朝鮮人街道②
2010年11月20日
安土駅(東海道線)・・・道標・安土教会・・・東南寺・・・活津彦根神社御旅所・・・活津彦根神社鳥居・・・方ケ辻地蔵堂・・・(県道2号)・・・活津彦根神社・・・ぼうや地蔵堂・・・セミナリヨ跡・・・武家屋敷跡・・・県道2号・・・(安土城址)・・・(近江風土記の丘)・・・(弘法寺)・・北腰越峠・旧道・・・法華塔・・・地獄越分岐・・・超光寺・・・領界碑・・・須田橋(須田川)・道標(不動山みち・須田不動の滝)・・・六社神社・十応寺(ぽっくりてら焔魔堂)・愛宕神社・安楽寺・・・繖峰三神社鳥居・柳谷観世音・・望湖神社・柳瀬観世音・・・伊庭御殿跡・・・能登川踏切(東海道線)・・・大徳寺・・・(県道2号)・・・伊庭集落・大浜神社・文殊堂・栄橋・薬師堂・妙金剛寺・・・能登川の家並み・・瓜生川・・・県道2号・・・林交差点・・・林踏切(東海道線)・・・元町通り・・・能登川神社・・・本町垣見橋(躰光寺川)・・・垣見天神社・・・垣見踏切(東海道線)・・・県道2号・・・堂尻橋(大同川)・・・八幡橋(愛知川)・・・彦富町交差点・県道20号・・・柳川街道踏切・・・稲枝駅(東海道線)
【ル-ト地図】
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東近江市川合寺町から移植した桜で、信長の姫君がよく絵に描いていた大和桜だとか。姫は15人もいるようだ。
道標 《地図》
3面に「常の浜」・「安土城跡」・「朝鮮人街道」と刻む。常の浜は常楽寺城(木村城)のあった常楽寺港のことで、今は常浜水辺公園になっている。朝鮮人街道はここを左折する。
街道はここを右折するが、直進して活津彦根神社に向かう。
祭神の活津彦根命は誓約によって生まれた天照大神の五柱の男神の4番目の御子神。
鳥居前の街道に戻り、この常夜灯(文久元年(1861))前で左折する。
左の石垣が武家屋敷跡
セミナリヨ跡 【ル-ト地図】の6
天正8年(1580)にイタリア人宣教師オルガンチ-ノにより創設された日本最初のキリスト教神学校跡。付近の小字名が大臼(だいうす)は「ゼウス」に通じているか。
「伝承 豊浦冠者行實」の表札が掛かる。
電柱脇に上部が折れた観音正寺への道標が立つ。「従是 右くいんおん寺」
以前訪れたことがあるので割愛。
北腰越峠から下り東近江市に入る。 《地図》
法華塔 《地図》
この先を右に曲がると地獄越への道筋。
繖山(きぬがさやま)の鞍部を通り、中山道に通じる道で、観音寺城落城の折、逃げ惑う人々の有様がさながら地獄のようであったからという言い伝えによる。
左に東海道線が通る。
安土城内にあった摠見寺(そうけんじ)の裏門。
「従是南摠見寺領」
かつて南須田は摠見寺領だった。
「不動山みち」の道標と「須田不動の滝」の標識。(須田橋の所)
聖徳太子の創建と伝え、織田信長の焼き討ちにもあったという寺。
繖峰三神社鳥居 《地図》
「伊庭の坂下し祭り」で神輿が山頂からここへ下りて来る。
徳川将軍の上洛の際の休憩所跡。
道路の上の勧請吊りが集落の安全を守っている。
この先には伊庭城址がある。
前の団子っ鼻の地蔵の顔が何ともおかしく、親しみが湧く。
向い側の妙金剛寺には安土宗論に召し出された貞安上人の墓がある。
能登川の家並み 《地図》
かつては土蔵造りの旧家が軒を連ねていたそうだ。
八幡橋から愛知川 《地図》
橋を渡って彦根市に入る。
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