の鳴き石(小取揚坂の途中)

3回廻って鹿の鳴き声を聞こうと思っていたが、石の後ろ側の足場が悪く廻りにくいのでやめた。

Img_3652 説明板

Img_3659 五郎兵衛遺跡

奈良から平安時代の集落跡のようだ。説明板はほとんど消えて読めず。五郎兵衛はこのあたりの地名。

Img_3661 西に安達太良連峰

安達太良山は乳首山とも呼ばれる。

Img_3665 大取揚坂を上る。《地図

坂下左に馬頭観音などが並ぶ。「大」がつくだけあってこっちの方が急だ。

Img_3672境橋(境川)を渡って福島市に入る。ここが安達郡と信夫郡の境だった。《地図

橋を渡った所に「橋供養碑」、その先の右側に「信夫隠の碑」と説明板があるはずだが探しても見当たらない。後日、帰宅してから松山町観光協会に問い合わせたところ、近くの立正院境内に移されているという。

Img_3681 八丁目宿の家並み 《地図

左に天満宮、この手前に口留番所があった。酒館、女郎たちで賑わったという歓楽的な宿場の面影はない。

Img_3680旧家

Img_3686 西光寺

阿弥陀如来坐像(県重文)、天明の飢饉で行き倒れになった人々を供養する「天明九年の碑」がある。

Img_3687 メガネ橋 《地図

明治18年に架けられた空石積工法の石橋

Img_3696 本陣跡桜内家 《地図

右に「八丁目本陣跡」の標柱。GSも桜内家が経営。後ろに邸宅があるようだ。

Img_3700 本家畳店

Img_3702 奥州街道と相馬街道との分岐の六地蔵道標 【ル-ト地図】の③

直進が相馬街道で、左折が奥州街道。

Img_3704 六地蔵の下に「従是南相馬道」か? 

Img_3708 市坂を上って下り右カーブして東北本線の浅川踏切を渡る。

このあたりの東側は住宅地として開発されている。

Img_3709 浅川踏切 《地図

1km程南東(右)が松川事件の現場。

Img_3720 (若宮)八幡神社 《地図

浅川新町宿(若宮宿)の入口

Img_3725 浅川新町宿の家並み

宿場の面影は薄い。

Img_3726 仲ノ坂を上る。《地図

途中の左上に阿弥陀堂がある。

Img_3729 阿弥陀堂 

Img_3728 阿弥陀というより地蔵さんような顔立ちだ。

国道4号を越えて清水町宿へ入る。ここも宿場風情は感じられない。

Img_3738 出雲大神宮 《地図

「金売り吉次」の父親という「炭焼き藤太」を祀る。ここでは吉次は4人兄弟としている。白坂宿の先の吉次の墓の説明板では3人兄弟だった。1人は女だったのか。まあ、いずれにせよ伝承だから。『坂道散歩(白坂宿→白河宿)

Img_3737 説明板

Img_3741 仲興寺 《地図

藤原宗興の歌碑はどれか? 境内にいた老人に聞いてみたが、「分からん」とにべもない返事。後日調べると、大きな馬頭観音の左の説明板の後ろに隠れているのが歌碑のようだ。宗興がどういう人物で、なぜこの宿場に来たのかは分からず。

Img_3739 説明板

仲興寺の前で左折し共楽公園への上りとなる。

Img_3743 旅籠仙台屋跡(左折した上り口)

ここが清水町宿のはずれ。

Img_3749 共楽公園への静かな道 《地図

Img_3753 公園内は土曜日なのに閑散としている。

Img_3756 拝石・弘法大師堂・明治天皇伏拝野立所碑・「羽山嶽の碑群」などの一画。

Img_3760 拝石

信達平野が湖水だった頃、ここから信夫三山、出羽三山を伏し拝んだという。そんな大昔から三山に対する信仰はあったのだろうか?

Img_3762 支手(さえて)地蔵(左端)などの石造物。

支手とは? 

Img_3761 説明板

Img_3763 北西方向の眺め

Img_3766 馬頭観音

文化2年(1805)に福島の飛脚問屋「島屋」が道中安全を願って建てたもの。

Img_3769 伏拝坂を下る。【ル-ト地図】の④

けっこうな急坂だが、下ったあたりから左膝が痛み始めた。休み休み福島を目指すが、膝を曲げては歩けないほどになって行った。

Img_3771 坂下方向(石垣の先の右にビッタラ石がある)

Img_3772 ビッタラ石

日本武尊の舟繋ぎ石だとか。やはりこのあたりは湖だったのか。ここもかなりの高さはあるが。

下って旧国道4号(県道148号)に出る。

Img_3778 道標

Img_3782 虚空蔵大菩薩道標

この先10mに新しい道標が立つ。そこが今の参道入口か。

Img_3785 杉妻(すぎのめ)村道路元標

ここに村役場あった。

Img_3788 昔ながらの商店

Img_3790 白猿壇

坂上田村麻呂を救ったという白猿を葬った所。

Img_3797 日吉神社 《地図

坂上田村麻呂を救った猿はこの神社の神使いだったかも。

Img_3798 説明板

Img_3804 信夫橋

荒川が阿武隈川と合流する。この河原は福島藩の処刑場や百姓一揆の集合場所になったという。

Img_3803 かつての信夫橋

「十三メガネ橋」と親しまれいた。

Img_3810 福島城江戸口(信夫橋を渡った所)

枡形と番所があった。

Img_3809 説明板

Img_3806 柳稲荷(信夫橋を渡った土手上) 《地図

Img_3807 説明板

Img_3815 御倉邸(旧日本銀行福島支店長役宅)

隣に米沢藩米蔵が復原工事中。

Img_3822 福島河岸跡

天神橋の手前

Img_3821 説明板

Img_3833 福島城案内図

Img_3835 福島城土塁跡

県庁西庁舎の南側

Img_3836 説明板

Img_3843 板倉神社 《地図

左は阿武隈川で、このあたり一帯は紅葉山公園

Img_3844 説明板

Img_3847 阿武隈川から弁天山

Img_3851 杉妻稲荷神社

Img_3850 説明板

Img_3852本丸跡(知事公館あたり)

Img_3855密語橋(ささやきばし)通(県庁の西側の通り)

奥州街道の郡山の手前の笹原川にも耳語橋(ささやきばし)がある。『坂道散歩(笠石宿→郡山宿)

Img_3858 羊羹の菊屋

Img_3864 藤金旅館

左は呉服屋

Img_3866 本陣黒沢六郎兵衛宅跡(左のウィズもとまちビル)・脇本陣寺島源吉宅跡(斜向いの常陽銀行)あたり 【ル-ト地図】の⑤

ここを右折して上町道筋の左手にも脇本陣の安斉一郎衛門宅があった。

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コメント

 ありがとうございます。
記事を削除・訂正しました。

投稿: 「七ノ丁」様へ(坂道散歩) | 2015年7月21日 (火) 08:44

この記事が掲載されてから,かなりの時が経ってしまいましたが,先ほど気づいたので指摘します。
最初に通った坂は旧奥州街道ではなく,明治18年に福島県令三島通庸により開削された切通しです。記事中で「亀谷坂」とあるのは「池の入」で,「竹田坂」とあり菅原神社があるところは「新道(しんどう)」といわれるところです。亀谷坂と竹田坂は,二本松駅から辿ると亀谷郵便局を曲がったところの坂で,竹田ポケットパークまでです。

投稿: 七ノ丁 | 2015年7月20日 (月) 21:59

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