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2010年10月13日 (水)

五日市街道①

2010年10月2日

新高円寺駅(地下鉄丸の内線)・・・青梅街道(都道4号)追分・・・心月院・・慶安寺・・大法寺・・円福寺・・華徳院・・・(鎌倉道)・・・七曲り・・・白幡の坂・・(馬橋道)・・・尾崎橋(善福寺川)・・・三年坂・・宝昌寺・・・(環八通り)・・・庚申の藤・・・春日神社・慈宏寺・・・松庵稲荷神社・・・(JR中央線)・・・サンロード・・月窓寺・・光専寺・・蓮乗寺・・安養寺・・武蔵野八幡宮・・(吉祥寺通)・・・八枝神社・・・(三鷹通り)・・・西窪稲荷神社・・源正寺・・・延命寺・・関前八幡神社・・・(グリーン通り)・・・御門訴事件記念碑・旧関前村名主役宅・・・武蔵野大学前交差点・石橋供養塔・庚申塔道標・千川上水・・・(多摩湖自転車道)・・・境橋・玉川上水・・・くぬぎ橋・・・梶野橋・・・関野橋・・・八幡神社・・・真蔵院・・・新小金井橋・・・陣屋橋・・・小金井橋・・・小金井街道・・・赤い稲荷坂・・・大松木下之稲荷・・・武蔵小金井駅(JR中央線)

 五日市街道は五日市、檜原の木材や炭、織物などを江戸へ運んだ道で、江戸時代初期には伊奈道と呼ばれていた。青梅街道との追分から武蔵五日市駅前の檜原街道入口までを3日間で歩く。

 参考:『歴史の道調査報告書 五日市街道』(東京都教育委員会)

  【ル-ト地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_5297 五日市街道説明板(柳窪交差点(高井戸東4丁目)の手前に設置のもの)

 

Img_5231_2青梅街道から分かれ南に五日市街道に入る。 【ル-ト地図】の①

五日市街道の入口は旧高円寺村で、少し入ると馬橋村となり、古くは「馬橋おんだし」と呼ばれていた。

 

Img_5235 慶安寺 【ル-ト地図】の②

「解体新書」の前野良沢の墓がある。街道沿いの円福寺には南画家の椿椿山の墓がある。

 

堀の内の妙法寺への古道、大宮八幡宮への「鎌倉みち」を横切り、街道随一の難所といわれた「七曲り」へ入る。

Img_5251 ここを左折し「七曲り」となる。《地図

現在の五日市街道(都道7号)を南北へ何度も横切る道で、急坂があるわけでもなく、今は難所でも何でもない。

 

Img_5255 加冨山米店の左を入る。

 

Img_5256 白幡の坂を下る。【ル-ト地図】の③

昔は急坂だったという。

 

Img_5261白幡の坂(右)・馬橋道(左)の分岐点の小堂に3体の石造物

馬橋道は江戸時代以前からの古道で、練馬、豊島方面から武蔵国府に通じていたといわれる。

 

Img_5259 左右が地蔵で、中央が馬頭観音

 

Img_5258 説明板

 

Img_5266善福寺川(尾崎橋から)

 

Img_5265 説明板

 

Img_5269 三年坂 《地図

五日市街道の坂ではないが。坂上は鎌倉街道で「鎌倉街道」バス停がある。

 

Img_5270 説明板

 

Img_5274 宝昌寺

左下に石橋供養塔道標(文久4年(1864))

 

Img_5276 説明板

 

Img_5275 石橋供養塔道標

正面は「石橋供養 十方村」、右側面に「東江戸道」と刻む。

 

まだ七曲りは続いている。都道を渡って旧道へ入る。

Img_5287 稲荷社

この先で直角に右に曲がり横倉家前の都道に出て、七曲りは終わる。

 

Img_5293横倉家の前にはケヤキ並木が残る。

 

Img_5306庚申の藤 

2代目の藤が植えられている。左に庚申堂がある。清掃をしている地元の方からこのあたりの変貌ぶるなどを伺う。

 

Img_5303 庚申塔

左が延宝6年(1678)、右が元禄9年(1696)の造立。

 

Img_5302 説明板

 

Img_5307ケヤキ並木

 

Img_5308 魚鐘の先が春日神社

 

Img_5319春日神社

兎の向うは春日神社の神使いの鹿。兎は何んだろう。境内には「力石」もごろごろとある。

 

Img_5311 説明板

 

Img_5323 慈宏寺

「荒布(あらめ)の祖師」といわれる日蓮上人像があるそうだ。

 

Img_5329 松庵稲荷神社 

 

Img_5330 庚申塔

元禄3年と6年のものだがどっちがどっちだったか?

 

Img_5328 説明板

 

Img_5333 旧店

 

Img_5335月窓寺

吉祥寺のサンロードの雑踏の中だが、敷地も広く静かだ。白衣観音の観音堂は閉ざされていた。

隣の光専寺の「箪笥(たんす)地蔵」(80cmの立像?)を見たかったが、屋内にあるようで拝めず。蓮乗寺には「厄除け日蓮」の坐像がある。安養寺を含めて「四軒寺」と呼ばれる。

 

Img_5354安養寺

左の後生車の隣の石造物の中に「甲辛供養塔」がある。

 

Img_5349 甲辛供養塔

「甲辛」(庚申)も珍しいが、「南無阿弥仏」も珍しい。

 

Img_5348 説明板

 

Img_5343武蔵野八幡宮

 

Img_5342 井之頭弁財天道標

井の頭公園はここから近い。

 

Img_5341 説明板

 

Img_5358 八枝神社(八幡宮交差点の先の左側)

牛頭天王社なら八坂神社、八雲神社だろうが「八枝」とは珍しいか。

 

Img_5356 説明板

 

Img_5363 材木屋

五日市街道は木材を運んだ道だった。

 

Img_5367 庚申塔(嘉永6年(1853))

武蔵野文化会館の先の左側

 

Img_5368 西窪稲荷神社 《地図

 

Img_5375 源正寺

戦災で大破した本堂をインド様式に改築。

 

Img_5382 延命寺

武蔵野市最古の地蔵があるらしいが、これも屋内か。

隣は関前八幡神社

 

Img_5392 御門訴事件記念碑 【ル-ト地図】の④

 

Img_5391 説明板

 

Img_5394 井口家

「旧関前村名主役宅」が邸内に保存されているというが、この先は入りづらい。今でも公開しているのだろうか?

 

Img_5395 武蔵野大学前で千川上水に突当たる。

 

Img_5399 石橋供養塔・庚申塔(歩道橋を渡った千川上水沿い)

 

Img_5398 説明板

 

Img_5400千川上水遊歩道

 

Img_5408 庚申塔道標 《地図

右側面に「右 小川 村山 道」、正面に「北 たなし きよと 川こゑ とこ路さハ 東 江戸道」、左側面に「左 ふちう すな川道 八王子」

 

Img_5404 説明板

 

Img_5409 千川上水が左を流れる。

 

Img_5415 多摩湖自転車道が右に延びている。《地図

 

Img_5420玉川上水の碑(境橋の東側)

 

Img_5424 桜樹接種碑(玉川上水関野橋の手前)

 

Img_5423 説明板

 

Img_5427 八幡神社 《地図

関野新田の鎮守

 

Img_5430 砲弾が奉納?

八幡神社内の猿田彦神社前

 

Img_5433_2 真蔵院

武蔵野新田の開発に尽くした代官川崎平右衛門の供養碑があるというが見当たらず。門前左手に百番供養塔道標がある。

 

Img_5434 百番供養塔道標(寛政5年(1793))

「たなし ねりま道」

 

Img_5437 陣屋橋 【ル-ト地図】の⑤

北側に武蔵野新田世話役の川崎平右衛門の役宅(陣屋)があり、手代の高木三郎兵衛が常駐していた。

 

Img_5436 説明板

 

Img_5439 柏屋跡(小金井橋交差点) 《地図

「小金井の桜」の見物客などで、繁盛した料亭があった。ここを左折し小金井橋を渡り、赤い稲荷坂を下って武蔵小金井駅に向かう。

 

Img_5443 大松木下之稲荷(赤稲荷) 《地図

 

Img_5444 説明板

 

Img_5446 説明板の石造物

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