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2010年11月 8日 (月)

中山道(高宮宿→愛知川宿→武佐宿)

2010年10月25日

高宮駅(近江鉄道)・・・高宮宿・高宮神社・布惣跡・多賀大社一の鳥居・紙子塚・脇本陣跡・本陣跡・円照寺・むちん橋地蔵・高宮橋(犬上川)・・・松並木・・・地福寺地蔵堂・・・産の宮井戸・若宮八幡神社・・・還相寺・・・了法寺・・・出町交差点・・・日枝神社・・・阿自岐神社鳥居・四十九院交差点・・・春日神社・・・豊郷小学校・やりこの郷碑・・・石畑の一里塚跡碑(八幡神社)・・・犬上の君屋敷跡(豊郷駅前公園)・・・くれない園・伊藤長兵衛宅跡・・伊藤忠兵衛生家・・・金田池・・・又十屋敷・・・千樹寺・・・歌詰橋(宇曽川)・・・将門首塚・・普門寺・・・正光寺・・・石部神社・・・沓掛三叉路・・・河脇神社・・・愛知川宿・郡分延命地蔵堂・・(近江鉄道)・・(新幹線)・・愛知郡役所跡・・・宝満寺・本陣跡・八幡神社・問屋跡・竹平楼・不飲川橋・・・国道8号・愛知川の一里塚跡・・祇園神社・御幸橋(無賃橋・愛知川)・・・旧道・・・愛知川南踏切(近江鉄道)・・間の宿五個荘・・愛宕神社・・小幡踏切(近江鉄道)・・長宝寺・・御代参街道道標・・正眼寺・・西沢梵鐘店・・市田邸跡・・観音正寺道標・・てんびんの里碑・国道8号・・・旧道・・・清水鼻の名水・・・国道8号・・・(新幹線)・・・旧道・・・奥石神社・老蘇の森・・・根来陣屋跡・・・福生寺(轟地蔵)・・・轟橋(轟川)・・・鎌若宮神社・・・東光寺・・・西福寺(泡子延命地蔵)・・・武佐宿・大門跡・牟佐神社・高札場跡・広済寺・脇本陣跡・本陣跡・大橋家・旅籠中村屋・松平陣屋跡・高札場跡・・武佐駅(近江鉄道)

  【ル-ト地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_7275 高宮宿の家並み

周辺の農村は麻布の生産地で、高宮に集められた麻布は、高宮布(近江上布・高宮細美)として流通し、宿場には問屋や店だなが軒を連ねていたという。
落語『高宮川天狗酒盛

Img_7279 高宮神社 《地図

鎌倉時代の創建という、縁結び、夫婦和合、開運厄除けの神。

芭蕉句碑「をりをりに  伊吹を見てや 冬籠」がある。

Img_7281 布惣跡

高宮布の問屋跡

Img_7282 説明板

Img_7284 提灯屋

Img_7289 多賀大社一の鳥居

高宮宿は多賀大社の門前町でもあった。常夜灯は昔は対で立っていた。

Img_7291 説明板

******多賀大社(10月28日参拝)*******

Img_8460 多賀大社(太閤橋)

Img_8483 拝殿

Img_8456 門前の糸切餅の莚寿堂

Img_8488 糸切餅

白地に赤と青の筋の入った餅で、赤と青は元寇の時の蒙古軍の船印の色で、戦勝にあやかって食べたという。あんの甘さが控えめで美味く、みやげに買ってしまった。

Img_8498 桜町延命地蔵堂(多賀大社参道沿い)

Img_8499 説明板

Img_8500 延命地蔵 

*********************

Img_7293 紙子塚のある小林家

当家に泊まって古い紙子を着て寝たおっさんが芭蕉だと後で知り、新しい紙子を贈り、古い紙子を埋めて塚を築いたという。

Img_7294 説明板

Img_7299 脇本陣跡

2軒あった脇本陣の一つで問屋場を兼ねていた。門前が高札場だった。

Img_7303 円照寺の「止鑾松」(しらんしょう) 《地図

明治天皇の目に止まった松。左の石の囲い中が大阪夏の陣の帰路に立ち寄って腰掛けたという、「家康の腰掛石」のようだ。

Img_7305 本陣跡

表門だけが残る。

手前を左に入ると「黒仏」の高宮寺で、その先の高宮小学校が高宮城跡

Img_7317 さいかち地蔵?

高宮宿のパンフレットに載っていたものだが、この地蔵かどうか?

Img_7322 むちん橋地蔵  【ル-ト地図】の①

昭和53年高宮橋の改修工事の際に、橋脚下から発掘された2体の地蔵。

Img_7321 由来

Img_7320 むちん橋(高宮橋)を渡る。

Img_7330 松並木が残っている。

Img_7332 地福院地蔵堂(月通寺) 《地図

別名を柏原地蔵で、行基の作と伝える。葛籠(つづら)一里塚(120)はこのあたりか。

Img_7333 説明板

Img_7334 産の宮井戸

足利義詮の側室がここで出産したという。

奥に若宮神社の小祠がある。

Img_7335由緒

Img_7347 旧家の前を緩やかにカーブし、松並木の残る道を進む。

Img_7353 中山道モニュメント(高宮宿方向)

Img_7363

阿自岐神社鳥居(四十九院交差点) 《地図

応神天皇の時代にこの地を開発した百済の渡来人阿自岐氏が祖神を祀った神社。犬上川の伏流水が湧き、「池泉多島式庭園」という美しい所だそうだ。

Img_7368 四十九院公民館

「四十九院」とは行基が天平3年(731)にこの地に49の寺院を建てたことに由来する。

Img_7377 豊郷小学校

ヴォーリズの設計の旧校舎は建て替えか保存かで揉めてマスコミを賑わさせた小学校。今は複合施設になっている。

Img_7375 やりこの郷碑

Img_7376 説明板

Img_7380 「一里塚の郷 石畑」碑(八幡神社前) 《地図

石畑の一里塚(121)は、すぐ先の町役場交差点の所にあった。ここ石畑は高宮宿と愛知川宿の間で立場茶屋があった。

Img_7379 説明板

Img_7393 犬上の君屋敷跡(豊郷駅前公園) 《地図

後方左に説明文の刻まれた石碑、右は無量光寺の六地蔵。
犬上氏は遣隋使、遣唐使の犬上君御田鍬(いぬかみのきみみたすき)で有名。近くに犬上神社がある。

Img_7400 伊藤忠兵衛生家

手前には伊藤忠兵衛の功績を称えた公園の「くれない園」、その隣に伊藤長兵衛屋敷跡がある。忠さん長さんどっちがどっちかややこしい。

Img_7401 説明板

Img_7408 酒造の西澤商店は廃業か?

手前を入ると天稚彦神社

Img_7413 金田池(復元)

田の用水と街道を行く旅人の喉を潤した湧水だった。

Img_7412 説明板

Img_7416 又十屋敷

近江商人の藤野家本宅跡

Img_7422 説明板

Img_7425 千樹寺 《地図

「江州音頭発祥地」の石柱と説明碑

Img_7426 説明碑

Img_7388 歌詞

Img_7427 歌詰橋(宇曽川) 【ル-ト地図】の②

橋の名は平将門に由来する逸話がある。

Img_7430 説明板

Img_7435 将門首塚(普門寺裏)

歌詰橋の話からの続きで首塚と呼んでいるのだろうが山塚古墳(円墳)。

Img_7438 旧家(正光寺の隣)

Img_7446 沓掛の三叉路

正面分岐点に道標「籏神豊満大社」が立つ。
渡来人の氏の氏神、あるいは神功皇后軍の軍を祀って「籏神」か。「お旗さん」の名で親しまれている。

Img_7454 愛知川宿に入る。

もとは東山道の宿駅で、宿場町であると同時に近江商人の町でもあった。

Img_7456 田中新左衛門旧本宅

田源の屋号で呉服、蚊帳、麻織物を扱っていた。今は料亭の「近江商人亭三角屋中宿店」

Img_7459 郡分延命地蔵堂 【ル-ト地図】の③

脇を流れる中の橋川は愛知川宿と中宿との境であると同時に神崎と愛知とを隔てる川でもあった。

Img_7467「しろ平」菓子店

Img_7482 愛知郡役所跡 《地図

大正12年落成し大正15年に廃止された。

Img_7494 本陣跡

手前の日本生命のビル一帯だが遺構は残らず。

この先の八幡神社前が高札場跡

Img_7506 料亭竹平楼

昔は旅籠で、宝暦8年(1758)の創業という。提灯には「旅籠」とある。

Img_7510 不飲川(のまずかわ)橋 《地図

水源の野間津川で将門の首を洗ったため水が赤く濁り、誰もこの水を飲まなくなったためだとか。この先で国道8号に出る。

Img_7515 愛知川の一里塚跡(122)

国道の北側に石柱のみ。

Img_7518 常夜灯・祇園神社(御幸橋手前) 

対岸の常夜灯と川の安全を見守る「睨み灯篭」だった。

Img_7521 御幸橋

ここも天保2年(1831)に架けられた「むちん橋」

広重の愛知川』(絵の右に「むちんはし はし銭いらず」の木柱が立つ)

Img_7488 説明板

Img_7528 近江商人発祥の地、間の宿五個荘に入る。《地図

右が「睨み灯篭」の中出町の常夜灯(文政8年(1825))。

Img_7530東嶺禅師御誕生地」(愛宕神社の先)

Img_7532 小幡踏切

一輛の近江鉄道が通る。近江鉄道は近江の中山道歩きには欠かせない電車だ。乗客が減り経営も苦しいようだが頑張って欲しい。

Img_7537 なかざわ酒店

Img_7540 道標(享保3年(1718)・左の民家前)

「左いせ ひの 八日市みち」(御代参街道)、 「右 京みち」(中山道)

Img_7547 大同川沿いに進む。《地図

Img_7552 旧家

Img_7564 西沢梵鐘店

ここで梵鐘を作っている?

Img_7560 西沢梵鐘店の前

国の登録有形文化財だが何の建物だったか?

Img_7568 旧家

Img_7580 北町屋の郷

Img_7584 旧片山家住宅

大名、武家、公家などが休憩した立場本陣で金比羅大権現の常夜灯は天保8年(1837)の建立。

Img_7588観音正寺道標

西国三十三観音霊場の第32番

Img_7592 モニュメント「てんびんの里」 《地図

五個荘の商人は天秤棒を担いで諸国を商って歩いた。この手前が石塚の一里塚跡(123)あたりのようだが表示はない。

Img_7597 清水鼻の名水

今でも飲用しているようだ。

Img_7608 新幹線をくぐり歌枕の「老蘇の森」を目指す。【ル-ト地図】の④

Img_7614 繖山(きぬがさやま)

奥石神社の神体の山で、観音寺城跡や観音正寺がある。

Img_7615 説明板

Img_7621 奥石(おいそ)神社

Img_7622 参道

Img_7624根来陣屋跡

この陣屋小路を入った所に鉄砲の根来衆で有名な根来家の代官屋敷があったそうだ。

Img_7632 轟地蔵(福生寺境内) 【ル-ト地図】の⑤

寺のおかみさんが扉を開けて拝ませてくれた。 

Img_7631 地蔵は土で作った小幡人形の小さな千体仏。安産祈願の地蔵で、表情がみな違っている。もとは轟橋の橋詰にあったもの。 

Img_7636 由来(轟橋に設置)

Img_7637 轟橋(轟川)

Img_7650鎌若宮神社

奥石神社の若宮社として勧請された。

Img_7651 東光寺

もとは清水鼻(五個荘)にあった佐々木六角氏ゆかりの寺。豊臣秀吉の祐筆の建部伝内の寓居跡という。

Img_7664_2 泡子延命地蔵堂(西福寺) 《地図

「昔、この地の茶屋に立ち寄った若い僧を、茶店の娘がたいそう気に入り、恋しく思った。娘は立ち去った僧の残りの茶を飲んだところ、妊娠して男の子を産んだ。3年が経ち、再び現れた僧にこの話をすると、僧は子に息を吹きかけた。とたんに子は泡となって消えてしまった。僧は「西方の「あら井」の池の中に尊き地蔵あり。この子のためにお堂を建て安置せよ」と言って立ち去って行った」という、醒井宿の西行水の泡子塚と同じような話だ。

Img_7658 泡子延命地蔵

Img_7665 武佐宿大門跡 《地図

大門とは遊郭のようだが見付のこと。すく先の牟佐神社前が高札場跡

Img_7671 武佐宿の家並み

古来、近江から伊勢へ抜ける八風街道と東山道(中世東海道・中山道)が交わる湖東の交通の要衝地として栄えた。

Img_7675 宿役人平尾家屋敷跡

Img_7677 武佐宿脇本陣跡(奥村家)

Img_7679 旧八幡警察所武佐分署跡

Img_7685 享保13年(1728)に将軍吉宗に献上するため江戸に向かった象はここを通った。この先、東海道に出て姫街道に入り、再び東海道に出たようだ。姫街道には「象鳴き坂」がある。『姫街道③』に記載
門司往還』にも船に乗るこの象が出てくる。

Img_7691 大橋家

米、油の商家で、宿場の伝馬、人足の取り締まりの役人だった家。

Img_7695 本陣跡下川家

Img_7697 旅籠中村屋

Img_7703 道標

左角は「いせ ミな口 ひの 八日市 道」

斜め向かいの右角は「安土浄厳院道」

Img_7704 松平周防守陣屋跡

Img_7706 道標

「・・・従是三丁」とあるが詳細不明

Img_7708 高札場跡

この先が武佐駅で街道は線路を渡って進む。

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