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2011年1月30日 (日)

吉備路①

2011年1月23日

備前一宮駅(JR吉備線)・・・山神橋(三丁川)・・吉備津彦神社・・・赤木格堂句碑・・・両国橋・・・福田海・・鼻ぐり塚・・・高麗寺仁王門跡・・・藤原成親遺跡・・・ダイボ-の足跡・・・吉備の中山・・穴観音・・吉備桜・・・八徳寺・・・中山茶臼山古墳(大吉備津彦命陵)・・・吉備津神社・・宇賀神社・・吉備の松並木・・・(国道180号)・・・(JR吉備線)・・・山陽道・・・真金一里塚跡・・・吉備津踏切・・・吉備津駅(JR吉備線)

 「吉備路」という街道名はなく、岡山市の北西部から総社市にかけての一帯の総称で、古代からの遺跡、歌枕の地、伝説の宝庫だ。吉備津彦神社から西方向に総社市の旧山陽道の持坂までを2日かけて歩く。まさに寒中で北西からの冷たい風は身にしみるが、以前歩いた所が多いので気楽な道中ではある。

  【ル-ト地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_1477 案内図

今日歩く所がだいたい載っている。

 

Img_1470 吉備津彦神社 (備前国一宮)【ル-ト地図】の1

背後の「吉備の中山」を神体と崇めてきた古代からの社。

 

Img_1467 桃太郎伝説

先住の土着民を鬼として征服して行く、中央のいつもの汚いやり方。

 

Img_1473 安政の大石燈籠

 

Img_1472 説明板

 

Img_1490 両国橋

備前と備中の境の橋らしいが、なんの風情もない。

 

Img_1496 鼻ぐり塚 《地図》 

宗教団体の「福田海」(ふくでんかい)が牛に対する報恩感謝と牛霊供養のために集めて祀った牛の鼻輪。600万、700万個とも。もとは横穴式石室を持つ古墳。被葬者は埴輪ではなく、色とりどりの鼻輪に覆われて喜んでいるか?

 

Img_1497 福田海の境内を通り、吉備の中山へと上って行く。

 

Img_1500 高麗寺仁王門跡から

ここが藤原成親の配所地とも。

 

Img_1504山道っぽくなる。

 

Img_1505 藤原成親遺跡 

上の石囲いの中に、崩れかけた小さな石塔が立っている。

 

Img_1506 説明板

 

Img_1511落葉のじゅうたんを踏みしめながら進む。

 

Img_1512 ダイボー(大坊)の足跡

各地にあるダイダラボッチなどの巨人伝説の一つ。水が窪地に溜まって水の祭祀が行われたとも。

 

Img_1515 説明板

 

Img_1525 穴観音 【ル-ト地図】の2

右から2番目の石の表面に観音像(大日如来?)が刻まれている。左の小穴に耳を当てると観音さんの声が聞こえるとか。後ろは中山茶臼山古墳。

 

Img_1522 説明板

 

Img_1528 吉備桜

枯れそうになっていた山桜を元気に甦らせ、こう名付けたそうだ。

 

Img_1537 八徳寺

 

Img_1543大吉備津彦命陵(中山茶臼山古墳) 【ル-ト地図】の3

「吉備の中山」にある全長120mの前方後円墳で、陵墓参考地。

 

Img_1549 歌枕の「吉備の中山」 を詠んだ歌①

 

Img_1550

 

Img_1551

 

Img_1558 吉備津神社前の旧家

 

Img_1566 吉備津神社(備中国一宮) 【ル-ト地図】の4

北随神門

 

Img_1580 説明板

 

Img_1562鳴釜神事」の御釜殿への廻廊

 

Img_1569 説明板

 

Img_1582 矢置岩

吉備津彦の温羅(うら)退治伝説の一つ。

 

Img_1581 由来

 

Img_1576宇賀神社の池へ倒れ込む松。「身投げ松」とでも呼ぼうか。

 

Img_1583 吉備津の松並木(吉備津神社参道) 《地図

吉備線の踏切を渡り、旧山陽道に向かう。

 

Img_1590 真金一里塚跡 【ル-ト地図】の5

 

岡山城下から2番目の山陽道の一里塚。写真は岡山方面。

 

Img_1587 説明板

 

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