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2010年11月 6日 (土)

中山道(柏原宿→醒井宿→番場宿→鳥居本宿→高宮宿)

2010年10月24日

柏原駅(JR東海道線)・・・柏原宿・問屋場跡・東の荷蔵跡・脇本陣跡・本陣跡・高札場跡・市場橋・亀屋左京商店・日枝神社・西の荷蔵跡・薬師道標・御茶屋御殿跡・郷宿跡・・・柏原一里塚跡・・・西見付跡・・・鶯ケ原・・・掃除丁場・並び松(松並木)・・・白山神社・薬師道標・・・小川の関跡(菖蒲ケ池跡)・古道・小黒谷遺跡(館跡)・・・番の面遺跡・・・梓川橋・・慈円寺・・・国道21号・・・旧道・・・一色八幡神社・・・一色の一里塚跡・・・仏心水・・・鶯の端・・・醒井宿東の見付跡・居醒の清水・加茂神社・地蔵堂(尻冷やし地蔵  )・問屋場跡・本陣跡・法善寺・江龍氏宅表門・了徳寺・十王水・松尾寺・西行水・泡子塚・・・六軒茶屋跡・・・国道21号・・・一類孤魂等衆の碑・・横河の古戦場跡・丹生川橋・・・旧道・・(国道21号)・・茶屋道館跡・・・樋口交差点(国道21号)・・・浄信寺・・・敬永寺・・・八幡神社・・・(北陸自動車道)・・・久礼の一里塚跡・・・番場宿・米原道道標・問屋場跡・脇本陣跡・蓮華寺・法雲寺・直孝神社・・北野神社・・・小磨針峠・・・峠下の集落・称名寺・・・磨針峠・神明社・望湖堂跡・・・国道8号・・旧道・・・鳥居本宿・赤玉神教丸商店・上品寺・合羽所(木綿屋)・本陣跡・脇本陣問屋跡・合羽所(松屋)・長池地蔵尊・・専宗寺・・朝鮮人街道(彦根道)追分・・・小町塚(小町地蔵) ・・・(新幹線)・・・原八幡宮(昼寝塚・白髪塚)・・・(名阪神高速道路)・・・常夜灯・多賀神社道標・正法寺町交差点・・・春日神社・・・大堀橋(芹川)・・床の山碑・多賀神社道標・井戸跡・岩清水八幡神社・・・唯称寺・・・常夜灯・(近江鉄道)・・高宮町大北交差点・木之本分身地蔵堂・・・高宮駅(近江鉄道)

  【ル-ト地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_6799 柏原宿の家並み

問屋場跡・東の荷蔵跡・脇本陣跡などが続く。

Img_6809 宿場図

Img_6811 説明板①

Img_6813 説明板②

Img_6806 造り酒屋跡

Img_6816 映画監督吉村公三郎の実家

祖父は柏原宿最後の庄屋。

Img_6821 本陣跡説明板

和宮が泊まった時の建物はない。

Img_6824 高札場跡

この市場橋は、吉村公三郎監督のの若き日の思い出の「初恋橋」で、映画「地上」には、監督の初恋の思い出が織り込まれているそうだ。 出演者は川口浩、野添ひとみ、田中絹代、香川京子、佐分利信など懐かしの面々。

Img_6837 亀屋左京商店

「伊吹艾」(いぶきもぐさ)の看板が掛る。開店前で店先の福助人形とは対面できず。

Photo 広重の柏原宿

亀屋の店先で右端に福助人形。

Img_6841 福助人形(柏原歴史館)

Img_6844 日用雑貨の「さわや」

Img_6847 西の荷蔵跡(左)

Img_6848 説明板

Img_6852 艾屋亀屋○○○○跡 《地図

艾屋はみな亀屋がついたようだ。今はデイサービスセンター「はびろ」

柏原宿には多い時には10数軒の艾屋があったという。

Img_6854 薬師道標

最澄が創立したという明星山明星輪寺泉明院への道しるべ。泉明院は廃寺になってしまったか?

Img_6855 説明板

Img_6864 艾屋亀屋○○○跡

今は「ふれあい館」

Img_6859 御茶屋御殿跡

野洲の永原御殿(朝鮮人街道近く)、水口の水口御殿(東海道)と並ぶ「近江三御殿」の一つ。

Img_6856 説明板

Img_6866 郷宿跡

脇本陣と旅籠の中間で、武士や公用で旅をする庄屋などの休泊所。

Img_6872 柏原の一里塚跡(115・復元)

Img_6874 説明板

Img_6877 西見付跡

東見付からは1.4kmも離れている。ここは海抜174mで、磨針峠(154m)よりも高い。

この先を右に入ると400mほどで北畠具行の墓がある。

Img_6885 鶯が原あたり

今はさほど風情のある所ではない。少し先が掃除丁場(街道の掃除の持場、受持ち区域)で並び松(松並木)があった。今は若い松が植えられている。

Img_6884 説明板

Img_6890 ここにも薬師道標 《地図

ここは白山神社前

Img_6895 小川(こかわ)の関跡・菖蒲(あやめ)ヶ池跡 【ル-ト地図】の①

東山道の関跡で、池は江戸後期には消滅していたようだ。

右に旧道に入る。

Img_6897 説明板①

Img_6896 説明板②

Img_6900 右に「館跡 小黒谷遺跡」の標柱が立つ。小川の関の建物跡か? この先には車が捨てられていて気分を害する。

舗装道路に出た所が縄文中期末の竪穴住居跡の番の面遺跡で、国道21号に平行して梓川を渡り梓集落へ入る。

Img_6912 慈円寺 《地図

Img_6916 梓の集落を抜ける。

Img_6921 街道っぽいが、大きなラブホも建っていて興醒め?

国道21号に出て、少し進み左に旧道に入る。

Img_6925 一色八幡神社(右)《地図

Img_6928 狛犬の脇に三猿が、犬猿の仲ではないのか?

Img_6931 一色の一里塚跡(116)

碑のみで塚跡は残らず。

Img_6935 仏心水

旅人の喉を潤した井戸だろう。

Img_6941  鶯の端

その昔、狩野派の絵師がここで休み、扇に鶯の絵を描いたて、「生あらば鳴いてみよ」と言った。すると扇の鶯は飛び立ち梅の枝に止まり清らかに鳴いたとか。

ここからは西方の眺めがよく、京の空が望めるので有名で、能因法師の「旅やどり ゆめ醒ヶ井の かたほとり 初音もたかし 鶯ケ端」の歌もある。昔はもっと急な坂で馬頭観音が祀られていたそうだ。まあ今はこんなもんか。

ここを下ると醒井宿の東の見付跡で、枡形を通り宿へ入って行く。

Img_6942 東の見付け跡・枡形

Img_6944 醒井宿の家並み

Img_6953居醒の清水 【ル-ト地図】の②

東征からの帰りに日本武尊(ヤマトタケル)は、伊吹山の荒ぶる神(大蛇・白猪とも)を退治したが、大蛇の猛毒で発熱し気を失うほどであった。やっとのことで山を降り、この泉まで来て清水で体を冷したところ熱も下がり、気力も回復したと伝える。清水の中には日本武尊の腰掛石、鞍掛石と蟹に似た蟹石がある。

清水の向い側あたりがお茶壷本陣跡

Img_6952 由来

Img_6965梅花藻(バイカモ・地蔵川)

清流にしか育たないキンポウゲ科の水生多年草で、梅の花に似た白い小花を咲かせる。

Img_6957 地蔵堂 《地図

昔は魚の供養のために川の中に置かれ、「尻冷やし地蔵」と呼ばれた。鎌倉時代後期の作で、一石一尊の地蔵としては県下最大という。延命地蔵として親しまれている。

地蔵堂の先の「料亭本陣樋口山」が本陣跡だが建物は新しい。

Img_6958 説明板

Img_6970 問屋場跡(川口家住宅)

醒井宿資料館になっている。

Img_6976 法善寺

山門は彦根城の城門を移築したものというが、それほどの物とも見えないが?

Img_6979 江龍家表門

庄屋を務めた屋敷は本陣並の規模で、明治天皇の休息所にもなった。

Img_6982 お葉付イチョウ(了徳寺)

葉の上に銀杏の実が付くというが、確認できず。

Img_6986 十王水

「醒井七湧水」(①居醒の清水 ②十王水 ③西行水 ④天神水 ⑤いぼとり水 ⑥役の行者の斧割水 ⑦鍾乳水)の一つ。このあたりが高札場跡

Img_6985 説明板

Img_6988 旧醒井郵便局(醒井宿資料館) 《地図

大正4年にヴォーリズの設計により建てられた擬洋風建物。

Img_6991 松尾寺

本尊は雲の中から飛来したという空中飛行観音(木造聖観音菩薩立造)で、石造九重塔は国の重文。

Img_6992空中飛行観音

Img_7001 西行水・泡子塚

Img_6999 由来

西行はもとはイケメンの北面の武士、「据え膳食わぬは・・・」ということか。あちこちに末裔がいるかも。

Img_7005 六軒茶屋跡

広重の浮世絵に描かれた往時の面影はない。

Img_7010一類孤魂等衆の碑(丹生川橋の手前右側)

生々しい?由来話がある。

Img_7008 由来

Img_7014 壬申の乱の息長横河の古戦場跡(丹生川橋から) 《地図

大海人皇子軍の村国男依(むらくにのおより)らの軍が大友皇子軍を破る。

息長横河は梓川の流れる東山道横河駅のあった梓河内だともいう。(今日通って来た梓川のあたりか?)

Img_7022 茶屋道館

街道の立場茶屋跡。

Img_7046 久礼の一里塚跡(117) 【ル-ト地図】の③

塚上には榎と「とねり木」が植えられていた。「くたびれた やつが見つける 一里塚」で、この前のベンチで小休止。

番場宿へ右正面の道を行く。

Img_7053 番場宿の家並み

右に問屋場跡の標柱があるが、建物などは残っていない。江戸時代には番場宿から米原までの切通しと米原港が開設され、中山道から湖上の水運に乗り換えて大津、京方面へと結ぶ近道の分岐点にもなった。
広重の番場宿

Img_7058 米原道道標

「米原 汽車汽船 道」とある。

この先が脇本陣跡、本陣跡だが標柱のみ。

Img_7088 蓮華寺勅使門 《地図

ここを本堂前で自刃した北条仲時ら430余名の血が流れ「血の川」と呼ばれたとか。

Img_7074 説明板

Img_7075 北条仲時の墓

Img_7080 忠太郎地蔵

番場宿は長谷川伸の「瞼の母」の主人公、「番場の忠太郎」の生国である。「ところは江州坂田の郡、醒ヶ井から南へ一里、磨針峠の山の宿場で番場という処がござんす。おきなが屋忠兵衛という旅籠屋をご存じでござんすか あっしはおきなが屋の倅、忠太郎でござんす、おっかさん!」 だが、母は冷たかった。再び股旅の道に踏み出す忠太郎だった・・・・。

Img_7083_2 一向杉

弘安10年(1287)、蓮華寺開山の一向俊聖上人の遺骸を茶毘に付した地に、杉を植樹したものと伝える。地域の人たちからは、一向杉と呼ばれ親しまれている。推定樹齢は700年で、滋賀県指定自然記念物。

かなり枯れてきているようだ。千年までは持つまい。 

Img_7094 直孝神社(溝尾神社)

彦根藩2代目藩主の井伊直孝は、中山道の宿場の機能を整備した。村人たちが彼の功績を称えるために寛永20年(1643)に祭神として祀ったという。

Img_7111 小磨針峠への上りとなる。《地図

途中、ボランティアで清掃しているおばさんに出会った。猿の群れがガサガサやっていた所に多くのゴミが捨てられていたという。草の中にもポイ捨てが多く、とても一人で運べる量ではない。猿と鹿は出るようだ。熊はどうだか?

小磨針峠から少し下って、道標の立つ分岐を右に進み、上り返し峠下の集落から磨針峠へ出る。

Img_7119_2 峠下の集落

Img_7127 磨針峠の望湖堂跡・神明社

峠の手前に磨針の一里塚(118)があったようだが場所は不明。

Img_7123 琵琶湖の眺め(神明社の境内から) 【ル-ト地図】の④

標高は154m、曇りで霞んでいる。磨針峠の由来話:「その昔、修行で諸国行脚中の青年僧が、行き詰まり挫折しそうになってこの峠を通りかかった。そこで斧を石で摺っている老婆に出会った。大切な針を折ってしまったので、斧を磨いて針にするという。その時、青年僧は「この老婆の苦労に比べたら自分の修行はまだまだ甘かったと悟り、未熟を恥じ、心を入れ替えて修行に励んだ。それが後の弘法大師という」
広重の鳥居本』(望湖堂からの琵琶湖の眺め)

Img_7131 旧道に入り下って国道8号に出て鳥居本宿に入る。

Img_7147_2 鳥居本宿の家並み

Img_7146 説明板

Img_7151赤玉神教丸有川家 《地図

店の前には大勢がウロウロして感心した様子で眺めている。

Img_7153 店内

手前は神教丸に使われる薬草だろう。

Img_7158 上品寺(じょうぼんじ)梵鐘

法海坊が江戸吉原の花魁などからの喜捨で造ったものという。鐘には明和6年(1769)の年号や遊女たちの名が刻まれているそうだ。法海(界)坊は歌舞伎の「隅田川続俤」では破戒僧として描かれている。

Img_7161 旧家

Img_7163 旧家

Img_7165 旅籠米屋跡

Img_7164 説明板

Img_7168 合羽所木綿屋

Img_7169 説明板

Img_7173 本陣跡(寺村家)

これが説明板にあるヴォーリズの洋館か?

隣の脇本陣高橋家も普通の民家になっている。

Img_7172 説明板

Img_7177 旧家

Img_7183 合羽所松屋

Img_7198 専宗寺 《地図

聖徳太子が開祖という。山門の隣の太鼓門の天井は佐和山城の遺構というが、どこのことか?

Img_7197 説明板

Img_7199 古い家並みが続く。

Img_7202 朝鮮人街道(彦根道・右)追分 【ル-ト地図】の⑤

正面右に道標が立つ。朝鮮人街道は草津に着いた後に野洲の追分からここまで歩く。

Img_7204 道標

「右 彦根道」、「左 中山道 京いせ道」

Img_7205 説明板

Img_7209 廃家か

Img_7215 小町塚(左) 《地図

この地(小野町)は小野小町の出生地というが、生誕地、墓所は全国各地にある。『全国小野小町マップ

Img_7216 説明板

Img_7217 小町地蔵

三面に「阿弥陀如来坐像」が刻まれている、15世紀後半頃の石仏。

Img_7224 昼寝塚(原八幡神社境内)

Img_7222説明板

Img_7223 説明板

Img_7234 多賀神社常夜灯・道標(正法寺町交差点手前) 《地図

原村の一里塚跡(119)はこのあたりか?

Img_7242

鞍掛山(大堀山・芹川の大堀橋から) 《地図

万葉集に歌われ、壬申の乱の戦場の鳥籠(とこ)山とも伝える。

「淡海路の 鳥籠の山なる 不知哉川 日(け)のこのごろは 恋ひつつもあらむ」  不知哉川(いさやがわ)は芹川のこと。 

Img_7243 床の山碑(大堀橋を渡った右側の公園前)

側面に芭蕉の句 「ひるがおに 昼寝せうもの 床の山」

Img_7254 扇塚(岩清水八幡神社境内)

Img_7253 説明板

Img_7248 井戸跡(岩清水八幡神社前)

Img_7249 説明板

Img_7266 木之本分身地蔵堂(高宮町大北交差点向う側右)《地図

木彫り彩色の地蔵だそうだが拝めず。 

Img_7267 説明板

Img_7270 高宮宿の家並みに入る。

雨が本降りになってきた。ここまでとして高宮駅に向かう。

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