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2010年10月29日 (金)

清戸道①

2010年10月16日

江戸川橋駅(地下鉄有楽町線)・・・江戸川橋(神田川)・・・目白坂・大泉寺・永泉寺・養国寺・正八幡神社・・幸神社・・・椿山荘・・目白通(都道8号)・・・講談社野間記念館・・・和敬塾・・・目白台運動公園・・・日本女子大・・・清戸坂上(不忍通)・・日無坂上・富士見坂上・・・稲荷坂上・・・宿坂上・・・のぞき坂上・・・千登勢橋(明治通・都電荒川線)・・・学習院大学・・・目白駅(JR山手線)・・・子安地蔵尊・・・(山手通)・・・二又交番・旧道(南長崎ニコニコ商店街)・・二又子育地蔵尊・・トキワ荘記念碑(南長崎花咲公園)・・・千川通り・・穴守稲荷神社・・武蔵大学・・・(環七通)・・・(練馬駅)・・・豊玉北6交差点・目白通・・・(西武池袋線)・・・旧道・・須賀神社・・目白通・・子津橋跡・・円光院・・東高野山道標・旧道・・おさる坂・・道楽橋(石神井川)・・・宮田橋跡(敷石供養塔・高松の庚申塔)・・(環8通)・・下の堂・・庚申塔・・東京ガスタンク・・目白通・・練馬区立総合体育館・・谷原交差点(笹目通)・・・大泉駅前通り・・・庚申塔・・・三原台稲荷神社・・・石神井神社・・・庚申塔・・・天祖神社・・・妙延寺・・・大泉学園駅(西武池袋線)

 清戸(きよと)道は練馬方面から農民が野菜などの農作物を江戸の町中に運んだ道で、清戸(清瀬市)にあった尾張徳川家の鷹場御殿への道でもあった。参考にした『練馬の道』(石神井図書館郷土資料室・昭和49年の発行)当時と、どんなに変わっているかも楽しみながら起点の江戸川橋(文京区)から清戸までを2回で歩く。 

  【ル-ト地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_6408 清戸道説明板

練馬区立総合体育館前に設置のもの。

Img_6232 江戸川橋から神田川 

Img_6234 目白坂を上る。 【ル-ト地図】の①

昔はもっと急な坂で、坂上近くは傾斜が増す。清戸、練馬方面から野菜などを運んできた農民は、帰りには下肥を積んでこの坂を上った。そこで「汚わい街道」の汚名でも呼ばれた。ここには農民の手助けをする「目白坂の立ちん坊」がたむろしていて荷車を押して駄賃をもらっていた。

Img_6236 説明板

Img_6239 永泉寺

大泉寺、養国寺と3ケ寺が並ぶ。かつては南側に目白の地名由来となった「目白不動」の新長谷寺があった。寺は戦災で焼失し廃寺となり、目白不動は宿坂下の豊島区の金乗院に移された。

Img_6244 正八幡神社

Img_6247 幸神社

 

Img_6249 椿山荘

 

Img_6251 説明板

 

Img_6252 講談社野間記念館 《地図

 

Img_6256 和敬塾

 

Img_6261 目白台運動公園

 

Img_6269 清戸坂上(不忍通) 《地図

清戸道へ上る坂なので清戸坂。

 

Img_6270鳳山(ホーザン)酒店ここは日無坂と富士見坂の坂上

 

Img_6274 日無坂(左・文京区)・富士見坂(右・豊島区) 《地図

 

Img_6279 宿坂 《地図

坂下に「江戸五色不動」の一つ、目白不動の金乗院がある。この坂は鎌倉街道「中の道」の道筋。

 

Img_6283 のぞき坂 《地図

23区内で有名な急坂

 

Img_6284 千登勢橋

下は明治通りで都電荒川線が通る。

 

Img_6287 都電荒川線

 

Img_6295 子安地蔵尊(新宿区下落合4-23) 《地図

 

Img_6299 二又交番前から右に旧道(南長崎ニコニコ商店街通り)に入る。《地図

 

Img_6305 二又子育地蔵尊 《地図

もとは分岐の二又交番の所にあったもの。

 

Img_6306 説明板

文中に「清戸道」がある。

 

Img_6307 二又子育地蔵

宝永7年(1710)の造立 

 

Img_6320 トキワ荘記念碑(南長崎花咲公園内) 【ル-ト地図】の②

 

Img_6317 記念碑

 

Img_6314 説明板

 

Img_6324 岩崎家

 

Img_6326 千川通り 《地図

昔はここを千川上水が流れていた。

 

Img_6336 半鐘

もとは千川上水の堤上の火の見櫓にあったもの。

 

Img_6335 説明板

 

Img_6333 穴守稲荷神社 【ル-ト地図】の③

 

Img_6329 鳥居と社殿?には隙間がない。

 

Img_6342 江古田銀座通りを右に見て進む。

 

Img_6343 武蔵大学沿いを進む。

 

Img_6349 西武池袋線をくぐる。

 

Img_6350 旧道(右)に入る。

ここは練馬区貫井5-1

 

Img_6353 須賀神社(右) 《地図

 

Img_6355 清戸道の石柱・説明板(須賀神社の下)

説明板は最初に載せた練馬区立総合体育館前のものとほぼ同じ文面。

 

Img_6358 子津橋跡 《地図

 

Img_6363 円光院

左に「子ノ聖観世音」(文化7年(1810)))の石柱。

 

Img_6365 説明板

「武州大鱗山子聖権現」とは埼玉県飯能市の「子の権現天龍寺」のこと。

 

Img_6369東高野山道標(正面右) 《地図

練馬区高野台の東高野山長命寺への道標

 

Img_6370 道標

後ろは「東高野山」に関する石碑のようだが、碑文は読めず。

 

Img_6377_3 おさる坂を下ると道楽橋(石神井川) 【ル-ト地図】の④

以前この坂の左手の丘の上に草に埋もれた二基の庚申塔があった。寛文2年(1662)、安永2年(1773)造立のものであったという。(現在は長谷川家に安置されている) それでこれをおさる()坂と言ったといわれているが、この呼び名から、祝儀の際、花嫁が通ると離縁になるといわれ通らないようにしたという。『練馬の伝説』

Img_6380 道楽橋

「道楽」の由来には、①この橋を架けるため農民を集めようとしたが農繁期で集まらず、いつまでも橋が架からないので、まるで道楽で橋をかけているといわれたのが橋の名になった。 ②南の台地上(貫井5丁目)に地蔵堂を建て、堂の落成の喜びをあらわすため「堂落橋」と名づけたが、何年か後に橋の架け替えの時、道楽橋と書いてしまった。③農民たちが地蔵堂を托鉢喜捨して建てた。余材で橋まで架けることができた。楽に堂が建ったので「堂楽橋」とした。幕末に橋を架け替える際に石屋が字が解らず、「堂」が「道」になった。 また道楽橋を渡ってゆくと、道楽者の所へ嫁ぐと言うので、渡らないようになったともいう。この他にも道楽橋のあたりで一緒になれない男女が心中したので縁起が悪いといって花嫁が渡らなくなったという話もある。『練馬の伝説』

 

Img_6382 宮田橋敷石供養塔・高松の庚申塔 《地図

庚申塔は練馬区内で最大のもの。

 

Img_6384 説明板

 

Img_6388 下の堂(大日如来・虚空蔵堂) 《地図

前は庚申塔(左)と回国供養塔? ここは墓地の一角で庚申塔、地蔵などの石造物も集められている。

 

Img_6392 地蔵 

 

Img_6396 右に庚申塔の小祠 

ここにも「清戸道」の説明板が立つ。

 

Img_6397 庚申塔(元禄11年(1698)の造立)

 

Img_6401 東京ガスのタンクを左に見て目白通りへと下って行く。

 

Img_6410 清戸道石柱と説明板

練馬区立総合体育館前

 

Img_6416 左に大泉駅前通りに入って行く。《地図

 

Img_6418 庚申塔(宝暦11年(1761))の造立) 

三原台1-28、そばには「ファミール庚申」というマンションもある。

 

Img_6424 三原台稲荷神社 《地図

もとの下石神井村の鎮守

 

Img_6429 石神井神社 【ル-ト地図】の⑤

「石神井」の地名由来の神社。神体は上石神井村三宝寺池から出現した石剣だとか。またこの地で井戸を掘った時に石剣が出土したことから、「石神の井」で石神井になったともいう。

 

Img_6434 庚申塔と石仏 《地図

交番の脇に守られているから安心? とんでもない。警察、検察なんて信じちゃお終いよ。

 

Img_6435 庚申塔(天保6年(1835))・右の石仏は?

Img_6430 天祖稲荷神社 《地図

昔は笠間稲荷だったようだが。

 

Img_6439 妙延寺

樹齢400年のイチョウ。

 

Img_6437 説明板

文中に「清戸道」がある。

 

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