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2010年10月 7日 (木)

奥州街道(船迫宿→槻木宿→岩沼宿→増田宿→中田宿)

2010年9月22日

船岡駅(JR東北本線)・・・さくら歩道橋(白石川)・・・(国道4号)・・・阿弥陀堂・・・薬師堂・・・国道4号・・・船迫内余川の一里塚跡・・・旧道・・・里程標・・・(東北本線)・・・大悲閣(東禅寺)・・・(国道4号)・・・槻木宿・逢隈旅館・・・国道4号・・・旧道・・・郡境界石・旧道・・・東街道分岐点・・・(JR常磐線)・・・西六角踏切・・・東武神社・・・西原橋(五間堀川)・・・聖徳太子堂・・・岩沼宿・岩城相馬街道(陸前浜街道)追分・竹駒神社・武隈の松・本陣跡(南町検断屋敷)・脇本陣跡(中町検断屋敷)・・・国道4号・・・志賀沢川・・・奥州街道本郷踏切(東北本線)・・・道祖神路碑・・・館腰神社・弘誓寺・・・明観寺・・・薬師堂古墳・・・(東北本線)・・・(仙台空港線)・国道4号・・・増田橋(増田川)・・・増田宿・衣笠の松・北方検断屋敷跡・増田神社・・・道標(田高交差点)・・・中田宿・・・南仙台駅(東北本線)

  【ル-ト地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_4528 阿弥陀堂 《地図

堂はなく、露座の新しそうな阿弥陀さんが座っている。

Img_4529 薬師堂 《地図

ここは堂はあるが薬師さんの姿は見えず。

Img_4537 船迫内余川の一里塚跡(向う側は白石川) 《地図

説明板によると柴田町には一里塚が3か所あったそうだ。①の二本杉は昨日通った。③の四日市場は槻木宿の先で国道4号に合流する四日市場交差点あたりのようだ。

Img_4539 説明板

Img_4540 蛇行して流れる白石川。雨で煙っている。

Img_4547 里程標(リコー開発センターの少し手前)

仙台まで七里だ。

Img_4548 大悲閣 《地図

ここは東禅寺境内のようだ。

東北本線、国道4号をくぐり槻木宿に入る。

Img_4562 逢隈(おうくま)旅館 《地図

かつては大茶屋と呼ばれていたそうだ。

Img_4559 槻木宿の家並み 【ル-ト地図】の①

北条事務所

Img_4560 旧店

Img_4561 旧家菓子屋と居酒屋のようだ。

Img_4568 郡境界石 《地図

「西 柴田郡槻木村 東 名取郡千貫村」、今でも柴田町と岩沼市の境。

Img_4572 東街道分岐 【ル-ト地図】の②

東山道ともいう奥州街道以前の古道。仙台に着いた後に、ここから歩く予定。

Img_4579西六角踏切

引込み線の線路か。

Img_4581 東武(とうたけ)神社 《地図

このあたりに岩沼の一里塚があったらしい。

Img_4589 岩城相馬街道(江戸浜街道・陸前浜街道)分岐(右) 《地図

左折して岩沼宿に入る。

Img_4598 竹駒神社随身門

総ケヤキの素木造りで、文化9年(1812)の建造。日本三大稲荷の一つに数えられることもある。

Img_4600 向唐門

天保13年(1842)に創建千年を記念して建造。これも総ケヤキの素木造りだそうだ。

Img_4594_2芭蕉句碑

向うの建物は馬事博物館。岩沼は古くから馬市で知られ、境内で安土桃山時代から馬市が立っていたという。

Img_4593 説明板

Img_4607 武隈の松(七代目) 【ル-ト地図】の③

芭蕉が「桜より松は二木を三月越し」と詠んだ松は五代目だったという。

あの藤原実方も、「みちのくにほど遠ければたけくまの松まつ程ぞ久しかりける」と詠んだ。ここから東街道を西に向かい、道祖神社前で落馬して死んでしまったのか?そうだとすれば辞世の歌のようなものだが、ちゃんと辞世の一首はある。「みちのくの阿古耶の松をたずね得て身は朽ち人となるぞ悲しき」ここでは、実方は陸奥守の赴任中に歌枕の阿古耶の松を見に行った帰り道に道祖神社前で死んだことになっている。まあ虚実入り混じった話で真相はどんなものやら。詳しくは、『藤原実方の哀れ』が面白い。

Img_4604 説明板

Img_4622 岩沼宿本陣跡

南町検断屋敷の八島家

Img_4618 脇本陣跡

中町検断屋敷の相原家

Img_4617 小野酒造

清酒「武隈」の醸造元だが営業しているのか?

Img_4610 高橋醤油店跡か?

Img_4619 蓬田海産物店

Img_4627 相傳商店

文政4年(1821)創業の老舗

Img_4631 旧家

Img_4632 喫茶四方山

Img_4636 奥州街道本郷踏切を渡り、線路の西側の道を北上する。

雨が本降りになってきた。この手前に本郷の一里塚があったようだ。

Img_4641道祖神路」碑(植松4丁目バス停そば)

『奥の細道』の旅で芭蕉はここの西方の東街道沿いの笠島の道祖神社、藤原実方の墓に行きたかったが、梅雨のぬかり道で断念し、「笠島はいづこ皐月のぬかり道」の句を残して通り過ぎた。安政3年(1856)に仙台城下河原町の小西利兵衛が建てた笠島塚、芭蕉塚ともいわれる笠島の道祖神社への道標碑。右にも小さな「笠嶋道」道標が立つ。

Img_4652 館腰神社

弘誓寺と参道は別で境内は一緒になっていて、弘誓寺観音堂、撫牛大黒天、日切地蔵堂が隣に並ぶ。

Img_4650 説明板

Img_4658 日切地蔵堂

Img_4657 説明板

Img_4648 弘誓寺(ぐせいじ)山門

東北一古い鐘があるそうだ。

Img_4646 親水公園沿いの遊歩道を進めば東北最大の前方後円墳の雷神山古墳に行けたのだが、街道に戻ったため左折する所が分からずそのまま進んでしまった。雨も強くなって来たので割愛した。

Img_4674 薬師堂古墳(後円部方向) 【ル-ト地図】の④

飯野坂古墳群の東端に位置する前方後方墳。

手前の明観寺付近に館腰の一里塚があったようだ。

Img_4669_4説明板

東北本線、JR仙台空港線、増田川を越え増田宿へ入る。

Img_4682 増田宿の家並み 《地図

鶴見屋の蔵

Img_4686 旧家

「明治天皇増田御膳水」の碑が立っているそうだ。

Img_4687 衣笠の松(増田公民館) 【ル-ト地図】の⑤

ここは北方検断屋敷跡

Img_4693 説明板

Img_4689 説明板

Img_4694 増田神社

Img_4696 由緒

Img_4699 道標(田高交差点) 《地図

「村田道」・「距 高舘村二十九丁」、高舘は安元元年(1175)、藤原秀衡が高舘山に築いた館で、奥州合戦の際には奥州方の防衛拠点の一つとなった。南北朝時代の観応の擾乱(じょうらん)では多賀城攻防線の一役を担った。戦国時代に入ると伊達氏の支配下となり家臣の福田氏を配した。

名取市と仙台市太白区の境の天満宮あたりに中田の一里塚があったようだ。

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