東街道
2010年9月24日
岩沼駅(JR東北本線)・岩沼市民バス→玉崎・・・(国道4号)・・・宝橋(五間堀川)・・・(東北本線)・・・千貫神社・・・東平王塚古墳・・・県道39号・・・旧道・・・鷹硯寺・・・常寿寺・・・長谷寺・・・平等山(長谷寺)横穴墓群・・・竹倉部遺跡・・・東安寺・・・金蛇水神社・・・ハナトピア岩沼・・・(北原遺跡)・・・(県道25号)・・・河原橋(志賀沢川)・・・貴船神社・・・県道39号・北目大橋・・・旧道・・・薬師神社・・・諏訪神社・・・福寿院・・・愛島小学校・・・智福院・・・舟橋(川内沢川)・・・県道39号・・・大塚山古墳・・・御上古墳・・・(東北新幹線)・・・道祖神社(佐倍乃神社)・古道・笠島廃寺跡・・・十石上古墳・・・塩薬師如来・・・永禅寺・・・実方橋・藤原実方の墓・・・今熊野遺跡・・・今熊野神社・・・旧道・・・幾世・小佐治の墓・・・観音橋(増田川)・・・五方の辻・熊野那智神社仮宮・・・秀麓斉・・・四脚門・・・新宮寺・・・熊野新宮・・・熊野本宮・・・(仙台南道路)・・・(国道286号)・・・栗木橋(名取川)・・・竹の内前バス停→仙台駅
東街道は国府多賀城に至る古代の官道「東山道」とほぼ一致するといわれ、中世には「奥大道」と呼ばれていた。(宮→大河原)→玉崎→千貫→北目→笠島→塩手→箕輪→熊野堂→名取川→鈎取→宮城野→多賀城へと進んだ。しかし東街道には幾つもの道筋があり、それも時代とともに幾度も変わったようだ。江戸時代に奥州街道が整備されるまでは基街道として利用され、陸奥守が赴任地へ向かい、西行が旅し、奥州合戦で源頼朝の大軍が北上したのもこの道とされる。
奥州街道と分かれる玉崎から名取川の栗木橋までちょうど1日の坂道散歩としては手頃の距離を歩く。名取川までは県道39号の西側に旧道と多くの旧蹟・遺跡などが残っている。車の往来も少なく、静かな街道歩きが楽しめるだろう。名取川を渡った東街道は①鹿落坂を下って広瀬川を渡り、あるいは②七曲り坂を下り宮沢で広瀬川を渡り石名坂から陸奥国分寺、比丘尼坂(塩釜街道)を通って多賀城へと通じていたようだ。そのあたりは去年の坂道散歩と塩釜街道で歩いている。
【ル-ト地図】
写真をクリックすると拡大します。
ここより西側の玉崎西バス停から北東に入る道もある。その道の方が古いかも。
この先、左に回りこんで千貫神社前に出る。
天平元年(729)の創建といい大山祗神を主祭神に五柱を祀る。かつては「千貫の松」の生い茂る千貫山の山頂にあり、漁船守護の神として航海の目標物となっていた。
社殿の脇の石段上には何があるのか。「立入禁止」の立札があるが、かまわず上って行く。
石段上には小祠がある。後ろはゴルフ練習場でゴルフボールが石祠の前に落ちている。球が飛んで来て危険なので「立入禁止」のようだ。神さんの後頭部に当たったらどうするんだ。神罰が当たること間違いなし。
墳丘は破壊され崩れている。直径40mの前方後円墳だったようだ。東平王とは、多賀城を築いた大野東人だとする説があるが前方後円墳の時代とは合わない。
左下に道標?
「左 ○道祖神・・・・」?
大日如来の背中を拝んで。
北長谷公会堂前
北長谷の山中に不動堂があり、その裏手で2体の不動明王像が滝に打たれているそうだ。
平等山(長谷寺)横穴墓群) 《地図》
斜面を探しても横穴(跡)らしき物は見つからない。農作業中の人に聞くと、全部崩れて埋ってしまったという。
竹倉部遺跡の南側、沢沿いに登ると不動堂があるようだ。その上部(西方)にはため池が2つある。
標柱のみで説明はない。このあたりは「竹倉部」という地名。正面も立派な竹薮だ。竹に関係のある遺跡なのか?
刀鍛冶にまつわる由来話がある。参道には休憩所(左端)があり、境内の接与所には巫女さんがいて、意外と明るい大きな神社だ。
ハナトピア岩沼の北側を通り県道に出て、すぐに北西に東街道に入る。
北原遺跡あたりなのだが、何の標示、案内板もない。《地図》
台地上に営まれた古墳時代前期の集落跡で、多くの竪穴住居跡が発見されたそうだ。手前にある大窪地蔵尊も分からず通り過ぎた。
貴船神社 《地図》
鬼の顔のような狛犬、石がごろごろ転がる暗い参道で金蛇水神社より気に入った。
左は志賀沢川
薬師神社 《地図》
神社だから狛犬だが堂内は薬師如来を安置するのだろう。まさに神仏一体だ。
諏訪神社参道 《地図》
この先で道に迷う。東街道からははずれているかも知れない。
松尾観世音・金毘羅・馬頭観音・西国三十三観世音など 《地図》
愛島(めでしま)小学校前
御詠歌に「東(あずま)の道」(東街道)、「蟹の報恩」と歌われている。
「蟹の恩返し」の話は京都木津川市の蟹満寺、『山背古道②』、東京福生市の「かに坂」にもある。『福生市の坂』
ここを上って県道39号に合流する。《地図》
大塚山古墳後円部 【ル-ト地図】の③
全長90mの県内で4番目に大きい前方後円墳。賽ノ窪古墳群の一つ。
かなり低い。私有地で立入禁止。
御上古墳 《地図》
賽ノ窪古墳群の一つの、直径18mの円墳
長徳4年(998)、陸奥守に左遷された藤原実方は多賀城に赴く途中、(赴任中に歌枕の「阿古耶の松」を訪れた帰途ともいう)ここを下馬せずに通り過ぎようとして落馬して落命した。「佐倍乃」は道祖神とおなじ「塞(さえ)の神」のこと。
鳥居下の石段を下ると東街道の古道が残っている。《地図》
ここを下って行くと一般道に出る。国見峠の廃道の長坂跡よりもずっと長く残っている。
笠島廃寺跡(右)
道祖神社の方向。
十石上古墳 《地図》
全長約32mの前方後円墳。賽ノ窪古墳群の一つ。
昔は仮宿囲の東の堂に祀られていた。万延2年(文久元年・1861)に堂は火災に遭い、薬師像は空中高く飛んで、南方の木の枝に避難した。村人はここに堂を再建し薬師像を祀ったという。名前の由来は昔、塩手村で製塩が行われていたことがあり、塩薬師と名づけた。塩手村の由来は往古、老僧が湖水を汲んで塩を煮て、村人に与え病を治した。それで塩釜のある所を釜の前、村を塩手村と称した。二百十日の前夜には、五穀豊穣の作祭りという夜祭りが行われている。『西多賀探訪記』より
夜祭りは今でも行われているのだろうか? 今でもここは愛島塩手という地名。
これなら空中高く飛べるかも。
これなら墓もさぞかし大きいと思いきや。
ここを訪れることができなかった無念の一句。「笠嶋はいづこ皐月のぬかり道」
まるで俺の頭のようだ。この中にも仙台藩の俳人、松洞馬年の句碑が立つ。「笠嶋はあすの草鞋のぬき処」
周りは西行の歌碑(右前)、その後ろが「実方朝臣之墳碑」、左奥が実方の「桜狩り」の歌碑。
文治2年(1186)にここを訪れた西行の歌、「朽ちもせぬその名ばかりをとどめおきて枯野の薄かたみにぞ見る」、実方の「桜狩り」の歌は「桜かり 雨は降りきぬ 同じくは ぬるとも 花の蔭にかくれむ」で、この歌をめぐって一条天皇の前で藤原行成と口論、喧嘩となり陸奥守へ左遷された。
これが中古三十六歌仙の一人で光源氏のモデルの一人、清少納言にも言い寄ったというプレイボーイ、都の貴公子、鄙を馬鹿にして死んじまった藤原実方の成れの果てだ。伊達朝宗の墓は石ころだけだったが、質素、素朴さを感じた。ここはなぜか哀れを誘う。藤原実方は嫌いだが。実方の墓は山形県の千歳山萬松寺にもある。右に阿古耶姫、左に中将姫と並んでいてそちらの方がましだ。女好きな実方も2人の姫に囲まれ満足だろう。ただし中将姫は実方の娘だが。詳しくは『藤原実方の哀れ』が面白い。
県道39号に戻り北上する。
縄文から平安時代までの複合遺跡。
100段近くある石段がこたえてきて、膝が心配になってきた。
浄水場の西側の逢形山にある。館主の桑島長者の娘が「幾世と小佐治の物語」の幾世。
墓は道路を挟んで別れ別れだ。もとは一緒に並んでいたのではないだろうか?せめて死後は一緒に暮らせるように並べてあげたらどうか。
左の小さな石。永和2年(1376)と刻まれているというが見えず。
観音橋(増田川)の先に川上十一面観音堂があるはずだが、見当たらず。
五方の辻 《地図》
左に熊野那智神社仮宮の鳥居。
左は川上大館、右は熊野那智神社方向。鳥居の下に道標がある。
五方の道標(享保2年(1717)の造立)
東街道は北面の「くまのしんくう ほんくう」道を行く。
奥州三十三観音霊場の第二番
四つ脚門 《地図》
伊達政宗は参勤交代で東街道を通った? 奥州街道はまだ整備されてなかったのだろう。
新宮寺 《地図》
もとは熊野新宮内にあった寺だろう。
保安4年(1123)に名取老女により勧請されたと伝える名取熊野三社の一社。
今でも営業しているのか?
ここあたりにに大門山遺跡、熊野堂横穴墓群があるのだが案内板などはなくどこか分からず。
狭い橋で歩道は分離していない。県道に出て「竹の内前」バス停から仙台駅行きの宮城交通バスに乗る。30分くらいかかるから一眠りできると思っていたが、乗った途端その車中のうるさいのにビックリ。まるで鶏小屋、猿の檻にでも入ったよう、蜂の巣を突いたような騒ぎだ。某(短)大の学生(特に女子)の下校時だったのだ。何とか座れたがとても居眠りできる状態ではない。すると若い運転手もさすがこのうるささには呆れたか、「少し静かにしなさい。このバスは貸切ではないんだから」と。いや拍手喝采だ。でもそれぐらいのことでへこたれる連中ではないが、少しは静かになった。(短)大学生といっても、おつむの程度は、幼稚園児か小学生並みだから致し方なしか。毎日こんな輩と付き合わされる運転手、乗客が可哀想になった。
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