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2010年11月12日 (金)

中山道(武佐宿→守山宿)

2010年10月26日

武佐駅(近江鉄道)・・・若宮神社・伊庭邸跡・・・(国道8号)・・・瓶割山城跡・・・日吉神社・・・住蓮坊古墳・・・住蓮坊首洗い池・・・供養塚古墳・・・道祖神社・・・北浦橋(白鳥川)・・・国道8号・八幡神社・高札所跡・旧道・・・日野川渡し跡・・・国道8号・横関橋・・・旧道・・・浄泉寺・・・大洞川・・・西横関交差点(国道8号)・・・善光寺川橋・・・旧道・・・鏡交差点・国道8号・・・間の宿鏡・真照寺・義経宿泊の館跡・本陣跡・鏡神社・義経元服の池・旧道・・・平宗盛胴塚・首洗い池跡・・・国道8号・・・蛙不鳴池・・・(大篠原の一里塚跡)・・・浄勝寺前交差点・旧道・・・大笹原神社石柱・・・国道8号・・・西池・・・正蓮寺・旧道・・・上の市川・・・愛宕山常夜灯・家棟川新橋・・・篠原神社・・・子安地蔵堂・・・桜生史跡公園・・・中の池地蔵堂・・・小篠原村庄屋笹村邸跡・・・暁酒造・・・養専寺・・・(新幹線)・・・野洲小学校・・・朝鮮人街道分岐点・・・背くらべ地蔵(行合ふれあい広場)・・・唯心寺・・・蓮照寺・・・(東海道線)・・・十輪院・・・野洲川橋・・・馬路石邊神社・加宿吉身・伊勢戸川・慈眼寺・守山宿・天満宮・本陣跡・井戸跡・中山道街道文化交流館・道標(高札場跡)・東門院・守山西銀座交差点・・・守山駅(東海道線)

  【ル-ト地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_7715 ちょうど通学の時間、こちらも武佐駅から出勤だ。

Img_7720 伊庭貞剛邸跡・若宮神社 《地図

近江守護の佐々木氏の流れをくむ名家。今は建物はなく、「いば eco 広場」になっている。

Img_7721 説明板

Img_7724 旧家

この先、六枚橋交差点まで行かねばならないのに、西宿交差点に出る手前を左折してしまった。「まちなみ 水郷 中山道コース」の立看板の標識が出ているから間違いやすいのでは。

Img_7733 瓶割山城跡の下 《地図

瓶割山(長光寺山)の山頂にあり、古くは長光寺城と呼ばれていた。瓶割山の名は柴田勝家が、この城に籠って六角承禎と戦った際に、城内の水瓶を割って城兵を奮い立たせ、出陣して勝利したので、「瓶割り柴田」の異名をとったという伝えに由来する。麓には日吉神社、不二滝がある。

Img_7731 説明板

Img_7736案内図

Img_7747 住蓮坊古墳

千僧供古墳群の5世紀中頃の直径93mの円墳。

Img_7751 墳頂の石塔

住蓮坊と安楽坊の墓と伝え、地元では御僧塚と呼ぶ。

Img_7757 住蓮坊首洗い池 【ル-ト地図】の①

Img_7758 説明板

Img_7765 瓶割山(234m)

Img_7767 供養塚古墳

Img_7769 説明板

Img_7772 道祖神社の前を通り、国道8号に出て渡り八幡神社脇から旧道に入る。

Img_7777 八幡神社 《地図

源義家が奥州遠征の途中、武運長久を祈願し創建したという。

左下に「高札所跡」の石柱。

Img_7780 旧家が並ぶ馬淵町を日野川に向かう。

馬淵の一里塚(125)があったのはどのあたりか?

Img_7781 旧家

Img_7790 日野川の渡し跡あたり

Img_7795 今は左に迂回して国道8号の横関橋を渡る。

広重の武佐』(日野川を2隻の舟をつないでの「舟渡し」)

Img_7798横関橋を渡ってすぐ右に旧道入る。《地図

Img_7799 土手上を行き、次第に日野川から離れ南西方向へ進み国道8号の西横関交差点に出る。

Img_7810 間の宿鏡に入る。

Img_7813 真照寺

鏡神社の神官で万葉の女流歌人、鏡王女、額田王(ぬかたのおおきみ)を育て、壬申の乱で戦死したという鏡王が葬られている。

Img_7820 義経宿泊の館跡(鏡口交差点先の国道沿いの右側)

屋号「白木屋」の駅長の館跡で、義経に同行し道案内の金売吉次の常宿だったという。

隣が間の宿、鏡の本陣跡(林惣右衛門)、その道路向かいが脇本陣跡(白井弥惣兵衛)

Img_7818 説明板

Img_7824 間の宿鏡の家並み

古代から中世に栄えた篠原駅家が衰え、鎌倉時代頃より移った宿場で、近世でも武佐宿と守山宿の間の宿だった。

Img_7825 鏡神社 《地図

左は「義経烏帽子(えぼし)掛けの松」の切り株。

Img_7827 説明板

Img_7826謡曲烏帽子折

Img_7833 鏡神社本殿(重文)・拝殿

Img_7841 義経元服の池 【ル-ト地図】の②

承安4年(1174)、義経東下りの途中、この地で元服加冠した時に使った水の池。ここで牛若丸から義経になったということ。『義経元服ものがたり

Img_7837 説明板

Img_7842 左に旧道に入る。

Img_7847 平宗盛胴塚の案内標識(国道8号に出た所)

Img_7853平宗盛・清宗父子の胴塚 【ル-ト地図】の③

首洗い池は今はない。

Img_7850 説明板

Img_7849_2 説明板

Img_7855 蛙不鳴池 《地図

首洗い池とつながっていた池。
この先が大篠原の一里塚跡(126)のようだが何の表示もない。

Img_7869 篠原の家並み 《地図

古代から中世には東山道の篠原の駅家、篠原宿があった。

Img_7875 西池

「源平盛衰記」の篠原堤ともいう。「篠原堤、鳴橋、駒を早めて打程に、今日は鏡に著給」か?

Img_7876 説明板

Img_7881 常夜灯(家棟川手前) 《地図

Img_7884 家棟川(やのむねがわ)新橋

平成19年度の河川切下げ工事竣工までは天井川で「家棟隧道」でくぐっていた。今は川の水は少ない。

Img_7891 ありし日の家棟隧道

上を家棟川が流れる。

Img_7892 篠原神社

辻町の鎮守

Img_7896辻町の家並み

Img_7899 子安地蔵堂 《地図

平安末期の等身大極彩色の木造の地蔵で、1月、8月に開帳されるそうだ。

Dsc05234 子安地蔵   

Img_7898 説明板

Img_7902桜生史跡公園

Img_7901 説明板

Img_7917 甲山古墳

横穴式石室が開口。石室に入ると自動で女性の説明のアナウンスが流れる。以前、古墳巡りをやっていた頃、雪の積もった時に来て、いきなり石室内から声が聞こえてきてびっくら仰天した。

Img_7913 家形石棺

Img_7909 説明板

Img_7921池地蔵尊

」の字が「央」のように見えるが、近くの「中の池川」のことだろう。

Img_7924 稲荷神社鳥居

境内は広く古宮神社本殿は重文。一度訪れているので遥拝のみ。

Img_7926 境内図

Img_7927小篠原村庄屋苗村邸跡

このあたりが野洲の一里塚跡(127)のようだが、見落としたか?

Img_7932暁酒造 《地図

清酒「暁」

Img_7938 野洲小学校前

Img_7940 朝鮮人街道分岐点 【ル-ト地図】の④

Img_7942 中山道(右・武佐宿方向)・朝鮮人街道(左・野洲駅方向)

朝鮮人街道は草津宿に着いた後に歩く予定。

Img_7953分岐点にあった道標(享保四年(1719)・現在は蓮照寺に移されている)

「左 八まんみち」が朝鮮人街道のこと。「右中山道」

Img_7946 背くらべ地蔵(行畑石仏・行合ふれあい広場) 《地図

右の背の低い方が地蔵で、左は阿弥陀如来像(鎌倉時代)だが、両方を「背くらべ地蔵」と呼んでいるのか? 

Img_7945 説明板

Img_7951 蓮照寺

淀領境界石(右)・錦織寺道標(中)、先ほどの朝鮮人街道道標(左)

Img_7960 宇野勝酒造 《地図

清酒「玉の春」

Img_7964 東海道線をくぐった向こうに十輪院

夜、野洲川を渡る旅人のため毎夜灯籠に灯をともしていたという。

Img_7966 芭蕉句碑 《地図

十輪院の境内だが入れない。

「野洲川や 身ハ安からぬ さらしうす」

野洲川の河川敷は江戸時代から近江麻布の野洲晒の地だった。

Img_7965 説明板

Img_7973 三上山(432m・野洲川橋から)

近江富士とも呼ばれ、和歌にも詠まれ、俵藤太(藤原秀郷)のムカデ退治の話で有名。麓にはこの山を神体とする御上神社がある。野洲川は荒川で、恒常的な橋は架けられず徒歩渡りで、大雨の時などは旅人は苦労したという。

Img_7976 馬路石辺(うまじいそべ)神社 【ル-ト地図】の⑤

どっしりと重厚感のある隋身門、頭でっかちに見えるが重さはそれほどでもないか? 隣接して益須寺があったようだ。

Img_7986 この吉身小学校南交差点あたりは吉身村で、守山宿の加宿の東端で松並木があり、水田が広がっていたという。100mほど東が日本書紀にも記事がある白鳳時代の益須寺(やすでら)跡

Img_7983 説明板

Img_7988 伊勢戸(伊勢殿)川 《地図

加宿吉身の高札が立っていた所。

Img_7987 吉身(郷)説明板

「醴泉」(れいせん・こさけいずみ」が日本書紀に出てくる。

説明文を読んでいると、後ろに人の気配が。地元のおばさんが感心そうに読んでいる。近くに住んでいても、説明板は気にも留めず読んだことはなかったという。しばし談笑し一休み。

Img_7989 守山宿の家並み

京からの東下りの旅人は、最初の宿泊地で「京発ち守山泊まり」といわれ、旅籠が軒を連ねる賑わいのある宿場だった。後に東の吉身と西の今宿が加宿となり、さらに発展した宿場。

Img_7996 慈眼寺(帆柱観音)

昔は馬路石邊神社の神宮寺だった寺で、倒壊寸前の本堂を吉身の住民がこんな立派に再建した。最澄に由来する帆柱観音を安置している。

Img_7991 帆柱観音由来

Img_7997 旧家

Img_8000 旧家

Img_8002南井金物店

Img_8007 宇野本家

女性スキャンダル問題でたった69日で退陣した宇野元首相の実家(造り酒屋酒長(あらちょう))。

Img_8008 「稲妻型屋敷割りの道」説明板

今は段違いの家並みは確認できずか。

Img_8010 天満宮

平治の乱で敗れ、この地に落ち延びて来た源義朝を討とうとして逆に討たれた源内兵衛真弘の「源内塚」があるそうだ。

Img_8015 本陣跡

謡曲「望月」の守山宿の宿「甲屋」の跡ともいわれるが、説明板では甲屋は架空の宿としている。

Img_8013 説明板

Img_8024中山道街道文化交流館(10時~18時 (月)休)

Img_8027 三叉路の右側に道標 《地図

高札場跡で、向かいに市神の小祠がある。

Img_8028 道標

「左 錦織寺 四十五町 こ乃者満ミち」・「右 中山道 并 美濃路」 (京方面から見ている)

「こ乃者満ミち」は琵琶湖の木浜(このはま)港に通じる道のこと。

Img_8034 説明板

Img_8036東門院(守山観音)

最澄が比叡山寺(後の延暦寺)を建立した時、四境に構えた門の一つ、比叡山の東門として創建された。江戸時代には朝鮮通信使の宿舎にもなった寺。境内には「お葉付き銀杏」がある。(醒井宿の了徳寺にもあった)

Img_8041 「かたたや」(東門院前)

「京発ち 守山泊まり」といわれた守山宿の茶屋「堅田屋」で、旅籠の機能もあったという。今は門前茶屋として営業。

少し早いが彦根図書館で「朝鮮人街道」について調べるため、守山銀座西交差点から守山駅に向かった。

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