水戸街道(長岡宿→水戸城下)
2010年9月13日
水戸駅(JR常磐線)バス→矢頭・国道6号・・・東野町交差点・県道180号・・・熱田神社・・・天神社・・・一里塚跡・・・道祖神・・・(国道50号)・金山稲荷神社・・・牛馬頭観音・一里塚三叉路・旧道・・・旧吉田小学校跡・・・吉田村道路元標・・・台町交差点・県道180号・・・薬王院・・・神楽屋敷跡・・・清厳寺・・・吉田古墳・・・五差路・男坂・・女坂・・吉田神社・・・金刀比羅神社・・・銷魂橋(備前堀)・江戸街道起点石柱・・・竈神社・・結城街道起点・水戸宿・ハミングロード513・・能化稲荷神社・・陸前浜街道起点石柱(水戸街道終点)・・・さくら川・・・備前堀新橋水門・伊奈神社・・・柳堤橋(さくら川)・・・水戸駅
【ル-ト地図】
水戸街道の最終日、距離もわずかだし遅めの出発とし蒸し暑い中をゆっくり歩く。明日あたりから涼しくなるらしい。まあ当てにはならないが。予定より1ヶ月遅れで、奥州街道の続きを歩こう。
*参考:『歴史と伝統の東部巡り』(水戸商工会議所)
写真をクリックすると拡大します。
熱田神社 《地図》
天神社 《地図》
塚上に樹齢100年の榎の大木、前には庚申塔、馬頭観音、子安観音などの祠。石段上は阿夫利神社の石碑らしいが確かめなかった。このあたりは一里塚の地名が残っている。
金山稲荷神社 《地図》
牛馬頭観音の立つ分岐点 《地図》
旧道は左に。
手前が旧吉田小学校跡
台町交差点で県道180号に出る。
薬王院参道 【ル-ト地図】の30
片側だけいちょう並木。
神楽屋敷跡(清厳寺の手前)
清厳寺(せいがんじ)
街道から離れ、薬王院の裏手方向の吉田古墳を目指すがかなり迷った。そしてがっかりした。
もとは直径30mの方墳で、石室の奥に壁画が描かれていた装飾古墳だが、今は崩れかかった一里塚といった風で、肩透かしを食った。来た甲斐なしか。まあ致し方なし。
吉田神社上の五差路 《地図》
旧道の女坂は直進して右にカーブして吉田神社前に下る。男坂は直角に右に曲がり左カーブして下り吉田神社前に出る。自動車の進む道が新道(県道180号)で、3つの道は吉田神社参道前で合流する。左に曲がれば吉田古墳の方に行かれる。
男坂 《地図》
今でも女坂よりは急だ。
女坂 《地図》
狛兎だが、相棒がいないのは可哀想だ。大正時代に寄進、造立されたようだ。当初は対になったいたのだろう。
備前堀から銷魂(たまげ)橋
橋を渡った所に「江戸街道起点」の石柱が立つ。
ここに高札場があった。水戸の宿場の中心部はもっと先にある。そこを水戸街道歩きの終点とするのでさらに進む。
もとは三宝荒神社で水戸城内に祀られていた。
ハミングロード513 へ入る。《地図》
513mの商店街で、宿場の通り。ここは結城街道の起点でもある。
醤油おにぎりを買って能化稲荷神社で一休み。ここのおにぎりは旨いよ。
ここはお狐さんが揃って出迎えてくれる。
このあたりが宿場の中心だが、本陣などがどこにあったのかは不明のようだ。
ここを水戸街道歩きの終点とする。「けんしん」(茨城県信用組合)の前を進むのが仙台の手前の岩沼で奥州街道に合流する岩城相馬街道(陸前浜街道)で、この道もいずれ歩くだろう。
さくら川方向に向かい水戸駅まで歩く。
天保元年創業の菓子店
手前がさくら川、正面奥の鳥居が伊奈神社。
小さな社だが伊奈氏は神として祀られているのだ。
近づいても逃げない。威厳のあるきつい目をしている。艶のあるふんわりとした高級羽毛を身につけて、さながら黒いドレスの女王だ。雌かどうかは分からないか。すると・・・。
なり振りかまわず、川岸の雑草をムシャムシャと食べ始めた。そばで眺めている人間など無視、全然気にする様子はない。貴婦人の食事中に話しかけても悪いので、そっと立ち去る。黒鳥は草食性で、主に水草を食べるが、水辺に近い場所や陸上でも、採食することがあるそうだ。4月から9月が繁殖期で、連れ合いは巣で卵を抱えているのかも。
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