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2010年10月14日 (木)

五日市街道②

2010年10月6日

武蔵小金井駅(JR中央線)・・・小金井街道(都道15号)・・・小金井橋(玉川上水)・五日市街道(都道7号)・・秋葉神社・・小金井桜樹碑・海岸寺・・・(貫井橋)・・・(茜屋橋)・・・(小桜橋)・・・喜平橋(玉川上水)・・・稲荷神社・・(西武多摩湖線)・・・旧道・・上鈴木不動尊・・・馬頭観音・・・都道7号・・・鎌倉街道・・二ツ塚緑道・・上鈴木稲荷・・・都道7号・・・(府中街道)・・・(西武国分寺線)・・・神明宮・・・愛宕神社・・・鳳林寺・・・妙法寺(川崎・伊奈両大官謝恩塔)・・・地蔵道標・・・砂川九番交差点(立川通)・・・回国供養塔・・・(多摩都市モノレール・砂川七番交差点)・・・稲荷社・・・阿豆佐味天神社①・・・大山道標・・・流泉寺・・・残堀橋(残堀川)・・・八雲神社・天王橋(玉川上水)・・・(西武拝島線)・・・玉林寺・・・旧道(西砂川街道)・・・阿豆佐味天神社②・・・林泉寺・・・西砂中里交差点・米軍横田基地迂回・・・都道7号・・・国道16号・・・横田基地第5ゲート・・・(JR八高線)・・地蔵坂・・道標(福生公園)・・・牛浜駅(JR青梅線)

  【ル-ト地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_5447 秋葉神社 《地図

Img_5450 小金井桜樹碑(海岸寺入口右)

文化7年(1810)建立

Img_5449 説明板

Img_5452 海岸寺山門 【ル-ト地図】の①

江戸時代に建てられた鎌倉時代の様式を持つ山門。

Img_5453 説明板

 喜平橋で五日市街道は玉川上水の南側に出る。

Img_5464 稲荷神社(桜橋の手前) 《地図

町人請負新田の野中新田六左衛門組の鎮守。

Img_5466 説明板

Img_5468 旧家

Img_5470 右に旧道へ入ると上鈴木不動尊

Img_5471 上鈴木不動尊 【ル-ト地図】の②

Img_5473 料亭「いろりの里四季亭」の塀

突当たりを左折する。都道に出る手前右の生垣に隠れるように3体の石造物が並ぶ。見つけにくい。

Img_5477 ①石橋供養塔(右)・②庚申塔(中)・③馬頭観音(左) 《地図

①はこの脇を流れている(いた)深大寺用水に架かっていた石橋の供養塔で、天保15年(1844)の造立。②は寛政13年(1801) ③は安政4年(1857)の造立。

Img_5481 この道は鎌倉街道(上の道)の幹線道路で、南は恋ヶ窪から来て、北は久米川宿に通じていた。《地図

北の玉川上水には鎌倉橋が架かり、手前には砂川用水上に「二ツ塚緑道」が東西に通る。二ツ塚は鎌倉街道の一里塚跡といわれていたとも。その頃から一里塚は築かれていたのか?

Img_5487 二ツ塚緑道

西に入ると上鈴木稲荷がある。

Img_5484 上鈴木稲荷神社

Img_4570説明板

 府中街道、西武国分寺線を越える。

Img_5492 神明社 《地図

Img_5494 愛宕神社

Img_5497 川崎・伊奈両代官謝恩塔(妙法寺境内) 《地図

Img_5496 説明板

妙法寺の斜向いの鳳林寺の街道沿いに「府中 八王子」などと道標を兼ねた馬頭観音と庚申塔があるというが見当たらない。どこかに移されてしまったか。

Img_5500 地蔵堂 【ル-ト地図】の③

左側には文政9年(1826)の出羽三山碑が立つ。

Img_5502 地蔵道標( 寛保元年(1741)建立の再建)

ユニークな顔をしている。今も台座に「右ハ府中」、「左ハ江戸」とあるのか未確認。

Img_5501 説明板

Img_5512 回国供養塔

浅見亀右エ門が文化11年(1814)に建てたもの。

Img_5516 多摩都市モノレールをくぐる。《地図

Img_5524 吉沢家?

Img_5528 左右の空き地は砂川闘争の名残りという。

Img_5534阿豆佐味天神社① 《地図

後ろの本殿は覆屋の中。

Img_5536 説明板

Img_5539 井戸跡

砂川新田を開発した人たちが掘った生活用の井戸跡のようだ。説明板はガラス製のような作りで、光が反射し、自分の顔が移り込んで見にくい。折角、作るならもっとましな物を作ってよ。これじゃ税金の無駄遣いというものよ。

Img_5541 大山道標(安政4年(1857)) 《地図

正面に「大山道」、村山方面から来た道がここから南に進み、築地の渡しで多摩川を渡り、八王子から大山へ通じていた。

Img_5543 流泉寺

砂川新田の村民の菩提寺として承応3年(1654)に開創された。

Img_5553 砂川村名主の砂川家 

巨木が敷地を囲み、玉石垣を巡らし、手入れされた木々が家を囲む。かつては街道沿いに水車があったそうだ。

Img_5547 砂川家

Img_5554 このあたりは旧家が多い。

Img_5556 旧家

城の櫓のようなものも見える。

Img_5564 天王橋で玉川上水を渡る。

Img_5565 八雲神社(天王様) 《地図

入口に道標があるはずだが見あたらず。入った右側の覆屋の地蔵(享保4年(1719))の側面には「左伊奈道」とあるそうだ。五日市街道が伊奈道と呼ばれていたことを示している。

西武拝島線をくぐって進む。

Img_5568 けやき並木が片側に残っている。

Img_5571 玉林寺 《地図

享保15年(1730)に開創された殿ケ谷新田の村民の菩提寺。

Img_5573 右に旧道入る。

Img_5575 ケヤキの葉が道を覆い、トンネルのような感じで「砂川のもぐら街道」といわれた。今は「西砂川街道」が正式の名のようだ。

Img_5576阿豆佐味天神社②

殿ケ谷新田の鎮守

Img_5578 庚申塔(明和元年(1764))、馬頭観音(文化6年(1809))

Img_5580 林泉寺 【ル-ト地図】の④

中里新田開発当初の享保14年(1729)に開創された。

Img_5584 米軍横田基地に突当たり、街道は途切れる。基地に沿って南下する道もあるが、手前の西砂中里交差点で南に左折して迂回する。

Img_5588 神明社 《地図

中里新田の鎮守、基地拡張でここに移転させられた。

国道16号に出て北上する。

Img_5592 右は横田基地

ここは正式な歩道ではないだろう。

Img_5594 第5ゲート前から旧道が復活する。《地図

左折し、八高線を渡ると地蔵坂の下りとなる。

Img_5597 地蔵坂を下る。 【ル-ト地図】の⑤

右は福生市市民会館、地蔵は千手院に移されている。『福生市の坂

前庭にあるという道標が見つからない。何度も行ったり来たり、キョロキョロと探しても分からず、近くの郷土資料館に聞きに行こうとしたら、自転車で散歩中の地元のおじさんが、隣の福生公園内に道標らしきものがあると教えてくれた。

Img_5599 道標(年代不明)

もとは地蔵坂の坂下にあったもので、今は市民会館隣の福生公園にある。正面に、「右 江戸 左 きよと」 で、清瀬市の清戸のこと。『清戸道②

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