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2011年1月30日 (日)

吉備路①

2011年1月23日

備前一宮駅(JR吉備線)・・・山神橋(三丁川)・・吉備津彦神社・・・赤木格堂句碑・・・両国橋・・・福田海・・鼻ぐり塚・・・高麗寺仁王門跡・・・藤原成親遺跡・・・ダイボ-の足跡・・・吉備の中山・・穴観音・・吉備桜・・・八徳寺・・・中山茶臼山古墳(大吉備津彦命陵)・・・吉備津神社・・宇賀神社・・吉備の松並木・・・(国道180号)・・・(JR吉備線)・・・山陽道・・・真金一里塚跡・・・吉備津踏切・・・吉備津駅(JR吉備線)

 「吉備路」という街道名はなく、岡山市の北西部から総社市にかけての一帯の総称で、古代からの遺跡、歌枕の地、伝説の宝庫だ。吉備津彦神社から西方向に総社市の旧山陽道の持坂までを2日かけて歩く。まさに寒中で北西からの冷たい風は身にしみるが、以前歩いた所が多いので気楽な道中ではある。

  【ル-ト地図】(7.9km)

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Img_1477 案内図

今日歩く所がだいたい載っている。

Img_1470 吉備津彦神社 (備前国一宮)【ル-ト地図】の①

背後の「吉備の中山」を神体と崇めてきた古代からの社。

Img_1467 桃太郎伝説

先住の土着民を鬼として征服して行く、中央のいつもの汚いやり方。

Img_1473 安政の大石燈籠

Img_1472 説明板

Img_1490 両国橋

備前と備中の境の橋らしいが、なんの風情もない。

Img_1496 鼻ぐり塚 《地図》 

宗教団体の「福田海」(ふくでんかい)が牛に対する報恩感謝と牛霊供養のために集めて祀った牛の鼻輪。600万、700万個とも。もとは横穴式石室を持つ古墳。被葬者は埴輪ではなく、色とりどりの鼻輪に覆われて喜んでいるか?

Img_1497 福田海の境内を通り、吉備の中山へと上って行く。

Img_1500 高麗寺仁王門跡から

ここが藤原成親の配所地とも。

Img_1504山道っぽくなる。

Img_1505 藤原成親遺跡 【ル-ト地図】の②

上の石囲いの中に、崩れかけた小さな石塔が立っている。

Img_1506 説明板

Img_1511落葉のじゅうたんを踏みしめながら進む。

Img_1512 ダイボー(大坊)の足跡

各地にあるダイダラボッチなどの巨人伝説の一つ。水が窪地に溜まって水の祭祀が行われたとも。

Img_1515 説明板

Img_1525 穴観音

右から2番目の石の表面に観音像(大日如来?)が刻まれている。左の小穴に耳を当てると観音さんの声が聞こえるとか。後ろは中山茶臼山古墳。

Img_1522 説明板

Img_1528 吉備桜

枯れそうになっていた山桜を元気に甦らせ、こう名付けたそうだ。

Img_1537 八徳寺

Img_1543大吉備津彦命陵(中山茶臼山古墳) 【ル-ト地図】の③

「吉備の中山」にある全長120mの前方後円墳で、陵墓参考地。

Img_1549 歌枕の「吉備の中山」 を詠んだ歌①

Img_1550

Img_1551

Img_1558 吉備津神社前の旧家

Img_1566 吉備津神社(備中国一宮) 【ル-ト地図】の④

北随神門

Img_1580 説明板

Img_1562鳴釜神事」の御釜殿への廻廊

Img_1569 説明板

Img_1582 矢置岩

吉備津彦の温羅(うら)退治伝説の一つ。

Img_1581 由来

Img_1576宇賀神社の池へ倒れ込む松。「身投げ松」とでも呼ぼうか。

Img_1583 吉備津の松並木(吉備津神社参道) 《地図

吉備線の踏切を渡り、旧山陽道に向かう。

Img_1590 真金一里塚跡 【ル-ト地図】の⑤

岡山城下から2番目の山陽道の一里塚。写真は岡山方面。

Img_1587 説明板

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2011年1月18日 (火)

暗越奈良街道③

2010年12月28日

南生駒駅(近鉄生駒線)・・・国道308号(暗越奈良街道)・・・大瀬ふれあい公園・・・歓喜之湯(足湯)・・・矢田寺分岐・・・榁木峠・弘法大師堂(賢聖院)・・・郡山警察犬訓練所・・・追分神社・・・追分本陣村井家・・・(第二阪奈道路)・・・下鳥見橋(富雄川)・・・地蔵堂・・・砂茶屋交差点(県道7号)・・・東坂・・東坂下池・・(第二阪奈道路)・・・瓢箪池・・新池・・・垂仁天皇陵・・・(近鉄橿原線)・・・伏見之崗・・・都橋(秋篠川)・・・地蔵堂・・・出屋敷地蔵堂・・・菰川橋・・・(国道24号)・・・高橋(佐保川)・・・(JR奈良線)・・・奈良県里程元標・猿沢池・・・近鉄奈良駅

  【ル-ト地図

 この先は『上街道』→『初瀬街道』→『伊勢街道』へと続いて行く。

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Img_1363 南生駒駅から再び上りとなる。

これでもれっきとした国道308号

Img_1368 歓喜之湯 【ル-ト地図】の①

足湯だがまだお湯はない。

Img_1370 生駒山の眺め

この先から山道っぽい細い道となる。

Img_1376急坂を榁木峠へ向かう。

Img_1383 榁木(むろのき)峠 【ル-ト地図】の②

標高はどれほどか? 200m位か? 右は弘法大師堂(賢聖院)

Img_1395郡山警察犬訓練所

世界選手権の日本代表犬、「イチロー」の横断幕。

すぐ先に道標の立つ辻がある。

Img_1397 ここを左に行く。《地図

Img_1398 道標

Img_1401 追分神社

正面左の鳥居の石段上に小祠がある。

Img_1409 追分本陣村井家 【ル-ト地図】の③

Img_1406 説明板

Img_1413 奈良の市街地に入って行く。

富雄川、砂茶屋交差点を渡り、北東方向に上って行く。

Img_1424 東坂を上る。《地図

坂沿いの旧家

Img_1426赤膚焼窯元大塩昭山

Img_1437 垂仁天皇陵 【ル-ト地図】の④

周濠の水は汚れている。

Img_1324 伏見之崗 《地図

説明板を読んでもよく分からず。

Img_1322 説明板

Img_1329 地蔵堂 《地図

Img_1328 説明板

Img_1331鎌倉時代の作で、錫杖を持たない古式の姿というが顔だけしか見えず。

Img_1334 殺風景な道を一路、東に向かう。

Img_1336 出屋敷地蔵

子安地蔵のようだ。祠前の燈明台には「圓輪明幸地蔵尊」とある。 

Img_1335 説明板

JR奈良駅を過ぎ、賑やかな三条通りを進む。

Img_1353 奈良県道路元標 【ル-ト地図】の⑤

京都、大阪、伊勢へ向かう奈良県内の諸街道の起点。ここを大阪からの暗越奈良街道歩きの終点とした。右下には「奈良市道路元標」の小さな石柱もある。
京都へは『大和街道(奈良街道』→『伏見街道』・『竹田街道』で、伊勢へは『上街道』→『初瀬街道』→『伊勢街道』と続く。

Img_1359 説明板

Img_1355 猿沢池

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2011年1月16日 (日)

暗越奈良街道②

2010年12月27日

河内小阪駅(近鉄奈良線)・・・小阪北口交差点・・・天神社・・・辻の地蔵・・・新御厨大橋(第二寝屋川)・・・(府道2号)・(近畿自動車道)・・・道標・(河内街道)・・八剣神社・・・道開地蔵・・・(府道21号)・・・おかげ燈籠・もちのき地蔵・・水走橋(恩智川)・・・東高野街道交差地点(箱殿東交差点)・・・地蔵の辻・宝憧寺・・・(近鉄奈良線)・・・枚岡神社・・・国道308号・・・勧成院・・・芭蕉句碑・・・禊行場・・・観音寺・・・額田橋・・・慈光寺分岐・・・弘法水・・・迎地蔵・・・暗峠(455m)・暗峠地蔵・・(信貴・生駒スカイライン)・・・西地蔵・・・万葉歌碑・・・阿弥陀堂・・・石仏寺・・・(国道168号)・・竜田川・・南生駒駅(近鉄生駒線)

 暗峠まではだらだらとした上り坂が続くと思っていたが、地蔵の辻を左折し近鉄奈良線を越えたあたりから国道308号の急坂となった。国道といってもカーブの続く細い道で、車の往来は少なく歩きやすい。上るにつれ空気は冷たくなり、道沿いには雪が少し残る風景となった。暗峠には少しだげ石畳の道が残っているが、急坂を上ってきたわりには、ちょっと物足りなさを感じる風景だった。暗峠からの下りは早く、南生駒駅には1時前に着いてしまった。この先、奈良まで歩ける距離、時間ではあるが急ぐ旅でもなし、今日はここまでとし大阪に戻った。

  【ル-ト地図

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Img_1116天神社(あまつかむやしろ・通称てんじんしゃ) 《地図

御厨(みくりや)神社とも呼ばれ、文武天皇が吉野に行幸の時に当地から供膳したことからこの名を賜った、あるいは称徳天皇が由義宮を造った際に御厨を設けた所といわれている。大クス(向う側)は東大阪市の天然記念物。このあたりの地名は御厨。

Img_1114 説明板

Img_1122説明板

Img_1127 辻の地蔵 【ル-ト地図】の②

天神社からの道と暗越奈良街道がここで出会う。

Img_1132 橋田家住宅

本陣の役目も担った旧家

Img_1131 説明板

Img_1143 道標2基(八剣神社手前の交差点)

交差点の手前右は「すぐ 八尾 右 大阪 左 奈良」・交差点を渡った左側は「すぐ 石切 瓢箪山 奈良 左 住道 四条畷  」。ここを南北に走る道は河内街道。

Img_1152 道標(八剣神社境内) 【ル-ト地図】の②

左は右側面に「おかげ」と刻む天保2年(1831)の奈良、伊勢への道標で、前年(文政13年・天保元年)は「おかげ参り」が大流行した。中央の瓢箪の絵があるのは、「右 瓢箪山」で、右の「右 鳴川山千光寺 役行者道」は奈良県平群町の役行者像を安置する千光寺のことだろう。3基とも街道沿いから移されたもの。

Img_1149 説明板

Img_1156 道開地蔵 

Img_1160 もちの木地蔵・「おかげ燈籠」(天保2年) 《地図

Img_9293_2東高野街道交差地点(箱殿東交差点) 《地図

暗越奈良街道は右から左へ。東高野街道は直進。

Img_9294_2地蔵の脇に道標

Img_9295_2道標

「東江 すぐなら いせ道」が暗越奈良街道で、「南江 すぐ かうや道」が東高野街道。

Img_9296_2説明板

Img_1180 地蔵の辻(宝憧寺) 【ル-ト地図】の③

地蔵堂には行基ゆかりの子安地蔵が安置されている。

Img_1178説明板

Img_1184 枚岡神社

Img_1190 暗越奈良街道の国道308号は、細い道となって暗峠へと急坂を上って行く。《地図

Img_1193 若者が自転車で上って行くが、この急坂はきついようで、何度も自転車から降りて、押したり休んだりしていた。そのうちに遅れだし見えなくなった。たぶん途中でリタイアして引き返したのだろう。

Img_1198 芭蕉句碑(勧成院)

「菊の香にくらがり上る節句かな」 元禄7年(1694)9月9日の重陽の菊の節句に、芭蕉が伊賀上野から大坂に向かう途中で詠んだ句。芭蕉は10月12日に大阪で没している。もとは街道沿いにあったという。

Img_1194 説明板

Img_1221 気分のいい道を行く。

Img_1222 禊行場

Img_1227 白く雪化粧した観音寺の屋根 《地図

Img_1231 大阪方向の眺め

Img_1242 慈光寺への道(直進)は雪が少し積もっている。

Img_1250 弘法水

右端の笠塔婆の阿弥陀如来像は弘安7年(1284)の造立。

Img_1249 説明板

Img_1254 うっすらと雪を被った棚田

Img_1260 迎地蔵

奈良から暗峠を越えて来た人たちには「送地蔵」か。

手前右は「矢田山二里」、「矢田 奈良」の道標 

Img_1259 迎地蔵 

Img_1256 暗峠の集落に出る。標高455mで、曇るとさすがに寒い。

Img_1265 暗峠(455m) 【ル-ト地図】の④

樹木が鬱蒼と生い茂り、昼なお暗いことが峠名の由来という。今はこの一部分だけが風情ある石畳の「日本の道百選」の道。

Img_1266 暗峠地蔵堂 

Img_1267 暗峠地蔵

肩幅の広い、がっしりとした地蔵さん。 

Img_1274 峠から少し下って振り返る

Img_1278 奈良方向

Img_1280 西地蔵 

Img_1285 万葉歌碑(手前)

後ろには石灯籠、南無阿弥陀仏石塔、薬師如来石像?、地蔵、道標などが並ぶ。

Img_1286 歌碑

Img_1295 阿弥陀堂

Img_1293 阿弥陀如来像

右側面に文永7年(1270)の銘があるというがよく見えず。

Img_1294 説明板

Img_1302 石仏寺(正面奥の右側) 【ル-ト地図】の⑤

鎌倉時代の創建とされ、古くから暗越奈良街道を通行する旅人が訪れたという寺。

Img_1312 南生駒駅に下って行く途中の家並み。

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2011年1月13日 (木)

西国街道④・暗越奈良街道①

2010年12月26日

門戸厄神駅(阪急今津線)・・・道標・常夜灯・・・男坂・女坂・門戸厄神(東光寺)・・・やくじんさん筋・・・西国街道・・・豊乗寺・・・国道171号・御手洗川橋・・・旧道・・・(阪急神戸線)・・・(JR神戸線)・・・(国道2号)・・・(阪神本線)・・・角之橋(六湛寺川)・・・正念寺・中国街道・山陽道合流地点・・西宮宿・・高札場跡(札場筋交差点)・・蛭児大神御輿屋伝説地・・・西宮神社・・・西宮駅(阪神)→梅田駅・・・東梅田駅(地下鉄谷町線)→天満橋駅 

天満橋駅・・・八軒家船着場跡・・・熊野街道入口碑・・・(中央大通り)・・・太閤下水跡・・・南大江公園・坂口王子伝承地(朝日神明社跡)・・・榎大明神・・・(谷町筋)・・・(上町筋)・・・東雲稲荷神社・・・(玉造筋)・・・(JR大阪環状線)・・・国道308号・・旧道・・二軒茶屋跡・・・矢田地蔵・・・八阪神社・道標・・・浄林寺・・・玉津橋(平野川)・・・(今里筋)・・・熊野大神宮・・妙法寺・・・底谷地蔵・・・道標・・・国道308号・・・今里大橋・・・(国道479号)・・・深江稲荷神社・・・中高野街道交差地点・・・布施柳通交差点・旧道・・・(JR大阪東線)・・・高井田地蔵・・・道標・・・小阪北口交差点・・・河内小阪駅(近鉄奈良線)

 今日は有馬記念で、今年最後の中央競馬の開催日だ。西宮北口駅から阪神競馬場のある仁川駅に向かう阪急今津線は混んでいた。門戸厄神に寄ってから西国街道に戻り、中国街道・山陽道との合流地点まで行く。そして山陽道を少し進み西宮神社まで歩く。すぐ大阪へと引き返し、大阪と奈良を結ぶ最短の街道の暗越(くらがりこえ)奈良街道を歩き始めた。江戸時代の起点は二軒茶屋のあった玉造で、明治時代には高麗橋が起点となった。高麗橋から熊野街道入口碑までは京街道で歩いているので、八軒家船着場跡から熊野街道入口へと進み、東大阪、暗峠、生駒から奈良へと東に向かう。

 【ル-ト地図】(西国街道④)・【ル-ト地図】(暗越奈良街道①)

Img_0912 常夜燈・道標 【ル-ト地図】の①

もとは西国街道沿いにあった門戸厄神東光寺への道標。

Img_0910 説明板

Img_0915 門戸厄神男坂 【ル-ト地図】の②

42段の石段

Img_0920 女坂(33段)

本尊は薬師如来像で、厄神堂に愛染明王と不動明王が一体となった「日本三体の厄神明王」の一つを祀る。

Img_0919 説明板

 西国街道に戻り西宮神社を目指す。途中にはあまり見どころはない。

Img_0935中国街道・山陽道合流地点 【ル-ト地図】の③

右の正念寺の角を右折して西宮宿に入るが、その面影はない。札場筋との交差点に高札場があったようだ。『山陽道(西宮駅→神戸駅)』に続く。

Img_0945蛭児(ひるこ)大神御輿屋(おこしや)伝説地 【ル-ト地図】の④

「蛭子神」とは、西宮神社の祭神のえびすのこと。漁師の網に掛かった蛭児神像が御輿に乗って西宮神社の地に向かう途中、疲れてここで休み昼寝をした。ところが蛭児神がなかなか起きないので、尻をつねって起こしたという。祭りの日には、女性のお尻をひねる習慣が大正時代まで残っていたようだ。御輿(おこし)と「起こし」が掛詞になっている?

Img_0953 西宮神社 【ル-ト地図】の⑤

Img_0958 大練塀

Img_0948 説明板

Img_0956 拝殿

Img_0965 説明板

***ここから暗越奈良街道①***

Img_0966 熊野街道入口碑が立つ辻 【ル-ト地図】の①

Img_0967 碑の説明板

Img_0975 太閤下水跡 【ル-ト地図】の②

下を下水が勢いよく流れて行くのがガラス越に見える。

Img_0974 説明板

Img_0981 東洋洋傘株式会社

Img_0986 坂口王子跡(朝日神明社跡・南大江公園) 【ル-ト地図】の③

熊野古道』沿いの(九十九)王子の一つという伝承地。王子とは熊野権現の化身として、熊野詣の巡礼者を守護する御子神を祀った社で、休憩所、宿泊所にもなったようだ。

Img_0984 説明板

Img_0993 榎大明神(正面) 《地図

ここも王子跡、一里塚跡とも。手前の四辻を左折する。

Img_0998 そば屋

Img_1002 東雲稲荷神社境内 《地図

道標(文政4年(1821))には、「左 なら 伊勢・・ 大師・・」とある。

右は「南組相続講」で、門徒の財産を次の世代に引き継ぐ宗教集団組織のようなものらしい。

Img_1011 二軒茶屋跡 【ル-ト地図】の④

街道の南北に明治の中頃まで、「つる屋」と「ます屋」の2軒の茶屋があった。江戸時代にはここが暗越奈良街道の起点で、人々の見送りや休憩所だった。

Img_1012 説明板

Img_1018 矢田地蔵 《地図

浮彫の地蔵の下部と右側面が道標になっていて、「矢田地蔵尊 此より東」・「従是 二リ松原 一リ余くらがり峠 一里余小瀬 一リ矢田山」とあるそうだ。矢田地蔵尊は奈良県郡山市の矢田寺のこと。

Img_1024矢田地蔵尊

道標の文字は確認できず。
 

Img_1029 暗越奈良街道道標(明治35年) 《地図

ここは高麗橋の道標元標から1里地点。もっとあるような気がするが。

Img_1031 説明板

Img_1048 暗越奈良街道説明板・題目塔道標 

「是れより東へ三町 常善寺」とある。常善寺(大今里1-2)は江戸時代に大坂の 芝居興行と深いかかわりを持っていた寺だそうだ。

Img_1064 ここにも大きな新しい説明板がビルの壁に埋め込まれている。《地図

Img_1056一部分

「シルクロードの終わるところ」とある。

Img_1068大今里3丁目の家並み

Img_1072 熊野大神宮

聖徳太子の開創とされる妙法寺の鎮守社。石山合戦の際、兵火にあったが再建され、江戸時代には大坂城代就任と領内巡視の際には、必ず社参することを慣例とした。

Img_1077 契沖の供養塔(妙法寺境内)

この寺の住職中に「万葉集代匠記」を著したという。左側には師の丰定(かいじょう)、母、兄の墓が並ぶ。契沖の墓は、終焉の地である天王寺区の円珠庵にある。生誕比定地が尼崎城址公園近くにある。『中国街道』に記載。

Img_1079 説明板

Img_1081 底谷地蔵 

Img_1084 常夜燈道標(文化3年(1806)) 《地図

「左 なら いせ」

Img_1086 説明板

Img_1091深江稲荷神社 【ル-ト地図】の⑤

Img_6164由緒

Img_1093 門前の碑

深江は菅笠の有名な産地だったそうだ。右の「摂津笠縫邑跡」は、大和の笠縫邑(崇神天皇6年に、宮中に奉祀していた天照大神を豊鋤入姫に託し、移して祀らせた所)から移住したきた笠縫氏が居住したという伝承地ということだろう。

*****2016年5月追記*****

Img_6163万葉歌碑(2013年に設置?)

「四極山 うち越え見れば 笠縫の 島漕ぎ隠る 棚なし小舟」 (高市黒人 万葉集巻3-272

「四極山」には諸説あるようだ。

Img_6162説明板

****************

北から来る中高野街道と交差する。《地図

Img_1106 道標 《地図

「大阪高麗橋元標二里廿丁」・「枚岡一里三十三丁」・「放出停車場三十丁」。放出停車場は北方のJR片町線(学研都市線)の放出(はなてん)駅のこと。

冷たいみぞれ交じりの雨が降り続いているので、早めに小阪北口交差点で切り上げて鶴橋のビジネスホテルに戻り、テレビで有馬記念を観ることにする。どうせ馬券ははずれるだろうが。

 

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2011年1月10日 (月)

西国街道③

2010年12月25日

豊川駅(大阪モノレール彩都線)・・・春日神社御旅所・・・楠水竜王堂・・・小野原地区・・・(府道120号)・・・勝尾神社鳥居・・・(県道119号)・柳谷観音道標・・・北向地蔵・・・国道171号・・・(国道423号)・・・萱野4交差点・旧道・・・萱野三平旧宅・墓所道標・・高札場跡・・・鍋田川橋・・・稲地区・・・国道171号・・・(府道43号)・・・旧道・・・牧落の高札場跡・・・牧落八幡宮・・・牧落踏切(阪急箕面線)・・・浄円寺・瀬川宿本陣跡あたり・・・瀬川宮橋(箕面川)・・・瀬川神社・・・瀬川宮橋・・・野踏切(阪急箕面線)・・・春日弁財天社・・・阪大下交差点・旧道・・・辻の地蔵堂・・・高札場跡・西国街道踏切(阪急宝塚線)・・・正光寺・・・亀之森住吉神社・・・順正寺・高札場跡・・・十二社神社・・・(中国自動車道)・・・弁慶の泉・・・西宝寺・受楽寺・・・国道171号・・・新開橋(箕面川)・(兵庫県伊丹市)・・・浄源寺・・・軍行橋(猪名川)・・・旧道・・・宝剣堂踏切(JR福知山線)・・・坂口橋(駄六川)・・・辻の碑・・北園1交差点(県道13号)・・・伊丹坂・・・和泉式部の墓・・・西皇太神社・・・妙宣寺・・・大鹿地区・・稲野村道路元標・・長勢橋碑・昆陽宿本陣跡あたり・・・国道171号・・・西天神社・・・昆陽寺・・・昆陽里交差点(県道42号)・師直塚・・・西昆陽交差点・旧道・・・髭の渡し跡(武庫川)・・・甲武橋(武庫川)・・・一里山町・・・(山陽新幹線)・・・下大市の道標・・・門戸厄神駅(阪急今津線)

 今日も寒く、大阪の最高気温は5度だった。手袋で鼻水をすすりながら西からの風に向かって大阪府から兵庫県へと進んだ。

  【ル-ト地図

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Img_0669春日神社御旅所

Img_0668 説明板

Img_0670 楠水竜王堂 【ル-ト地図】の①

楠木正成が延元元年(1336)、湊川に馳せ参ずる途中、ここにあった小庵の井戸で水を汲み飲んだという伝承がある。後に茶店ができて旅人が名水として愛飲したという。井戸は民家の庭にあるそうだ。堂の前の道標(享和2年(1802))には「左京 ふしみ道」と刻む。その右後ろは伊勢神宮常夜灯(寛政8年(1796)建立)

Img_0672 小野原の家並み

Img_0677 勝尾神社鳥居

左右の端に町石が立つ。

Img_0678 説明板

Img_0686 北向地蔵

祠の手前左側には青面金剛庚申塔が立つ。 

Img_0698 萱野三平旧宅 【ル-ト地図】の②

赤穂浪士の一員になれず自害した武士。少し先の左側に三平の墓への小さな道標が立つ。墓はそこから南へ600mほどの墓地に移転されているという。

Img_0702 説明板

Img_0710 高札場跡(三平旧宅の先の左側)

付近に一里塚があったようだ。

Img_0709 説明板

Img_0717 稲地区

右は地蔵の小祠

Img_0724 牧落の高札場跡 《地図

正面右に説明板と2基の道標

Img_0725 道標

Img_0726 説明板

「はっとり」は「服部天神宮」で、『能勢街道』沿いにある。

Img_0734 桜井の旧家

Img_0743 浄円寺 《地図

右に「蓮如上人御由緒地」の石柱。この100mほど先の箕面自動車教習所あたりが瀬川本陣跡だが遺構などは残らず。説明板では半町(はんじょ)本陣で、建物の一部は現存すると書いてあるが。瀬川本陣と半町本陣は並んでいたとも。

Img_0746 説明板

街道から離れ、瀬川2丁目交差点の手前の路地を入り瀬川神社に向かう。途中を右折すると「弁慶の鏡水」の窪地があるようだが保存状態はよくないらしい。

Img_0748 瀬川神社

左は木の根に覆われた小祠。龍が水を飲んで天に昇ったという「龍の井」があるというが見当たらず。

Img_0754 春日弁財天社

北方200m地点に一里塚があったようだ。

Img_0762 辻の地蔵堂

Img_0760 案内図

Img_0766 高札場跡(西国街道踏切の所) 《地図

能勢街道(大坂道・池田道)との交差点。『能勢街道②』踏切を渡った所に地名の起こりとなった石橋が架かっていた。

Img_0763 説明板

Img_0771 正光(しょうこう)寺 《地図

麻田藩の陣屋門という。境内に「夜泣き石」がある。

Img_0770 夜泣き石(右)

「中納言の休憩岩」で、江戸時代に麻田藩主がこの岩を陣屋に持ち帰ったところ、毎晩石が「帰りたい」と泣いたため、正光寺の近くの辻に放置した。その後この正光寺内に移されたという。

Img_0775亀之森住吉神社

豊島郡(豊中市・池田市)の総鎮守

Img_0776 順正寺 《地図

門前が高札場跡

Img_0781 十二社神社

この先で中国自動車道の地下歩道を2つくぐる。

Img_0790 弁慶の泉 【ル-ト地図】の③

長年にわたり農業用水として利用されてきた湧水で、しっかりと丁寧に保存されている。

Img_0786 説明板

Img_0794 桂春団治の碑(受楽寺門前)

Img_0793 説明板

初代春団治が得意としていた『池田の猪買い

 この先の新開橋交差点へ出る道筋が分かりにくい。

Img_0799 浄源寺 《地図

境内の大銀杏(桐とムクの木が寄生)は一里塚的存在だったという。この先に伊丹市指定の入江家・中村家・増田家住宅が並ぶ。

Img_0798 説明板

Img_0806 軍行橋

猪名川の川幅は120間(216m)もあったが、渡し船はなく、松尾芭蕉も歩いて渡った。下流の東側は大阪空港で航空機が頭上を飛んで行った。

Img_0823 多田街道との交差点 《地図

右に「多田道道標」(従是多田御社江一里半)、トラックの後ろに「辻の碑」が立つ。多田神社への参詣道でもあった。東京中野区の鎌倉街道沿いにも源満仲を祀る多田神社がある。

Img_0822 辻の碑

建てられた年代は不明。

Img_0816説明板

Img_0828 伊丹坂を上る。 【ル-ト地図】の④

Img_0829 坂標

Img_0832 和泉式部の墓 《地図

Img_0836 五輪塔(和泉式部の墓)

鎌倉時代後期の造立というから墓というより供養塔だろう。京都府木津川市の山背古道中山道御嵩宿の手前にも墓がある。

Img_0835 説明板

Img_0841 茶碗樋(西皇太神社境内) 《地図

水争いを防ぐための茶碗大の樋口。

Img_0839 説明板

Img_0848 大鹿地区

右の大鹿交流センターに旧西国街道の看板が架かっている。坂上田村麻呂が大鹿を射止めたのが地名の由来という。村の中程に一里塚があったそうだ。

Img_0851 説明板

Img_0854 道標(大鹿交流センター前)

「すぐ 中山 ありま」で、有馬道との交差点。

Img_0862 稲野小学校前 《地図

西国街道の石碑・説明板・能因法師の歌碑『芦のやのこやのわたりに日は暮れぬいづちにいくらむ駒にまかせて』、「こやのわたり」はこの先、武庫川の「髭の渡し」のことだろう。すぐ先に稲野村道路元標がある。

Img_0865長勢橋碑(長勢児童遊園)

元治元年(1864)、蛤御門の変で敗走したがここで踏みとどまって戦ったという。公園北西側の四辻の右側が昆陽宿の川端本陣跡というが遺構は残っていないようだ。

Img_0873 昆陽寺

天平3年(731)に行基が建立した畿内49院の一つ。

Img_0878 師直塚 《地図

この地で討たれた高師直の供養塚。

Img_0879 説明板

Img_0883 髭の渡し跡 【ル-ト地図】の⑤

髭の老人が営む茶屋があったのでこう呼ばれた。明治の終わりに下流に甲武橋が架けられるまでこの渡しは続いた。

Img_0880 説明板

Img_0884 髭の渡し跡から前方の報徳学園方向

Img_0891 今は南に大きく甲武橋まで迂回せねばならない。

Img_0899 下大市の道標 《地図

Img_0900 道標

厄神明王は駅名にもなっている門戸厄神東光寺のこと。左は「すぐか婦と山観音 是より 十五丁」で、甲山大師神呪寺(かんのうじ)への道標。

Img_0904 説明板

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2011年1月 7日 (金)

西国街道②

2010年12月24日

大山崎駅(阪急京都線)・・・府道67号・・・山崎宿・妙喜庵・・離宮八幡宮・西国道道標・・関戸大明神・・閻魔橋(閻魔川)・・・水無瀬橋(水無瀬川)・・・水無瀬神宮・・・阿弥陀院・・・中堤橋・・・桜井駅跡(楠公伝承地)・・・島本町立歴史文化資料館・・・(JR京都線)・・・妙浄寺・・・梶原一里塚跡・・・一乗寺橋・・・歯痛地蔵・畑山神社(梶原寺跡)・・・三五郎橋・・・成就寺・・・法照寺・・・桧尾川橋・府道125号・・・春日橋・・・磐手杜神社・・・春日橋・・・磐手杜神社御旅所・・愛宕山常夜灯・・府道67号・高札場跡・・・(JR京都線)・・・安満遺跡・・・(JR京都線)・・・安満新町交差点・府道79号・・・花の井・・・能因塚・・・文塚・・・不老水・・・日吉神社・・・伊勢寺・・・上宮天満宮・・・昼神車塚古墳・・・芥川宿・仇討の辻・・芥川一里塚跡・・教宗寺・・橋詰地蔵・・芥川橋・・・今城塚古墳・・・太田茶臼山古墳・・・雲見坂・・・太田橋(安威川)・・・(名神高速)・(府道46号)・・・阿為神社御旅所・・・法華寺・・・安養寺・・・幣久良橋(茨木川)・白井河原合戦場跡・・・(府道110号)・中河原地区・・・(国道171号)・・・郡山宿本陣跡・・・鍛冶屋橋(勝尾寺川)・・・春日神社・・・豊川学校道標・・・山下橋(勝尾寺川)・・・国道171号・・・ぼろ塚・・・豊川駅(大阪モノレール彩都線)

 クリスマス寒波の到来で、晴れた空から時々雪が舞う中を西に、山崎宿、芥川宿、郡山宿へと進む。

  【ル-ト地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_0397 妙喜庵

千利休が作った茶室で唯一現存する「待庵」の見学は要予約。

Img_0399 説明板

Img_0402 離宮八幡宮

貞観2年(860)に行基が宇佐八幡神を嵯峨天皇の離宮(河陽宮)に祀ったのが始まりという。平安時代にこの地で始まった荏胡麻づくりは鎌倉・室町時代にさらに発展し、油座の本所となって全国の油の製造販売権を独占し、油の代名詞として「大山崎」の地名が全国に知れ渡った。

門前に「本邦製油発祥地」と「河陽宮故址」の石柱が立つ。

Img_0396 説明板

Img_0408 西国道道標(左の道路標識下) 《地図

「右 西国道」で、元禄5年(1692)という古い物。ここを枡形に曲がる。

Img_0409 関戸大明神

ここが山城と摂津の境で、今でも京都府と大阪府の境。境を守る道祖神的な性格の神社。古代には「山崎の関」が置かれていたという。北側に室町時代の連歌師、山崎宗鑑の屋敷があったそうだ。

Img_0411 説明板

Img_0419 山崎宿の家並み

西国街道の最初の宿。

Img_0421 閻魔橋(閻魔川)

サントリー山崎工場の入口にあった西観音寺閻魔堂にちなむ。明治の神仏分離で廃され椎尾神社となり、現在閻魔像は宝積寺に安置されているそうだ。踏切の手前に西観音寺跡への標柱が立っている。

Img_0422 水無瀬神宮と柳谷観音への道標

西国街道は直進

Img_0438水無瀬神宮 《地図

後鳥羽上皇の水無瀬離宮跡。客殿は国の重文。

Img_0431由緒

Img_0440 離宮の水

名水百選」に指定された湧水で、汲みに来る人が絶えない。

Img_0444 正面に道標(慶応3年(1867))

「右柳谷 左西ノ宮 そうじ寺道」・「右京 伏見 山崎道」 

「そうじ寺」は西国三十三観音の第22番総持寺

Img_0448 桜井駅跡 【ル-ト地図】の①

古代の駅(家)跡。公園になっていて「楠正成父子の決別の場」の石碑などが多い。

Img_0453 説明板

Img_0452 旗立松

これも楠正成父子ゆかりの松跡

Img_0451 説明板

Img_0459 楠正成父子像

「滅私奉公」・「忠君愛国」 嫌いな言葉のベストテンに入るよ。「青葉繁れる桜井の・・・」の歌はこの地のこと。

Img_0466島本町立歴史文化資料館(旧麗天館) 《地図

Img_0476 梶原一里塚跡 《地図

右の地蔵堂(水あがりの地蔵)の所。付近には茶屋があったようだ。

Img_0478 説明板

Img_0486 歯痛地蔵(畑山神社参道前)

由来は分からず。 

Img_0490 畑山神社

右は大クスノキ。7世紀後半に建てられた高槻市最古の寺院の一つの梶原寺跡。神仏分離前は永福寺で、多宝塔は埼玉県の旧ユネスコ村の南側の狭山山不動寺に移築された。

Img_0491 説明板

Img_0494 梶原地区の家並み

Img_0505 磐手杜(いわてもり)神社(春日橋から) 《地図

Img_0509 夜啼石(神社境内)

「安満へ帰ろう」と泣いたという石。

神社北側の名神高速を越えた所に三角縁神獣鏡が出土した安満宮山古墳がある。

Img_0514 高札場跡の西国街道に戻る。《地図

右は愛宕山常夜灯。手前に磐手杜神社御旅所がある。

Img_0519安満遺跡 《地図

弥生時代の環濠集落跡

Img_0521 説明板①

Img_0522 説明板②

 西国街道から離れ「伊勢寺・能因塚コース」を歩く。

Img_0537 案内図

Img_0525 花の井 《地図

水は涸れている。

Img_0526 説明板

Img_0529能因塚 【ル-ト地図】の②

慶安時代中期の歌人、能因法師の墓と伝える。

Img_0530 説明板①

Img_0531 説明板②

Img_0540 文塚

Img_0539 説明板

Img_0541 不老水

今も小祠前からこんこんと湧き出ている。飲めないようだが。

Img_0542 説明板

Img_0549 伊勢寺

平安時代の女流歌人、伊勢の晩年の旧居跡という。能因法師は伊勢を歌人として慕っていてこのあたりに移り住んだとか。

境内には白井河原の合戦で池田勝正に討たれた和田維政の墓がある。

Img_0550 説明板①

Img_0557 説明板②

Img_0551 伊勢

子どもの頃、百人一首の「坊主めくり」で、あでやかな十二単衣姿の伊勢の札をめくれば大喜びし、墨染めの衣姿の能因坊主をめくればがっかりしたものだ。

Img_0559本堂

境内は静かで建物は新しく、明るく綺麗で伊勢姫にふさわしいか。

Img_0564 上宮天満宮

菅原道真の霊を鎮めるため、正暦4年(993)に大宰府に赴いた勅使が帰途、この地で牛車が急に動かなくなった。調べると菅原氏の祖先とされる野見宿弥(のみのすくね)ゆかりの地であることを知り、ここに道真を祀ったという。

Img_0563 由緒

Img_0569昼神車塚古墳(前方部) 《地図

古墳時代後期の前方後円墳

Img_0571 説明板

Img_0581 仇討の辻 【ル-ト地図】の③

討った方、討たれた方も武士道の鑑としてもてはやされたという江戸時代初期の仇討の一件だが、事件の発端が稚児の争奪というから武士道もへったくれもないお粗末な話。

Img_0580 説明板

Img_0584芥川一里塚跡 《地図

Img_0583 説明板

Img_0587 芥川宿の旧家

Img_0588 教宗寺

石槽(石風呂)があるというが、境内に入れず。

北側のJT医薬総合研究所あたりが芥川城址で石柱碑が立つようだ。

Img_0589 説明板

Img_0591 橋詰地蔵(芥川橋手前)

芥川橋の東側に2か所、西側に1か所の橋詰地蔵堂があるそうだが、西側の地蔵堂は見逃したようだ。 

Img_0593嶋上郡衙跡方向(川西小学校周辺一帯) 《地図

西側の素盞嗚尊神社の一帯が郡寺(芥川廃寺)跡で、郡家という地名が残る。

Img_0599 今城塚古墳

全長350mの前方後円墳で真の継体天皇陵のようだ。第7次整備工事中で、これ以上は近づけない。

Img_0602 太田茶臼山古墳 《地図

宮内庁が継体天皇陵として治定する全長230mの前方後円墳だが築造時期、規模などで今城塚古墳を継体天皇陵とするのが通説となっている。

Img_0605 雲見坂を下る。 【ル-ト地図】の④

Img_0606 雲見坂の途中の太田神社への常夜燈(嘉永4年(1851))

Img_0609 西国街道説明板

安威川を渡り、名神高速をくぐった西側あたりに太田一里塚があったようだ。

Img_0615 阿為神社御旅所 《地図

阿為神社は北方1.5kmにある。北側の帝人研究センター敷地内に耳原(みのはら)古墳があるが工事中で公開を中止しているようだ。

Img_0616説明板

法華寺前の西側の題目塔は西国三十三観音の第22番総持寺への道標を兼ねている。安養寺前が高札場跡。耳原大池の東側に鼻摺古墳がある。

Img_0626 白井河原合戦場跡(幣久良橋(てくらばし・茨木川)から) 《地図

河原は血に染まり、唐紅いの流れとなったという。敗れた和田維政の墓は先ほど立ち寄った伊勢寺にある。

Img_0622 説明板

Img_0633 中河原の家並み

Img_0630 説明板

Img_0639郡山宿本陣跡 《地図

忠臣蔵でおなじみ赤穂藩主の浅野内匠頭長矩も泊まった「椿の本陣」

Img_0642 説明板

Img_0645 郡山宿の家並み

Img_0651 豊川学校・勝尾寺道標

豊川学校には川端康成が通っていた。当時は豊川尋常高等小学校。勝尾寺は西国三十三観音の第23番。22番総持寺からの巡礼者が通った道で、近くに巡礼橋がある。ここに高札場と郷倉があったようだ。

Img_0657 ぼろ塚 【ル-ト地図】の⑤

際限なく続く仇討の殺し合いを止めるため、2人で刺し違えて死んだという、徒然草に書かれた「ぼろ」(虚無僧)の話。『徒然草 第115段』(この訳では宿河原を神奈川県川崎市の宿河原としているが、都から遠く離れた所の話ではあるまい)

Img_0659 「ぼろ」塚に似合いの説明板

Img_0663 豊川駅(大阪モノレール彩都線

このあたりに一里塚があったようだ。

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2011年1月 4日 (火)

西国街道①

2010年12月23日

京都駅・・・東寺通り・・・(近鉄京都線)・・・東寺・・・九条通り・・・矢取地蔵堂・・羅城門跡・・・西寺跡・・・国道171号・・・九条橋(西高瀬川)・・・久世橋(桂川)・・・厳島神社・・・中久世交差点・府道207号・・・福田寺・・・(東海道新幹線)・(JR京都線)・・・(阪急京都線東向日駅)・・・常夜燈・・・旧道・・・梅ノ木道標・・・六万地蔵・・・府道67号・須田家住宅・・・向日神社・・・長岡京跡・・・南真経寺・・・五辻交差点・旧道・・・石塔寺・島坂・・・鈴吉大明神・・・府道67号・(阪急京都線)・旧道・・・小井川・・下川原地区・・・一文橋(小畑川)・・・馬場1交差点・旧道・神足地区・石田家住宅・・・淀・山崎分岐道標・府道211号・・・(JR京都線)・・・勝竜寺城跡公園・・・(JR京都線)・・・片泓(かたふけ)交差点(府道67号)・・・犬川橋・旧道・・・与市兵衛の墓・・・調子八角交差点・・・府道10号・・・小泉橋(小泉川)・三浦芳次郎碑・・・(JR京都線)・・・(名神高速)・・・聞法寺・・・(JR京都線)・(阪急京都線)・・観音寺(山崎聖天)・・・稲荷社・・大山崎瓦窯跡・・・蛇姫池・・・(阪急京都線)・(JR京都線)・・・府道67号・・・大山崎駅(阪急京都線)

 東寺前から西宮神社手前の中国街道との合流点、山陽道の起点までの西国街道を行く。山崎通、唐道、唐海道とも呼ばれ、宿駅は山崎、芥川、郡山、瀬川、昆陽(こや)、西宮の6ヶ所に設けられた。京から大阪を経由せずに西国へ抜ける最短の脇街道として、西国大名の参勤交代、庶民の寺社参拝の道として利用され繁栄した道筋だった。 

 参考:『歴史の道調査報告書 第六集』(大阪府教育委員会)・『歴史街道ウォーキングマップ』(大阪府)

  【ル-ト地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_0175東寺(世界文化遺産)

南大門と五重塔。ここが「京の七口」の一つ、東寺口で西国街道の起点。

Img_0182 矢取地蔵堂 《地図

弘法大師の身代わりになったという矢取地蔵を安置。

Img_0181 矢取(矢負)地蔵

Img_0178由来

Img_0176 羅城門跡 【ル-ト地図】の①

『今昔物語集』や芥川龍之介の小説『羅生門』にも描かれた、平安遷都の際に建造された丹塗りの楼門があった所。

Img_0177 説明板

Img_0183 西寺跡 《地図

東寺の繁栄とは大きな落差。

Img_0184 説明板

Img_0192 久世橋(桂川)から愛宕山、北山方向 《地図

Img_0194 福田寺

養老2年(718)に行基が開基と伝う寺だが、今は現代的な建物で歴史の重みは全くない。

小倉百人一首の「よもすがら もの思ふころは 明けやらぬ 閨(ねや)のひまさへ つれなかりけり」は歴代住職の一人の俊恵法師の作。

Img_0199 常夜燈(阪急京都線東向日駅の踏切を渡った所)

天保13年(1842)に伊勢講の人たちが建立。

Img_0200 阪急京都線を渡り、左に旧道入る。《地図

分岐の正面に、「 右 さんご寺 西山上人御廟道」の道標が立つ。昔、このあたりは梅林で、「梅ノ木」の地名がついた。 

Img_0203 梅ノ木の道標

右に大原野神社・灰方伺地蔵・淳和天皇御陵などへの4基の道標が並ぶ。

Img_0218 六万地蔵尊

Img_0229 須田家住宅 《地図

屋号を松葉屋という、醤油の製造販売を営んでいた旧家。左に新しい道標が立つ。

Img_0226 道標

「中・あたごみち」は物集女街道のこと。

Img_0235 向日(むこう)神社

鳥居をくぐった参道に「日像上人の説法石」があるというが見逃した。

Img_0232 説明板

Img_0242長岡京跡(大極殿跡方向) 【ル-ト地図】の②

延暦3年(784)から平安京遷都の延暦13年(794)までの都跡。

Img_0250 南真経寺

日像によって改宗された関西における日蓮宗最初の寺。二層造りの本堂は珍しいか。

Img_0246 説明板

Img_0251自転車店

Img_0255 島坂を下る。 【ル-ト地図】の③

紀貫之が京へ帰る時に休息したあたりで、『土佐日記』に「かくて京へ行くに島坂にて人あるじしたり」とある。「あるじ」とは饗応のこと。左は石塔寺

Img_0256 説明板

Img_0263 下川原地区に入る。《地図

秀吉が小畑川の流路を西に移し、道路拡張し堤防を築いた。この時できた広い河川敷が後世に農地化、宅地化され下川原の地名として残ったとか。

Img_0267 下川原の家並み

Img_0269 中小路家

Img_0279 一文橋(小畑川)を渡る。《地図

銭「一文」を取った有料橋だった。

Img_0276 由来碑

Img_0284 神足(こうたり)地区に入る。《地図

右に「西国街道」の石柱、左に説明板がある。

Img_0286 「西国街道」説明板

Img_0290 神足商店街を抜けて行く。

一里塚があったあたりで、「一里塚」という地名が残る。

Img_0295 神足の家並み

Img_0301 石田家住宅

「神足ふれあい町家」として休憩所、資料館となっている。

Img_0298 説明板

Img_0339 正面に淀・山崎分岐の道標が立つ辻。《地図

西国街道は右へ山崎へと向かう。

手前右には愛宕山常夜灯2基(元禄13年(1700)・1基は再建)、手前左に「式内神足神社」の石柱道標が立つ。

Img_0336 道標(享和元年(1802))

「右 山ざき 左 よど」

左に淀方向に向かい勝竜寺城跡公園に寄り道する。

Img_0324 勝竜寺城跡公園 【ル-ト地図】の④

細川ガラシャ、細川忠興ゆかりの城。「山崎の合戦」では明智光秀が本陣を構えた地でもある。

Img_0319 細川ガラシャ

明智光秀の三女

Img_0333 隅櫓と堀(復元)

Img_0321説明板

Img_0346 与市兵衛の墓 《地図

仮名手本忠臣蔵』(五段目・山崎街道の場)での創作上の人物ではないのか?このあたりは「横山峠」と呼ばれていたそうだ。それほどの高さもなく、今は明るい賊など出そうもない住宅街だが。

Img_0347 説明板

Img_0358 柳谷観音道標 《地図

「右 やなぎ谷」・「左 よど」

この先の調子八角交差点から府道10号を行く。

Img_0372観音寺(山崎聖天) 《地図

仏教の守護神、商売繁盛の神で、観音寺の鎮守社の歓喜天を祀る聖天堂の鳥居。「聖天宮」の扁額が架かる。 鳥居をくぐり急な石段を上る。

Img_0374 仁王門

Img_0378 観音寺本堂

本尊の十一面千手観音菩薩よりも歓喜天の信仰で賑わい、「山崎の聖天さん」と親しまれている。

左手前の燈籠は元禄10年(1697)に住友吉左衛門が寄進したもの。ここは「山崎の合戦」のあった天王山(270m)の中腹。

Img_0376 説明板

Img_0377 歓喜天を祀る聖天堂(本堂の左側)

Img_0379 西側の急な石段を下る。

Img_0389 大山崎瓦窯跡 《地図

Img_0388 説明板

Img_0390蛇姫池 【ル-ト地図】の⑤

この池で死んで蛇となって祟ったという「蛇姫池伝説」の地。

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