中山道(柏原宿→醒井宿→番場宿→鳥居本宿→高宮宿)
2010年10月24日
柏原駅(JR東海道線)・・・柏原宿・問屋場跡・東の荷蔵跡・脇本陣跡・本陣跡・高札場跡・市場橋・亀屋左京商店・日枝神社・西の荷蔵跡・薬師道標・御茶屋御殿跡・郷宿跡・・・柏原一里塚跡・・・西見付跡・・・鶯ケ原・・・掃除丁場・並び松(松並木)・・・白山神社・薬師道標・・・小川の関跡(菖蒲ケ池跡)・古道・小黒谷遺跡(館跡)・・・番の面遺跡・・・梓川橋・・慈円寺・・・国道21号・・・旧道・・・一色八幡神社・・・一色の一里塚跡・・・仏心水・・・鶯の端・・・醒井宿東の見付跡・居醒の清水・加茂神社・地蔵堂(尻冷やし地蔵 )・問屋場跡・本陣跡・法善寺・江龍氏宅表門・了徳寺・十王水・松尾寺・西行水・泡子塚・・・六軒茶屋跡・・・国道21号・・・一類孤魂等衆の碑・・横河の古戦場跡・丹生川橋・・・旧道・・(国道21号)・・茶屋道館跡・・・樋口交差点(国道21号)・・・浄信寺・・・敬永寺・・・八幡神社・・・(北陸自動車道)・・・久礼の一里塚跡・・・番場宿・米原道道標・問屋場跡・脇本陣跡・蓮華寺・法雲寺・直孝神社・・北野神社・・・小磨針峠・・・峠下の集落・称名寺・・・磨針峠・神明社・望湖堂跡・・・国道8号・・旧道・・・鳥居本宿・赤玉神教丸商店・上品寺・合羽所(木綿屋)・本陣跡・脇本陣問屋跡・合羽所(松屋)・長池地蔵尊・・専宗寺・・朝鮮人街道(彦根道)追分・・・小町塚(小町地蔵) ・・・(新幹線)・・・原八幡宮(昼寝塚・白髪塚)・・・(名阪神高速道路)・・・常夜灯・多賀神社道標・正法寺町交差点・・・春日神社・・・大堀橋(芹川)・・床の山碑・多賀神社道標・井戸跡・岩清水八幡神社・・・唯称寺・・・常夜灯・(近江鉄道)・・高宮町大北交差点・木之本分身地蔵堂・・・高宮駅(近江鉄道)
【ル-ト地図】
写真をクリックすると拡大します。
問屋場跡・東の荷蔵跡・脇本陣跡などが続く。
映画監督吉村公三郎の実家
祖父は柏原宿最後の庄屋。
和宮が泊まった時の建物はない。
この市場橋は、吉村公三郎監督のの若き日の思い出の「初恋橋」で、映画「地上」には、監督の初恋の思い出が織り込まれているそうだ。 出演者は川口浩、野添ひとみ、田中絹代、香川京子、佐分利信など懐かしの面々。
【ル-ト地図】の69「伊吹艾」(いぶきもぐさ)の看板が掛る。開店前で店先の福助人形とは対面できず。
亀屋の店先で右端に福助人形。
福助人形(柏原歴史館)
艾屋亀屋○○○○跡 《地図》
艾屋はみな亀屋がついたようだ。今はデイサービスセンター「はびろ」
柏原宿には多い時には10数軒の艾屋があったという。
最澄が創立したという明星山明星輪寺泉明院への道しるべ。泉明院は廃寺になってしまったか?
今は「ふれあい館」
野洲の永原御殿(朝鮮人街道近く)、水口の水口御殿(東海道)と並ぶ「近江三御殿」の一つ。
脇本陣と旅籠の中間で、武士や公用で旅をする庄屋などの休泊所。
【ル-ト地図】の70東見付からは1.4kmも離れている。ここは海抜174mで、磨針峠(154m)よりも高い。
この先を右に入ると400mほどで北畠具行の墓がある。
今はさほど風情のある所ではない。少し先が掃除丁場(街道の掃除の持場、受持ち区域)で並び松(松並木)があった。今は若い松が植えられている。
ここにも薬師道標 《地図》
ここは白山神社前
小川(こかわ)の関跡・菖蒲(あやめ)ヶ池跡 【ル-ト地図】の71
東山道の関跡で、池は江戸後期には消滅していたようだ。
右に旧道に入る。
右に「館跡 小黒谷遺跡」の標柱が立つ。小川の関の建物跡か? この先には車が捨てられていて気分を害する。
舗装道路に出た所が縄文中期末の竪穴住居跡の番の面遺跡で、国道21号に平行して梓川を渡り梓集落へ入る。
慈円寺 《地図》
国道21号に出て、少し進み左に旧道に入る。
一色八幡神社(右)《地図》
碑のみで塚跡は残らず。
旅人の喉を潤した井戸だろう。
その昔、狩野派の絵師がここで休み、扇に鶯の絵を描いたて、「生あらば鳴いてみよ」と言った。すると扇の鶯は飛び立ち梅の枝に止まり清らかに鳴いたとか。
ここからは西方の眺めがよく、京の空が望めるので有名で、能因法師の「旅やどり ゆめ醒ヶ井の かたほとり 初音もたかし 鶯ケ端」の歌もある。昔はもっと急な坂で馬頭観音が祀られていたそうだ。まあ今はこんなもんか。
ここを下ると醒井宿の東の見付跡で、枡形を通り宿へ入って行く。
東征からの帰りに日本武尊(ヤマトタケル)は、伊吹山の荒ぶる神(大蛇・白猪とも)を退治したが、大蛇の猛毒で発熱し気を失うほどであった。やっとのことで山を降り、この泉まで来て清水で体を冷したところ熱も下がり、気力も回復したと伝える。清水の中には日本武尊の腰掛石、鞍掛石と蟹に似た蟹石がある。
清水の向い側あたりがお茶壷本陣跡
梅花藻(バイカモ・地蔵川)
清流にしか育たないキンポウゲ科の水生多年草で、梅の花に似た白い小花を咲かせる。
地蔵堂 《地図》
昔は魚の供養のために川の中に置かれ、「尻冷やし地蔵」と呼ばれた。鎌倉時代後期の作で、一石一尊の地蔵としては県下最大という。延命地蔵として親しまれている。
地蔵堂の先の「料亭本陣樋口山」が本陣跡だが建物は新しい。
醒井宿資料館になっている。
山門は彦根城の城門を移築したものというが、それほどの物とも見えないが?
庄屋を務めた屋敷は本陣並の規模で、明治天皇の休息所にもなった。
葉の上に銀杏の実が付くというが、確認できず。
「醒井七湧水」(①居醒の清水 ②十王水 ③西行水 ④天神水 ⑤いぼとり水 ⑥役の行者の斧割水 ⑦鍾乳水)の一つ。このあたりが高札場跡
旧醒井郵便局(醒井宿資料館) 《地図》
大正4年にヴォーリズの設計により建てられた擬洋風建物。
本尊は雲の中から飛来したという空中飛行観音(木造聖観音菩薩立造)で、石造九重塔は国の重文。
【ル-ト地図】の73西行はもとはイケメンの北面の武士、「据え膳食わぬは・・・」ということか。あちこちに末裔がいるかも。
広重の浮世絵に描かれた往時の面影はない。
生々しい?由来話がある。
壬申の乱の息長横河の古戦場跡(丹生川橋から) 《地図》
大海人皇子軍の村国男依(むらくにのおより)らの軍が大友皇子軍を破る。
息長横河は梓川の流れる東山道横河駅のあった梓河内だともいう。(今日通って来た梓川のあたりか?)
街道の立場茶屋跡。
塚上には榎と「とねり木」が植えられていた。「くたびれた やつが見つける 一里塚」で、この前のベンチで小休止。
番場宿へ右正面の道を行く。
右に問屋場跡の標柱があるが、建物などは残っていない。江戸時代には番場宿から米原までの切通しと米原港が開設され、中山道から湖上の水運に乗り換えて大津、京方面へと結ぶ近道の分岐点にもなった。
『広重の番場宿』
「米原 汽車汽船 道」とある。
この先が脇本陣跡、本陣跡だが標柱のみ。
蓮華寺勅使門 《地図》
ここを本堂前で自刃した北条仲時ら430余名の血が流れ「血の川」と呼ばれたとか。
北条仲時の墓
番場宿は長谷川伸の「瞼の母」の主人公、「番場の忠太郎」の生国である。「ところは江州坂田の郡、醒ヶ井から南へ一里、磨針峠の山の宿場で番場という処がござんす。おきなが屋忠兵衛という旅籠屋をご存じでござんすか あっしはおきなが屋の倅、忠太郎でござんす、おっかさん!」 だが、母は冷たかった。再び股旅の道に踏み出す忠太郎だった・・・・。
弘安10年(1287)、蓮華寺開山の一向俊聖上人の遺骸を茶毘に付した地に、杉を植樹したものと伝える。地域の人たちからは、一向杉と呼ばれ親しまれている。推定樹齢は700年で、滋賀県指定自然記念物。
かなり枯れてきているようだ。千年までは持つまい。
彦根藩2代目藩主の井伊直孝は、中山道の宿場の機能を整備した。村人たちが彼の功績を称えるために寛永20年(1643)に祭神として祀ったという。
小磨針峠への上りとなる。《地図》
途中、ボランティアで清掃しているおばさんに出会った。猿の群れがガサガサやっていた所に多くのゴミが捨てられていたという。草の中にもポイ捨てが多く、とても一人で運べる量ではない。猿と鹿は出るようだ。熊はどうだか?
小磨針峠から少し下って、道標の立つ分岐を右に進み、上り返し峠下の集落から磨針峠へ出る。
峠の手前に磨針の一里塚(118)があったようだが場所は不明。
標高は154m、曇りで霞んでいる。磨針峠の由来話:「その昔、修行で諸国行脚中の青年僧が、行き詰まり挫折しそうになってこの峠を通りかかった。そこで斧を石で摺っている老婆に出会った。大切な針を折ってしまったので、斧を磨いて針にするという。その時、青年僧は「この老婆の苦労に比べたら自分の修行はまだまだ甘かったと悟り、未熟を恥じ、心を入れ替えて修行に励んだ。それが後の弘法大師という」
『広重の鳥居本』(望湖堂からの琵琶湖の眺め)
店の前には大勢がウロウロして感心した様子で眺めている。
手前は神教丸に使われる薬草だろう。
法海坊が江戸吉原の花魁などからの喜捨で造ったものという。鐘には明和6年(1769)の年号や遊女たちの名が刻まれているそうだ。法海(界)坊は歌舞伎の「隅田川続俤」では破戒僧として描かれている。
【ル-ト地図】の76これが説明板にあるヴォーリズの洋館か?
隣の脇本陣高橋家も普通の民家になっている。
専宗寺 《地図》
聖徳太子が開祖という。山門の隣の太鼓門の天井は佐和山城の遺構というが、どこのことか?
朝鮮人街道(彦根道・右)追分 【ル-ト地図】の77
正面右に道標が立つ。朝鮮人街道は草津に着いた後に野洲の追分からここまで歩く。
「右 彦根道」、「左 中山道 京いせ道」
小町塚(左) 《地図》
この地(小野町)は小野小町の出生地というが、生誕地、墓所は全国各地にある。『全国小野小町マップ』
三面に「阿弥陀如来坐像」が刻まれている、15世紀後半頃の石仏。
【ル-ト地図】の78多賀神社常夜灯・道標(正法寺町交差点手前) 《地図》
原村の一里塚跡(119)はこのあたりか?
鞍掛山(大堀山・芹川の大堀橋から) 《地図》
万葉集に歌われ、壬申の乱の戦場の鳥籠(とこ)山とも伝える。
「淡海路の 鳥籠の山なる 不知哉川 日(け)のこのごろは 恋ひつつもあらむ」 *不知哉川(いさやがわ)は芹川のこと。
側面に芭蕉の句 「ひるがおに 昼寝せうもの 床の山」
【ル-ト地図】の79木之本分身地蔵堂(高宮町大北交差点向う側右)《地図》
木彫り彩色の地蔵だそうだが拝めず。
雨が本降りになってきた。ここまでとして高宮駅に向かう。
| 固定リンク
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 坂道散歩(2023年11月~)追加分(2023.12.14)
- 「歩いた坂」追加分(2023.12.10)
- JR京浜東北線を歩く①(2022.10.22)
- 大落古利根川・中川を歩く(2023.11.22)
- 柴又街道②(2023.11.21)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント