奥州街道(二本松宿→福島城下)
2010年9月18日
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去年白河から歩いて二本松に着いたのが8月19日だった。今年は1ヶ月遅れでもまだ暑い。ひところの猛暑ほどではないが。今回は仙台までの予定で、順調に行けばその後に塩釜街道の続きと東街道を歩きたい。ところが途中から持病の左膝痛が出始めた。初日からこれでは先が思いやられる。明日は雨か膝痛が続くようなら福島競馬場でウォーカーからギャンブラーに変身して休養だ。膝を冷やし、てるてる坊主を逆さに吊るして寝るとするか。
【ル-ト地図】
写真をクリックすると拡大します。
明治18年に福島県令三島通庸により開削された切通しの道だそうだ。(コメント(下記)により訂正した)
左に「豊潤水」が湧いている。大正時代の道路掘り下げ工事中に水が湧き出したのを、旅人や牛馬のための水場として個人が整備したという。
菅原神社 《地図》
このあたりは二本松藩の御備籾蔵(年貢米の収納庫)や郷蔵があった蔵場丁。
次の二本柳宿と一緒に宿業務を行っていたようだ。
高村智恵子は意外と庶民的な顔をしている。(病気になる前の写真)
油井川の福岡橋?は架け替え工事中で、県道に迂回し昭和橋を渡る。
長谷観音 《地図》
日本三観音の一つという一木造りの十一面観音は秘仏だが33年忌毎に開帳され、衣更えの儀が真夜中に無灯の下で行われるという。本堂の下からは十一面観音の霊力により万病に効くという「御身垂水(おみたらすい)が湧き出すそうだ。
「万病に効く」というのは何にも効かないただの水ということよ。
大清浄地蔵(二本柳宿の入口あたり) 《地図》
十一面観音=馬下し観音は堂内に安置で、「一時お止まり下さい」は「下馬して通れ」ということだろう。大清浄地蔵(お天気地蔵)=守地蔵で説明板の横の石の地蔵なのだろうが、700年前の古い物とも思えないが。
昭和の後半までは道の真ん中に堀が残り、茅葺きの民家が並び宿場風情を感じさせたという。
「鍛冶屋」、「木羽屋」などの立て札を掲げてあるが古い家は見当たらない。
地蔵の前に二本の柳があったらしい。今は旧国道との間あたり移されているようだ。
「円東寺の糸桜」と呼ばれる樹齢400年以上のシダレ桜
二本の柳よりも長命か。
地元で生活用水としても使われていたが、坂の下手が削られてから涸れてしまったそうだ。弘法大師が杖を刺したら水が湧き出たという各地にあるありふれた話。
清水の前を下って小取揚坂を上る。《地図》
3回廻って鹿の鳴き声を聞こうと思っていたが、石の後ろ側の足場が悪く廻りにくいのでやめた。
奈良から平安時代の集落跡のようだ。説明板はほとんど消えて読めず。五郎兵衛はこのあたりの地名。
安達太良山は乳首山とも呼ばれる。
大取揚坂を上る。《地図》
坂下左に馬頭観音などが並ぶ。「大」がつくだけあってこっちの方が急だ。
境橋(境川)を渡って福島市に入る。ここが安達郡と信夫郡の境だった。《地図》
橋を渡った所に「橋供養碑」、その先の右側に「信夫隠の碑」と説明板があるはずだが探しても見当たらない。後日、帰宅してから松山町観光協会に問い合わせたところ、近くの立正院境内に移されているという。
八丁目宿の家並み 《地図》
左に天満宮、この手前に口留番所があった。酒館、女郎たちで賑わったという歓楽的な宿場の面影はない。
阿弥陀如来坐像(県重文)、天明の飢饉で行き倒れになった人々を供養する「天明九年の碑」がある。
メガネ橋 《地図》
明治18年に架けられた空石積工法の石橋
本陣跡桜内家 《地図》
右に「八丁目本陣跡」の標柱。GSも桜内家が経営。後ろに邸宅があるようだ。
直進が相馬街道で、左折が奥州街道。
このあたりの東側は住宅地として開発されている。
浅川踏切 《地図》
1km程南東(右)が松川事件の現場。
(若宮)八幡神社 《地図》
浅川新町宿(若宮宿)の入口
宿場の面影は薄い。
仲ノ坂を上る。《地図》
途中の左上に阿弥陀堂がある。
国道4号を越えて清水町宿へ入る。ここも宿場風情は感じられない。
出雲大神宮 《地図》
「金売り吉次」の父親という「炭焼き藤太」を祀る。ここでは吉次は4人兄弟としている。白坂宿の先の吉次の墓の説明板では3人兄弟だった。1人は女だったのか。まあ、いずれにせよ伝承だから。『坂道散歩(白坂宿→白河宿)』
仲興寺 《地図》
藤原宗興の歌碑はどれか? 境内にいた老人に聞いてみたが、「分からん」とにべもない返事。後日調べると、大きな馬頭観音の左の説明板の後ろに隠れているのが歌碑のようだ。宗興がどういう人物で、なぜこの宿場に来たのかは分からず。
仲興寺の前で左折し共楽公園への上りとなる。
ここが清水町宿のはずれ。
共楽公園への静かな道 《地図》
拝石・弘法大師堂・明治天皇伏拝野立所碑・「羽山嶽の碑群」などの一画。
信達平野が湖水だった頃、ここから信夫三山、出羽三山を伏し拝んだという。そんな大昔から三山に対する信仰はあったのだろうか?
支手とは?
文化2年(1805)に福島の飛脚問屋「島屋」が道中安全を願って建てたもの。
けっこうな急坂だが、下ったあたりから左膝が痛み始めた。休み休み福島を目指すが、膝を曲げては歩けないほどになって行った。
日本武尊の舟繋ぎ石だとか。やはりこのあたりは湖だったのか。ここもかなりの高さはあるが。
下って旧国道4号(県道148号)に出る。
この先10mに新しい道標が立つ。そこが今の参道入口か。
ここに村役場あった。
坂上田村麻呂を救ったという白猿を葬った所。
日吉神社 《地図》
坂上田村麻呂を救った猿はこの神社の神使いだったかも。
荒川が阿武隈川と合流する。この河原は福島藩の処刑場や百姓一揆の集合場所になったという。
「十三メガネ橋」と親しまれいた。
枡形と番所があった。
柳稲荷(信夫橋を渡った土手上) 《地図》
隣に米沢藩米蔵が復原工事中。
天神橋の手前
県庁西庁舎の南側
板倉神社 《地図》
左は阿武隈川で、このあたり一帯は紅葉山公園
密語橋(ささやきばし)通(県庁の西側の通り)
奥州街道の郡山の手前の笹原川にも耳語橋(ささやきばし)がある。『坂道散歩(笠石宿→郡山宿)』、長崎には「囁き坂」もある。
左は呉服屋
本陣黒沢六郎兵衛宅跡(左のウィズもとまちビル)・脇本陣寺島源吉宅跡(斜向いの常陽銀行)あたり
ここを右折して上町道筋の左手にも脇本陣の安斉一郎衛門宅があった。
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コメント
ありがとうございます。
記事を削除・訂正しました。
投稿: 「七ノ丁」様へ(坂道散歩) | 2015年7月21日 (火) 08:44
この記事が掲載されてから,かなりの時が経ってしまいましたが,先ほど気づいたので指摘します。
最初に通った坂は旧奥州街道ではなく,明治18年に福島県令三島通庸により開削された切通しです。記事中で「亀谷坂」とあるのは「池の入」で,「竹田坂」とあり菅原神社があるところは「新道(しんどう)」といわれるところです。亀谷坂と竹田坂は,二本松駅から辿ると亀谷郵便局を曲がったところの坂で,竹田ポケットパークまでです。
投稿: 七ノ丁 | 2015年7月20日 (月) 21:59