« 奥州街道(二本松宿→福島城下) | トップページ | 奥州街道(藤田宿→貝田宿→越河宿→斎川宿→白石城下) »

2010年10月 3日 (日)

奥州街道(福島城下→瀬上宿→桑折宿→藤田宿)

2010年9月19日

福島駅・・・駅前通・・・レンガ通(福島宿本陣跡・脇本陣跡)・・・福島市道路元標・高札場跡(ふれあい歴史館)・・・テルサ通・・・(国道4号)・・・旧電車通・・・(国道114号)・・・(福島競馬場)・・・広布寺・・・岩谷観音・・・竜洞神社・・・国道4号・松川橋(松川)・・・旧道・大日堂・・・鎌田村道路元標・・・鎌秀禅院(鎌田城跡)・・・橋本橋(八反田川)・・・(県道387号)・・・(阿武隈急行)・・・瀬上宿・島貫家住宅・青柳神社・雷神社・瀬上陣屋跡(宮代の大カヤ)・・・県道353号・・・幸橋(摺上川)・・・諏訪神社(西念塚)・・・田町薬師堂・・・長岡村道路元標・・・瀬戸場橋・・・桑折の一里塚跡・・・産ケ沢橋(産ケ沢川)・寛延三義民顕彰碑・・・伊達朝宗の墓・・・宝積寺・・・桑折宿・桑折寺・旧伊達郡役所・桑折町道路元標・本陣跡・大安寺・桑折御蔵・法円寺・無能寺・・・羽州街道追分・・・谷地の一里塚跡・・・西根堰・・・第二高津川(佐久間川)・・・普蔵川・・・堰下古墳・藤田宿・・・藤田駅(JR東北本線)

 幸か不幸か、吉か凶か今にでも降りだしそうな曇天だ。膝も歩いてみなければ分からない。とにかく行ける所まで行こう。とぼとぼ、よちよち出発した。

  【ル-ト地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_3870 高札場跡 《地図

「ふれあい歴史館」前に福島市道路元標が立つ。

Img_3873 古い家並みも残るテルサ通り。

Img_3880 旧電車通 《地図

明治41年に開業した私鉄の軽便鉄道の電車道。福島駅から長岡村を経て飯坂の湯野に至る電車で、福島市街と長岡の間の大半が、旧奥州街道上に線路が敷かれていたという。その後、福島電鉄となり昭和45年まで続いていた。

この道を岩谷下交差点まで一直線に行く。途中に右手に福島競馬場がある。

Img_3882 宍戸理容所

レトロな建物の床屋に最近よく出会う。いつかは頭を刈ってもらいたい。

Img_3885 福島競馬場

8時を過ぎたばかりで、非開催で場外発売だけだが、人参代を納めにくる奇特な善男善女がぼちぼちと集まって来る。膝を気にしながら横目で通り過ぎる。そういう自分も後で来るはめになるかも。

Img_3900 岩谷観音 【ル-ト地図】の①

Img_3890 案内図

Img_3891 説明板

Img_3902 磨崖仏

Img_3892 長命成願地蔵(岩谷観音の石段途中)

Img_3911 松川橋から信夫山 《地図

橋を渡って国道4号の左手の道に入る。

Img_3913 大日堂

大日如来像 2体、毘沙門天像、不動明王像を安置するようだ。

Img_3912 説明板

Img_3917 鎌秀禅院 《地図

ここは弘長2年(1262)に大和国より移封された宇野信次が築城した鎌田城跡。戦国時代には鎌田氏は伊達氏の家臣となり、天正18年(1590)に廃城となった。

Img_3929 瀬上(せのうえ)宿 

島貫家住宅(大国屋) 《地図

Img_3941 裏側も立派

こっちが街道沿い。染色アート着物展を開催中。瀬上宿は「瀬上花街」と呼ばれる歓楽の町としても知られていた。

Img_3935 青柳神社 《地図

Img_3936 男根石(左)・女陰石(右)の道祖神

本堂の後ろに鎮座。

Img_3947 雷(いかづち)神社 《地図

ここから瀬上陣屋までが分からず、かなりの時間を費やした。

Img_3961 瀬上陣屋跡・宮代の大カヤ 【ル-ト地図】の②

秀吉の係累の備中足守藩領の陣屋跡

Img_3956 説明板①

Img_3957 説明板②

Img_3971 西念塚(大ケヤキの根元・諏訪神社境内) 

摺上川の洪水、氾濫から村人を救うために寛文8年(1668)、自ら入水した西念上人の供養塚。

Img_3976 薬師堂 《地図

手前の福源寺には寛延三義民の一人、斉藤彦内の墓がある。ここにも義民碑がある。

Img_3980 長岡村道路元標

Img_3983 旧家

Img_3986 旧家

Img_3991 桑折(こおり)の一里塚跡 【ル-ト地図】の③

このあたりは一里壇という地名。

Img_3996 寛延三義民碑(産ケ沢(うぶがさわ)橋)を渡った左側) 

寛延2年(1749)の大凶作時に、桑折代官神山三郎左衛門の苛政に抵抗して起こした寛延の大一揆の首謀者として、斎藤彦内、猪狩源七、蓬田半左衛門が、ここ産ケ沢の刑場で処刑された。この一揆の顛末は、明治40年の朝日新聞連載小説、半井桃水作「天狗廻状」で一躍有名になったそうだ。

Img_4001 伊達朝宗の墓 《地図

ここは菩提寺の満勝寺跡と比定されるという。伊達政宗と源頼朝は血がつながっているとは知らなんだ。

Img_4003 説明板

Img_4006 墓石

「○○の腰掛石」みたいなただの石、前の献花も枯れているのがいいねえ。

Img_4010 宝積寺(ほうしゃくじ)

火伏不動尊、後ろは諏訪神社

Img_4011 銅造阿弥陀如来像(県重文)か?

Img_4019桑折寺(こうりんじ)山門

西山城の城門を移築。右に伊達観音霊場第12番の桑折観音堂がある。

Img_4014 説明板

Img_4016 説明板

日限地蔵も観音堂にあるのか?

Img_4020 旧家

Img_4021 桑折(こおり)宿の家並み

近くに半田銀山があり、羽州街道が分岐し、阿武隈川舟運の桑折河岸もあり、宿駅としても町としても繁栄した。今はあまりぱっとしない、ありふれた地方の町並み。

Img_4024旧伊達郡役所 【ル-ト地図】の④

Img_4025 説明板

Img_4030 桑折宿本陣跡 《地図

Img_4035 大安寺山門

梵鐘は延享5年(1748)に寄進された物を文政元年(1818)に再々鋳した物。

Img_4036 桑折宿の家並み

こっちの通りには蔵造りの家なども残っている。

Img_4039桑折御蔵「おもてなし屋」

明治17年築造

Img_4040 旧家

Img_4043 法円寺

右に田植塚がある。

Img_4045 田植塚

芭蕉が須賀川宿の等躬宅で詠んだ句を、当地の俳人馬耳(ばみ)がここに埋め塚を築いた。当時の桑折地方は東北の中でも俳諧が盛んだった所だったそうだ。

Img_4044 説明板

Img_4047 清酒「銀山の郷」醸造元

もう廃業してしまたのか?

Img_4051無能寺 《地図

冠木門をくぐって山門に向かう。

Img_4053 無能寺山門

己をよく知っている寺名が気に入った。中興した「無能上人」による寺名だそうだ。

この寺あたりまでが桑折宿。

Img_4055 御蔭廼松(みかげのまつ)

Img_4054 説明板

Img_4057 道標

日本一の大カヤ(万正寺の大カヤ)は、宮代の大カヤより見事のようだ。観音寺は東北自動車道を越えた所にある。

Img_4061奥州街道(右)・羽州街道(左)追分 《地図

道標、柳の句碑、東屋などが設置されている。今は左に行っても線路に突当たってしまうが。
分かれて進んだ両街道は津軽の油川で出会う。奥州街道『野内駅→奥内駅』に記載。

Img_4066 柳の句碑由来

Img_4068 谷地の一里塚跡

右に木柱が立つ。追分から400m位の所。

Img_4073 西根堰

江戸時代に開削され、現在も使用されている農業用水路。

Img_4077 半田山方向

Img_4087 堰下古墳 【ル-ト地図】の⑤

復原されて小公園になっている。堰は西根堰のことか。

Img_4082 説明板

|

« 奥州街道(二本松宿→福島城下) | トップページ | 奥州街道(藤田宿→貝田宿→越河宿→斎川宿→白石城下) »

「旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/161343/49633842

この記事へのトラックバック一覧です: 奥州街道(福島城下→瀬上宿→桑折宿→藤田宿):

« 奥州街道(二本松宿→福島城下) | トップページ | 奥州街道(藤田宿→貝田宿→越河宿→斎川宿→白石城下) »